レ・ミゼラブルのレビュー・感想・評価
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Indie Cinema Armageddon
A cop tale mystified by the community patrols' hunt for a lion that some kid stole. It's really hard to see where the movie is going, which is what makes it so fun. The Mali-born director sees French immigrant neighborhoods with a certain danger, an uprising brimming up among the youth, caught in a struggle similar to the refugee camps' in Children of Men. Does good triumph natural evil? Up to you.
ここにあるカオスはフランスだけの問題ではない
フランスで社会問題になっている都市郊外のスラム化が、ヨーロッパ全土に、ひいては全世界に広がっていく。発展から取り残された低所得者用住宅、通称バンリューには、アフリカ移民の2世、3世はもちろん、麻薬ディーラー、イスラム教徒、ロマのサーカス団たちが、一触即発の状態でひしめき合っている。街を パトロールする警官たちはすでに正義のなんたるかを忘れ去り、差別や恐怖を通り越した荒廃が彼らの心を蝕んでいる。ある日。そこで発生した警官による無防備な移民少年への発砲事件が、遂に、積りに積もったフラストレーションに火を付ける時、そこにあるカオスは今の世界共通の問題であることに気づかされる。皮肉にも、文豪ヴィクトル・ユーゴーによる代表作の舞台になった同じ街で展開する物語は、実際にそこに住む監督、ラジ・リの実体験に基づいているとか。「レ・ミゼラブル(悲惨な人々)」と言うタイトルが、これほどまでリアルに響くとは驚きだが、監督の目は彼ら個々人ではもちろんなく、人々をそうしてしまった犯人、つまり、政治と社会に向けられている。
社会派アクション映画の秀作
先日観て衝撃を覚えたラジ・リ監督の「バティモン5 望まれざる者」。パリ郊外の移民労働者たちが暮らす地区における行政と住民との対立や、多数の移民を受け入れた社会を描いた同作でしたが、同じラジ・リ監督作品で、2020年に日本公開された本作「レ・ミゼラブル」も、コンセプト的には「バティモン5」と軌を一にするものでした。題名の「レ・ミゼラブル」は、本作の舞台となったモンフェルメイユ地区が、ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』に出て来るところから付けられたそうです。地理的には、パリ中心部から見て東側の郊外にある地区みたいですが、 「バティモン5」の舞台にしても本作の舞台モンフェルメイユにしても、パリにはこうした地区がそこそこ存在するようで、”花の都”のイメージと裏腹に、今やパリは”燃える都”の様相を呈しているようです。
両方の作品に共通して言えるのは、フランスの移民問題が、旧住民や地元行政と、新住民(移民)との単純な二項対立的な構図ではなく、行政側にも移民側にも様々な立場や考え方の人がいて、それぞれに利害対立があるということを的確に物語に盛り込んでいたことでした。「バティモン5」においては、移民系住民の中にも、副市長として権力側に立つ人から、行政サイドに従順で保護を受けている人、移民系住民の権利獲得のために立ち上がる女性(主人公)、さらには暴力に訴える主人公の友人に至るまで、様々な立場の人がいることが示されていました。(因みに主人公の女性・アビーが、登場人物中”自由”、”平等”、”博愛”というフランス革命の正の部分を最も体現していたのに対して、アビーの友人であるブラズが、文字通り暴力革命的なフランス革命の負の部分を体現していたのが非常に面白かったです。)
本作では、主人公の警察官3人が居て、それに対して移民系の市長グループ、地元のマフィア集団、地元のティーンエイジャー集団、さらには各地を転々するロマのサーカス団が、ある時は対立し、ある時は談合していました。警察官3人にしても、リーダーのクリスは白人で強硬派、移民系の黒人であるグワダは中間派、そして主人公というべきステファンは白人で良識派という感じで、「バティモン5」と同様に登場人物それぞれに明確な役割が与えられており、監督の問題意識が伝わって来た感じがしました。
「バティモン5」との比較で言うと、クライマックスに向かって事態がどんどん切迫し、緊張していく展開は共通していました。ただ本作はよりアクションシーンが多くかつ過激で、物語の内容はさておき、その点で血沸き肉躍る面白さがありました。特に暴れる主体がそれまで大人たちにいいように言いくるめられて抑圧されて来たティーンエイジャーたちであり、彼らの怒りが終盤になって爆発し、留まるところを知らない極限にまで行ってしまったことから、「おいおい大丈夫か」という驚きとともに、爽快感すらも覚えさせてくれました。
また、強硬派の白人警官・クリスが、どこかで見たような気がしましたが、なんと「バティモン5」でやはり強硬派の市長を演じていたアレクシス・マネンティでした。ラジ・リ監督作品の常連ということなのでしょうが、若い頃のプーチンに似た見た目が、実にそれっぽくて素晴らしいキャスティングだと感じました。
「バティモン5」を観た時も思いましたが、こうした問題は対岸の火事ではなく、日本においても既に起き始めている話であるだけに、観客に対する問題提起は重く受け止めるべきと思いつつ、印象的なアクションシーンで興奮させてくれた本作は、非常に意義深い作品だったと思います。
そんな訳で、本作の評価は★4.5とします。
フランスらしいウソのない映画だ!
