名もなき生涯 : 映画評論・批評
2020年2月18日更新
2020年2月21日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
信仰と信念に身を捧げたひとり。マリック映画の神髄を改めて痛感する
バレンタイン・デイの朝、テレビをつけると「Red」の監督三島有紀子と原作者島本理生が公開を控える快作を語っていて思わず釘づけになったのだが、映画を離れた“贈りたい本”というコーナーで宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を挙げた島本の、賢治の死生観、宗教観をめぐるコメントを聞くうちにテレンス・マリックの世界のことも想起せずにはいられなくなった。
実際、マリックの新作「名もなき生涯」も台頭するナチズムを前に、ひとりの人として静かに頑なに「ノー」を貫いたオーストリア山村の実在の農夫と妻のくじけない在り方をみつめ、彼らの行路の向こうに雄大な自然、その創造主としての神を想う。天と地の狭間に置かれた存在として、いかに生きるか/死ぬか――との問をしぶとく投げかける。
祈りにも似た内声の交錯と滑空するキャメラとが紡ぐ瞑想的時空に迷いなく没入していた近作に比べるとマリックの新作は、地に足つけた物語として起承転結を辿らせる。その意味では「天国の日々」の頃へと回帰しつつあるようにも見える。ハリウッドを背景にした「聖杯たちの騎士」、テキサス州オースティンの音楽シーンを舞台とした「Song to Song」と、前2作で虚飾にまみれ絶望感をくぐりぬける人の姿に焦点を合わせた監督は、「Song to Song」のラスト、名声への欲望に翻弄された恋人たちがシンプルな暮しへと目を啓き大地に身を横たえて互いの腕の中に互いを見出す歓びにこそ生の真実を探り当てる姿を差し出した。その倹しい幸福、そこに息づく真実を「名もなき生涯」のカップルへと迷いなく引き継がせるようにマリックは新作の幕を上げる。まさに天国の日々を思わせるそのシンプルな生の美を謳いあげる。だからこそパラダイスを手放しても信念を曲げないひとりがかいくぐる苦難がしのばれる。
映画はそんなひとりの孤独な闘いを聖人や英雄としてでなくあくまで名もなき存在の選択として見守っていく。聖職者でさえ時代を包む暗雲の下ではその力に抗わずと説く中で、天を、神を仰ぎ見てその眼差しの中で正しく生きようとする人の姿を映画はパーソナルな共感をこめて描く。そうやって生の真実を真摯に問い続けることにこそマリック映画の神髄があるのだと改めて痛感させる。ちなみに既に撮影を終えた最新作「The Last Planet」にはキリストが登場するという。信仰と信念に身を捧げたひとりを描いた後に来るべくして来たテーマといっていいだろう。
(川口敦子)