コリーニ事件のレビュー・感想・評価
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70年後の正義と不正義
トルコ系国選弁護士の正義感ある活躍を描いていく。
最近のTV等で観る裁判劇の大半は、正義・不正義という争い以前に、いかに多数決による勝利に導くかが見せ場だが、「コリーニ事件」は正当な正義を争う裁判劇。
根が深い社会派サスペンス
国家を揺るがした世界的ベストセラー小説を映画化した社会派サスペンス。殺人事件の裏側には第二次大戦まで遡る因縁が待っていた。これは単純ではなく、かなり根が深い社会派サスペンスでラストカットは心に刺さりました。
2020-184
新米弁護士のヘッポコぶりも良かった
予告編も観ていなかったので、前情報なしでの鑑賞でした。もっと、事件を中心に描かれているのかと思いきや、裁判のシーンを中心に描かれている辺りは、思っていた感じと違いました。でも、なかなか面白かったです。
模範的市民であり、自分の恩人を殺害した人の弁護…。調査するうち、いろいろ明るみに出てきて、事件は解決しましたが…。最初のあたりは、新米弁護士のヘッポコぶりも面白かったです。こんな弁護士で、解決できるのか?と思いながら観ていました。でも、新米だからこそ、仕事を丁寧にこなしているという印象でしたね。
なかなかテンポ良くて、飽きることなく集中して観ていました。面白かったです。
ピザ屋の姉ちゃんがカッコいい!
予備知識なしで観たため、展開が予想できなかった。要は黙秘を続ける殺人犯であるファブリツィオ・コリーニ(フランコ・ネロ)の動機を解いていく物語であるが、犯行の残忍な状況から怨恨だとわかるものの意外な史実が浮かび上がってくるというもの。
犯行に使われた拳銃がワルサーP38というキーワードも序盤に登場し、新米弁護士カスパー・ライネンが記憶の片隅に残っていたものと符合するという点で深みにはまっていく。カスパーの恩師でもあるマッティンガー教授がそのまま検察側となり、ここでは検事も弁護士と同じように民間なんだというドイツの制度にも驚いてしまいました。
この教授がまるで司法取引のように減刑する話をカスパーに持ちかけるところや、被害者の孫ヨハナがカスパーの元恋人だったところ、さらには捨てられたという確執から不仲となっているカスパーに対してコリーニが「仲良くしとけよ」などと呟くところと、注目すべき点が多い。
そんな興味の湧く題材の中で、ちょっと難しいのが“謀殺”と“故殺”という法律用語。日本の今の刑法には区別がないが、言ってみれば計画的殺人か否かという違いだ。もちろん謀殺の方が罪が重くて最大で終身刑(ドイツには死刑がない)。教授にしてみれば、コリーニが黙秘を続けて裁判を長引かせることを避けたいがために、「自白すれば故殺に持ち込んで刑を軽くしてやる」とカスパーに語ったのだった。
マッティンガー教授にも恩があるし、なにしろ被害者マイヤー氏は彼を育ててくれた恩人なので、被告人は憎むべき相手。さっさとこの公判を片づけたい気持ちもあったが、初めての弁護を疎かにするわけにはいかないと、弁護士としての矜持が許さなかったのだ。おかげで審理を中断させ、4日間のうちにイタリアへ飛び、大嫌いな父にも翻訳を頼むことになるのだ。
マイヤー氏がナチスのSS将校だった事実、さらにコリーニが一度はマイヤー氏を訴えたことがあるという事実、却下された理由などなど、二転三転する証拠対決が緻密であり、とても素晴らしい。もう涙なしでは見ていられない!ナチスの行った10倍返しの報復はなぜ認められたのだ?などと、国際法的にも興味がわくほど法の矛盾といったことまで踏み込んでいく重厚なストーリーでした。