日本代表が初めて出場を果たした1998年のFIFAワールドカップで勝ったフランス代表は、監督・キャプテンの白人、マグレブ(地中海沿岸の旧フランス植民地)からの褐色の移民たち、アフリカ・サハラ砂漠以南の旧フランス植民地からの黒い人たちのトリコロール(三色旗)と言われた。何と言っても、中心はマグレブの英雄、ジダン。
2018年のワールドカップでフランス代表が再び勝ったときは、若手のFWエムバペが目立ったが、カメルーン系の父親の血を引いて肌の色が黒かった。フランスにもこうした変遷があり、この映画にも現れていた。
主人公のステファンは、この頃よくフランス映画で見かけるダミアン・ボナールが演じている白人警官。別れた妻と子が引っ越ししてきたのに合わせてシェルブールからパリ地域に来た。住んでいるのは、窓からパリの文化の一つの中心であるラ・ヴィレット公園のラ・ジェオードが見えるアパート。リアリティがある。
彼は新任早々、同僚のクリスとグワダと組んで、パリ近郊(バンリュー)モンフェルメイユの警備にあたる。この地は、もともとヴィクトル・ユーゴーのレ・ミゼラブルの舞台の一つ。今は移民の街で、中高層の低所得者用のアパートが立ち並び、治安はお世辞にもよいとは言えない。
始まりは、マグレブ系らしいイッサを中心にした若者たちの悪ふざけだったが、とんでもない事態に発展する。現在のモンフェルメイユの表の顔のアフリカンの市長とその取り巻き、実際に街を仕切っているケバブ・レストランのマネージャーであるサラー、情報屋、伝統の移動サーカスの担い手のロマ(ジプシー)まで出てくる。しかも彼らは、どの一人をとっても、よいことをすれば悪いこともする(鬼平犯科帳と全く同じ)。事件の狂言回しは、警官も利用しているSNSを通じて広まる情報とドローンで撮影された画像。マグレブもアフリカンも、基本的にはムスリム(イスラム教徒)か。
いったん、新入りステファンの活躍でことが収まったと思ったが、おっとどっこい、舞台には奥の幕が用意されていた。驚くのは、若者たちは徒党を組むと、警官どころか、地域の表の顔や、実質的支配者の言うことにも耳を貸さず、やりたい放題暴れる。それだけ追い込まれていて、将来に希望を抱いていないということか。この映画は、2008年に実際起きた事件を元にしているようだ。
初めて長編の監督を務めた自身モンフィルメイユの住人、マリ出身のラジ・リ監督は、解決の方向として、何とレ・ミゼラブルに出てくる言葉を提示する。
il n'y a ni mauvaises herbes,
ni mauvais hommes,
il n'y a que de mauvais cultivateurs.
