種をまく人
劇場公開日 2019年11月30日
解説
10歳の少女が犯した罪とそれを取り巻く大人たちの姿を通し、人間の心に潜む闇を残酷なまでにえぐり出した人間ドラマ。3年ぶりに病院から戻った高梨光雄は、弟・裕太の家を訪れる。姪の知恵やその妹でダウン症の一希に迎えられ、つかの間の幸せを味わう光雄。その夜、光雄は知恵にせがまれ、被災地で見たひまわりの話をする。知恵はその美しい景色を思い浮かべながら、太陽に向かって咲くひまわりと、時折ふと空を見上げる愛しい一希の姿を重ね合わせる。翌日、知恵が光雄と遊園地へ行きたいと言い出し、両親は快く娘たちを光雄に預ける。しかし、遊園地で思わぬ不幸が3人を襲い……。「桜、ふたたびの加奈子」「USB」の岸建太朗が光雄を演じ、撮影監督も務めた。監督は本作が初長編となる竹内洋介。第57回テッサロニキ国際映画祭で最優秀監督賞、最優秀主演女優賞(竹中涼乃)、第33回ロサンゼルス・アジアン・パシフィック映画祭でグランプリ、最優秀脚本賞・最優秀主演男優賞(岸建太朗)・ヤングタレント賞(竹中涼乃)を受賞。
2019年製作/117分/日本
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2020年1月2日
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鑑賞方法:映画館
幼い子から年配に至るまで、全ての演者のパフォーマンスが素晴らしくて、複雑な構成や内容にもかかわらず、かなりの集中力で観賞しきったという印象。特に子役の2人は凄かった・・・
流暢な演技とか台詞というのは少ない。それ故に妙なリアリティーがあって、見ていてかなりつらい。決していい話ではなく、むしろ個人的にはこの設定やストーリーに嫌悪感を持ってしまったけれど、表現したいところは強烈に伝わってくるだけに、作品そのものを嫌だと投げ捨てることはできない。それどころか、随所に見せつけられる映像での展開の見せ方、象徴や暗示といった表現力には秀逸さを感じて、表面的ではない作品の質の高さを思い知らされた。
しかし、どんなに美しく導こうとしても、あのストーリーでは希望は見えず絶望しか感じないというのが率直な感想。
凄い作品だとは思ったけれど、自分の中ではいい映画としてとらえることは難しい。
2019年12月30日
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ディズニーやピクサーといつたハリウッド系の洋画と、一度ヒットアニメの焼き直しや人気俳優を並べて原作を映像化した作品が多いなか、原作・脚本・監督までをひとりの日本人がここまでの完成度で作ったことが嬉しい!
けど、どちらかというとミレーの「種をまく人」とかぶりました。
2019年12月21日
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鑑賞方法:映画館
昔の人は、チャップリンなどの無声映画を楽しむことが出来る感性を持っていたのだろう。そんな感性の持ち主であれば、堪能出来る映画だ。
現代人は情報が溢れ、簡単に調べることが出来る便利過ぎる時代になって、人間の感性が退化しているように思う。
セリフが少なく、情景や役者達の演技、表情によって何を汲み取ることが出来るか。
自分の心が試されているようだ。
家族、子供の心理、親子関係、障害、人との違いや個性、様々なことが2時間に凝縮されていた。
久々に心を動かされる映画を観た。
映像の力を考えると、映画館で観る価値がある映画だった。ただ話の内容が分かれば良いわけではない、それが映画の良さなのだと思う。
2019年12月19日
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今までに経験のない後味を残す映画だった。
見終わって2週間も経つというのにずっと考えてしまう・・・知恵と光雄の幸せを祈らずにはいられない。
スティーブン・キングのミストも、頭から離れない映画で、何ともやるせない映画だったが、ミストとの違いは、ミストには絶望感が残り、種をまく人はやるせない気持ちの中にも希望と祈りのような感情が残ったこと。
どちらの作品も、人間というものをよく描いているなと思う。
誰のことも責められないからこそ苦しい。
知恵の母・葉子から想像するに、きっと母からの深い深い愛を受けずに育ったと思う。それでも、自分はそういう親にはなりたくなくて、愛に満ちた幸せな家庭を築きたいと裕太と結婚した。
