はちどり(2018)のレビュー・感想・評価
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芸術的。よくわからない映画
綺麗な音楽、可愛い女優、素敵な映像、雰囲気の良い映画でした。
が、私が通俗的過ぎて、なんのことやら、理解に苦しむ箇所多数。。
いちいち説明したりしないところも、芸術的だし、意味がわからないところはすべて「揺れ動く思春期特有の心の何か」で片付きますが、理屈がつかないと消化不良。
ネットでネタバレや解説を調べたけど、特に解説見つからず。
見終わって、あのシーン何の意味あったのかな?
そもそもこの映画、何が言いたかったのかな?という感想
主役の子はとても美少女で、少しキムタクの娘のkoki似。
先生役の女優さんも、黒木華的な、演技のうまい名女優だった。
この2人を愛でる映画としては大成功。
あとは韓国料理を食べるシーン多数で、観てると食べたくなりました。
そもそもの韓国のカルチャーなのかなんなのか、家父長制度が強いのはわかるが、ボーイフレンドときっかけもなく別れたりくっついたり、後輩の女の子と当たり前のように同性同士で恋愛したり、なんのことやら。
ただ、これまた理由もなく、心変わりした後輩女子の言い訳が秀逸。
主人公「私を好きって言ったくせに」
後輩「前の学期の話です、先輩」
わざとだな。わざと学期とか、中学生らしい言葉を使った監督のあざとさに、まんまと笑った。
これも韓国カルチャーなのか、女の子が全員同じオカッパ頭なのと、やたら登場人物みんなキムさんなので、紛らわしかった、、、
そんなことがあったなぁと思える思春期のにおい
高評価に惑わされてはいけない
何で兄ちゃんはひとりで嗚咽?
韓国の1990年代という設定らしいが、1970年代後半ぐらいの感じがした。
メッセージ入力可能なポケットベルが唯一1990年代だなぁと。1980年代は呼ばれたら、電話するだけだったような記憶。
音楽、古くさかったなぁ。ディスコも。
カセットテープ出て来ましたね。
韓国映画はほとんど観ないです。台湾映画はわりと観ます。
韓国の1990年代のビッグニュースは北の将軍様の死去とソウル大橋の事故なのかな?
主人公のお嬢さんはかわいいけど、その他に魅力的な人はお母さん以外には特にいなかった。
ゆったりとした映画は嫌いじゃないですが、中盤から後半は眠くなってしまいました。韓国映画としては珍しい一作なんだとは思いました。女性監督の自叙伝的映画らしいので、納得はできる。
主人公は絵をかくことが好きである以外には能動的ではない感じ。
首のしこりは耳下腺腫瘍で、おおそらく、良性腫瘍。取った腫瘍を捨てるのはあり得ない。病理検査に出すはず。町医者の場面は安っぽかった(インチキくさかった)。丁寧で、親切だったけど。
韓国のお受験競争は日本にも増して熾烈だが、それは今に始まったことではなく、昔から公務員、官僚になることが最大級の関心事のお国柄で、遊び幅が狭いというか、みんな同じベクトル向いている感じで、あんまりおもしろくないなぁと思ってしまった。
儒教の弊害で家長制度が強い(お父さん、長男を過度に持ち上げる)と、長男筆頭に娘二人だと必ずと言ってよいほど、上と末っ子の二人が仲悪く、真ん中は世渡りが上手くなる。
私は感情移入できる登場人物がいなかったので、はまらなかった。
お兄ちゃんはなんで食卓を家族全員が囲むなか、ひとりだけ嗚咽していたのか?大橋の事故に巻き込まれて恋人が死んだとしか思えない。しかし、家族は知らないふり。妹たちも立ち入らない。実はあの漢文の先生とお兄ちゃんは付き合っていたのか?だから、あんなに荒れたか?長女(妹)の高校の生徒と付き合っていた可能性も大。でも、よくわからんなぁ。
外国の映画祭で賞取りまくりとの前情報だったので、外れなしと思ったのだが・・・ちょっと(かなり)残念。
やっぱり、日本映画はいいものはちゃんといい! と思ってしまった。
餅屋の描写は良かった。のっけから、今年の冬はトッポギ買って、豚キムチ鍋にしようと思ってしまった。
ちょっと木村佳乃似の漢文の先生の名前はキム・ヨンジだった。キム・ヨンジャの北空港やベサメムーチョが懐かしい。🎵夜の札幌~ 大麻をやって~ だっけ? あっ違った、それはケイ・ウンスクだった。
私小説ならぬ私映画