この世には、生まれつきのならず者も、悪い人間もいない。育てる者が悪いだけだ「抄訳」
最後は、フランス文化の伝統と叡智の中に、救いを求めよということか。
ラジ・リの次回作が我々を待っている。緊張感に満ちた素晴らしい映画だった。
文句なし!色々考えさせられたラスト
文句なし素晴らしい作品だった。
フランスの社会問題、経済問題、格差問題が分かる作品内容。前半と後半で明らかに違う。
ラストシーンは言葉が出なかった。
色々、考えさせられた。
ラストシーンは観客に解答を求める形。
ラ・ジリ監督見事なり。
鑑賞、配信を観る機会がある方、おすすめします。
最後の言葉もずしりと
現在のパリ郊外のモンフェルメイユ(タイトルにある「レ・ミゼラブル」のジャンとコゼットが出会った街)が舞台のヒューマンドラマ。
フランスで社会問題になっている都市郊外のスラムをテーマとして、一人の少年の悪戯のような犯罪によって引き起こされる、取り返しのつかない狂気の畝りを映し出していました。
畳み掛けるような脚本が実に見事で、それを追いかけるように迫るカメラも良かったです。
多民族で構築されたコミューン、そして貧困と抑圧から始まる暴発。
それはあまりにも圧倒的な映像でした。
きっとどこの国でも起こりえる事なのだと、目の前に突きつけられたうよう。
「育てる者が悪いだけだ」最後の言葉もずしりと残りました。
分断の行く末
ヴィクトル・ユゴーの名作「レ・ミゼラブル」の舞台であるパリ郊外のモンフェルメイユは移民や低所得者が多く住む犯罪多発地帯の一つ。
この作品は現在もこの地に住むラジ・リ監督が、実際に見聞きした出来事を基にモンフェルメイユの“闇”やその住民の“悲惨さ”、更にはパリだけでなく世界の様々な場所で起きている弱者達の貧困と暴力を浮き彫りにしていく。
一般的に「レ・ミゼラブル」というと、原作小説は勿論のこと、名作ミュージカルやオスカーに輝いた劇場映画版を思い浮かべる人が多いと思うが、同じタイトルながら本作は、多幸感溢れるオープニングと裏腹にラストに向かうに連れて“救い”が無くなり、思わず「ああ、無情!」と呟きたくなる。
本作は、この怒涛の終盤30分に至るまでの“プロセス”を描いたものと言えるが、その発端はほんの些細な、一人の少年の“犯罪”によるもの。
子供がやったことなので看過すれば良いものを、生まれ育ち、言葉や文化、宗教も違う多民族の寄せ集めのモンフェルメイユでは、分断への“引き金”になってしまう。
この“引き金”を加速させるのが、主人公ステファンが所属する地元警察であり、地域を仕切る“市長”のような存在。
これらの人物達は力で弱者を抑え込み、従わせようとするが、力を行使すればする程、隷属する方の不満や怒りが溜まり、遂には暴発する。
監督曰く、日常茶飯事に起きているとのことだが、その暴発シーンは圧倒的で息を呑む。
世界的に少数の富裕層によって支配される社会において、この映画で描かれた連鎖する悲劇は何時、何処で起きてもおかしくない。
現代のゴルボー屋敷で繰り広げられる珍騒動
幼少時に母からの読み聞かせで知って以来ユゴーのレ・ミゼラブルが大好きで、小説・ミュージカル・映画・みなもと太郎の漫画などで度々接してきました。ユゴーのレ・ミゼラブルの魅力のひとつはゴルボー屋敷に集まる魑魅魍魎とした哀しき人々の描き方です。
時代は移って現代のパリ郊外。往時のゴルボー屋敷を彷彿させる集合住宅がこの映画の舞台となります。
移民・悪い警察・ジプシーとのいさかい・貧困の連鎖などティピカルな騒動がうまく織り込まれており、観ていて退屈しない作りとなっています。
脚本もよく練られており、演者も見事、ラストの流れはやり過ぎ感もありますが映画としては素晴らしいと思いました。
観てよかったです。
答えが見つからない移民問題
この映画の内容はフランスだけでなく、移民・難民を多く受け入れている国に共通している現実です。移民・難民を多く受け入れれば、移民・難民の街ができるのは自然な流れです。移民・難民は立場が弱く、経済的にも大変なので、集まって助け合わないと生活していけません。移民・難民が集まれば、生活習慣・宗教などの違いから、トラブルが絶えず、もともと住んでいた人は、他の街へ転居していきます。そして、移民・難民の街が国中に点在することになります。その行きつく先が、現在のアメリカ合衆国です。
日本人でも、南米へ移住した人々は「日本人村」を作ったし、米国へ移住した人々が「リトル東京」を作ったのと同じです。
この問題は、善意・共生などのきれいごとでは、何の解決にもなりません。現在のアメリカ合衆国を見ればわかります。人種が絡む事件が起こるたびに、デモは行われますが、解決の糸口さえ見つかっていません。
