THE BATMAN ザ・バットマンのレビュー・感想・評価
全632件中、241~260件目を表示
テンポ悪いし、活躍しない
バディ刑事ものみたいな展開。「セブン」ぽい。
●意味深でダラダラ続く展開の遅さにだんだんうんざり。
●新バットマンなのにいきなり主人公の苦悩が重い。
精神リハビリの映画みたい。
●そもそもたいした活躍しない。
市長候補撃たれるわ、洪水は止められないわ。
水につかった人の救出なんてレスキューでもできる。
●ヒロインと恋に落ちるのが無理くり。
●ラストの敵がしょぼい
銃持った民間人。
名作ダークナイトの後で新鮮なバットマンを作るのは難しいのはわかる。が、ダークなリアル路線のバットマンではもう勝負にならない。違う発想が必要と思う。
狂気と復讐への渇望。
今回のバットマン映画は今まで作られた、どのバットマン映画とも一線を画している 。
繊細で脆く危うく狂気に満ちている。
(人としてのバットマン)
ブルース・ウェインは親が殺害され幼少期に孤児となるのだが、親の不在、ひいては父親の不在は、子どもに強い不安とストレスに対する弱さをもたらす。幼い時期に父親不在だった人は、うつに罹患するリスクや、不幸だと感じる割合が高いというデータもあり、アイデンティティの構築を大きく阻害をさせる。
今回はそんな自分自身に内向的な悩みを抱えている繊細なバットマンが見れたのは新鮮でとても嬉しかった。
若き日のバットマンを支えるのは、もう存在しない親への渇望、それを一心不乱に忘れるためにバットマンとして夜な夜な街へ出ては悪と戦っているようにも見受けられる。
本来の目的である町を救うという目的は今回のバットマンでは自我を保つため、一時的な救済を得るため、個人のアイデンティティが不完全であるという現実から逃避するために戦っているように感じた。
戦う対象が外部の物理的な敵というよりは自分自身という敵という形にも見える。
それは彼自身が映画の中で『この街はもう救いようがない』というセリフからも見てとれる。
(罪と罰)
映画の中で『親の罪は子に報う』という台詞があり実際に登場人物たちはそれぞれが違った形で償ったか、またはそのプロセスの段階にいる。
親(自分達以前の人たち)の罪を子(現在の人たち)に報うという点は現代的テーマであり、実際の社会の環境問題・アダルトチルドレン・格差社会などに当てはまる箇所が多かった。
(ブルースの出した答え)
結論から言うと彼は答えを探し出せてはいない。 自分の答えに『到着した』と言う表現が一番正しい表現だと思う。
もっと明確に言うなれば、一つの答えに到着して次の答えに向かっている最中である。
それは映画の最初と最後で流れるNIRVANAのSomething in the wayが音楽的に暗意しているからであるようにもとれた。
最初の曲のシーンではひどく疲れ、地に足がついていないブルースが映し出され 最後の曲シーンでは答えに到着した彼が映し出されている。
答えは出せていないがそれに向かって模索していると言うメタファーのようにもとれた。
(個人的に好きだったシーン)
①ペンギンとのカーチェイスシーン マッスルカー風のバットモービルがまるで地獄からの使者のように、そしてまるで怒号のようなエンジンを鳴らし走り出すシーンは密かにブルースの狂気の内面を映し出しているかのようで興味深く、シンプルにかっこいいシーンだった。
②アルフレッドとの会話 父親の不在を認識しながらも自分自身はどう足掻いても父親にはなれないと言う諦念をブルースに告白するシーンはアンディ・サーキスの演技にも脱帽したがとても切なく悲しいシーンだった。
歴代で一番好きなバットマン
数年前「バットマン・フォーエヴァー」を見ていた時、同じくリドラーが悪役だったが、その時に見て思ったのが「バットマンの推理劇が見てみたい」というのが率直な感想だった。それから数年後、まさにぴったりな作品が今作だったように思う。
バットマンと言えば悪役をぼこぼこにするイメージだが一つの呼び名がある。それは「世界一の探偵」という名前だ。今回の悪役がリドラーだということもあり、ノワール物で脚色されているが何年も作られているバットマンシリーズで昨今ではこうした推理劇の作品はあまりなかったのではないだろうか。
The batmanではキャラクターの造形を違った見せ方で脚色している。例えばバットマンの初登場時、甲冑のような重い足音が響いてきて、真っ暗闇の空間からぬっと「出現」してきたり、ペンギン、キャットウーマン、リドラーなどのメインキャラは本当にその辺にいそうな「普通の人間」として配置されている。名前を明かさなかったらただの一般人のようだ。ブルースがバットマンのコスプレをしてバイクに乗るのではなく、普通のライダーが普通のバイクに乗っているような様を見れるのも新鮮で、バットマンコスで捜査現場を視察したり謎を解いていく様を見て「こういうバットマンが見たかった!」と思わず膝をぺチンと打ってしまった。
