ミッドナイトスワンのレビュー・感想・評価
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構成がしっかりした娯楽作品
コンクールのステージで一果が心細くなった時に凪沙ではなく本当の母親を呼びシーン。
本当の母親がステージに現れて一果が奪い還され、凪沙がその場から退くシーンが切ない。
日本では稀有なバレエ映画
観たい作品が中々なくて、評判が良くかなりロングランで上映されていたので、全く予備知識なしで観に行きました。
冒頭からこれも家族の物語かと思って鑑賞していて、物語自体は結構ありきたりでアザトク作っているなぁと思って観ていたのですが、最後の方のあるシーンになってやっとこのタイトルの意味を理解し納得出来た。
そのバスで海に向かうシーンを観て、私の大好きな『真夜中のカーボーイ』を思い出し、いやいやこれは『真夜中のカーボーイ』の丸々オマージュ作品だったのだと思い、それでこの作品の全体像が見えたので感動が割り増しになりました。
大都会ニューヨークの闇を生き抜くラッツォを、東京の片隅に生きるトランスジェンダーの男(女)に、故郷を捨て都会に夢見るジョーを。育児放棄されたバレエに憧れる少女に、約半世紀前のニューヨークを今の日本に見事に置き換え、今も変わらない社会の底辺に住む孤独な魂の偶然の触れ合いと、人間同士が触れ合う事により起きる不思議な作用(化学反応?)により、沈んだ孤独な魂に少しずつ人間愛が甦るという、心の再生の物語でした。
話法としてはもう古臭いのかも知れないけど、孤独を感じることが出来る人間こそが真の愛も感じられる人間なのだという普遍的な人間の物語だったので、分かりやすいし評判が良いのもよく分かります。
それと、少女役の服部樹咲のバレエが素晴らしかった。こういう作品のキャスティングの場合、長く役者をしている演技の上手い子か、役柄のバレエの上手い子か、どちらを上位に選ぶのか迷うと思いますが、バレエが上手い子を選んだのは大正解だったと思います。この役に達者な演技など不要の様にも感じられ、日本映画が最も苦手とするダンスシーンが本作では実に見事で、どんどん美しくなる少女の描写も本作の大きな魅力だったと思います。
ちなみに主役の友人の少女もとても重要な役で、この子は演技もバレエも上手でしたが、もしこの子と役が逆転していたらと想像すると、やはり今回のキャスティングの見事さに拍手です。
「あるべき姿」のせいで、生きにくい社会
たくさん泣いた。一果の踊りに泣いた。覚悟のある凪沙の笑顔に泣いた。ふたりの愛情に泣いた。生きにくさの中で、戦っている束の間の幸福に泣いた。愛情をかけられない親の悲劇に、哀れさを感じた。「あるべき姿」を押し付ける社会に、苛立ちを感じた。ここで描かれたことは、決して特殊なことではないと思う。男らしさや女らしさに悩んでいる人がいる。愛情を知らなくて育った人がいる。一果と凪沙が象徴するように、彼らに罪はない。だけど、「あるべき姿」が横行して、生きにくい社会がある。凪沙のいう「私たちのような人間は強くなくっちゃダメよ」って、それじゃあ辛すぎる。社会が反省しないといけないことだと思う。強くなくても普通の努力で、みんなが力まなくて生きられる社会がいい。内田監督の伝えたいことをこんな風にとらえた。
草彅剛がスゴすぎる
なんだかわからないけど、大事なことを、感じとるべき、なのかもしれない‼️
生々しいラブストーリー
映画に出てくる様々なものが生々しい。一果が自分自身を守る為に言葉を発さない所、お店に来る客から凪沙たちに向けられる無邪気で無理解な言葉、りんが一果に感じる感情、広島に戻った早織が彼氏も周りもヤンキーしかいない所、、、その中で一果がバレエをするシーンだけは、色んな制約を突き抜けて心に刺さってきた。りんと一果が離れて同じ演目を踊るシーン、海辺で一果が凪沙の前で踊るシーン、最後のコンクールで踊るシーン。映画館で観られて本当に良かった。
バレエのイロハ❓は分からんが…
中々,鑑賞しに行く上映館&時間帯が巧い具合に噛み合わず、やっと観れた❗️と思った時点で今や色々と情報源はあるので,予告編を何度も観過ぎちゃった❗️ だが,作品を観終わった後から,この作品の出来上がる迄の過程を調べていく内に、作品の面白さが次第に分かりつつ,ドンドン観方が変わってきた。
4歳からバレエを始め,様々な賞を受賞した全くの演技未経験の服部樹咲。
音楽プロデュースは,彼自身のニューアルバムが11年振り?との事の渋谷慶一郎の音源も,いい意味で耳に残らされた気がする。 当初予定していたニューヨークでのロケを,新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止に為ったり… 時代の流れを絶対に忘れさせない作品として、記憶に嫌でも残らされた色んな意味で気がしたのは,私1人では無いとも思われたんだが,如何程だろうか⁉️
何度でも観たくなる作品
場面不足が惜しい
コロナのせいですっかり映画館に行く習慣がなくなってしまった今日この頃
評価が高いと小耳に挟んだので観に行きました
特に新人バレエダンサーの子が良かったですね
観る前に予備知識を入れたくないので水川あさみの母親役は前半は全く気が付かない程の別人でびっくり
濃いメイクのせい?