強力な証人となった通訳の息子さん。ナチスの協力者として死刑になったという事実も本当に悲しい事実。なぜ何もしない通訳が死刑となり、虐殺実行者がお咎めなしなのか?という世の矛盾も伝わってきます。来ないかと思っていたのに証言台に立ち、コリーニとの関係も浮かび上がって、ついには喋る気になってくる・・・
ただし、動機が明らかになったから良しではなく、どう考えても“謀殺”にしかならない。減刑という弁護をするどころか逆に重たくしてしまったのだ。しかし、ナチスの罪を暴き、「ドレーアー法」という悪法を糾弾する上では国家をも断罪した形となるのです。教授がその草案に関わっていたことは敢えて問題にせず、「本当に法治国家なのか?」という答えを引き出したに過ぎない。戦争も知らない若造が!こしゃくな・・・といった心も見え隠れする。
未だにドイツ国民はナチスの行った罪を恥じ、反省さえしている。挙手するときに人差し指を突き出す形になっている小学生の姿も思い出される。この作品もまたナチスの罪、さらにその後の残党が大臣になった事実をも糾弾しているのです。そして無念を晴らしたものの悲しい結末。コリーニの気持ちが手に取るようにわかる最後でした。
ラストのテロップには多くの戦争犯罪者が許されてしまった事実が書かれていて、これはもうドイツだけの問題じゃないというメッセージも伝わってきます。日本でもA級戦犯のはずなのにアメリカとの取引によって逃れ、総理大臣にまでなった人がいますもんね・・・
すべての法が正義に叶うわけではない
もし、この映画の主人公の弁護士が感情に支配される人だったなら、この事件の弁護士に就くことを断っただろう。自分自身の恩人を殺害した被告を弁護しなけばならないのだから。
だけど彼は弁護する決断をした。
断れば断ったで、弁護士として負け犬の汚名をきせられるかもしれないし、弁護士として一度仕事を受けた以上は責任を果たさなければいけないという職業的な倫理感や、なぜあの恩人がこんな目に遭わなければいけなかったのかを知りたかったからというのもあると思う。
トルコ移民で母子家庭で育ち、差別や偏見と闘いながら人一倍苦労して弁護士になった以上、安易に感情に流されて逃げたくなかったし立ち向かった。
もし、彼がトルコ移民ではなく、ドイツ生まれのドイツ人だったら、過去にドイツが背負った負の歴史に真正面から向き合うという別の問題がクローズアップされてしまうことになったかもしれない。知りたくも見たくもない自らの国の暗部を根掘り葉掘り調べていくのはドイツに生まれ育った人間なら、それは苦痛以外の何ものでもないだろう。ただ、そうした苦痛を受け入れて戦後生まれの世代が両親たちの世代が生んだナチス時代の過去を批判追及して正してきた国なので、散々見聞きした、過去にどう向き合うかという抽象的で大きな話に流れが向かって散漫になってしまったと思う。
散漫にならなかったのは、主人公が個人的な感情的苦痛や不都合な真実に立ち向かうというスタイルを貫いたおかげだと思う。主人公は、被告人を弁護すること、つまり法に努めようと頑張った。恩人やその家族、検察側に就いた尊敬する教授も敵に回す覚悟で自らの精神を崩壊させるかもしれない出来事に立ち向かった結果、逆説的に、法が守れなかった正義が炙り出されることになった。
