異端の鳥のレビュー・感想・評価
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ホロコーストから生き延びた少年の人生
この時代は苦しみの連続で、生きづらくて、今命があるだけ奇跡なんだなぁと思いました。小学生の作文みたいな感想ですみません(笑)
人間は醜くて争いや残虐行為や快楽行為が大好きな気持ち悪い生物ってのがよく出てますね。
絶望9割希望1割って内容です。
私は好きでした。
これは実際にあった映画として、勉強として観るべきだなとは思いました。
The Painted Bird
映画「異端の鳥」(バーツラフ・マルホウル監督)から。
久しぶりに、人間の卑劣な部分を思い知った気がする。
制作は、チェコ・スロバキア・ウクライナ合作だけど、
どこの国にもあり得る、差別、いじめ、リンチなどのシーンが
これでもかってくらい続く、見ていて辛い内容だが、
2時間49分の長編・モノクロにもかかわらず、
あっという間に、観終わった。
モノクロの効果は、肌の色も髪の毛の色もわからない。
ということは、自分たちには関係ない外国の話ではなく、
世界のどの国でもあり得る話として受け止められた。
原題「The Painted Bird」で象徴されるように、
黒い鳥を、わざわざ白くペイントして空に放すシーンがあり、
たぶん以前は仲間として認識していたにもかかわらず、
今度は、和を乱す敵として認識し、多勢で攻撃を仕掛け、
傷つき、疲れ果てて墜落する光景が目に焼き付いている。
最近、よく耳にする「LGBT」をはじめとしたマイノリティも、
最初は、こんな状態だったのだろうか。
この「The Painted Bird」も複数だったら、もっと多かったら、
結果はどうなったのだろうか、
そんなことまで深く考えてしまった作品となった。
異端の排除は生物の本質
本作は2020年キネ旬外国映画ベスト6位の作品で、劇場で見逃した作品です。
凄い映画でした。これこそ映画館で観るべき作品で、スクリーンで観れなかったのが残念です。
様々な映画を鑑賞しながら、映画の役割の様な事を考えたのですが、映画とは弱者・敗者に対しての応援歌であったり、厳しい現実を生きて行く為の杖の役割であったりするのですが、本作の様に人間社会の醜い現実というか真実を見せるのも映画の役割なのだと思っています。
本作、時代的には第二次世界大戦時でしたが、鑑賞していると太古の原始的な時代の様にも錯覚し、文化的な生活から外れた人間本来の姿はまさに野獣と変わらない様にも感じてしまいました。
本作の主人公である少年の元々はナチスから逃れる為の疎開から始まり、そこから経験したことは人間の本性は自己防衛本能であり危険回避であり、その行きつく先が異端の排除に繋がり、何処に行こうと小さなナチスが待ち受けているという地獄巡りの旅路の様にも見え、ナチスというものはある意味に於いて人間の本質を具現化したものであり、現実問題としてこの時代から80年以上経過した現在に於いても本作で紹介された“異端の鳥”の法則は世界中の何処にでも存在し、ミニナチスの集合体である事には違いありません。
それでも彼が死ななかったのは、これもまた人間の本質にある逞しさや優しさの存在からだと思うのですが、彼の未来がそのどちらの影響を多く受けたのかは謎のままでした。
それと、時代的・地域的なことから名作ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』(こちらは19世紀末で本作より少し過去)を想起したのですが、あの作品て描かれていた裏側をというかリアルはこの作品の様な日常があったのだろう思うと、ちょっとショックでした。
東欧の戦火を生き延びた子供の物語。
因習の村を追われ、
敵対する各軍の前線をラリーさせられ、大人たちの無関心と排斥防御と性欲の慰みものとなったひとりの少年。
こんな悲しい流浪の旅があるだろうか、
死のオンパレードなのだ。
鳥飼いのおじさんにはあのような形で恩返しをなし、
湖畔の娘にはあのような形で復讐をなし、
死を見すぎて、そしてけだものの大人たちの犠牲になって、少年の顔面が次第に“鉄面皮”になっていく様が本当に痛ましい。
目付きが変わってしまった少年は威圧感が凄い。殺られる側から⇒殺る側にスイッチし、孤児院の古株からも一目置かれ・・
心が壊れてしまった彼は、お母さんに会って子供の心を取り戻すことが、果たして可能なのだろうか。無理と思う。
救いのない
暗澹たるエンディングだった。
・・・・・・・・・・・・
子役のペトル・コラールが、この撮影後に正常でいられるのかも心配で胸騒ぎだ。
その点で「ライフイズビューティフル」とは別コンセプト。その狂気は「ブリキの太鼓」に近いかもしれない。
