家族を想うときのレビュー・感想・評価
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宅配してくれるひといつもありがとう。介護士さんたちありがとう。 同...
宅配してくれるひといつもありがとう。介護士さんたちありがとう。
同監督初鑑賞。
引退をとりやめて撮るなんてどんな映画なんだろうと思ったけど、シンプルだったし、今このときに観るべき作品だった。
あの終わりかたでよかった。客観的に観ているつもりが、自分の共通点を考えながら見入ってた。
言葉ひとつひとつにメッセージ性あるし、じゃあどうしたらこの世がよくなるのかもわからない。でもこのわからないなあというモヤモヤの気持ちを大切に自分の目の前のことを頑張るしかない。
特に印象的なのは「スマホがあの子の命なのよ」っていうところ。こんな世界になっちゃったんだなー。と思ってたけどそのブーメランは自分に刺さってる。
この家族の行く末
父親の目線はどこにあるのか?
希望か?絶望か?
戻るも地獄、進むも地獄
何も見出だせない、何も解決しない
結論の出ないラストシーン
もがき苦しむ姿は今の社会の生き写し
さりとて生きなきゃいけない、ほんのささやかな幸せを掴むために
人生をどう積み上げるかを考える映画。
「家族を想うとき」人生は選択の連続だ。どんどん不幸になっていく家族を見て、何が悪かったのか、どの選択が間違っていたのかを考えたけど、答えは出なかった。
夫、妻、息子、娘。誰の立場で考えても悪意で選んだことなんてひとつもないし、そんなこと言ったら宅配ドライバーの仕事を選んだこと、それを選ぶような人生を積み上げたこと、そんな環境に生まれたこと、今の時代を生きていること、自分でどうにかできることからできないことまで全てが少しずつ間違ってる。どこに戻ってやり直しても、救えない。
家族4人ともがそれぞれにしっかり良心を持って行動していることに見る側は度々救われるけど、ボタンが食い違うように、目線が合わないまま貫き続ける良心は、空回り、疲れ、不幸を生む。働かないと家族を幸せにできない。仕事は家族が一緒にいる時間を奪う。仕事をせず、一緒にいるだけじゃ「万引き家族」みたいになるんだろう。それじゃ頑丈な幸せは手に入らない。
介護士のアビーと、足が動かないおばあさんの会話。
「こんなこともできなくなって、情けない」
「私はあなたから学んでる」
「まだ役に立てるの?」
「もちろんよ」
この映画で唯一、幸福を回してそれが上手く働いている場面だったと思う。辛さに耐えてひねり出したなけなしの幸福で、誰かを救う。涙が出た。
「急いでる」というアビーの言葉を聞きながら皿を落として食べ物をぶちまけるおばあさんも、意地悪をしてるんじゃない。ただ、寂しいから帰らないでほしいんだ。血も涙もないように見える宅配会社の元締めのハゲも、決して良い悪いでは測れない。この人の立場で、力づくでその場を回していくためには、感情抜きの絶対的なルールを作ってそれを守り続けるしかない。ここで線を引かなければ自分が破綻する。
時々ある場面の切り方が印象的だった。会話の途中でばっさり切れるところがあったり、答えが出ないまま場面が変わったり。妻の車を売るか売らないか、あの終わり方だってそう。どのシーンも、その後どうなるかは絶対的にわかってる。あえて写さず、こちらに想像させるから余計ずっしりくる。
この映画を見て、「誰も悪くない、社会が悪いんだ」とは言いたくない。みんなに都合が良い、完璧な社会で生きられる日なんてどれだけ待っても来ないだろう。
積み上げてきた人生で、選択は変わる。映画はまだ知らないいくつもの人生を体験させてくれる。人生をどう積み上げるか。それを考える映画だと思った。見てよかった。
誰かが誰かを想うとき
「家族を想うとき」
もちろん邦画タイトルですけどすごくいいタイトルだなぁと思います。
寂しくてもいい子にしようとする妹。
寂しさから父親に牙をむく兄。
借金を抱え働きづめの両親。
もはやパンク寸前の家族。
妹がとても純粋で家族想いです。
兄だって本当は誰かを想って涙を流せます。
母が父に非行に走る息子の問題を一緒に乗り越えましょうと言います。
