がんばれ!チョルスのレビュー・感想・評価
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2枚目として登場するチョルスがすぐに変な奴に。 前半はその変なとこ...
2枚目として登場するチョルスがすぐに変な奴に。
前半はその変なところ満載で面白い内容もセッピョルが出てきて意外な方向に物語が進み、進むにつれてチョルスの過去が明らかにされていく。
ヤクザの絡むシーンはやり過ぎと思ったけれど韓国の暴力団はこんな感じなのだろうか?
韓国映画はあまり外れがなくこの映画も笑ってほろっときて最後はほんわか気分になれる良い映画でした。
エンディングのすてきな絵続きとセッピョルが元気になった姿が見れて安心させてくれたので評価ワンランクアップでした。
それにしても韓国の子役はうまいなあ。
主役だけでなく回りの子供も自然で小坊主一杯が悲壮感を和らげてくれてみんなかわいかった。ほっこりしたいときに見るのにええ映画ですわ。
予想の斜め上をいく快作
家の録画HDにずっと眠らせてありました。
「子供のような幼い男と、大人びてしっかりした子供の話」。
なんとなく予想できて、見なくてもいいかなあと削除ボタンを押さ、くてよかった!。
上のあらすじを見てもらうとして。
病気仲間の子の誕生日プレゼント=ピッチャーのサインボール。
それをもらうために、子供が出かけるのに引っ付いてきた男。
この二人が巻き起こす騒動。ああ、よかったね。で1時間。
ってことは残り1時間はなんだ?。
途中何度も「過去のシーン」が挿入されていて。
気になりつつも進んだ後半。
それらが実は「男の過去」に繋がった時。ええーーー!。
人を助けた分だけ、人に助けられるっていうことかな。
もう涙腺崩壊。やられたわ。
こういうビックリの展開は、韓国映画うまいよねえ。
前半コミカル、後半しんみり。
ナイスな作品でした。一度見てみて!
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「父親がしっかりしないと、娘を守りきれないわよ」
100個
とても笑える映画なのに何故か感動して泣けちゃう。
父親と娘の関係が堪らなくおもしろい。
韓国ならではの映画ですね。
主役のスンウォンはドラマでは強面の役柄が多いからキャップが。。でもいい味だしてます。
娘の子役がしっかりしていてとっても可愛い。
笑いながら感動して楽しい映画でした。
【”何で俺は、馬鹿なんだ・・”チョルスが記憶を失い馬鹿になっても、彼の尊崇な行為を人々は忘れてはいなかった・・。前半はコメディ要素強めで進むが、後半は心に沁みます・・。良質なヒューマンコメディです。】
ー チョルス(チャ・スンウォン)筋肉ムキムキのイケメン、で何故か半袖シャツ(と言うか下着にみえるのだけれど・・)”幸福手打ちカルグクス”店で、カルグクスをこねる日々・・。
女性はそんな彼を見て、嬌声を挙げるが、観ている側は、直ぐに彼が知的障害を持っている事が分かる・・。ー
■感想
・前半は、コメディ要素多めに進む。ある日、信号待ちしている彼の前に車が止まり、チョルスはそのまま、病院へ連れて行かれる。そこには、白血病の治療のために坊主頭のやや生意気だがしっかりした女の子セッピョルがいた・・。
ー 少し、粗めのストーリー展開が続く・・。けれど、面白そうな匂いに釣られて鑑賞継続。ー
・チョルスは、セッピョルが自分の娘だと告げられ、絶句。
・セッピョルはある日、大邱の病院に入院している親友チョンジュに誕生日プレゼントを渡すために、父チョルスを呼び出し、二人のオカシナ二人旅が始まる・・。
ー ここで、普通の父親ならば”駄目!”と言うところだが、チョルスは知的障害故に、セッピョルに言われるままに大邱の病院に連れて行こうとする。徐々に心を通わせていくどちらが年上だか分からない二人の姿。巧いなあ・・。
そして、身体が弱っているセッピョルは途中で、意識を失ってしまい、慌てたチョルスは”哀しき過去”のある、地下鉄の階段を必死にセッピョルを抱え上げて、ふらふらと降りていく・・。
◆2003年2月18日 韓国大邱地下鉄放火事件。死者192名、重軽傷者148名の大惨事であった・・。
<この作品が良いのは、前半で、”何故にチョルスが知的障害を患ってしまったのか”に、一切触れずに親子の関係性が徐々に再構築されていく見せ方と、チョルスの元来の人間性の良さを仄めかしておき
後半で、セッピョルのために、輸血を申し出る多くの人々の姿と、口にする
”貴方のお陰で生き残れた!”