一方、日本を見ると、外国人が多く住む団地が点在するようになってきました。また、留学生や研修生などの名目で、低賃金労働者をアジアから集めています。今のところ大きな問題になっていませんが、今後、日本に住む外国人が多くなれば、この映画が日本でも現実になるような気がしてなりません。
ラスト30分に圧倒される
文化と芸術の都パリ。おしゃれなカフェ、颯爽と歩くパリジャンやパリジェンヌ。しかし、最近は移民問題、格差社会に揺れている。この映画の舞台はユゴーの『レ・ミゼラブル』で知られるパリ郊外の街モンフェルメイユ。今や移民や低所得者層が住み、スラム化している。
ある事件をきっかけに、警官と地元ギャング、不良少年たちが三つ巴となっていく。パリからわずか20キロ弱の郊外ではこのような世界が日常なのかと驚かされる。
圧倒的なのはラスト30分。そして本当のラストシーンは、視聴者に委ねられる。必見。
ラストシーンの言葉が胸に刺さる。
「友よよく覚えておけ、悪い草も悪い人間もない、育てる者が悪いだけだ」
ヴィクトル・ユゴーの言葉に改めて考えさられる。
フランスの各社社会を描いたお話だが、どの社会でもあり得るお話。
本当に生まれた違ったら、全く違った人生を送っているだろう。
そんな事を誰もが考えた事があるだろう。
その人が育った環境、影響の大きさを感じる。
だれもが最初から悪人ではない・・・・。
深い内容でした
軽い気持ちで、みにいったら、
なんと、いろんな問題満載の地域の
現状を見る映画でした。
日本に暮らしてると文化、人種、習慣について
深く考えないのですが、
この地域の人達は、子供の頃から、
肌で嫌というほど入ってくる。
最後の言葉が、深かった。。。。
白人警官を演じた人が脚本も兼ねてると知って驚いた
すんごい映画だった。
貧困、警察、大人、子供、犯罪、マフィア、裏取引、不正、ドローン、SNS、動画、証拠、暴動……これが2019年公開のフランス映画だという衝撃を受ける2020年7月。
答えのないエグいリアリティ。と同時に物語としてものめり込めるバランス。見事です。
パラサイトが地下と地上をシンボルに使い、ジョーカーがヴィランという要素を借用したような”象徴”が今作にはない。圧倒的なリアル。
それで観る物語としてここまで成立させているセンスは圧巻。
手ブレ風カメラなどドキュメンタリーっぽい撮り方をしています。監督が元そっち畑の人らしい。
役者も演技とは思えないリアルさがあります。不思議な感触。一部のエキストラは現地の人だろうか?
ゆえに導入は物語的に漠然としている。
しかし各要素が1点へ集まりだした時の怖さが……。
誰が悪いってわけじゃない。ある意味全員が悪い。
個人的には社会が環境が悪いと完結させることもできなかったなぁ。だから余計に闇を感じた。
自分は発端が子供の悪戯だから……と軽くみれないのです。
この見方は多くの人とは違うかもしれません。
終わり方はすんごいですよね。え、嘘でしょ……?っていう。
でもあの終わりしかないのかもなぁ。
違う描き方をしてしまうと根本からこの作品の意味が変わってしまう。
パンフレットを読んで、白人警官を演じた人が脚本も兼ねてると知って驚きました。
脚本を書きながらあの役を演じるか……なんちゅう演技魂とハートの強さ。
全編が長い長い答え合わせ
ビクトルユーゴーの「レ・ミゼラブル」と同じタイトルだが、ジャンバルジャンもコゼットも出てこない。舞台は現代のパリ、その下町と言えばいいのか。
起きる出来事全てはジリジリと緊張感を高めてゆくが、エンタメ特有のカタルシスはどこにもない。
なぜならその全てが、すでに結末に対する検証だからだ。
そしてその結末は、見た者の心の中にしか存在しない。
これはひとつの寓話であり、たとえ話を用いた実験映画なのではなかろうか、とさえ感じてしまった。
突き付けられて、国も人種も関係なく我が身を振り返るための。
だが確かに人は、何もしゃべれず右も左も分からないところから、始まるのだ。
そこへどんな種をまいて育てるのか。
あらゆる地域でモメごとが勃発し続けている今、
私たちはちゃんと未来を育てられているのか。
不寛容に苛まれた世界で燃え上がる怒りに圧倒される圧倒的にリアルなドラマ
2018年W杯優勝に沸くシャンゼリゼから始まる物語。『あゝ無情』の舞台として有名なパリ郊外の街モンフェルメイユ。シェルブールから異動してきた警官ステファンが配属されたのは犯罪防止班BAC。同僚のクリスとグワダとともに街を巡回しているとロマのサーカス団と黒人グループの小競り合いに遭遇する。サーカス団の檻からライオンの子供が黒人の少年に盗まれたと逆上する団長をなだめ、犯人探しをする3人。あっけなく犯人の少年イッサを見つけるが・・・。