トランスジェンダー物で記憶にあるのは生田斗真の「彼らが本気で編むときは」ですね
登場人物の設定は今作とほぼ同じだった気がします
トランスジェンダーの主人公
育児放棄された子供
触れ合いながら、お互いの傷を癒やして行く様にかなり泣かされた記憶があります
経済大国日本には貧困家庭が驚く程多く、子供の7人に1人が貧困に苦しんでいるとの事
育児放棄、貧困、トランスジェンダー
社会的弱者を扱ってる映画は100%泣かされるのですが、今作はどうにも入り込めずあまり泣けなかったです
トランスジェンダーの店に遊びに行くので、現実との違和感もありましたし
色々なネタを詰め込み過ぎたせいで時間が足りず回収されない伏線や場面不足のせいで、特に後半にぶつ切り感があって入り込めなかったのが残念でしたね
後半のオーディション場面からエンディングまでのドラマが転がっていく大事な部分にもっと時間をさいて丁寧に表現して欲しかった
オーディションに突如現れた母親の抱擁からの荒んだいちかがいきなりコンビニ前でたむろってるのはいただけない
バレエやめちゃったの!?的な伏線なんでしょうが、唐突すぎるし
迎えに来た凪咲のおかげで母親が改心したのかも良くわからず、コンビニでたむろってたいちかが唐突に卒業式では友人との写真も撮らずバレエの練習してるし
そのバレエの月謝は誰が払ってるのかも不明で母親が少し改心してる風なので母親がバレエの月謝出してるの?
と思わせといて東京の凪咲は寝たきりで「さぼっちゃった」としか言わないし、、
映画の説明を読むと、自分の手術のケアのお金をバレエの月謝た当ててたと書いてある
いくらなんでも「さぼっちゃった」だけでは端折りすぎじゃありません?
等々色々な場面不足ゆえの怒濤の感動エンディングに入り込めず悲しかったです
海辺のダンスシーンが入れたかったのはわかりますが、殺さずとも良かったのでは
そして、せめて殺すならいちかを号泣させませんか?
新人だから泣きの演技が出来なくてカットしたのか、死んだのか、死んてないのか、想像の余地を残したかったのか
ゆえにラストのオーディションパートで昇華されるはずの凪咲との思い出シーンの消化不足も残念
落ちていくトランスジェンダー仲間との場面等々を減らして後半に費やして欲しかったな
良い映画なのに惜しい作品です
泣きたくて観に行って予想以上に良くて心が重たくなった
予告を見ただけでこれは泣けるだろうと予想していましたが、想像していたより心が苦しくなり、観終わったあとは身体が重くなった。
●良かった点
他の方のレビューにもありましたが草彅さんが本当に自然に演技されてて、実在する人のようだった。
切なそうというかあの何ともいえない表情が…凪沙のこれまでの苦労なんかを上手く醸し出してる。
また、一果ちゃん役の服部さんやりんちゃん役の上野さんが驚くほど演技がハマっててお上手でした。思春期独特の反発心というかツンとしたかんじ。うまくでてました。気だる感、嫉妬、不安、よく演じれていたと思います。
●もう少し表現して欲しかった点
1. 一果の、バレエに興味が湧く瞬間。
お試し体験したときの雰囲気から、未経験で見栄張ってやったことあるって言ってしまった感じだったのに、バレエに興味持つまでがえらい短かったなぁ、と。何度か覗きに行くとか昔から興味あった風な表現があったらもっとしっくりきたかなぁ。
2. 一果の母が「私変わったの」と会いに来た時。
そのあと連れて帰らなかったんだ?あれ?バレエ見に来たんだ?じゃぁ何であのとき連れて帰らなかったんだろ?と"?"だった。
無理やり連れて帰ろうとしてモメかける描写が欲しかったなぁ。「帰るよ!」「発表会まで待って!」みたいな。
3. 一果が発表会で失敗して母親が抱きしめに行った時、凪沙が会場から立ち去ったシーンとそのあと。
慰められてる一果をみて本当の母親がいいんだやっぱり…と少しやるせない感じだったと最初読み取ってたんですけどね。
他の方のレビューに「母親になる決意をして手術をして堂々と迎えに行った」とあって色々納得。