結果的に被告はああした最後を遂げたが、被告にとっての正義は法的には達成できなかった。戦争犯罪者を裁く時効を設けた戦後の法律の制定によって、法に彼は裏切られた。悪法は不条理な結果を生んだ。その不条理に法は何をすることもできなかった。法が正義を保障しないという事実があったときに、それでもその法は守られるべきかどうか。守られるべきでない法もあるということを主人公は法廷で示した。法の前にまず正しさとは何かという話があるということについて考えさせられた。
そして良いことをしたとして彼は世間や恩人の娘からも理解を得られた。彼に敬意を表した。彼は自己保身的な個人的な感情に流されずに正しいことをしたから。その精神こそが法にとってふさわしいものだと思えた。
許されぬ罪
圧巻でした。
恩人であり、被害者であるハンスの決して忘れてはならない、そして許されてはならない過去であるナチ時代。
ハンスは根っからの排外主義者でも、悪者でもないはずです。しかし報復として行ったイタリアでの虐殺の指示、そして幼いコリーニの目の前で父親を殺すというのは本当に、本当に残酷であり、許されることではありません。
この描写が明るみにする事実は、戦争で人は狂うということ。
非人道的なことをしておきながらコリーニの父を殺した銃をずっと処分できずに残しておいたわけですから、罪悪感に苛まれた戦後であったことは確かです。家族にも言わず、1人で記憶していたハンスの行為は残虐そのものでした。
いくら上からの命令の報復作戦だったとしても劇中で述べられた通り、ハンスは戦争犯罪者として裁かれるべきでした。
そしてその裁きはハンスに、そしてその家族にとっても必要だったはずです。
ハンスを無罪にしてしまうことは誰のことも救いませんでした。
コリーニに銃を頭に突きつけられ、「強くなる練習だ」と言われたハンスは一瞬にして過去に戻り、甘んじて殺されることを受け入れます。それしか彼にも選択肢はなかったはずです。
映画の構成に関しても、ただただ素晴らしいとしか言えません。
映画ですから、多少さっさとは進みますが、違和感を覚えるほどでもありませんし、何よりリアリティをもって観ることができました。
コリーニ、ハンス、ハンスの家族、法改正に飲まれた弁護士、全ての人々の葛藤と苦悩が伝わってきました。
過去に背を向けることは未来に盲目になること。ヴァイツゼッカーの有名な言葉です。
未来を明るくするためには、過去と対峙することが必要不可欠なのです。他国もやったから、自国も被害にあったから、と言って自国の罪から目を背けてはいけない。
日本はいつこの事実に気付けるのでしょうか。
序盤の暗く、重い映像から、徐々に明るさをもっていくのが印象的でした。コリーニの青い目が暗闇でも光り、そしてその目が最後に空を、上を見つめていることにも感動しました。
自死を選んだ彼ですが、判決をあえて出さなかったことには意味があると思います。
どのような判決になることが最善なのでしょうか?
無罪?減刑?終身刑?
自分は減刑だと思いましたが。
コリーニ自身も言っていたように、死者は報復を望まないでしょうから、ハンスを殺した事はやはりどうあがいても完全に正当化することは不可能です。
この事件は法改正を行ったこと、それを許したことに問題があるのですから。
現代で真の正義が机上の空論にならないことを祈るばかりです。
ぐいぐいと引き込まれます
法廷物ですが、ドイツの悲しい歴史に繋がっていく
サスペンスとしても上質な物語だと思います。
まさかね・・の展開とあまりに悲しい動機と
消すことができない過去へのやるせない想い。
そして暴かれていく事実・・・それも置かれた人間の
立場がさせる所業なのでしょうか?