◆人間は「レッテル貼り」で人を選別する。
自分の肌の色を隠して生きたのは「白いカラス」。
そしてpainted の原題で思うのは
レッテルづくしの“黄色いダビデの星”を他人に付けて回るのは私たち人間の元々の性らしいということ。
◆本作品にはユニセフが関わっている。これは戦災孤児~浮浪児を生み出す大人たちへの激しい怒りと、「子供には戦争を見せてはいけないのだ」という強いメッセージなんだと思う。
責任を忘れて「ハッピーエンド」など大人が期待しちゃ駄目だ。
「大人が責任をとれ」と言っているのだ。
・
お母さんに会えても、このモノクロのフイルムは、桃色とかのカラーにはならないだろう。
モノクロの凄さ
モノクロの映画を久しぶりに観ました。
本編は、ホロコーストを逃れた少年が見た生々しいほどの人間の本質に迫る話で映画館で観ればと少しばかり後悔しています。
それだけ、この映画を見応えがあったかと思います。
少年が出会う人々がはっきりというとクズの様な人ばかりでした。だけど、そこが人間の欲の部分であり、本質なのかもしれないと感じさせられました。
僕も主人公の少年様な境遇にあっていたら、死んでしまいたくなる様な辛い出来事はがりに遭遇します。
それでも生きていれば何か希望があるのかもしれない。
目に見えるものばかりを信じてはいけない。だけど、進んでる道に光もある。
そんな、映画かな感じました。
今でも、世界で似たような状況がいくらでもある。
このモノクロ映画の背景は、1940年ごろのポーランド近辺だが、その頃の日本も同じような状況であった。異質なものを排除、支配しようとしていた。
現在、コロナ禍の中、経済的な余裕がなくなり、寛容さ・大らかさ・やさしさまでが無くなり、人間の本質がむき出しになってきています。
映画と同じような状況が、現在の世界を見渡せば、コロナ禍の発展途上国、中国のチベット・ウイグル・モンゴル自治区でも現在進行形です。
一方、先進国でも生活困窮者が多数出てきています。何とか生活できている普通の人々も自分と家族のことが精一杯で、視野がますます狭くなっていき、異質なものを排除しようとする傾向が強くなってきています。(これは私自身にも言えることです)
このような現在の状況こそ、監督がこの映画で、一番警告したいことではなかったかと思われます。
長く、重たい映画ですが、現代社会と比較すると興味深いです。
『存在のない子供たち』、『レ・ミゼラブル』も同じようなテーマの現代映画です。
傑作・駄作は紙一重
賛否両論な作品。
重く・苦しく、個人的にはちょっとついていけなかったです。
伝えたいことをここまで極端な作りにしてしまうと、万人受けはしないですね。
傑作・駄作は紙一重ということでしょうか。
ホロコーストその原因
多数派からの迫害を受けるペインテッド・バードである少年は居場所を失い彷徨う。
少年の行く先々で出会う人々もまた善人悪人に関わらず多数派からみれば名前を持たない(劇中ほぼ名前を呼ばれず、視聴者はチャプタータイトルで知る)ペインテッド・バードなのだ。
これは名前が求める旅であり、その中で少年は心を閉ざしていく。
最後に書く名前にのみ希望が残される。
何と言う陰惨さ
少年の辛い日々が延々と続く内容に救いはないのか?
初っぱなの老婆の家では親族の扱いであったが、不意に亡くなった老婆に驚いて失火…少年の逃亡の日々が始まる。
時代が時代とは言え、変わり者が次々と現れ様々な事象を見せつけていく。
呪術師のような老婆から始まって、土中に埋められ、農場のDV旦那と嫁の痴情のもつれに巻き込まれ、鳥好きの爺さんに拾われたら、破廉恥な狂女の色事を見せられたり、狂女が近所の子どもを誘惑して関係もった事でご近所のお母さん連中が狂女とそれを庇った鳥好き爺さんぶっ飛ばされたり…ん~なんなんだこの展開。
それだけでは終わらないのがこの作品の恐い所。
怪我した馬を拾って、村に連れてったらドイツ軍に売られ、神父に救われるもショタ好きの変態親父に養われて新たな地獄を味わう。
変態から今度は女に拾われ、関係を持つと少年に恋慕の情がうまれるが、女に役立たずと罵られ少年が変わってしまう。なんと通りすがりの爺を襲って身ぐるみ奪って逃げ出すのだ。さらにソ連軍に拾われると兵士と行動を共にする。ひとくちに兵士と言っても野盗のごとき連中も現れ、一向に救いがない。
少年に銃をくれた兵士の想いはなんだったのだろう?
ラスト父親が迎えにやってくるが、本人にとっては地獄とも言える希望のない時に影も形も無かった父親への不満は仕方ない。
だが、地獄で身につけた観察力や適応力が父の腕にあるナンバリングを見て、父親が味わった地獄を理解したのだろうか?