と言う言葉と、当時のシーンを最後に鮮明に見る側に投げつけてくる事で、観客をそれまでの笑いから一気に涙を引き出す、脚本の出来栄えであろう。
そして、多くの人のお陰で白血病を克服したセッピョルの元気な髪の毛フサフサの姿と相変わらずのチョルスの姿に、観る側は、泣き笑いしてしまうのである。>
最後は泣けた
WOWOWの放送で鑑賞。知的障害をもつ父親と白血病の娘。ドタバタして都合良すぎるストーリーに途中で観るのをやめようかと思いましたが、そこは韓国映画、ちゃんと、ひとひねりがあり、最後は泣いてました
小麦粉は太る
弟の店で自ら麺打ちをしてるのに「太るぞ」と言われてもなぁ・・・どれだけ食べればいいの?100個くらい?てな感じで、笑わせてくれる知的障がいを持った男チョルス。筋肉自慢やジム通いしてるだけなのに、町の女性からは慕われている。そんな彼にも隠し子がいた?!といった事実。でもみんな知ってるみたい・・・といった状況でセッピョルとのロードムービーが始まるのだ。
途中までは実の娘じゃないのでは?と疑ってかかってしまったけど、中盤から地下鉄火災で多くの命を救った元消防士だということが明かされる。体だけは健康な後天的知的障害というのは珍しいんだろうけど、とにかくナイスガイとして尊敬に値する人物チョルス。やっぱり先天的な病気だと思い込んでいたためガツンとやられてしまいます。過去のヒーロー的活躍ぶりと人々の応援を見ると、とにかく泣けてくる。根本的に悪い人間なんていない!暴力団でさえ人間味溢れていた。
途中、テグとソウルの位置関係で「あれ?」と思ったけど、ヨンジェ少年はテグの病院にいたんですね。クレジットカードを失くしたときのために、やっぱりクレジット会社の電話番号は控えておかなきゃなぁ・・・
沢山
の幸せか転がってる映画。
人に親切にすれば必ず親切のお返しが届く。
普通の事でも感動したりする。
あの恋はドクンドクンのトッコジン役主演、コメディなんだけど娘可愛すぎ。また結構泣けます。トッコジン恐るべし。
笑いあり、涙あり
主役のチョルスを演じたチャ・スンウォンさん。
背が高くて、ワイルドで。その見た目だけで十分な存在感ですが、そこへ来て素晴らしい演技力。
今回の役では、パンチパーマにヨレヨレのTシャツ。
知的障害のあるチョルスを演じています。
ある日見知らぬおばさんに突然車で拉致られ、病院へ。尿検査のカップいっぱいにおしっこを入れるシーンなんて、やっぱり韓国〜。爆笑してしまいました。
その病院で、頭ツルッツルの少女、セッピョルと出逢います。実はそのセッピョルがチョルスの実の娘だと知らされあーらビックリ。
彼らの過去が明かされるのはずいぶん後になります。前半は父と娘の大邱へのロードムービー。
そして後半は、チョルスの過去や、その過去に起きた事件が明らかになります。
街の人がやたらとチョルスに親切なのは、ルックスが良いからというわけではない。。。
前半からたくさんの伏線がありましたが、後半には全てクリアになるのがスッキリしていて良い。
ちょいちょい、韓国ドラマと連動して話が進むのも面白い。たくさん笑わせてくれた後に、後半は感動の嵐。
チョルスが自分の事をなぜバカなんだと叩くシーン。
セッピョルと向き合って話すシーン。
義母から婿であるチョルスへと初めて温かい言葉をかけるシーン。
たくさんの人が骨髄移植へと協力するシーンなど。
チョルスの人柄の良さにジーンとさせられ、子役の演技がうま過ぎて、涙が溢れます。
さわやかと泣けるのバランス
数年前まで、出回っていた動画がある。その動画は、嫌韓系ブログ等で、高い頻度で使われており、おそらくgif化されていた。かなり見かけたので覚えている。
韓国のバラエティ番組らしきものの一場面で、チャスンウォンが「悪いことしたら、わたしは日本人です、と言えばいい」と発言し、それで会場が爆笑でわく──というものだった。
ネット上には有象無象の動画があり、そこから、なんらかの結論はしないが、正直なところ、そのイメージは残留していた。