立場の違いが生む人間の業というものが法廷、裁判という場にて
ぶつかり合っていく構図が本当に面白かったです。
けどラストにつながりますが、正しい答えなんて無いんだ
だから、過去を忘れず向き合いながら考え行動していかねばならないのだろうな
と痛感しました。
【”その法の制定過程に瑕疵はないか?” 戦後ドイツが抱える深刻な問題に踏み込んだ意義ある法廷ミステリー。フランコ・ネロの渋すぎる姿と”眼”で演技する姿に魅入られた作品でもある。】
ー殺人を起こしたコリーニが口にするセリフ”欲しいのは正義だけだ・・”が重く響く作品。ー
■今作品に重みがあるのは、
1.新任弁護士カスパーが弁護を担当することになったコリーニ(フランコ・ネロ:渋すぎるし、凄すぎる・・。哀しみを湛えたあの眼がセリフなしでコリーニの哀しみを表現している。)に殺された”被害者”ハンス・マイヤーが且つて、自分を育ててくれた”祖父のような”存在の大企業の社長であり、彼の幼年時の想い出が効果的に劇中に挟み込まれていることで、現在の且つて恋人だったヨハンナ・マイヤーを含めた登場人物に厚みが出る事であろう。
2.そして、その心優しきハンス・マイヤーが第二次世界大戦中に行った所業をカスパーや且つて自らの元を去った父、ピザ屋の店員の”知性ある女性”達の協力の末、明らかにしていく過程。
二転三転する法廷劇・・。
■白眉のシーン
・1968年にドイツで制定された「ドレーアー法」(一部では機能したが、相対的に見れば稀代の悪法。ナチに関わった多くの知識層を救った事で有名。)の制定過程を、コリーニ事件の検察側に立つ、この悪法制定に携わったカスパーの且つての恩師リヒャルト・マッテンガー教授に詰問する場面であろう。
ー若き、法曹界で働くカスパーの苦悩と、自らのリーガルマインドとの葛藤・・。-
<学生時代に叩き込まれた”公平性を保て””疑わしきは被告の利益に・・””三権分立を死守せよ!” ”公権力に屈するな”という数々のを教えを思い出しつつ・・
日本においても、近年、与党の強行採決により、幾つもの悪法が可決されているが、我が国の未来は大丈夫なんだろうな? 現宰相殿・・。>
<2021年5月4日 追記
このレビューを挙げた際の宰相は変わり、現在の宰相は国会答弁でも自ら苦悩する様をつい、口走ってしまったり、先宰相より、人間性が優れている感があった。(個人的意見)
只、最近はイロイロな海千山千の輩から指導されているようで、人間性が薄れている答弁が気にかかる。
トップの政治家は、民の苦しみや悩みを自らのモノとして認識しつつ、国のあるべき姿を見据え、口先だけでなく行動すべきであり、現在のやや迷走し始めた言動は気にかかる。
是非、就任時に口にされた言葉を周囲に惑わされることなく、実践して頂きたい。
更に言えば、日本の宰相は野党の要求に対し、全てを自らの言葉で対応しすぎている。ドイツを見習えとは言わないが、担当大臣にまずは任せるべきである。
野党も、何でも宰相に答弁を強いる姿勢は改めるべきであると、たまに国会の遣り取りを出張途中で聴いていると思うのである。>
悲しく、切なく…でも力強い
親同然に育ててくれた恩人が殺された事件の
犯人の弁護を託された弁護士が、様々な葛藤を
抱きながら、職務を遂行し、
真実を追求するストーリー。
こういった表現は妥当でないと
思いますが、今まで見てきた戦争の
報道写真や記録や映画より、
戦争の惨さを痛烈に感じました。
元は小説でフィクションかもしれないけれど、
惨さだけではなく、戦後の誤ちにまで踏み込んだ、
この作品に、そして映画化すれば全世界の
人の目に触れる事になり、本来なら隠して
おきたい負をきちんと表現できるドイツという
お国柄に感服しました。
戦争ならばどこにでも起こり得る事で、