多様な民族がそれぞれのイデオロギーを保ちながらギリギリのバランスで暮らすゲットーに充満したルサンチマンに火を放つのはほんの些細な出来心。崩壊の序曲が高らかと奏でられる中に佇むイッサの瞳に浮かぶ何かに魂が揺さぶられます。本作全編に漲っているものに似たものは世界中に漂っていて、それはマスクをするしないのような小さな種火であってもあっという間に燃え広がる。そんな絶望と背中合わせで生きる我々にできることは何かを終幕後にじっくり考えさせられる作品。抜け出すことの出来ない貧困が横たわる廃墟のような街での2日間をリアルに描き出すラジ・リ監督の憤りと優しさを湛えた演出が深い余韻を残します。
それは落ちた社会の話
今作を観ながら真っ先に思ったのが、マチュー・カソヴィッツの『憎しみ(1995)』という作品。当時私が観ていたフランス映画と言えば、ベッソン、ルコント、ベネックスが中心だったので、フランスの貧困地区を舞台にしている作品を観るのは『憎しみ』が初めてで、酷く衝撃を受けました。
それから、約25年。1995年からフランスの貧困地区は何も変わってなく、むしろ時代と共に更に酷くなっている印象を受けました。貧しい大人達はなす術がなく、子供達は犯罪を犯す。貧困層は更生のチャンスも与えられず、政府も根本的な解決をするつもりがない様にみえます。
今作が公開される少し前から新型コロナウイルスが世界中で流行しましたが、作品の中で描かれる貧困層のライフスタイルを観ていると、彼らが新型コロナウイルスの感染から身を守れない事が容易に分かります。密集し衛生的でない住環境、仕事はサービス業が中心。
現に新型コロナの死者の大半は、貧困層と移民です。政府が無策であれば、この新型コロナウイルスをきっかけにして、今後更に経済格差は広がり続けます。
今後の更なる経済格差の広がりは、日本も例外ではありません。私はフランス映画を鑑賞しているのに、今作から政治が腐敗し落ち続ける日本社会を想像してしまいました。
落ちていく社会を描いた『憎しみ』で語られたラストのセリフ、『ここまでは大丈夫』のどの地点に私は日本はいるのだろうかと。
’‘それは落ちた社会の話。落ちていきながら何度も確かめた。ここまでは大丈夫、ここまでは大丈夫…。大切なのは落下ではなく、着地だ。“
ライオンの育て方
ヴィクトル・ユゴーの有名過ぎる「レ・ミゼラブル」で有名な、今は犯罪多発地域でスラム化している街が舞台。
その街の警察に異動でやってきた穏やかで人道的なステファンと粗暴な同僚二人とアフリカ系移民が沢山住む荒廃した団地のコミュニティの人々を中心に話は進む。
ドキュメンタリーの様にリアリティもあって、最後まで引き込まれた。
暴言や暴力、粗暴で利己的な思惑が渦巻く大人達。
同僚の二人も警官としての正義やモラルよりも、自らを守る事を選択してしまうが、その中でも、恐怖心や罪悪感等目の奥の心の細かい揺らぎも感じられて俳優さんの演技、心理描写も良かった。
その中で良心的なステファンが傷ついた子供イッサを唯一抱きしめ手当てをする。
スラム街のボスが、交渉してきたステファンに言った「お前を信じたいよ」この言葉の重み。
暴徒化した若者子供達、
イッサのラストシーンの選択は…
移民と貧困、暴力、人格の荒廃、教育、差別、格差、政治、様々な問題が絡み合って、簡単には改善されない問題だけど、
子供はいつでも被害者。
荒れた心を連鎖させても何も救わない救われない。
気づいた者から連鎖を止めていかなければ。
それは、親子の子育てだけでは無く、
他人に向ける些細な善意の行動や言葉がけでも良い、そこに確実に善意の種は撒かれているから。
善意の連鎖が大きくなりますように。
サーカスの親方のライオン愛🦁には笑っちゃった。
エンドロール前に映し出されたビクトル・ユゴーの言葉が響く。
「友よ
よく覚えておきなさい。
世の中には悪い草も悪い人間もいない。
ただ、育てるものが悪いだけだ」
帰り道にミュージカルのレミゼの民衆の歌が脳内リフレイン
生々しくて、ヒリヒリしてて、沢山考えさせてくれる、とても良い映画でした。
あゝ無情
世界? 時代? 為政者?
何が、誰がいちばん悪いのかは分からない。
だが悪いおとな、だらしのないおとなの姿を
こどもたちに見せてはいけない。
でも、そういうおとなでいられる自信がないのは
わたしの弱さか?
それとも人間の弱さか?
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