マーティン・エデン : 映画評論・批評
2020年9月15日更新
2020年9月18日よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー
“ロマンティックなエゴイスト”なジャック・ロンドンを見事に表現している
ジャック・ロンドンといえば、かつては何度も映画化された「野性の呼び声」「白い牙」に代表される動物小説の作家として知られているが、近年ではロンドンの貧民窟を仮借なきリアリズムで描いた鮮烈なルポルタージュ「どん底の人々」、そして自己の飲酒体験を瞑想的に綴った「ジョン・バーリコーン」や魂の遍歴を赤裸々に吐露した長篇「マーティン・イーデン」のような自伝的物語こそが、この天才作家の本領を発揮した傑作として高い評価を得ている。
「マーティン・エデン」は、その彼の代表作を19世紀のアメリカから20世紀イタリアのナポリへと舞台を移して描いているのがユニークである。労働者階級出身のマーティン(ルカ・マリネッリ)がブルジョアの娘エレナ(ジェシカ・クレッシー)と恋に落ち、作家を目指すが、決定的な階級間の隔たりがふたりを引き裂き、訣別を余儀なくされる。
この映画で際立って印象に残るのは、無学な青年だったマーティンが書物への愛に目覚め、出版社へ原稿を送るも幾度となく不採用の通知を受け、落胆しながらもタイプライターに向かって無心にキーを打ち続ける場面だ。乾いたタイプの音が響きわたる中、サイレント映画のような粒子の荒い映像で、沈没する帆船、貧民街の少年たち、焚書の光景などが次々にコラージュされる。
マーティンは、やがて作家として未曽有の成功を収める一方で、エレナを失った欠落を埋めるかのように自暴自棄なデカダンの世界へと失墜してゆく。ひとりの女性に深く執心し、その幻影を追い続ける、享楽的でありつつも敬虔な人物といえば、スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を思い起こさせるが、まさにマーティンは真正なる“ロマンティックなエゴイスト”なのである。ルカ・マリネッリは、ニーチェの超人思想に深く傾倒しながらも、ラディカルな社会主義者を標榜していたジャック・ロンドンの化身である主人公の複雑怪奇なキャラクターをニュアンスに富んだ繊細さで見事に表現している。映画を見終わって、原作にうっすらとたちこめていた暗い虚無感が希薄なのは、背景となったナポリの明るい陽光と喧騒に満ちた風景のせいなのだ、と遅ればせに気づくのである。
(高崎俊夫)