カオス・ウォーキング : 映画評論・批評
2021年10月26日更新
2021年11月12日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにてロードショー
ホランド&リドリーの初々しい魅力あふれる「ボーイ・ミーツ・ガール」的SF
西暦2257年の惑星ニューワールドでは、かつて起きた先住生物との戦いが原因で、女性は全員虐殺され、生き残った男たちの思考は外にダダ漏れ。心の中の呟き、思い出、夢までが、不思議な煙と一緒に“ノイズ”として体外に放出される状態にある。なので、プライバシーは皆無。本心を読まれる前に自白しているようなものだ。観客にとっては、普通の台詞は普通に、外に漏れ出た諸々は《》で囲われて表示されて、常に情報過多。あちこちで喋りと囁きが聞こえる。そんな感じだ。
映画化はさぞかし大変だったろう思う。ロバート・ゼメキスが監督候補に上がった後、チャーリー・カウフマンほか数人の脚本家を渡り歩いた後、最終的にメガホンを受け取った監督のダグ・リーマンは、台詞(情報量)の多さを背景でカバー。ドローンを使った森林の俯瞰ショットや、ボートでの激流下りなどを挿入することで、SF色が薄い古典的なサバイバル・アドベンチャーとして描いている。
ニューワールドのとある町で生まれ、両親の記憶はなく、養父と共に暮らす少年トッドが、ある日、ニューワールドに墜落した探査船の唯一の生き残りであるヴァイオラとの出会いをきっかけに、初めて異性を意識。そして、誰も秘密が保てない異常な状況が形成された恐るべき原因を知ることになる。トッドを演じるのはトム・ホランド。イギリス人作家、パトリック・ネスが2008年に発表した原作は“ヤングアダルト小説”にカテゴライズされるが、ホランドがキャスティングされたことで、100%“少年冒険もの”にシフト。ヴァイオラを前に思わず露呈してしまう“ノイズ”にはにかむ場面とか、むしろ実年齢の25歳にすら見えない初々しさだ。一方、ホランドよりも前にヴァイオラ役に決まったデイジー・リドリーも、ブルネットの上にブロンドのカツラを被り初々しさに貢献。そうして、映画は必然的にピーター・パーカー(『スパイダーマン』)・ミーツ・レイ(『スター・ウォーズ』)的なお楽しみを付加。劇中には「フォースの覚醒」(‘15年)を連想させる箇所もある。
また、“ノイズ”が溢れる町を支配する豪腕な町長、プレンティスを演じるのは、ホランドやリドリーより、むしろ旬なマッツ・ミケルセン。ミケンセンの配役はとても理に叶っている。なぜなら、プレンティスはこの物語のキーパーソンであり、民主主義が分岐点を迎えた今、世界のあちこちに君臨するレイシストや独裁者をイメージさせる人物だからだ。作品が一旦完成した後に色々あって、公開までに4年も費やした映画は、滑り込みで作られた意義を手に入れたようだ。
(清藤秀人)