MOTHER マザーのレビュー・感想・評価
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遊びの無いハンドルを握っている感覚
開始3分で嫌いになり、それが最後まで突き抜ける。苦しいのだけれど離れられない。そんな二時間でした。
ただ、後半の周平にとっても大事なパート、茨城に居るときが少し雑に感じてしまい、そこで一気に我に返ってしまったのが残念だったかなぁ。それでもソコからのラストそして周平の独白には、暫く抜けない様な痺れを感じました。
出演者全員の陰なるパワーが渦を巻いてコチラを取り込んでくるので、自分自身に余力のある時じゃないとやられちゃいますね。ご用心ご用心。
面白かったが、ただただ胸糞悪かった
「実際の事件をモチーフにしている」という事前知識しか無い状態での鑑賞です。
様々なレビューサイトで結構高い評価を受けていたので、多少はハードル上がっていたと思います。
結論から申し上げて、私はこの映画を観て後悔しています。人間の心理描写や演出、細かな部分まで計算された脚本、役者陣の演技などは本当にレベルが高くて見応えがありましたが、ストーリーがとにかく胸糞悪いのです。最初から最後までずっとイライラするような描写が続くんです。個人的に「面白いけど胸糞な映画」といえばデビット・フィンチャー監督の「セブン」を想起するんですが、個人的にこの作品はセブン以上の胸糞でした。鑑賞注意です。
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一切仕事をせずに知人や親類からの借金で生活をしている秋子と、秋子の息子で学校にも通えない周平を描いた作品。様々な男と行きずりで関係を持つ自堕落な母親にすがらないと生きていけない周平。
ネグレクト(育児放棄)や束縛、慢性的な金欠。そんな辛い状況を生きる周平が、何を考えて何を学び、どのような行動をするのか。そして祖父母の殺害事件がどのようにして引き起こされたのか。
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主人公の少年・周平が自堕落な母親からどのように育てられ、どのような環境に身を置き、そしてどのような経緯で祖父母の殺害に至ったかを描いた映画になります。
「少年が祖父母を殺害した事件についての映画」というのは、予告編やコマーシャルでもはっきりと明示されているため、ネタバレにはならないと思います。
最初から最後まで、人間のクズみたいな母親から周平が酷い仕打ちを受ける描写が続きます。これが私には本当にきつかった。息子を道具のように扱い、片や自分は男と遊び歩く生活を送る。周りの男達は秋子(母親)に匹敵するクズ男だったり、まともな人でも秋子に簡単に誑かされてしまいます。周平を救ってくれそうな人が何人か現れますが、秋子に阻まれてそれも叶わず。途中で周平が秋子に反抗するような場面もありましたが、結局は秋子に押し通され、自分の望む選択ができませんでした。
作中に何度も「周平が秋子の呪縛から逃げられるんじゃないか」という希望的な場面を見せつつも、結局周平は秋子から離れることができず、最悪の結末を辿ることになるのです。これが私にとってこの作品の一番胸糞な部分です。
あと、秋子が映画のラストで罰を受ける形になるのですが、それまでの様々な悪逆非道な行いに対して、「これだけ?」と思うくらいのちっぽけな罰しか受けないため、それもイマイチ納得いきませんでした。
以上のような理由で、正直観ていて辛くなってくるし観たことを後悔するほどの映画だったのですが、それは決してつまらなかった訳ではなく、ここまで心揺さぶられるほどに映画としての完成度は高くて面白かったと思います。単純に好みの問題です。
万人にオススメできる作品ではありません。私のように、イライラが止まらなくなる人もいると思います。しかし、胸糞に耐性のある方は是非鑑賞してみてください。細かな心理描写や役者陣の熱演は一見の価値ありです。オススメです。
不自然さのない演技にひきこまれました
魂を込めた演技で長澤まさみさんが母性を問う
長澤まさみさんが、この作品の母親を演じるにあたり、大きな覚悟を持って挑まれたであろう事が、スクリーンからもピリピリと伝わって来ました。
朗らかでユーモラスな役の多い阿部サダヲさんが、
ダーティーな役を熱演。この作品に凄みを添えて
いました。
弁護士と接見する長澤まさみさんの独白のシーンで、
涙がこみ上げました。心が荒み切った彼女の表情が強く心に刺さりました。
心に深く問いを投げかけるような作品で、制作に関わった皆さんの強い思いが伝わって来ました。
傍観するコディペンデンシー
作家性が強くって鑑賞者がフォーカスを絞りづらい
作品が近年、大森監督は続きましたが
河村光庸プロデューサーの方向性と
相性が良かったのでしょう。
シンプルかつ深い作品になっていると思いました。
自然界では環境に応じて繁殖におよびます。
でも環境が一変してしまった際には
母体が産んだばかりの幼体や卵細胞を
母体自身が生命維持のために摂取したりします。
細胞分裂して種を増やしたと思ったら
母体がさらなる活動のために
切り離した細胞を再度
取り込んだりすることもあります。
〈感情と思考を持っているのが人間です〉
