ジョジョ・ラビットのレビュー・感想・評価
全508件中、21~40件目を表示
ウザギを逃がす勇気
戦時モノであり、過渡期の少年の心の成長を描いた異色ヒューマンドラマ。
冒頭でウサギを逃がそうとしたシーンが作品全体のモチーフであることは言うまでもない。
植えつけられて自らが信じるところと、内なる真実と。
激動の時代の流れの中で、主人公は相反する双方をどう乗り越えて行くのか。
ウサギを逃がした主人公は弱虫とののしられ、
しかし弱さを知る者の発揮する強さこそ、見せかけには終わらない。
同時に鑑賞者へも、世間の目がどうであろうとウサギを逃がす勇気を、と
訴えている気がした。
甘えん坊が物語を追うほどに一人前の男に様子をたがえてゆく様が、
ある意味、ハードボイルド。
母のさいごと、敗戦後の軍人との別れで涙腺崩壊。
ますます孤独になってゆくのに、なぜだかあたたかみ残る世界観が切ない。
その中で不意打ちがごとく描写される戦時中のリアルな殺伐さも秀逸だった。
ライフイズビューティフル感があるのはなんでだろ
Amazon Primeで鑑賞。感動的、いい映画。そう、これはいい映画だ。皮肉たっぷりでナチスについて、第二次世界大戦について、誰かが誰かを支配することについて、人と人について描かれている。ナチス側からの『ライフイズビューティフル』感あり。
この笑いを入れたかったんだろうという部分が、映画のなかで「突拍子もなく」ではない。
つまり、ごくごく自然な演出として「笑い」が映画に組み込まれている。
人生のなかで、深刻なシーンほど笑いに変えるなんて難しい。
それが映画だとうまくいくのは、映画にするほどの状況がそろっているから
だと思う。
映画はそういう意味では僕たちの非日常をどう描いているかで、惹かれる度合いが
ぐんと変わるものだ。
ジョジョのいる世界は、彼にとっては現実だが、過去にも現実としてあったはずだが
今の時代、そして日本から観ていると、それはフィクションのように見えてくる。
そう見えたらダメなんだけど。フィクションじゃないから。
だけども、その俯瞰的距離感で映画を眺めていると、その深刻なシーンは
笑いに変えられることに、何ら違和感を覚えない。
そう見えた映画は、すごい名作なんだといつも思う。
こむずかしくてゴメン。
演者と脚本と演出とメイクも、衣装も大道具小道具CG周りも
よくできている。
ありていだが、最後のシーンに余韻と余白を残している。
そこから先は観る人が想像していい領域にしてくれているのが
監督のやさしさなのかなと、思う。
あれもこれもジョーク
最近の第二次大戦ものとかナチスものというのは、観る側に充分な知識がある前提で作られている作品が多くなった。
ただホロコーストの悲劇を描いただけの作品なんて過去に何度も作られたし、もう知ってるでしょ?というわけだ。
なので、笑えないことを笑い、笑ったことに気まずくなるブラックジョークの渦に飲み込まれ本作を堪能するためには知識がいる。
ナチスが迫害したり、彼らの言う安楽死させた人たちというのはユダヤ人だけではない。
同性愛者、政治犯、エホバの証人、ジプシー、精神的肉体的に回復の見込みのない非健常者など。
作品内では不具と呼び、ジョジョが負傷したことによりナチでありながら迫害されるかもしれない立場に変わったことがジョークみたいなものだし、その立場になったことでジョジョの視野が広がりお腹に蝶が舞うことになる。