あの子を支えてあげる母親になりたい→戸籍を女にしないと正式な母親になれない→性転換手術しないと母になれない
ってことで性転換手術したんですね。だから迎えに行ったときはトレードマークのベージュトレンチではなく赤のトレンチで決意表明してたんですね。ここはちょっと読み込めなかったです、、もう少し覚悟決めるシーン欲しかった。瓶詰めの貯金箱とかで。
4. 一果が卒業後会いに行った際、合併症らしき状態を「サボったらこうなった」とあったんですがここは単純に知識不足で、メンテナンスさぼったらこうなるの?そしてこの状態をボランティアでお世話してくれる人がいるの?というので"?"でした。
5. 卒業後母親がすんなり東京へ行かせたのとバレエ講師の出張は凪沙が金銭的に援助してたんでは…と思ってます。
自分のメンテナンス・食費ケチって、安い家賃の部屋に引っ越してどうにか工面したのでは…
赤いコートで振り返らず闊歩したは、いつか連れ戻す!というその決意も表したのではと思ってるんです。
さすがにバレエ講師も東京からボランティアで通うとは思えないし(しょっちゅう来てる言い回しだったし)、
あの母親がお金出すとも思えなかったので。
あと凪沙がマンション引っ越す理由が他にない。
でもそれを匂わす要素が低いので、もしこの読みが当たってるとしたら術後の描写ももう少し欲しかったです。
ゴチャゴチャ書きましたが、すごく良かったのはよかったんです!笑
もう一度見たいと思えた映画は久しぶりでした。
みなさん絶賛だったので、敢えてで書きました。
母の強さを感じさせる草彅剛の熱演
序盤で凪沙が母親と電話するシーンがある。その口調から“彼女"がトランスジェンダーであることを母親にさえ隠している様子が伺える。この物語の主人公にとって男性、女性といった当たり前のような“区分”が当たり前ではないことに胸を締め付けられる。
セクシャルマイノリティの主人公が子どもを育てようとする物語は『チョコレートドーナツ』とも重なるが、凪沙が孤独な少女を変えていくのではなく、一果という少女との出会いが凪沙の“母性”をゆっくりと引き出していく点に本作の魅力はある。故に自身の中に抱える社会的な“男性”や親の前では“男”でいなければならないという違和感を徐々に取り除き、結果的に凪沙は“母”になろうとする。誰に頼るわけでもなく、あくまでも女手一つで一果を育てようと奮闘する母親としての強さを草彅剛は迫真の演技で示してくれる。とりわけ、夜の公園で凪沙が一果からバレエの振りを教わるシーンは二人の距離の縮まりを示す名場面だ。
孤独と孤独の出会い、母性の覚醒、縮まる距離、そして迎えるラスト。物語の起承転結も整っており、作品のメッセージ性も十分に伝わってくる。しかし、それゆえに周囲の人間模様の描き方の粗さが目立ってしまう。トランスジェンダーへの理解のなさ、露骨な差別的言動、ショークラブや風俗店の客の品のなさなど、過度にステレオタイプなのだ。時代背景が70年代、80年代であればまだ違和感は少なかったのかもしれないが、これが現代劇となると些か現実味が薄れてしまう。
主役の二人、そして真飛聖演じるバレエの先生との関係性など、主軸となる人間の描き方が良い故に、安易な“悪役”作りが作品の質を欠いてしまったように思えてしまった。しかし、ようやく日本でも「トランスジェンダー」という言葉が浸透してきた今、草彅剛というビッグネームを主演に迎えたメジャー作品として本作が公開されたという意味は大きい。
タイトルなし(ネタバレ)
最近ミッドナイトスワンを感性の似たツレに紹介されました。
そのツレの彼女が笑いながら私より先にボロボロ泣くから泣けなかったと言っていました。
彼が言うのならと観に行くことを決意したのです。
しかし、元々邦画は好きな方ではなく(とくにこういう話は視聴者の共感を誘い泣かせる方向に持っていく感じがどうしても逆にどんどん心が離れていくのと、ああはいはいこういう感じねって泣かせるための次の展開を読めちゃうことが多かったため)、一度目に行こうと決めた時は前日に飛び入り参加することになった別のツレの要望でテネットになってしまいました。