それは裕太が、障害のある弟と、純粋な心ゆえに心を病んでしまうような兄、そして他にも障害がある親戚がいるから自然と育まれる優しさや愛を持っていて、葉子が欲しい愛情を裕太に見つけたのだと思う。
そして、愛おしい娘二人が生まれ、幸せな家庭だったのに、ある事件からそれが崩壊しかけて行く。
でもきっとその前兆はあったのだと思う。
葉子は障害をもって生まれて来た次女の一希に、母親としての責任やこの子を守らなければという強い気持ち、母親だからこその様々な感情によって、結果的には知恵に厳しくなったり、一希中心の家庭になってしまったのではないか。
もちろん母の葉子としては、長女の知恵のことだって同じように愛していて大切なのに・・・長女の知恵は自分のことを分かってくれていると思っていたのだと思う。近過ぎて、自分の分身のように思って、知恵にも人格があることを忘れていたのか。いずれにしても、知恵の心の陰りに気付くことが出来なかった。
信じていた裕太が、一希の誕生の時に言った言葉によって、信頼にヒビが入ってしまった。
葉子も苦しみながら、一生懸命生きていたのだと思う。
でも裕太は、一希が生まれて来なければ良かったとは微塵も思っていなくて、だけど障害を持つ子を育てることの大変さ、きれいごとでは済まない現実を知っているから、複雑な想いが裕太に「ごめん」と言わせてしまったのだと思う。
知恵は妹の子守を頑張ったのだと思う。
そして、わざとではないけれど妹を落としてしまった。
その瞬間はパニックだったはず。大好きな両親に見捨てられる、どうしよう、自分は一希を妬むこともあったから、本当はわざと落としてしまったの?グルグル頭をまわり、混乱していたのではないか。
恐怖のあまり、光雄に救いを求めた結果が、光雄のせいにしてしまうことだった。だから、知恵が一番傷つき苦しんでいると思うけれど、心を閉ざした知恵に本当に寄り添うことが出来たのは、やっぱり深い愛を持っている裕太だった。
光雄は、きっとガラスのような繊細な心の持ち主で、心を病み、さらに人の痛みが自分の痛みとして伝わって来てしまうほど感受性豊かでピュアな人間だのだと思う。
事件が起こる前日の夜、知恵との会話の中で、きっと知恵の心の闇に気付き、光雄はとても心配し、自分のことのように胸を痛めたに違いない。
過失か故意かなど関係なく、一希を死なせてしまった責任を感じ、そんな罪を可愛い姪に背負わせてしまったことに、どれほど苦しんだだろう。
一希という大切な存在を、自分のせいで失っただけでなく、知恵のこと、裕太一家のことを考えると、どれだけ苦しかったか・・・知恵が自分に罪を着せたことなど、きっと何とも思わなかったのではないか。あるいは、甘んじてそれを受け入れたか・・・
一希を弔う行動の中で、きっと神に祈り続けたと思う。
その祈りが神に通じたかのごとく、空からあの不思議な音が聴こえて来た瞬間、私も映画に吸い込まれて不思議な感覚になった。
一番最後の場面で、知恵が振り返ったひまわりの中に、一希の姿を見つけたのだと思う。
そして、一希が天真爛漫な笑顔で、知恵に語りかけたのだろう。だからこそ、ようやく知恵の表情が明るく変わったのではないか。
あの家族には、まだまだ越えなければならない山があるけれど、きっとやり直せるはず。
光雄の心の傷も癒える日が来て、いつかまた笑顔で裕太一家と再会して欲しい。
この映画を見て自分なりに背景を考え、最後は「幸せになって」という祈りになった。
もう一つ・・・この映画に感謝したいこと。
それは、自分の子育てに対して・・・
自分で生んだ子でも、別の人格があり、幼くても一人一人に感情があるということ。こんな当たり前のことを忘れて子育てしていたことに気付かされた。
保育園の先生が言っていた「過保護ではなく、お金をかけることでもなく、手間をかけること」という意味が分かった気がした。
映画を見終わって、子ども達の顔が違って見えた。
子どもの声がちゃんと聞こえて来た。私は何をしていたの?
仕事も大事だけれど、目の前の子ども達を見ていなかった・・・と、はっとした。
良い映画や絵画、音楽・・・そういうものに触れて、感性を鈍らせないようにしたい、改めて思った。
感性が鈍ると、自分の人生は味気ないものになってしまう。家族の大切さが当たり前になってしまうほど、鈍い人間になってしまう。
深く深く色々なことを考えさせられた。
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