単なる個人の一件ではなく、
そこからきちんと向き合い、国家の
誤ちを認め、前進する姿は、
見習うべきとも感じさせられました。
悲し過ぎるストーリーの
悲しい結末でしたが、
不思議と救われた思いを感じました。
戦争だけではなく、生き方さえも
考えさせてくれる秀作だと思います。
鑑賞しようかどうしようか
迷われている方がみえたら、
ぜひ映画館に足を運んでいただきたいと思います。
色々と考えさせられた作品
決してハンスマイヤーやマッティンガーの過去の行為を肯定をするわけではないですが、若い頃のハンスマイヤーがあの時代の全体主義の流れに逆らえたかというと確実にそうとは言えなかったでしょうし、若いマッティンガーもその流れに巻き込まれた中でドレーアー法への賛成という立場であったのではないかと感じています。
やはり、戦争は傷つくものや壊れるものに代替不可能なものが多く、往々にして社会的に弱い立場の者からその被害を受けるため、結局のところ最終的に出来ることは、社会としての機能や流れが「こういう場合はこうなる恐れがある」という共通認識を作り、それが再度起こらないようにする事なのだろうと改めて強く思いました。
また、これらに加えて、犯した過ちに対する責任はどこまで精算しなければならないのかといったテーマも含まれていたので、そのような点も作品としては非常に興味深い点であったのではないかと思います。
そして、これら比較的重いテーマを扱う中で、登場人物が、トルコ系移民の新米弁護士の主人公、その主人公が生活をする上で幼い頃にお世話になっていた人、そのお世話になっていた人の娘で元恋人、法律を学んでいた際にお世話になった人…といったように複雑な関係となっていた点に、作者なりのメッセージが詰まっているのではないかなんて事を楽しく想像させて頂きました。
テーマの設定自体が重かったり、決して皆がハッピーエンドな映画なんて事は言えませんが、改めて戦争の一面を考える映画としては良い作品なのではないかと思います。
それぞれの正義
真っ白な正義など、どこにもない。
登場した人物全員の人生を考えると、やりきれない。
大きくても小さくても、それぞれがそれぞれの罪を背負いながら、人生の中で償いと幸せを拾い集めて生き続けていかなければならないんだろうと切なくなった。
主演の俳優さんが男前過ぎる。
色々な意味で集中できない時がありました。(笑)
過去と向き合っているドイツ。一方・・
ドイツ映画。
非常に骨太なクライム・サスペンス。
扱っているのが、一番最後に出てくる1969年に施行された「ドレーアー法」。
この法律により、過去のナチスの犯罪の多くは裁かれなくなった(厳密には、謀殺から故殺扱いになり減刑された。故殺という法概念は現在の日本にはない)。
話の切り札としてこの法律をもってくる辺り、大変上手い演出だと思う。
そして、最後コリーニの取った行動。
こんな結末しかなかったのか。。しかし、満足感を得て死を迎えたのは良かったと言えるのかも。。
ドイツでは、こういうナチスの過去の犯罪をちゃんと現ドイツ人に埋め込むための映画が定期的に作られている気がする。民族浄化はたしかに酷い戦争犯罪だ。しかし、過去にイギリスやアメリカが犯した戦争犯罪は特に裁かれることはない。戦勝国なので。おそらく、敗戦国であるドイツは今後もこういった作品を作っていくのだろう。そして、ナチス時代を過ごした老人世代と、その子供、孫との世代をつないで、記憶が風化しないような装置を作り続けるのだろう。
さて、一方、同じ敗戦国である我々日本は・・。
なんか、比較するのも嫌になるが、現存している戦争体験者の子供、孫世代で、日本が日中戦争、大東亜戦争で何をしたか、過去と向き合っている人がどれだけいるのだろう?