ただし、後年、知恵袋等で、その番組内でチャスンウォンが上記発言に至るまでの文脈を知った。個人的には悪意を感じなかった。
拍手する時に去れ(2005)とハイヒールのやつと、そのネットに出回っていた動画を除けばチャスンウォンを見たことはない。
00年代のあたりは、嫌韓系のブログが大量に存在していた。
公人はやらなかったが、ネットのコミュニティでは嫌韓発言が盛んにおこなわれていた。
今(2020)はそうでもない。その手合いはいるし、発言もあるが、昔(00年代)ほどではなくなっている。
なぜだろうか。
政治のことは知らないが、韓国が理不尽なことを言ってくる国なのは知っている。
慰安婦や徴用工など、つねに無茶ぶりな/根も葉もない/筋違いな外交カードを出してくる国だとおもう。(無知なので、それらについてよく解っていないが、それにしても酷いことくらいはわかる)
したがって日本人として韓国はきらいな国である──と言える。
ところが、いま世の中には韓国映画の勃興や、パラサイトやNetFlixがある。
ひとびとはたいてい「やっぱ韓国映画っておもしれえわ」と考えている。
わたしなどはそれに加えて「やっぱ日本映画ってつまんねえな」とも考えている。
──たとえ、政策や情勢のうえで韓国を嫌っていても、そのように考えている──わけである。
くわえて、韓国には全世界を席巻しているアイドル戦略もある。
アイドルのこともよく知らないが、アメリカやヨーロッパ、中東、オセアニア、とうぜんアジアにおいてもBTS(やブラックピンク)などの人気はすごい。のは多少知っている。日本のアイドルが、デジェネレスやコナンオブライエンのばんぐみに出られるだろうか。グラミーにノミネートされるだろうか。国内だと1億ビューだけどあっちはすでに10、20億ビューがK点になっていたりする。NiziUにしても日本人をつかってはいるけれどマーケティング等すべて韓国のものだ。と思う。
──というぐあいに、政治にとくべつの関心を持たず、また、とりわけ嫌韓というわけでもない一般庶民は、韓国の映画やアイドルなどに感化され、韓国に一定の親近をもっている、と思われる。
そのことに、いいも、わるいもないし、とにかく、韓国製のエンタメは、たのしいわけであって、たのしいなら一般庶民としてみれば、それでいい──わけである。
だが(わたしは韓国のこともよく知らないが)、韓国人は教育行程に反日があって、基調として日本人および日本をけいべつしたり下に見るように教わって育つわけである。
あっちでは、うかつに親日なことを言ったりやったりすると、バッシングされるわけである。
つまり、ここ20年くらいのあいだに、韓国が築いた商法とは、嫌いでも買ってもらえるクオリティ──であろうと思う。
これがどんな様態かと言うと、たとえば、韓国屋というお店に行くと、そこの店員さんたちは、お客である日本人のわれわれに、罵声をあびせながら阻害してくる。にもかかわらず、そこはとてもおいしい/おもしろい/たのしいので韓国屋は大人気である。──という感じだろうか。
韓国の外交戦略はとりあえず置いて、日本人が問題視すべきなのは、わが国の映画のクオリティではなかろうか──と思っている。
では日本はなにをしていたんだろうか。
ndjcという文化庁の委託事業がある。New Directions in Japanese Cinemaで「若手映画作家プロジェクト」となっていた。
ぜんぜん知らなかったが2006年に発足され、以来毎年数本づつ、その事業がアテンドした新人監督の映画がリリースされ、本年(2020)までにすでに70本ほどの映画を世に送り出している。
ndjcはインターネットサイトを持っている。
そこに歴代の映画がすべて記述されている。
わたしは知っている映画が一本もなかった。
あなたは知っている映画はあるだろうか。
14年やって70本撮って、カメ止めが1本もつくれない。はあ?と思った。どんだけ悠長な事業なんだろうか。なぜ目立たないように活動しているんだろうか。あるいは、いったいナニを「育成」してるんだろうか。
