「作品としての必然を追求した完成度の高い演出」ストレイ・ドッグ しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
作品としての必然を追求した完成度の高い演出
まず、邦題も原題も問題ありだと思う。
邦題「ストレイ・ドッグ」、主人公が車の運転席から見た野良犬から取ったのか?
しかし、原題から離れ過ぎだと思う。
一方、原題のDestroyer、破壊者。
これはネタバレし過ぎじゃなかろうか。
ファム・ファタルという言葉がある。
関わる者を破滅させる女。
男目線で、どうしようもなく、そういう女性に絡め取られ、破滅していくという映画はこれまでにもあったと思うが、ファム・ファタルの側から描く、というのは珍しい。
ニコール・キッドマン演じる主人公エリンは、確かに、死んだクリスにとっても、サイラスにとっても、また、潜入した組織のメンバーにとっても、関わってロクなことになっていない。
彼女は立派なファム・ファタルである。
だが本作を観て、ファム・ファタルというのは、本人もなかなかに辛い、ということが分かった。
どうもエリンの生い立ちは壮絶なものだったようで、そういう破滅的な人間は自身も周囲も破滅させてしまう。
時間軸を入れ換えた技巧には、してやられた。
しかし、謎が解けたという爽快感とは無縁で、破滅の味わいはあくまで苦い。
苦味を表現するのに、ヒロインが美魔女であるわけがない。
そうであるなら、エリンはくたびれて、やさぐれたキャラクターにしかなり得ないし、当然、観る側は感情移入しにくくなる。
だから前半、エリンが男に対し、手で“抜いてやる(射精させる)”シーンもまた、本作にとって必然的だ。観る者は、そんなことさせる側にも、する側にも感情移入できない。それこそが本作の狙いなのだ。
ゆえに、ニコール・キッドマンも敢えて、常に負の感情を抱え、眉間にシワ、目の下たるんの特殊メイクで撮影に臨んだ。
主人公がこういうキャラなら、全編くたびれたトーンになるのは必然である。
そういう点では、本作のディレクションは一貫している。つまり、観客から常に一定の距離を取り、寄せ付けない。
脚本に新味はないし、主人公の背景(別居中の夫のことや、娘とのことなど)なども、もう少し書き込んでほしいと感じるが、演出面での完成度は高いと思う。
その上で、これを評価するかどうかは好みの問題なんだと思う。