ただ、ただ少年の目を通して苦しい辛い世界を覗き見させられる様でイヤな感じもするが、モノクロの映像がそれらを“昔の事である”と薄めているようで観続ける事が出来たが、今も世界のあちこちでこんな事が起きているのだろうと思うと不安にさせられた。
歴史書の様な
過去から現在に至るまで、テクノロジーは進歩したけれど、人間の本質は全く進歩していない事を改めて突きつけられた気がしました。数ある偉大な宗教、歴史書、思想書、哲学書は、人間の本質の前では全く無力なのでしょうか。
戦争や紛争に限らず、世界に混乱をきたす不条理なもの、今だとCOVIDの様な感染症も人間の残虐性が現れる原因だと私も含めて多くの人が理解できたと思います。観客は作中の不条理を徹底的に見せつけられた後、生きていれば避けられないこの不条理とどう向き合うのか、を問われた気がしました。
人間性の証明と受難
個人評価:3.5
開いてはいけない禁断の書物かの様に、つらく悲しみの塊が蠢めく物語。
ユダヤ人迫害以上の少年への攻撃。まるで人間とは異質の何かが、少年の瞳に宿っている事を察知したかの様に。
異質と感じる者を排除する人間の本質をホロコーストを通して描いていると同時に、ハーベイ・カイテル演じる神父の言葉にもあるように、少年への苦痛を通しキリストの受難と同じ意味を本作に込めているのだろうか。
どうやって残酷さに立ち向かうか
戦火のもとでは誰もが残酷になり得るという認識は、小説や映画、絵画なども含めてすでに様々な記録から自分の中では既知のことだった。
宗教も然り。
とにかく序盤から終盤近くまで、両親のもとへ帰りたい一心でさまよう少年に降りかかる災厄は、中盤を過ぎた辺りから、少年もまた同じ隘路に陥るのではないかという不安を駆り立てた。
父親との再会に前後するエピソードは、その不安を具現したものではあったが、一転、彼が自分の名前を明らかにする象徴的なラストシーンは、トラウマからの回復を予見させることになる。
ただ、そのきっかけはどこからも感じられず、さんざっぱら大人たちに酷い目に遭わされた少年に都合よく回復の予兆を与えて贖罪の意を見せたようにも感じて、やや消化不良な印象が残った。
ステラン・スカルスガルドやバリー・ペッパー(プライベート・ライアンと同じような役どころしか来なくなったように思えてキャリアが心配)のように彼を人間扱いする人物もいたことが、少年をかろうじて人間たらしめたとも言えるのだが、それぞれのエピソードに芯となるつながりがないことから、説得力の弱さを否定できない。
現に、バリー・ペッパー演じるソビエトの兵士は「目には目を、歯には歯を」と彼の信条を少年に託し、少年はその後のエピソードであまり躊躇う様子もなくそれを実行に移す。
彼は自分の名前を思い出し、人並みな暮らしが還った後、そのことで苦しむことはないのだろうか。
人はどうやって残酷さに立ち向かい、そこから立ち直るのか、という重い問いを投げ掛けた芸術作品は数多くあるが、本作は淡々と残酷さだけを描いたという点で確かに邦題の通り「異端」である。
家族写真
重いですね。虐待も差別もひどいと思ってみてますが、さらに70年後の人が現代を舞台にした映画を見たら、現代もまた野蛮な時代に見えるかもなんて思いました。
ところで覚えてる方いれば教えてください。
主人公が最初お婆さん?と暮らしていた家に家族写真がかざってありました。お婆さんと両親と主人公のように見えます。
その後、輸送列車から逃げた人達が撃たれた現場で、主人公がトランクを開けると同じ家族写真がありませんでしたか?それで両親もここで撃たれたのか泣・・と思ったので、最後おやっ?となりました。見間違いでしょうか。
普通の人々の恐ろしさ
ひとりぼっちの少年が、行く先々で差別され虐待され続ける物語。差別して虐待するのは、特別悪辣な人でもなんでもない普通の人々。普通の人々が、異邦人という理由だけでものすごい暴力を振るう。ユダヤ人を虐殺したのはナチスだけではないという事実が恐ろしい。観ていて辛いけれど一度は観るべき映画。でも二回は観たくない。
生きるということ
※星取りは苦手。
何か書きたくさせてる時点で5つ星!
人生に起きうること
これでもか!!
てくらい並べてみた、て感じ。
たくさん、'見たことない'映像が
出てきてよかった。
人は命がある限り、
死ぬまでを生きる。
生きるために闘うか、
不条理に命を落とすか、
自ら死ぬという選択をする…
受け手側(少年)が
何者でもなく(名乗らない)
人間とは言葉も交わさず(馬とは話す)
ニコリともしないからこそ
際立つ「生きる」ということ
子供騙しに溢れた日本では
こどもは笑顔だ
笑顔が至宝と決めつけて、
笑顔を貼り付けた大人が
仮面の下でギラギラと
ライセンスビジネスの利益を勘定している。
どっちが生きてるといえるのか…
どっちも生きてるのか
観る劇場を間違えた気がした…
4DXシアターを普通上映に
使ってたんだけど、
誰かが動くと小さくバウンドしたりして…
もっと小さな劇場にすればよかった
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