なぜ、いい映画(売れる映画)をつくれないプロジェクトを何年も継続しているんだろう?という、そぼくなぎもんがこみあげてくる──わけである。
庶民が見ない映画になんの意味もないし、巷に下野して、庶民が喝采をおくらない映画に、なんの意味もない。
単館ではじまって、ぜんぜん遷延しなかった不人気映画に、なんの意味もない。
どっかの知らないアワードを1,000個とっても、なんの意味もない。
文化庁の委託事業が、そんなことすら知らないんだろうか。
わたしとしてはこの人たちに言いたいのは「やめろ」だけである。
いちおうこの事業は若手映画作家に予算を割り振ったり、監督やれるかどうかテスト(サイトにはそのように書いてある)したり、背中を押したりしている、わけだが、そもそも創作の初動において、このテのアーティスティックな気取りを持ってしまった作家が、大衆を視野にいれているはずがない──のである。
これが(日本の映画製作の)最大の勘違いだ。
大衆が喜ぶ、何年も映画を見ていない労働者が、わざわざ映画館に足を運ぶ──そんな映画をつくりたい──と思っている若手映画作家がいるだろうか?
ていうか、映画は、大衆が喜ぶものでなければなんの意味もない──ってことを若手映画作家は知っているのだろうか。
アーティスティックなことをやるのは、売れる映画を撮ってからでいい。のだ。ビリヤード始めたばっかしなのにマッセしないでしょ?
ところで、人は、あるていど、エンタメから影響をうけて考え方を形成する。
思想とまではいかないが、庶民であれば、あるていど物事を決定づける考え方にもなりえる。たとえば韓国のアイドル/コンテンツが好きだから=韓国が好きとなってしまうひとは0パーセントではない。大なり小なり、そういうことが起こるのである。
逆に、のきなみ日本映画がつまらないばあい、日本きらいにはならないだろうけれど、日本ダメだなあ感がインフェリオリティなコンプレックスを形成する・・・それは0パーセントではない。大なり小なり、そういうことが起こる。
そうかんがえてみると分かるが、韓国が繰り出してくる強気な外交カードを、中和しているのは、韓国ドラマ/映画/アイドルなのである。
韓国政府としちゃ、日本の庶民はエンタメでしっかり懐柔しているから、なに言ってもだいじょうぶだよ──と思っている、わけなのである。(──と思う。)
どんだけ慰安婦や徴用工や竹島や歴史教科書で、無茶ぶり/根も葉もない/筋違いをやってきたとしても、多数の日本の一般庶民がにこにこしながらNetFlixを見て「やっぱ韓国映画/ドラマおもしれえわ」とか思っているんだから。
わたしは政治を知らないが、なに言っても暴挙にならないほどに、韓国は国策として、エンタメの権勢を伸張させた──といえる。のではなかろうか。
個人的に、すくなくとも日本は映画を面白いものにできる基盤をつくるべきだと思う。ndjcとかアートな方向性は止めて、本質的なことをわかっている政治家が先導してくれたらいいのではないか──と思う。
韓国を挙げるまでもなく、ひとが世界の印象を把捉するとき、エンタメがおおきく関わっているなら、それはすでに政治的──と言えるからだ。
が、しかし漠然と、日本映画が再起することはないだろう──と思っている。
よく外国映画を褒めて、日本映画をけなしているレビュワーなんかを見ると、このひとはきっと左翼文化人みたいなスタンスなんだろううな──とか、思ったりする。
ところが、わたしも外国映画褒めて日本映画をけなすレビュワーなんだが、思想的には右派とか保守なのであって、左翼な進歩的文化人がきらい──だったりする。
ふつうにじぶんの国にたいして愛着をもっている一般庶民であり、わたしも若いころは、韓国映画を見ても「おれはだまされないぜ」みたいな厨二的気概をもっていた。
