マイ・エンジェル : 映画評論・批評
2019年8月6日更新
2019年8月10日より有楽町スバル座ほかにてロードショー
残酷なおとぎ話のような寓話性とリアリティの混じった、独特な空気感
ひとりよがりの愛し方しかできない、身持ちが悪い母親と、そんな母親の愛を乞う幼い娘。今日も世界のどこかで実際に起こっているのではないかと思わせる、あまりにやるせない話だ。けれどこの映画のどこか寓話的な雰囲気、きらきらとした光のなかに孤独と哀愁が漂うさまに惹き付けられ、魅了される。新人監督ヴァネッサ・フィロの作り出す世界は、まるで残酷なおとぎ話のような不思議な魔力がある。
8歳のエリーは美しい母親に憧れ、もっと愛されたいと願っているが、つねに男を必要とするマルレーヌの生活は荒んでいる。ようやく見つけた純情そうな青年と結婚にこぎ着けたのも束の間、披露宴の最中に酔った勢いで行きずりの男に身を許している現場を目撃され、あっけなく捨てられる。
金も尽き、ナイトクラブで新たに男を見つけたマルレーヌは、そのまま娘を置いて、姿を消してしまう。エリーは学校では平静を装いながら、来る日も来る日も母親の帰りを待っている。そんな彼女に手を差し伸べるのが、海岸のトレイラーハウスに住む孤独な青年だった。
身勝手な大人の理不尽な世界を、子供の視点から描いた映像が秀逸だ。母に捨てられた少女の目には、南仏の季節外れの海辺は殺風景で、もの悲しく、夜のライトに照らされた遊園地は、一瞬現実を忘れさせてくれる幻想的な美しさに満ちている。気の優しい青年は代理父のような存在で、空っぽの寂れたプールは、彼女の心のメタファーだろうか。
おそらくは多くの観客が、エリーに感情移入をする一方で、このエゴイスティックな母親に暗い気持ちを抱くに違いない。だがそれでも彼女を断罪できないのは、まだそこに愛情が残っていることがわかるからだろう。コティヤールは、そんな母親像にリアリティを与えながら、そのフォトジェニックな魅力で観客を牽引する。
だが、この映画の主役はあくまでエリー役の新星、エイリーヌ・アクソイ=エテックスだ。映画初出演でありながら、その存在感はコティヤールを食っている。母親に対する強い思慕がやがて絶望、拒絶へと変化していく感情の機微をその瞳の奥に宿し、全身に孤独を滲ませる佇まいには、胸を突かれずにはいられない。
「大人は判ってくれない」「ポネット」の系譜に連なる、子供の心を繊細に掬いとった秀作。
(佐藤久理子)