1994年の韓国で暮らす女子中学生を描いた青春物語。鑑賞後、監督の体験をもとにした話と聞いて驚いた。それなら意味がわからないシーンがいくつかあるのも仕方ない。
冒頭のシーンで団地の階数が違うことにかなり引っかかっていたのだが、あれもあんな間違いがあった的なエピソードなのだろうか。
ストーリー的にはラスト近くまでこれといった大事件は起こらない。淡々と主人公の周りで起こる出来事が描かれる印象。友人や彼氏との関係性がコロコロと変わる。そして、塾の先生や後輩との関係が同性愛テイストが濃くなったりもする。女子中学生っぽい。
あと記憶に残っているのが食事シーン。いつも韓国映画は関係の近さの象徴のように食事シーンが使われ、演者たちが美味しそうに食べる印象がある。でも本作では美味しそうじゃない。成長するための通過儀礼のようにモクモクと食べていた。周りの大人がたくさん食べろと勧めるのもそんな印象を後押ししていた気がする。
塾の先生とのやりとりはすごく好きなんだけど、個人的にはそんなに高い評価にできない。これは完全に好みの問題。たくさんの人を元気にさせることができた未来でよかったなとは思う。
この世界が、気になった。
14歳の女性を通して描く14歳の社会。
おそらく、ある種のコンプレックスや抑圧から生じる男たちのマッチョで幼稚な行動や言動。そしてそれらへの恐怖や保身から呆気なく翻意せざるを得ない女たちの振る舞い。それらをじっと見つめる14歳の左利きの主人公の、世界に対する違和感と揺れ動く感情を通して描かれる1994年という時代。1987年以後、軍事政権から民主政権へと移行し、1988年にはソウルオリンピックを迎え、高度経済成長のさなか、社会は、さながら14歳の思春期を迎えた少女のように、様々な場所で様々な軋みや綻び、あるいは崩壊の様相を呈し始める。ソンス大橋の崩落事件、再開発に対する住民運動の挫折、本来なら社会的優位に立っているはずの男たちのグズグズな姿。何の前触れもなく起こるそれらの出来事の数々を、本作がデビュー作となるキム・ボラ監督は、ロングショットを多用し、あくまでも距離感を持って淡々とさりげなく描き出す。
どこかエドワード・ヤン作品を思わせる、限られた世界と人物関係が描かれるミニマルな内容と構成ながら、その実、社会全体を描き出す手腕には目を見張るばかり。
思春期の少女の日々
女子中学生
先生、私の人生もいつか輝くでしょうか?
なによりも、主人公ウニの心情描写のみずみずしさが見事で、震えがくる。
自分が学歴社会の落ちこぼれのくせに、子供をけしかける父親。家庭の事情で勉学を諦めて平凡な男と結婚した母親。鬱屈したストレスを弱者である妹にぶつける兄。ただ同じ時間を過ごしているだけの友達。そんな人間に囲まれた日常に現れた塾講師ヨンジの柔らかな存在感は、窮屈で居場所の不確かなウニにとって、ひとつの指標のように思えた。闇夜の山中で見つけたほのかな人家の灯りのような。
全編にわたり何かを示唆・代弁する表現に胸がざわついて仕方がない。タイトルは未成熟者の足掻きだろうし、耳の下のしこりはウニの心のしこりだろうし、呼びかけても応えのない母はウニの将来への不安や疎外感の表れだろうし、ヨンジの歌う歌は抵抗すれど成せぬ無力感だろうし、崩壊した橋は当時の韓国社会の暗示なのだろう。時代設定が漠然とでなく1994年と明示する意味もそこにある。
劇中、ヨンジがウニに問う。「知り合いは何人いますか?その中で本心まで知っている人は何人いますか?」と。黒板に書かれた「相識満天下、知心能幾人」は、”相知るは天下に満つるも、心を知るは能く幾人ならん 知っている人は何人もいるけれども、心から分かり合える人は沢山はいない”という意味。ちょうど今のウニに響いたのだろうなあ。なんでみんなは私をわかってくれないの、って。でもウニ自身も他人をわかってあげれていないって気付いたのかな。だから、手術や事故を機に、実は父も兄も心が弱く脆いのだと目の当たりにしたとき、お互い仲が悪いと思っていた家族の愛を知ることができたし、その感情は蔑みではなかった。
自分がちっぽけで、何者でもなくて、何をなすこともできない、なんて諦めることはない。ヨンジの言うように、指を動かせるって些細なことさえも「神秘」なのだから。ウニの可能性は、むしろ何も書いていないまっさらなスケッチブックのようなもの。そう、僕の好きな歌に「何も持っていないことは、何でも持っていることと同じ」という歌詞があるのだが、ウニはまさに、今それだ。