つまり、韓国はふざけたことを言ってくる国だし、映画がよかったからと言って、猟奇のジヒョンがいいからといって、消しゴムのイェジンがいいからといって、だまされるかよ、おれのやまとだましいはそんな軽浮なもんじゃないせ(フッ)──などと思っていたわけである。
しかし韓国映画の攻勢はやまなかった。のに加えて日本映画の没落もやまなかった。であれば、政治的にんげんじゃないし、活動家でもないし、どう考えても、一般庶民ならば、NetFlixを見ながら「やっぱ韓国映画っておもしれえわ」と思うように──なるわけである。なってなんのふしぎもないわけである。
というわけで、物心ついてから、おそらく30年ほど、日本映画をけなしてきているわけで、いまさらこの業界が再起/改心することはないだろう──と思っているわけである。
いちばん感慨深いのは、なにより、みんなが、これ(映画)をアート/げいじゅつだと思っていて、だれひとりとして庶民を指向していないってところ。若手のひとはだれもが、映画を日芸をでてから撮るもんだと思っている。
atgなんてもんは日本映画を再起不能なゲージツにした呪いのようなムーブメントだった。と個人的には思ってます。
けっきょく日本の映画監督といえば、新人も若手もベテランも、かならずアーティスティックなきどりをもった映画をつくるひとになっているわけだが、韓国にはアーティスティックなきどりをもった映画が(ほとんど)ない。
わたしは映画のアーティスティックなきどりが嫌いである。
アーティスティックでもじょうずな映画は別腹だけれど、基本的に、庶民的な映画が好きなのである。
人様のことは知らないが庶民はけっこうそんな感じではなかろうか。
監督の仕事仲間や業界内の友人ではない、その他大勢のひとびとは、監督のつくったアーティスティックなこだわりに与しない。と思う。映画監督ともあろうひとが、それを想像できないのは、ふしぎだ。
ようやく言えるが、これは、日本映画のアーティスティックな気取りは、わたしの嫌いな政治上の韓国に見えてしまうという結論へもっていくための長文である。
わたしのナショナリズムは日本に好ましさを感じ、韓国に疎ましさを感じている。そこまでは健全である。
ところがエンターテインメントの世界では、完全逆転するのである。
わたしはほどんど韓国映画を愛しているといえる。そしてほとんど日本映画を憎悪している、と言えてしまう。
この「がんばれ!チョルス」はクサいヒロイズムや愁嘆を扱っているんだけれどクサくならない。サッド・ムービー(2005)のように、まったく嫌味を感じることなく泣ける話。泣ける映画だが露骨なお涙頂戴には落とさない。純情と微笑ましさでしっかり笑いへ変換する。うまい。
個人的な見解だが、すぐれた映画をつくることができる国にはいいイメージを持つことができる。
逆のばあい逆になる。
それを思想にはしないし、理念にもしない。
ただし大勢の一般庶民が、たとえイメージのうえだけでもそう考えていたら、すくなくとも映画に関して言えば、日本は愛されないんじゃなかろうか。なんて。
前半笑って後半は泣く。
前半は色々な謎(人間関係など)があり、ドタバタで面白いけどちょっとわかりにくいと思った。最大の謎はチョルスが異常に地下道を怖がる点。後半に謎がどんどん解かれていき、伏線回収がある。誰でも泣く展開。悪人が出ないところがいい。
たくさん笑ってたくさん泣ける映画。
たくさん笑ってたくさん泣ける映画。男前でムキムキなのに頭が弱い父チョルスと白血病の闘病中でしっかり者の娘セッピョルのロードムービー。
チョルスはうどん屋なのに小麦は体に悪いと客に告げたり、何個ときかれたら必ず100個と答えたり、怪しい人は力こぶで威嚇したり、男前なのにとぼけた言動、周りの人の反応が楽しい。セッピョルとチョルスは旅をしながら仲良くなっていき、互いに父と娘という関係を受け入れていく。
後半に明らかになるチョルスの過去、病院に向かうシーン、セッピョルの病室シーンなど、感情を揺さぶられるシーンが畳み込まれて、鑑賞後もあの家族のことを思い出していた。とても満足な映画体験だった。
ハートフルコメディのあらたな名作!