キャプテンKは射撃の腕が良く、本来ならば前線にいるべき男だろうが、目の負傷(不具)のために子どもたちの指導をしている。
能力ではなく不具かどうかで判断しているというジョーク。
そもそもこのキャプテンKという人は後々ゲイであることがわかってくるが、ゲイは迫害対象ですからキャプテンが反ナチなのはほぼ確定。そんな人がユーゲントの指導をしているというジョーク。
そんな相反するクソッタレな状況に飲んだくれているキャプテンKは非常に面白い。
腕や足を失った人が沢山出てくるが、ナチを信奉して戦地に赴き、負傷してナチスの迫害対象になったかもしれないというジョーク。
気付くと、この映画の多くの登場人物がナチスの迫害対象であり、もうそれ自体がジョーク。
そんな人たちを反ナチのレジスタンスでありながら大きな愛で包もうとする人物こそジョジョの母親ロージーなのだ。
ユダヤ人のエルサを匿い、負傷した兵士にドイツにお帰りと優しく声をかけ、ナチである息子を怒鳴りつけることもしない。
それは反ヘイトの塊。反ヘイトとはすなわち広く大きな愛。
エルサがドイツ人を装って難を逃れる場面とジョジョがユダヤ人だと言われて助けられる場面は、ドイツ人もユダヤ人も同じだという対になっているジョーク。
それをどちらも助けたのが反ナチのナチであるキャプテンKで、反ナチのナチってのがもう強烈なジョークなんだけど、このジョークの塊みたいな人が、ロージーと同じように反ヘイトの愛で戦い若者を助ける姿はしびれる。
親ナチも反ナチも女も子どももゲイも不具もシェパードもみんなが戦う市街地でのクライマックスは、壮大なジョークであり悲劇的な、反ヘイトの旗印を掲げる大きな愛のシーン。
あと、とりあえずこれは書いておこうかな。
街中で吊るされている人たちはユダヤ人ではないよ。見せしめのためだから彼らは政治犯ね。ジョジョのお母さんのような人たちだよ。つまりドイツ人ね。
それとジョジョのお父さんはユダヤ人ではないよ。お父さんがユダヤ人ならジョジョもユダヤ人ってことになっちゃうからね。100%ない。
観ている最中はタイカ・ワイティティ監督は天才なんじゃないかと思ったし、観終わった直後はスゴい傑作なんじゃないかと思ったんだけど、いつものように妻とのディスカッションを経て改めて考えてみると、単なる少年の成長ものでそんなに面白いわけではないなと思い直した。
ポップでコミカルでカラフルなコメディに仕上げたことで、監督が言うように作品へのハードルは下がったけれど、同時に色々なところで踏み込み不足だったよね。
映画的な刺激が足りなかった。
とはいっても、非白人に対するヘイト熱が高まっているアメリカに対する啓蒙という意味では上手く出来てると思う。
実際に伝わるかどうかはわからないけどね。
今日の「当たり前」の有効期限は?
過去から学び
今を生き
未来を考える。
過去の当たり前が
今の当たり前でないように
今の当たり前が
未来の当たり前でないことを
知っておかなければならない。
そんな重いテーマを考えさせられるのに
柔らかくて暖かい映画、、、。
冒頭からビートルズを流してくるのか!!
当時のヒトラーのカリスマ性を表現するには打ってつけの挿入歌だ。
ヒトラー役の俳優さん好きだなぁ🤔
まさにスピーチの天才。
言葉のチョイスやスピード感
前半と後半の話し方の変化。
素晴らしい!
