劇場公開日 2020年6月12日

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「さわやかと泣けるのバランス」がんばれ!チョルス 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5さわやかと泣けるのバランス

2020年12月31日
PCから投稿

数年前まで、出回っていた動画がある。その動画は、嫌韓系ブログ等で、高い頻度で使われており、おそらくgif化されていた。かなり見かけたので覚えている。

韓国のバラエティ番組らしきものの一場面で、チャスンウォンが「悪いことしたら、わたしは日本人です、と言えばいい」と発言し、それで会場が爆笑でわく──というものだった。

ネット上には有象無象の動画があり、そこから、なんらかの結論はしないが、正直なところ、そのイメージは残留していた。

ただし、後年、知恵袋等で、その番組内でチャスンウォンが上記発言に至るまでの文脈を知った。個人的には悪意を感じなかった。

拍手する時に去れ(2005)とハイヒールのやつと、そのネットに出回っていた動画を除けばチャスンウォンを見たことはない。

00年代のあたりは、嫌韓系のブログが大量に存在していた。
公人はやらなかったが、ネットのコミュニティでは嫌韓発言が盛んにおこなわれていた。
今(2020)はそうでもない。その手合いはいるし、発言もあるが、昔(00年代)ほどではなくなっている。
なぜだろうか。

政治のことは知らないが、韓国が理不尽なことを言ってくる国なのは知っている。
慰安婦や徴用工など、つねに無茶ぶりな/根も葉もない/筋違いな外交カードを出してくる国だとおもう。(無知なので、それらについてよく解っていないが、それにしても酷いことくらいはわかる)

したがって日本人として韓国はきらいな国である──と言える。

ところが、いま世の中には韓国映画の勃興や、パラサイトやNetFlixがある。
ひとびとはたいてい「やっぱ韓国映画っておもしれえわ」と考えている。
わたしなどはそれに加えて「やっぱ日本映画ってつまんねえな」とも考えている。
──たとえ、政策や情勢のうえで韓国を嫌っていても、そのように考えている──わけである。

くわえて、韓国には全世界を席巻しているアイドル戦略もある。
アイドルのこともよく知らないが、アメリカやヨーロッパ、中東、オセアニア、とうぜんアジアにおいてもBTS(やブラックピンク)などの人気はすごい。のは多少知っている。日本のアイドルが、デジェネレスやコナンオブライエンのばんぐみに出られるだろうか。グラミーにノミネートされるだろうか。国内だと1億ビューだけどあっちはすでに10、20億ビューがK点になっていたりする。NiziUにしても日本人をつかってはいるけれどマーケティング等すべて韓国のものだ。と思う。

──というぐあいに、政治にとくべつの関心を持たず、また、とりわけ嫌韓というわけでもない一般庶民は、韓国の映画やアイドルなどに感化され、韓国に一定の親近をもっている、と思われる。

そのことに、いいも、わるいもないし、とにかく、韓国製のエンタメは、たのしいわけであって、たのしいなら一般庶民としてみれば、それでいい──わけである。

だが(わたしは韓国のこともよく知らないが)、韓国人は教育行程に反日があって、基調として日本人および日本をけいべつしたり下に見るように教わって育つわけである。
あっちでは、うかつに親日なことを言ったりやったりすると、バッシングされるわけである。

つまり、ここ20年くらいのあいだに、韓国が築いた商法とは、嫌いでも買ってもらえるクオリティ──であろうと思う。

これがどんな様態かと言うと、たとえば、韓国屋というお店に行くと、そこの店員さんたちは、お客である日本人のわれわれに、罵声をあびせながら阻害してくる。にもかかわらず、そこはとてもおいしい/おもしろい/たのしいので韓国屋は大人気である。──という感じだろうか。

韓国の外交戦略はとりあえず置いて、日本人が問題視すべきなのは、わが国の映画のクオリティではなかろうか──と思っている。

では日本はなにをしていたんだろうか。
ndjcという文化庁の委託事業がある。New Directions in Japanese Cinemaで「若手映画作家プロジェクト」となっていた。
ぜんぜん知らなかったが2006年に発足され、以来毎年数本づつ、その事業がアテンドした新人監督の映画がリリースされ、本年(2020)までにすでに70本ほどの映画を世に送り出している。

ndjcはインターネットサイトを持っている。
そこに歴代の映画がすべて記述されている。
わたしは知っている映画が一本もなかった。
あなたは知っている映画はあるだろうか。
14年やって70本撮って、カメ止めが1本もつくれない。はあ?と思った。どんだけ悠長な事業なんだろうか。なぜ目立たないように活動しているんだろうか。あるいは、いったいナニを「育成」してるんだろうか。

なぜ、いい映画(売れる映画)をつくれないプロジェクトを何年も継続しているんだろう?という、そぼくなぎもんがこみあげてくる──わけである。

庶民が見ない映画になんの意味もないし、巷に下野して、庶民が喝采をおくらない映画に、なんの意味もない。
単館ではじまって、ぜんぜん遷延しなかった不人気映画に、なんの意味もない。
どっかの知らないアワードを1,000個とっても、なんの意味もない。

文化庁の委託事業が、そんなことすら知らないんだろうか。
わたしとしてはこの人たちに言いたいのは「やめろ」だけである。

いちおうこの事業は若手映画作家に予算を割り振ったり、監督やれるかどうかテスト(サイトにはそのように書いてある)したり、背中を押したりしている、わけだが、そもそも創作の初動において、このテのアーティスティックな気取りを持ってしまった作家が、大衆を視野にいれているはずがない──のである。

これが(日本の映画製作の)最大の勘違いだ。
大衆が喜ぶ、何年も映画を見ていない労働者が、わざわざ映画館に足を運ぶ──そんな映画をつくりたい──と思っている若手映画作家がいるだろうか?
ていうか、映画は、大衆が喜ぶものでなければなんの意味もない──ってことを若手映画作家は知っているのだろうか。
アーティスティックなことをやるのは、売れる映画を撮ってからでいい。のだ。ビリヤード始めたばっかしなのにマッセしないでしょ?