ヨンジとの最後をどう受け止めて自分のものにしていくかは、ウニ自身だ。そう思えたとき、ヨンジの言葉が頭に浮かんできた。
「誰かと出会い何かを分かち合う。世界は不思議で美しいわ。」
私も主人公と同じ病気で手術した経験があります。
映画評論家の町山智浩さんが、TBSラジオで推していたので、奥さんと観に行きました。コロナ禍の影響で観客は7人/84席。20年以上前の韓国の普通の家族の日常がえがかれていますが、この時代の中高生たちが、今の韓国の30代~40代なのですね。
主人公のウニが「右耳の後ろにシコリが出来て気になって診察を受ける」場面でビックリ。「右耳の後の辺りのシコリ」という時に「もしかしたら」と思いましたが、やはり私と同じ病気でした。
日本語の病名では多形腺腫(良性唾液腺腫瘍)。医師からは「放置すると癌になり、最悪、下顎を全部摘出することになる」といわれました。手術の後遺症の説明も映画の場面と同じで、神経を切断してしまうことになると顔の半分が緩んで垂れ下がり、発音も呂律が回らなくなるかもしれない」と言われて手術を躊躇った期間がありましたが、結局やってみました。映画と同じ1週間の入院。私は専門医のいる口腔外科医のいる大学病院でしたので、幸い、「見た目」と「発音」の後遺症は有りませんでしたが、唾液腺の一部が切断されてしまったので、咀嚼すると唾液が、右耳の裏から顔面に出てしまうので、食事中は、何度もハンケチで拭います。
私(71才)は60才を過ぎてからの発症なので「若い人は罹らない」と思っていたのでそれが驚きでした。当作品の本質とは外れていますが、「主人公が同じ珍しい病気だった」ということで書き込まずにはいられませんでした。
ウニの中に自分を見る
14歳ってまだ自分のことを自分で決めることも出来ない、なんの責任も取れない年齢です。
でも今の自分の核となるものはすでに確立されているように思います。
そういう思春期のぐらぐらふわふわした心の動きがすごく丁寧に描かれている映画でした。
ウニのような家庭環境ではなかったし学校生活も全然違うものでしたが、それでもウニと自分が重なるところがあるように思いました。
ソンス大橋の崩落事故や金日成主席死去など1994年にあった大きな出来事も出てきます。
この辺りのことはその衝撃を体感した韓国の人々の方がより深く心に響くものがあるでしょうね。
ヨンジ先生とウニは歳は離れているものの良い友達関係を築いていけたんじゃないかな。
再会した時にどんな話をしたかったのか聞きたかったです。
忘れかけた青春
#46 1994年が舞台の意味
が日本人の私にはわからなかった。
当時は社会全体がウニの目線のやうに狭かったが、その自己中心的なウニの目線が漢文の先生と触れ合うことで拡がって行く。
両親は兄ばかりひいきしてると思ってたけど、ちゃんと子供たちみんな可愛いがってることとか、姉も兄も友達思いのこととか。
先生の言いたかったことは分からずじまいだけど、そこにもう答えはあった気がする。
私も今度辛いことがあったら指を一つ一つ動かしてみよう🖐
曇天のち木漏れ日
韓国映画っぽくない
理不尽な痛み
中学生の少女の気持ちを描いた、青春映画。
子ども故の「痛み」と「成長」を感じられる、繊細な表現が染みる。
(淡々としたシーンが長く続くので、少々眠気を誘発する可能性が高いのですが)
1994年、急激な経済発展に沸くのに反して、超学歴社会がいびつな価値観を作り、男尊女卑が残る韓国。
日本でも昭和50年代に覚えのある、カオスな時代の空気。
横暴な父親の言葉の暴力、兄の直接の暴力、親友の裏切り。
理不尽なことばかりに押しつぶされそうになりながら、少しずつ強さを得ていく主人公を愛しく感じました。
主人公のような女の子が多かったんだろう、ということもまた、考えさせられます。
そして女性が理不尽と戦う心について言及し、フェミニズム視点でのあの時代を捉えているのも興味深かった。
その数年後に、街のあちこちで手抜き工事による建築物崩落や、IMF管理下に置かれる通貨危機と失業率アップという地獄の始まりがあることを知っていると、大学進学が難しい彼女が、高卒では仕事を得ることが難しくなる世代であることに気づき、より切なくなります。
自我が生まれる前
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