どちらかと言うと、後半の捲し立てる感じが
まさにヒトラー。
あとは、グレンツェンドルフ大尉。
彼の人間らしさや優しさにとても感動した。
エルサがユダヤ人だと知りながらを見逃したこと、
たぶんフィルケル(部下で同性)と恋に落ちていること、
ロージー(ジョジョの母)の強さと美しさに惚れ込んでいるからこそ、ジョジョを特別に思っていること、
だからこそ、最後の場面であの行動ができたんだろう。
突き放す言葉に、行動に、
「生きてくれ」という思いを感じた。
そんな繊細な表現を演じたサム・ロックウィルに拍手。
黄色い靴が訴えるナチズムへの怒り
この年のアカデミー賞で作品賞・助演女優賞を含む6部門にノミネート。主要な賞は逸したがからくも脚色賞だけの受賞となった。殺伐とした映画が目立つなかで、結果はともあれ本作のようなほのぼのとした映画がノミネートされていることにどこかほっとしてしまうのは私だけではないだろう。
ナチスドイツの敗色濃い大戦末期、ヒトラーに憧れる10才のジョジョはヒトラー・ユーゲント(ヒトラー少年隊)に入隊しナチスの訓練に明け暮れる毎日だが、訓練ではウサギも殺せず、手りゅう弾は投げ損ねて自分が負傷してしまうという始末だ。そんな心優しいジョジョを励まし鼓舞するのが彼の空想の友達アドルフだ。このアドルフを監督のタイカ・ワイティティが自ら演じているのだが、ヒトラーを揶揄したこの空想上の人物に、ナチズムへの痛烈な皮肉を込めた監督の心情が湧き上がる。チャップリンの名作『独裁者』を彷彿させる名演だ。
ジョジョのお母さんを演じるスカーレット・ヨハンセンがまた素晴らしい。『ロストイントランスレーション』の頃からはずいぶんオトナになって、最近ではアクション女優のイメージが強いが、『マッチポイント』や『それでも恋するバルセロナ』などアレン映画でもヒロインを演ずる実は演技派。『真珠の耳飾りの少女』の時の美しさは今でも目に焼き付いている。スカジョのこのお母さんが実はレジスタンスの活動家であり、その悲しい運命を靴だけで表現するワイティティ監督の演出がさりげなくまた痛切で、本作の忘れ難い名シーンのひとつにもなっている。
ジョジョが家の隠し部屋に匿われたユダヤ人少女との触れ合いを通じて、徐々にナチスの欺瞞に気づいてゆく過程が淡々と綴られて胸に迫る。こうした奥深い命題を決して深刻にではなく、コメディの形で提示してみせた監督の手腕に最大限の賛辞を贈りたい。本文冒頭に『ほのぼのとした映画』と書いたが、これは決して『ほのぼのとした』だけの映画ではないことを強く言明しておきたい。
ポップなだけじゃない
コメディとはいえ、中々ブラックでヘビィ
ネクスト・ゴール・ウインズを鑑賞して、ワイティティ監督の名前を知り、さかのぼってこちらを鑑賞。
のっけから15分くらいで視聴をやめようと思ったくらい、クラクラするほどのナチ礼賛と胸糞セリフの数々。いやいや、マジか。でもこれだけで終わるはずないから、まぁ最後までと思って観ているうちに、「アンネの日記?」と見紛うユダヤ人少女が出てきてからちょっと落ち着いて観られるようになった。
悪ふざけの度が過ぎている気もするし(特に監督自身の出自に関わるあたりは過剰なほど)、そこまで取り込まなくてもと思う程、おびただしい種類のヘイトを取り込んでいて、コメディといいながら中々にブラックでヘビィ。それに、ウクライナやガザの状況がリアルタイムで進行しているため、余計に笑えず、考えさせられてしまう。
指摘しておきたいのは、映像的な美しさ。
どこにもケチのつけどころがない。お金もかかっているだろうが、その場面にあった色彩、構図、どれも素晴らしかった。見覚えのある靴とメモの赤字。心をつかまれた
自分は、いわゆるハリウッド映画を積極的に観てこなかったので、ワイティティ監督のことをよく知らずにいたが、2作を観て、とても興味が湧いた。フリーガイも、この監督の作品ということなので、また鑑賞してみたいと思った。