ところで、人は、あるていど、エンタメから影響をうけて考え方を形成する。
思想とまではいかないが、庶民であれば、あるていど物事を決定づける考え方にもなりえる。たとえば韓国のアイドル/コンテンツが好きだから=韓国が好きとなってしまうひとは0パーセントではない。大なり小なり、そういうことが起こるのである。

逆に、のきなみ日本映画がつまらないばあい、日本きらいにはならないだろうけれど、日本ダメだなあ感がインフェリオリティなコンプレックスを形成する・・・それは0パーセントではない。大なり小なり、そういうことが起こる。

そうかんがえてみると分かるが、韓国が繰り出してくる強気な外交カードを、中和しているのは、韓国ドラマ/映画/アイドルなのである。

韓国政府としちゃ、日本の庶民はエンタメでしっかり懐柔しているから、なに言ってもだいじょうぶだよ──と思っている、わけなのである。(──と思う。)

どんだけ慰安婦や徴用工や竹島や歴史教科書で、無茶ぶり/根も葉もない/筋違いをやってきたとしても、多数の日本の一般庶民がにこにこしながらNetFlixを見て「やっぱ韓国映画/ドラマおもしれえわ」とか思っているんだから。

わたしは政治を知らないが、なに言っても暴挙にならないほどに、韓国は国策として、エンタメの権勢を伸張させた──といえる。のではなかろうか。

個人的に、すくなくとも日本は映画を面白いものにできる基盤をつくるべきだと思う。ndjcとかアートな方向性は止めて、本質的なことをわかっている政治家が先導してくれたらいいのではないか──と思う。

韓国を挙げるまでもなく、ひとが世界の印象を把捉するとき、エンタメがおおきく関わっているなら、それはすでに政治的──と言えるからだ。

が、しかし漠然と、日本映画が再起することはないだろう──と思っている。

よく外国映画を褒めて、日本映画をけなしているレビュワーなんかを見ると、このひとはきっと左翼文化人みたいなスタンスなんだろううな──とか、思ったりする。

ところが、わたしも外国映画褒めて日本映画をけなすレビュワーなんだが、思想的には右派とか保守なのであって、左翼な進歩的文化人がきらい──だったりする。

ふつうにじぶんの国にたいして愛着をもっている一般庶民であり、わたしも若いころは、韓国映画を見ても「おれはだまされないぜ」みたいな厨二的気概をもっていた。

つまり、韓国はふざけたことを言ってくる国だし、映画がよかったからと言って、猟奇のジヒョンがいいからといって、消しゴムのイェジンがいいからといって、だまされるかよ、おれのやまとだましいはそんな軽浮なもんじゃないせ(フッ)──などと思っていたわけである。

しかし韓国映画の攻勢はやまなかった。のに加えて日本映画の没落もやまなかった。であれば、政治的にんげんじゃないし、活動家でもないし、どう考えても、一般庶民ならば、NetFlixを見ながら「やっぱ韓国映画っておもしれえわ」と思うように──なるわけである。なってなんのふしぎもないわけである。

というわけで、物心ついてから、おそらく30年ほど、日本映画をけなしてきているわけで、いまさらこの業界が再起/改心することはないだろう──と思っているわけである。

いちばん感慨深いのは、なにより、みんなが、これ(映画)をアート/げいじゅつだと思っていて、だれひとりとして庶民を指向していないってところ。若手のひとはだれもが、映画を日芸をでてから撮るもんだと思っている。

atgなんてもんは日本映画を再起不能なゲージツにした呪いのようなムーブメントだった。と個人的には思ってます。

けっきょく日本の映画監督といえば、新人も若手もベテランも、かならずアーティスティックなきどりをもった映画をつくるひとになっているわけだが、韓国にはアーティスティックなきどりをもった映画が(ほとんど)ない。

わたしは映画のアーティスティックなきどりが嫌いである。
アーティスティックでもじょうずな映画は別腹だけれど、基本的に、庶民的な映画が好きなのである。

人様のことは知らないが庶民はけっこうそんな感じではなかろうか。
監督の仕事仲間や業界内の友人ではない、その他大勢のひとびとは、監督のつくったアーティスティックなこだわりに与しない。と思う。映画監督ともあろうひとが、それを想像できないのは、ふしぎだ。

ようやく言えるが、これは、日本映画のアーティスティックな気取りは、わたしの嫌いな政治上の韓国に見えてしまうという結論へもっていくための長文である。

わたしのナショナリズムは日本に好ましさを感じ、韓国に疎ましさを感じている。そこまでは健全である。

ところがエンターテインメントの世界では、完全逆転するのである。

わたしはほどんど韓国映画を愛しているといえる。そしてほとんど日本映画を憎悪している、と言えてしまう。

この「がんばれ!チョルス」はクサいヒロイズムや愁嘆を扱っているんだけれどクサくならない。サッド・ムービー(2005)のように、まったく嫌味を感じることなく泣ける話。泣ける映画だが露骨なお涙頂戴には落とさない。純情と微笑ましさでしっかり笑いへ変換する。うまい。

個人的な見解だが、すぐれた映画をつくることができる国にはいいイメージを持つことができる。
逆のばあい逆になる。
それを思想にはしないし、理念にもしない。
ただし大勢の一般庶民が、たとえイメージのうえだけでもそう考えていたら、すくなくとも映画に関して言えば、日本は愛されないんじゃなかろうか。なんて。

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津次郎