テネットもかなり面白かったのですがそれはここでは関係ないので置いといて。
普段映画を観に行かないのでそれで満足していたのですが。
でもやっぱり心の中ではなんとなく気になっており(たぶん私と同じように思考回路が他人とズレているツレが紹介してくれたからでしょうね)、なんとなく一緒に行こうと言ってくれる人を探していました。
つまり見つかったので観に行った次第です。
ここから本題。
こんなところでどこまでネタバレになるような事を書き込んでいいのかわからないので失礼がありましたら御指摘ください。
以下ネタバレ含むかと思います。
私は飲食店を営んでおりきっとそこらの同業者さんより顔は広い方だと思います。
諸事情により若い頃からLGBT(関係ないですが、差別しないように作ったこの言葉。結局区別するようでそんなに好きじゃないです)の方とも触れ合うことが多く、今でも数人知り合いにいるので、その中で思ったのは草彅剛があまりにも自然な演技だということです。
それでいて視聴者に大事なところはしっかり伝わるようなキレのある演技だな、と。
間違いなく草彅剛のトップに数えられる名演でした。
観終えてまず感じたのは、言葉にできない自分の感情でした。
自分が何を考えているのか、どのシーンのどの部分に思いを馳せているのか、どんな言葉にすればいいのか、何もかもわかりませんでした。
その中で強く覚えていることはふたつです。
まず、ひとつは、他人のために自分の人生を変えられる凪沙の強さ。今、本当にそれができる人間がどれだけいるでしょうか。それに強い意志で応えようとした一果の心とその移り変わりです。
そして全てを決意し、隠していた親族にも今の自分を曝け出し引取ろうとしたにも関わらず化け物と蔑まれ、一果を救うこともできず、打ちひしがれ自分を捨ててしまった凪沙。
でも一果はその思いと本当に親身になってくれた凪沙さんに十分に救われていたんですね。
ここからがふたつめ。
中学校を卒業し凪沙に会いに行った一果。その二人が海に行ったシーンです。
これは私の勝手な解釈かもしれないのですが。
そこには、打ちひしがれ自身の全てがどうでもよくなり、自身に対してするべき処置を怠ったがために酷い症状になり死んでしまう凪沙(死んだと思ったんですけどたぶんそうですよね)。
しかし、その凪沙を一瞥しながらも一果は駆け寄ることなく、踊り続け、最後は後ろにいる凪沙の方ではなく自身が向いている“前”である海へ向かって歩いて行くのです。進んでいくのです。
これには一果が凪沙の死を確認することが怖いという思いがあったのかも知れません。
自身の腕を噛むことでしか感情のやり場を見つけられなかった一果のせめてもの、精一杯の感情表現だったのかも知れません。
私には、それでも前に、未来に向かっていく一果のひたむきな感情に感じられました。
そして凪沙の歩き方を真似、同じような服装で街中をバレエ学校のオーディションに向かって気丈に歩くシーンに変わるわけです。
ただLGBTを題材にした内容ではなく、何十年という短い人生に何を考えどう生きるのか、それがたまたま凪沙のような心と身体の持ち主だっただけです。
こんなにも心を揺さぶられた作品は初めてでした。
何日か経った今でも何度も思い返しては物思いに耽っています。
この後、本屋さんに行って小説を買い、上映スケジュールのあるうちにもう一度映画館に行こうと思っています。
最後に、自分がそれができているとは思っていません。いえ、思えません。
ですが、助けを求める人間は周りにどれほどいるのでしょうか。
それに掛け値なしに手を差し伸べることができるのでしょうか。
こんなにもひたむきに生きていくことに真面目になれるのでしょうか。
他人を変えていこうと思えますか。
実の子にさえそう思える方はどんどん減っていってるんじゃないでしょうか。
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