大人も子どもも。
世界中の人達はなんだかんだいってヒトラーが好き
少女がベッキーみたいでなんか見ててイライラしました。クソガキのほうは母親やられてるのによくその原因の女と逃げようと考えたな。
ヒトラーは許されないことをした、ヒトラーは悪魔だ、ヒトラーのような人間を二度と産み出してはならないと誰もが言うけど、それならなんでNHKでヒトラー絡みの番組が毎年毎年これでもかってぐらいに製作されてるのか。放送させるなよ?テレビがヒトラーがー!と言わなければヒトラーの存在なんて誰もが忘却のかなただし、誰もヒトラーのようなことをしません。
ヒトラー物の映画も作らせるな。
作って見ておいて、自分の醜さを忘れるためにヒトラーを用いて利用しておいて、ヒトラーを否定するアホが多すぎる。めんどくせえ。
悪ふざけ
ヒットラー・ユングフォルクの少年とユダヤ人少女の奇妙な出会いが綾なす戦争の悲劇を度を越えた悪ふざけのブラックコメディに仕上げてしまった、特に精霊のように出没するヒットラーのでてくる前半は観るに堪えない、確かに子供まで兵士にするのはナチスに限らずイスラムもそうだし、日本だって学徒動員、特攻で多くの若者を殺しているのだから人類そのものの持つ愚かさ、根の深さに思えます。
タイカ・ワイティティ監督はユダヤ人なのにヒットラーまで演じています、ヒットラーが如何に愚かな人物だったかを描くのに熱演していましたがジョジョにだけ見える妄想の象徴にしたのは何故なんでしょうかね、どうも深刻さを笑いに変えたいという演出手法や子供を巻き込んだ映画作りには、ヒットラーの手法そのままではないかと抵抗感が否めませんでした。
おねショタとしてみればいい……のか?
ナチス大好き少年がユダヤ人をかくまうことになって成長していく話
まず、役者の演技が素晴らしく、あどけない少年役を演じた子役とイマジナリーヒトラーとのコミカルな会話が面白かった 美術も素晴らしく、前半はビビッドな赤が映える絵本の中のようなようだったのに、後半は連合軍の侵入で灰色の退廃的な画面になってきたのが、印象的だった
ただ、この映画の中のユーモアが文化の違いなのかいまいち理解できず笑えなかった むしろ、無垢な少年から見た世界の表現だということは分かるが、ふざけすぎなのではないかと思った
しかし、年上のお姉さんとの交流を通じて、ユダヤ人や世界のことを知っていくというストーリーの流れは見事でいい話だと思った
怪作
英雄夢語り
ラストのシーンで主演の男の子と女の子が、首をカクカクしたり、手を交差させて炎のジェスチャーをしたり、リズムがあまり合っていないステップを踏んだり、というのは全部デビッド・ボウイーの特長的なパフォーマンス。
流れてくる曲は名曲「Heroes」のドイツ語バージョン「Helden」。
ボウイーの曲で唯一ドイツ語とフランス語のバージョンがオフィシャルで発表された曲。
英語よりも、角張ったドイツ語の響きが絶叫ボーカルと相まって聴かせる曲。
ということは、ボウイーのファンでないと全然分からないネタだが、最後の1分間でのワンシーンで観れて、感激。
もちろん知ってて観たわけではないので、驚いてしまった。
でもまあ、これは個人的な感激ポイントだっただけで、映画の内容としては、普通。
主演の子役はいい味出してるし、旬のスカーレット・ヨハンソンは出てるし、グロいシーンやエキセントリックなところも無い、人畜無害ムービー。
面白いので2時間はあっという間に過ぎるが、それ以上のものはない。
基本的に、楽しい映画。
20200209 日比谷TOHO
ママのコンビの靴、ママとお揃いのパジャマ
ポップなファンタジー映画としてのナチス
本作の舞台は第2次世界大戦中のドイツ。主人公は10歳の男の子、ジョジョ君です。ちょっと変わった男の子ジョジョを取り巻く人々も、また変わった人たちです。
【不在の父親】
彼の父親は本作の中では不在です。「出征中」とも「脱走兵」とも言われますが、詳細は不明です。