ほぼ皆無と断言できる。
アメリカと戦争したことを知らない大学生もいるくらいだからな。。。
それでは、今からいきなり始められるか。
まず無理だろう。こういう営みは、ちゃんと世代間で引き継がないと成立しない。戦争体験者は戦後何も語らなくなり、その子供世代は思考停止の反戦を掲げることくらいしか行っていない。戦争を真正面から扱ったのはサブカルであるアニメくらいだし。
その結果、世代間が断絶した。
共同体が崩壊して、世代間で会話をしなくなったことも後押しした。今から構築するのは不可能だ。体験・記憶している人がいないのだから。つまり、日本は今後先の大戦を反省する機会を永遠に失ったんだと思う。そして、それは同じアジアの一員である中国や韓国と本当の意味での先の大戦の反省・総括をして、ともに前に進む道を失った、ということだ。
そこがドイツと違うところ。
(まぁ、ネオナチなど変なムーブメントはあるが。。)
この映画でも問われているのは「法治国家」の形だ。
現政権の森友問題や黒川問題、コロナ対応を見るにつけ、また人質司法や検察の公訴権の独占などの司法問題を見るにつけ、日本は「法治国家」の体を成していない。そして、今後はもっと酷くなるだろう。ドイツのメルケル政権と日本の現政権で、コロナ禍の対策を比較してみると違いは一目瞭然。戦後70年でここまで差が付いたんだな・・。
映画を観終わったあと、素晴らしい映画だったな、という感動とともに、日本人の体たらくを考えてかなり落ち込んでしまった。。。
しかし、映画自体は本当に良い。
コリーニ役の俳優フランコ・ネロ氏の演技も素晴らしい。めっちゃ渋くて良い役者。
サスペンス系が好きな人なら一見の価値があります。
ドイツ国家を揺るがした作品。
経済界の大物を殺害した殺人犯コリーニは、事実を認めるもその動機を頑なに語らない。
国選弁護人カスパー・ライネンは、不利な状況の中、動機となる真実を探り出し、戦後ドイツが隠し続けていた、ドイツ史上最大の司法スキャンダルが発覚することとなる。
ベストセラー小説の映画化ですが、事実だと思われるほど衝撃を受けました。
戦争はまだ終わっていない。
結末は放置ですか...
ドイツで刑事事件裁判を扱う現役弁護士フェルディナント・フォン・シーラッハによる2011年に発表された、長編小説をベースとして、映画化した作品である。
シーラッハの作品は、実際に自分が扱った事件をベースとした作品を執筆していたが、今作はフィクション作品ではあるが、シーラッハの祖父の存在が影響した作品ともいえるだろう。
フィクションではあるが、実際に存在するドレーアー法の落とし穴や矛盾点、ドイツが抱える戦争による負の遺産などデリケートな部分にメスを入れた作品となっており、国家を揺るがした小説ともいわれているほどだ。
3カ月前に弁護士になったばかりの主人公ライネンが、初めて担当した事件がよりによって、自分の恩人で親代わりでもあったハンス・マイヤーを銃殺したファブリツィオ・コリーニの弁護。ハンスの孫であるヨハナ・マイヤーは昔の彼女、敵は恩師でベテラン弁護士リヒャルト・マッティンガーという単純にドラマとして見ごたえのある設定が目を惹く作品ではある。
原作では、主人公がそれなりの生活レベルが高い設定とされていたが、映画では、庶民的に変更されている。この変更によって、キャラクターに親近感はわくようにはなったのが、失ってしまった部分もある。それは、権力に対抗することでエリートであるライネンがどん底に落ちかねないという、ライネン自身の弁護士生命に対しての危機感が中和されてしまったのだ。
フェルディナント・フォン・シーラッハの作風として、入り口がおもしろく、読者の心をつかむ作品は多いのだが、扱っているテーマが社会において答えが出しづらい、判断を決める側の価値観が大きく影響するものが多いため、結末があやふやな場合がある。
例えば2016年に出版された『テロ』という小説がある。ドイツ上空で旅客機がテロリストによってハイジャックされた。犯人はサッカースタジアムに墜落させることで7万人の観客を殺害しようとしていたのだが、それを緊急発進した空軍少佐が独断で旅客機を撃墜し阻止した。スタジアムの観客7万人は救えたが乗客164人は殺害してしまったことを法廷で裁くという問題作だ。
しかし、この作品には2通りの結末が用意されている。斬新かと思うかもしれないが、これは好き嫌いが別れる部分だと思う。