ですのでこれらのケースを
人間に当てはめるのもどうかと思いましたが
一度“倫理観”を取り払わなければ
わたしは感想が思い浮かびませんでした。
そのぐらい見過ごせない、傍観できない作品でした。
〈社会というコロニーを形成しているのが人間です〉
多様な考え方のある社会のなかで
小さなコロニーが家族です。
家族にはいろんなかたちがあります。
家事と稼ぎ。役割の分担。共存と依存…
そしてひとつの家族は
ほかの家族を寄せ付けない雰囲気、
頼れない感じもあります。排他と自立…
個人に対しては好意的に接しようと思っても
その個人が身を寄せているコミュニティまでも
好意的に接しようとしたら、いろいろと面倒になって
結局傍観してやり過ごし
付き合いやすいコミュニティとだけ接するでしょう。
そこを自分の居場所と決めて…
〈限られた世界のなかで自分の居場所をつくる〉
わたしも両親の愛情を知らずに育ちましたが
代わりに血の繋がりにも負けない家族が
わたしを支えてくれて、愛情を注いでくれて
わたしの居場所をつくってくれました。
それでも記憶の薄れた両親の面影を
知らず知らずのうちに追ってしまいます。
今でも。
なかなか映画好きの方にしか触手が伸びない
辛辣な題材の作品ですが、観てほしい。
そして考える時間をわずかでも持ってほしい。
この作品で唯一の光、
夏帆さん演じる〈亜矢〉の存在があってこそ
この映画は救いあるべき作品だと思いました。
彼を哀れには思わない。
とにかく惨めなかわいそうな人たちがいっぱい出てきますが、主人公であるシュウヘイは一貫して純そのものでした。
ああいうどこにいても光が当たっているような人は、どこまで酷い目にあっても観ているこっちは安心してしまいます。懲役15年は大変に長い刑期ですが、残酷ですがこのくらい時間がないとあの母親の支配からは逃れられない、必要な時間だと思います。これは私の実際に現在服役中の友人と文通を通して感じたことですが、刑務所はとても有意義な勉強や運動を行える場所であるということです。もちろん反省が第一の目的なのでしょうが、それと同時に人をもう一度信じてチャンスを与える場所であるようです。シュウヘイは間違いなく刑務所で初めて本を読み、まともな教育を受けて仕事を身につけていくでしょう。そして母親の支配から離れて、悲しいことですが刑務所で真の精神的な自由を得るはずです。自分がどういう状態にあって、何をしたのか、考える時間はいくらでもあります。彼は自分を許し、人生をやり直せるはずです。私にとってもはやあのラストは救いに感じました。
というより、シュウヘイのような人間は大体どこへ行っても何とかなります。あのような人間が腐っていくのを人間は黙ってみておられないのです。映画の中でもどの状況でも彼には味方がいました。非常に不幸な境遇が重なり、あのような事件になりましたが、あれはどう考えても母親の洗脳のせいでしょう。何故適切な医療が裁判に反映されなかったのか不思議でなりません。
どちらかといえば母親の方が哀れに感じました。彼女はどんな状況でも満ち足りることなく現状を破壊し続けます。そうせずにはいられないのでしょう、彼女にも適切な医療が必要です。
どこへ行ってもどうにかなる主人公と、どこへ行っても上手くいかない母親の対比がとても胸に刺さりました。
長澤まさみさんは明らかの凄い演技でした。阿部サダヲさんもシュウヘイ役の方も、他の役の方たちも本当に素晴らしい演技でした。とても面白い映画でした。
迷った挙げ句…
親子(母子)の幸せ・・☆
実話に基づくということを知らずに鑑賞しました。
長澤まさみ演じる母親と息子。
それにまつわる人々の話し。
「万引家族」というよりも、途中で「誰も知らない」を思い出した。
万引家族は、なにかしらある種救いのような感情がわくシーンがあるが、
この作品は最後まで一貫した別のものがある。
長澤まさみ、阿部サダヲも良いが、何と言っても周平役の(少年・幼年期とも)演技が
素晴らしく、どんどん引き込まれていく。
子供を自分の一部と言い切る母親、それに応えようとする息子。
この話は、極端な形であるとはいえ、一つの愛の話なのかもしれません。
最後になっても、「お母さんが好き」という周平。
きっと本当に心からそう思っていると思った。
親子の幸せは、他者からはわからない計り知れないものがある。
周りがどんなに「かわいそうだ・」と評しても、そうではないものが
身の周りには溢れている。
家族には、正解などないということを、改めて考えた作品。
人間の風景。
愛が故の悲劇
最悪の気分になる…
最低の読後感(映画の場合なんていうか分からんけど)てやつですね。
自分の感覚から言えば、いくらでも助けの手が入ったのにそれを振り払って破滅に向かってしまうことに疑問を感じるが、教育の機会を奪い、他者が受け入れてくれないぞと脅し続けるとこうなってしまうのかな?とも思う。
そこら辺の腑に落ちなさをあえて描かないからこそ、上で書いたような観客にモヤモヤしたものを喚起する気持ち悪さを生むいい脚本だったと思う。
それは、ショウヘイの感情描写にも同じ事が言えて、敢えて無感情な演技を貫くことで、なんでそうなってしまったんだ、秋子切り捨てる事出来なかったのか?という葛藤を生む。
最後に祖父母殺しの罪を全て背負ったのは本当に『母親が好きだから』だったのか?