また作中の世界観の造形も目を見張るほど素晴らしく、ゴッサムシティの隅から隅までを散策しているような気になれるのだ。これまでゴッサムはとても暗いイメージしかなかったが随所に明るい部分がちゃんとあり、これまで以上に生活感を感じられた。今作はただ暗いだけではなく要所要所でちゃんと明かりを取り入れて色の明暗をつけるのもかなりエッジが効いた作りこみだったと思う。
ペンギンが経営しているクラブなどは今まで見れなかった名所だと思うし、バットシグナルを合図に集まるビルから見えるゴッサムの夕焼け、クラブでのペンギンの部下との殴り合いや暗闇でのマズルフラッシュを交えた格闘戦、終盤のスタジアムでの戦闘及び、フレアを焚いて人々を助け、導くシーンなどバットマンがいる所は自然と明かりがついてバットマンの存在が輝いているように見えた。
バットシグナルが夜空に照らさせるとき、チンピラはおびえて逃げるシーンなどがあるが、ちゃんと抑止力として働いているのも魅力的で、まるでゴッサムシティにおけるお天道様のようでここも気に入っている場面だ。なんだかこれまで以上にバットマンが恐怖を与えているというメッセージも伝わってくる。
また、バットマン二年目のブルースは己を「リベンジャー」と表し悪人に鉄槌を下すがバットマン並びにキャットウーマン、リドラーもゴッサムという腐敗した大人たちの被害者でもあることがわかる。「親の罪は子に報いる」と劇中でも流れているが過去が未来に復讐するというメッセージを見たときなかなかうまい言葉だなあと思った。リドラーというマッチがゴッサムの闇を暴くシナリオは先が読めないスリリングさで本当に脚本が上手い。しかしこれはブルースの成長劇もちゃんと並行して描いている。最初は確かにブルースは「リベンジャー」だったかもしれない。しかしそんな彼がバットマンとしてこの街を見守ることで力なきものの希望にはなっていたのではないだろうか。その証がバットシグナルであり、どこからともなく暗闇から現れる「夜の騎士」としての彼だと思う。暗闇から出る彼が終盤のがれきに挟まっている民衆の前には明かりを焚いて現れる。その人々を引き連れて先頭に立つさまはまるで宗教画のような神々しささえ感じられた。洪水が街を覆う中、巨大なスタジアムの天井にぶら下がる漏電したライトを防ぐために彼は身を投じた。そこでリベンジャーとしての彼の人生は終わって、起き上がるとき「バットマン」として生まれ変わったのだと思う。市民のために身をささげた彼は救世主だと思うし、ゴッサムにはなくてはならない希望なのだとあの瞬間、確信した。
今までに無い新たなBATMAN
テレビドラマシリーズは未視聴なので何とも言えないのだが今までのバットマンとは毛色の違う新生BATMAN。
どうしても「クリスチャン・ベール版」からハマった人間なので今回のBATMANは「若さ」からの苦悩と荒れたゴッサムを何とかしたい思い、そして自身の生い立ちの謎を追う中での物語となります。
正直「リドラー」は、なんとなく想定していた通り。。。序盤のシーンが。。。
テレビドラマからの流れを組んでいるのか物語の構成は「人間ドラマ」に焦点が当てられているせいかアクションよりも物語を重視している感じがする。
残念なのはガジェットが今までで一番目立たない作品。
バットモービルも、あくまでも自動車の枠を出ていない。
リアルを気にした結果か。
相手がリドラーだけに終始追い掛けっこをしているので上映時間が伸びたのが微妙。
復讐からは何も生まれない
「バットマン」という様式が私には合っていない
バットマンのシリーズ作品は何本か観たが、どれもあまりピンと来なかった。
傑作との呼び声高い『ダークナイト』も、結局私には「バットマンが要らない」という結論に落ち着いている。
そういう人の感想と思って読んで頂ければ。
(以下部分的にネタバレあります)
そもそも私にとっての「バットマン」って、静止画のビジュアルはカッコいいものの、動き出した途端に「野暮ったくて」「ダサくて」「バカっぽく」見えるキャラクターなのだ。
今回もいつもながら機能美とは程遠いバットモービルを駆って、悪役の様に敵を追い詰め、どう考えても邪魔なケープを翻して敵を殴り倒す。
「正体不明のマスク男」と世の中が認識してるってのも、スパイダーマンなんかと比べると現実味に欠けるし。
あのムササビシーンは、ギャグ…ってコトでいいんですよね?