【進歩的な母親】
彼の母親は自由と芸術とワインと音楽とダンスを愛する進歩的な女性です。実は反政府活動家であり、ユダヤ人の少女を家に匿っていますが、息子には一切秘密を打ち明けません。自分の息子を怪我させた責任をといつめ、ナチスの将校であるキャプテンKの股間を蹴り上げますが、なぜかそのキャプテンKからは「とてもいい人」と評価されています。その理由は分かりません。私の感じた最大のなぞは、自分の息子がナチス思想に心酔していくのをなぜただ傍観しているのか、ということでした。
【死別した姉】
彼には死別した姉がいたようですが、「インゲ」という名前以外は詳細不明です。
【格下の親友】
彼には「ヨーキー」という名のメガネをかけた肥満児の友人がいますが、ヨーキーのことを自分より格下と見ていることが、ジョジョの言動から伝わってきます。それでもヨーキーは気を悪くすることなく、変わらぬ友情をもって接してくれます。ジョジョとヨーキーは一緒にヒトラーユーゲントへ入隊します。ジョジョが負傷し除隊になっても、どうやらヨーキーは訓練に耐えて正規兵に昇進したらしいです。「添え物」的なキャラクターですが、外見とはうらはらに、根性も能力もある子供のようです。
【イマジナリーフレンド】
ジョジョの傍らにはイマジナリーフレンドとして常にヒトラーが侍っており、相談相手になってくれます。
【年上のユダヤ人少女】
両親は収容所に送られ、自分だけがなんとか逃げ延び、ジョジョの母親に匿われる少女。偶然ジョジョに見つかり、2人だけの対話を続けていきます。
【キャプテンK】
ヒトラーユーゲントを指揮するナチスの将校ですが、酒浸りで同性愛者でもあるようです。かれはどうやらドイツの敗戦を予感しているらしく、自暴自棄的な言動を見せます。
【ジョジョ】
ヒトラーに心酔してはいますが、うさぎを殺すことができない優しい男の子です。手榴弾の事故で顔と脚に大怪我を負ってしまいます。父親が不在であること、内気であること、ヒトラーユーゲントを負傷除隊になったこと、顔に傷が残ってしまったこと、かれの自尊心は傷ついてしまいます。そんなナイーブな男の子です。ユダヤ人の少女と出会うことでかれは大きな葛藤に陥ります。ナチス党員として少女を突き出すべきか、ナチスを裏切り少女を守るべきか。少女を突き出すことは、匿っていた母親も突き出すことになります。少女に対して恋心を抱いてしまったジョジョはナチスを裏切り、終戦を迎えます。相手の運命を握った庇護者としての強い立場から、ただの年下の男の子へ。ナチス信者という呪縛が解け、少女との立場が逆転したことを受け入れたジョジョ君でした。
それはいいとして、問題はリアルの世界では親を突き出す子どもたちが大勢いたという重く残酷な事実です。純真な子供は一度洗脳されると、簡単に解けるものではないということだと思います。その点、本作のジョジョ君の洗脳は幸いまだ浅かった、ということでしょうか。現実の出来事の重さに比べ、どうしてもファンタジーである本作は軽く感じられてしまいます。
本作の最大のスリルであるゲシュタポの家宅捜索シーン。ユダヤ人の少女が姉「インゲ」を演じてなんとかやり過ごしますが、やや強引な設定に感じてしまいました。
ただし、本作はなにしろ美術が素晴らしく、どのシーンをとっても背景や衣装が凝りに凝っています。そこだけ観ても十分楽しめる作りになっています。その美しさが敗戦でボロボロになってしまうのがまた、効果を上げています。
さらに俳優たちの演技が素晴らしいです。特にジョジョを演じたローマン・グリフィン・デイヴィスさん、アドルフ・ヒトラー役で監督でもあるタイカ・ワイティティさんの熱演なくして本作は成立しなかったでしょう。
いずれにしろ、ポップなファンタジー映画としてナチスを描くなんて、ユダヤ人の母を持つタイカ・ワイティティ監督にしかできないはずです。
全508件中、21~40件目を表示