自分の中で生まれる感情や情動を上手く言葉にする術がなかった故ではないのか?裁判でそこに至るまでの生活をもっと踏み込んで調べたら本人が証言しなくても秋子を正犯として裁けたんではないのか?
という哀しさも感じる。
ひどすぎる。母。
親は選べない?選んで生まれてくる?
幼少期の子供は何があっても母親が好きなのだ。悲しい顔をみたくないのである。それを操る母親。言う通りにさせて心の穴を埋めている。全く酷いマザーの話。
だかしかし、その母親もかつては子供。不安定な心や、大人になっても自立(働く)ができないのは、一見常識的なその母親(ババア)との関係に問題はなかったのかと考えてしまう。
生まれたばかりの赤ちゃんは純真無垢である。たまたまそこに生まれてしまったのである。
子どもは親のものではない。
この親は、自分の子どもなんだから、自分勝手に育てていいと言ったが、子どもの肉体は親の身体から産まれたかもしれないけど、心、精神、魂は親が作ったものではない。
誰も自分が産んだ子どもがその人格であるとはわからないのだから。
子どもは天からの授かり物と言う。だから、仮にそうとしたら、子どもの命は天のもの。
天のものなので大事に育てないと駄目だ。
最近、やたら自分の人生だから自分の好きに生きていいと言う人増えたが、
自分の命を作ったのは自分ではない。人生も自分が作ったわけではない。だから自分の好きに生きていいわけない。人生、自分のものではない。だから、人生、自分でもっと考えなくちゃ。人生、自分のものだから、好きに生きていいと言う単純な問題ではない。仮に、自分の人生、自分のもので自分の好きに生きていいとなったら誰もこの親を批判できない。自分の人生、自分の好きに生きていいとなったら、誰もが欲望の権化になる。
仮に天のものとして、天からもらった命、天に恥じないように生きなくちゃ。
ただでもらった命、何を賭けるか?命を賭けるのです!
最低の女を、最高の演者と演出
重くて深い
それでも母が好き
誰も救われなく、誰もが傷ついた結末。
タイトルを考えた時、いろいろなフレーズが浮かんできた。
・子供に罪はない
・児童虐待、ネグレクト
・猟奇的な母親の愛?
・洗脳された息子
・凶器のマザー
そして、長澤まさみが大嫌いになる作品・・・等々。
自分も仕事柄、ネグレクト的な親と対峙することも何回かあり、そのガキのような親の言い分や態度に、あきれることもありました。以前は、こうした事案に対して、なかなか腰の上がらなかった行政も、最近は、児童虐待の事件をメデアでも多く取り扱うようになったため、直ぐに、対応するようになり、それによって助かる子供もいるのも確か。
作品としては、最初から最後まで、本当に暗く嫌な気分のままのエンドロール。幼い子供は、母親に逆らえないし、従い、生きるために頼るしかないのである。幼いころから刷り込まれた母親の態度と思いに洗脳され、息子がしてしまった罪はあまりに大きすぎる。だからこそ、親になりきれない親は、親になるべきではない・・・ということを訴えたかったのか?
しかし、最後に少年院で息子が児相の女性に語った、「お母さんが好きなんです」の言葉によって、親を選べない子供にとって、どんな酷い母親でも大好きな、大切な「お母さん」なんだということを痛感した。
阿部サダヲは、様々な役を熟してきているし、今回のチンピラホスト役も、堂に入った演技で安定感を感じました。また、シュウヘイ役の男の子は、どんな場面でも無表情の、心を閉ざした少年役を見事に演じていました。
そして、そして長澤まさみ! これまでのどちらかというと明るいキャラを打ち破り、ホントに嫌な、酷い母親役を熱演。最後に1人残され、脱け殻のように遠くを見詰める母の頬に、一筋の涙を期待したのだが、涙は見せずにエンドロール。
観終わったとき、長澤まさみが、嫌いになりそうでした。(笑)
答えが見つからない。
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