おそらく「バットマン」って、「007」とか「ターミネーター」とかの他シリーズ以上に、そういうガジェット含めた「いかにもバットマン的な様式」を楽しむ作品なんだろう。
ソコに私は今回も終始ノることができなかった。
ストーリー自体は権力と汚職みたいなサスペンスで、普通に見せればそこそこ面白いと思うんだけど、バットマンが出てくると急に冷めてしまう。
書き方が難しいんだけど、バットマンが「嫌い」とか「カッコ悪い」とかじゃなく、純粋に「(ココには)要らないなぁ」と。
あと、ファルコーネは何発撃てば死ぬの?
あの「なぞなぞ」も、いちいち腑に落ちないし。
「少なければ少ないほど、価値が高いものは?」
たいていのモノがそーだろ。
ただ、3時間の作品にしてはそんなに長さを感じる訳じゃないし、決して「つまらない」と断ずるような映画ではなかった。
ゾクアック
映画の神がいるとするならば、残念ながらマット・リーブスにはその才能を与えていなかったのだろう。監督ならびに共同脚本をつとめている本作で、はからずもそれを証明することになってしまった、そんな感想をもたずにはいられない凡作である。この“バットマン”に限らず、MARVELならびにDCコミック元ネタの“テーマパーク型”ヒーロー映画の場合、(別種の)過去作へのオマージュをやろうとするととんだ茶番劇に転んでしまう、それがわかっていないのである。
おそらく、なぞなぞをくりだず今作のヴィラン、リドラー(ポール・ダノ)はフィンチャーの『ZODIAC』を、ゴッサム・シティーの片付け屋ファルコーネ(ジョン・タトゥーロ)は『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネを、バットマンとキャット・ウーマンのロマンスは『007』を、エンディングの水上歩行は『十戒』のモーセ(救世主)を模倣した演出であろう。
が、着ぐるみ姿のロバート・パディンソンがそれをやってしまうと、まったくの茶番劇、できのわるいコメディにしか見えないことに、このマット・リーブス監督まったく気づいていないのだ、脚本段階で出資者たちから大幅な“お直し”を命じられたであろうグダグダなシナリオを、ダラダラと3時間近くも無駄に引っ張りつづけた理由は、ラストシーンががなかなか決まらなかった故にちがいない。
“監視による恐怖と的を絞った暴力”によりゴッサムを良くしようと試みるバットマンことブルース・ウェイン。父親を殺された復讐心を胸に秘めた彼の苦悩する姿は、現在ウクライナ東部で暴れまくっている某独裁者のメタファーではなく、おそらくは、マフィアとの癒着やフェイクニュースによる民衆洗脳を元来得意としてきたJFK以降のアメリカ民主党政権の迷走を反映させているのではないだろうか。
そしてリドラーの謀略を見事打ち破ったバットマンは気づくのである。これからの時代は暴力による恐怖だけではダメで、民衆を導くためには“希望”が必要だ、と。いまさらそんなわかりきっていることを言われても、こんな薄っぺらなエンディングを見せられて「うん、その通り」と素直に頷いた観客が一体何人いたのだろう『TENET』の撮影をわざわざ休んでまで本作のオーディションを受けにいったパディンソンを、ノーランはきっとこう思ったことだろう。「全然わかってねっ」と。
3時間、長くはなかった
長過ぎる!
ヒーロー映画というより
目が離せない
面白かったけど?orので?次に期待
バットマンである必然性
好みすぎて3日後に2回目を見た
大人が観るアメコミヒーロー
90年代に観てたバッドマンとは随分様変わりして、シックでクールな大人のアメコミヒーロー映画に仕上がってるなと感じた。
今回は、真犯人を探すミステリー要素が強めで、これってあな番じゃねぇ?って心の中でひそかに思ってた笑
身近な人が犯人なのかと思いきや、まったくの初見な男性がイキナリ犯人みたいな感じで、お前誰やねん!ってなった。
でもこのポール・ダノ?っていう若手俳優さんの怪演は鳥肌モノやった。
ホアキン・フェニックスといい勝負じゃない?
ロバート・パティンソンの立派なエラと、懐かしのペンギンを演じたコリン・ファレルの脇役感が気になった笑笑
あそこまでガッツリ特殊メイクするなら、コリン・ファレルじゃなくても良かったのでは?
飽きずに楽しめた
全632件中、241~260件目を表示