答えの出ない、読者の概念や価値観で解釈が大きく左右されるような題材のため、最終的に投げかけて逃げてしまうパターンが多いのだ。
今作はその象徴的ともいえる作品と言っていいかもしれない。そのため、今作も悪い意味でもシーラッハ作風が出てしまっていて、結末は納得できない人も多いのではないたろうか。
戦争が終わった今でも、家族や恋人、大切な人を殺された人にとっては、何時までも戦争は終わらない。敵も味方も関係なく、戦争という渦に巻き込まれた人は十字架を背負って生きていくしかないという国が作ってしまった不の遺産を司法としてどう扱うべきかという部分にメスを入れている。
今作に関しては、被害者が殺されてしまっているだけに、コリーニ側の一方的見解が果たして正しいかが不明な部分があるし、コリーニは頑なに口を開こうとはしていなかった点で言うと、これはコリーニ自身が殺人はいけないことだと分かっていて、ハンスにも家族がいるとも知っていて、それでしてしまった自分は裁かれるべきだと思っていたからだと思うのだが、それなら殺害した時点で自決したらよかったと思う。(あくまで結末の展開を考慮すると)
法律の落とし穴を世間に暴露したい、メディアに流してもらいたいという意図であれば、最初からライネンに協力して事実を話したほうがよかっただけに、コリーニの心境が物語に都合よく左右されているような部分が少し引っかかる
本当に殺害してしまったことで動揺していて、どうしていいのかわからなくなってしまったと言われれば…そうかもしれないが…どうしても設定の背景基盤が薄いようにも感じられてしまう。
また、劇中でも少しだけ語られるのだが、戦争というものが残した不の遺産と、戦争という極限の状況下において、逆らえば殺される状況で下した決断に対して、個人を裁くこと自体も正しいのかという問題もある。
2015年の映画『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』は、ユダヤ系アメリカ人のスタンレー・ミルグラム博士が「人はなぜ権威へ服従をしてしまうのかある状況下において、人はどこまで非情に残酷になれてしまうのか」という実験をして物議を呼んだ事実を描いたものであった。
シーラッハの祖父は、実はナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハ ということで、ハンスのモデルはシーラッハの祖父そのものの様にも感じられる。戦争が壊した、ハンスの人間性の本質という部分でも、大切に描いてもよかったのではないだろうか。
ドレーアー法、司法の落とし穴の部分にメスを入れた上で、下される決断を映画ならではの解釈で描いてほしかった。
驚愕の真実
ドイツの現役弁護士作家のミステリー小説を、社会派サスペンスドラマとして映画化したドイツ映画。
ミステリーとドラマの融合で、だんだん引き込まれ、その展開に驚愕し、涙してしまう。
ベルリンのホテルで、67歳のイタリア人コリーニが、経済界の大物実業家を殺害するシーンで幕が開く。
この事件の国選弁護人を担当することになった、新米弁護士のライネン。
被害者はライネンの少年時代の恩人だった。被告人は動機について一切口を閉ざす。ライネンはその何故?という疑問の真実を知るために諦めない。
調査を続けるうちに、戦後ドイツの不都合な真実の歴史、衝撃の法のトリックでドイツ史上最大の司法スキャンダル、そして真実を暴き、国を激震させた衝撃の真実と向き合うことになる。
驚愕すべき法の落とし穴を見事に暴き鑑賞後は満ち足りた気分になった。
ワルサーP38と聞いてルパンを思い浮かべました。
長編国際ドラマ🇩🇪🇮🇹
戦争時の不条理に起因する物語。
ドイツとイタリアという物珍しさを除けば、内容的にはNetflixでも十分に楽しめそうな。。。
むしろ10話くらいのドラマで、被害者加害者双方の背景を深掘りしてくれた方が深みを感じられたかな〜
と、今回はかなり個人的な感想。
自国の犯した罪を反芻するが如きドイツ映画
2001年にドイツ・ベルリンで起きた殺人事件。動機を探る弁護士は1944年のイタリアにたどり着いた。
戦争というシステムの中で多くの人を殺したドイツ人がいた。多くの加害者・被害者の存在、そして彼らの死ぬまで癒えることのない傷をも想起させる傑作。
必見だ。
コリー二を演じたフランコ・ネロと再会した。
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