終始コメディで終わるのかと思いきや(途中途中で韓国ドラマをディスるのはウケるw)、こういう展開が待っていようとは全く想像できませんでした。
日本だと面と向かっての話題を避けるテーマに対して、真摯に明るく向き合える韓国のエンタメ界はうらやましい。勉強になりました。
後半に驚きと感動
前半からは想像も出来ない、後半の流れる様な展開は驚きと感動の連続だった。
知的障害の設定について、そもそも生まれつきと決め込んでいた所もあって、予想を超えてきた感じだ。
とはいえ、もっと短くてよかったのにと思わせる、前半の平和過ぎるお話はちょっと退屈だったかな。
これは……そう来たか!
難病の子と知的障害の父親とのピュアな愛情物語、これでお涙頂戴というわけか。周囲も軽く良い人ばっかりで、ハイハイお手軽な……とひねくれかけたら後半怒涛の謎解きが!周囲の優しさ含めそういう事かと配線が繋がっていく。こうなると最後の血液提供者続出シーンは、もう分かっていても号泣避けられず。三密防止で隣席が空いていて良かった……。さすがにディズニー映画みたいに主人公も元に戻って完全ハッピーエンド、というわけにはいかなかったが、単純でも良いからそうなって欲しいと思わずにいられなかった。
過剰な演技を耐えられれば感動が待ってるはず
中身は子どものままだけどイケメンの男が、白血病で闘病している娘と再会するハートフルコメディ。
主人公チョルスのイケメン設定がなんとも違和感があって戸惑う。そしてバカ演技も過剰な気がして最初はちょっと受け付けなかった。
ところが娘のセッピョル役の子の可愛らしさと演技のうまさに驚き、彼らの過去が徐々に語られるにつれその評価はどんどんうなぎのぼりで高まっていった。
結果かなり感動して涙を流しまくってしまった。卑怯な作りだ。最後もちゃんとホッとさせてくれる。韓国のこういうハートフルコメディはずるいくらいに泣かせにくる展開にするから困る。泣きにきてるんじゃないんだよ。
モツ串めちゃくちゃ安くない!?
知的障害を持つマッチョなおじさんと白血病の娘が病院から居なくなり巻き起こる話。
ある日病院に連れて行かれた主人公が、入院している少女と父娘であると告げられたことから展開していく。
基本はドタバタコメディで、娘は何しにテグへ行きたいのか、チョルスは何でこの様になったのか等々を孕ませながら話が進んで行くのは良いけれど、チョルスの理解度がかなり都合良いし、ネタの引っ張り方やばらし方にちょっとまどろっこしさを感じる。
なんてモンクばっかり書いたけど、非常にわかりやすいし、優しく温かく笑いもたっぷりで胸アツで、とても面白かった。
全22件中、1~20件目を表示