この家族なら今の窮地もきっと乗り越えられるはず。
そう思っていました。
ラストシーンまでは。
父の覚悟に震えます。
そしてそれこそがリアルなんだと思います。
どうかこの家族がまた4人で食卓を囲めますように。
そう願わずにはいられません。
考えろ。
ケン・ローチは怒っている。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」を撮る前も引退を宣言していた。そして「ダニエル・ブレイク」がパルムドールを獲得した後も引退を宣言していたケン・ローチが戻ってきた理由は、この行きすぎた自由主義社会への怒りなのだろう。
ギグ・エコノミーの問題が日本でも表面化しているからか、この映画は上映規模の割に多くの媒体に取り上げられた。「この映画を観れば、その過酷さが分かる」とでもいうように。
「脱社畜」だの「会社に囚われない生き方」だのが流行り始めて何年経っただろうか。その面においては、恐らく日本とイギリスでは少し違うところもあるが、搾取の形態は同様だろう。
借金を抱えて、世界金融危機の煽りから仕事も長続きせず、それでもマイホームを夢見るリッキー。生活保護は「プライドが許さない」まずこのあたりから自己責任の病理を感じる。
個人事業主。フランチャイズ。言い得て妙だ。稼げそうに見えて、実際には全く裁量のない働き方を強いられる。間違いなく関係上は雇用なのに、「ルール」で縛るだけ縛り、罰金を取り、福利厚生は与えない。日本のコンビニで起こっている問題と全く同じだ。
共働きの妻アビーも介護士で、過酷な仕事を強いられる。そして子どもたちの問題。反抗する息子。労働で削られる家族の時間。
それでも中盤までは、荷物を受け取る客との軽口や、親子で働く微笑ましいシーンや、家族がひとつになったな、と思えるシーンがあるのだ。だからこそ余計に、ラストに向けて畳みかけてくるような悲劇に目を背けたくなってしまう。
ケン・ローチは容赦ない。この物語には最後まで救いがない。家族の為に働くのに家族が離れていく。休むと制裁金を取られる。心身が壊れる。
そしてある事件後、家族は元に戻ったかのように見える。しかし何も事態は変わらない。解決しない問題があの家族に降りかかり続けるのだ。
冷徹なまでの映画の眼差しが、「じゃあこれからどうする?」を突き付ける。
「稼げないのは自己責任」というひとがいる。それを口にするのは大概稼げているひとだ。そしてそれを批判しながらも、実は多くの人びとが「稼げないのは、苦しいのは、自分のせいだ」と思ってしまっている。
消費が便利になればなるほど、後ろで働く存在が重くなる。分かっていても来た道を中々戻れない。「人でなし」に見える本社も、実は怯えている。この競争社会に潰されるのを。
何をどうすれば皆が「生きているだけでそれなりに幸福」になれるのだろうか。それなりでいい。それなりでいいのに、社会は分断し、格差が広がり、声の大きい人が自己責任論を叫ぶ。
どうしたらいいのか考えろ、そして声をげろ、とケン・ローチは主張している気がしてならない。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」と同様、比喩も隠し味も外連味もなく、ただただ愚直に真っ直ぐな映画だ。愚直さが、こんなにも悲しく刺さる作品はない。
重い、重い、この上なく重い
重い、重い、この上なく重い。
ドキュメンタリーならわかるが、これは創作だ。でも、どんなドキュメンタリーよりも現実を描き出しているのではないか?
映画がどんなに辛い状況になろうと、あらすじで読んだ「ある事件に巻き込まれる」ところから流れは変わるのだろうと、今思えば甘く考えていた。
この映画は、現実そのものだ。観客が期待することは何も起きないが、それでも俺として、みんなに観てほしい映画であることは、間違いない。薦めることは、かなり勇気がいるのだけれど…
身につまされる映像
イギリスのワーキングプア。善男善女が働けば働くほどに心が貧しくなり、家庭が徐々に壊れてしまう。舞台はイギリスであっても、日本の状況と変わらない。今まさに先進国を含め、世界中が悲惨かつ劣悪な労働環境にあるのだろうか?ケン・ローチの作品は何時も正視できない。脚本が現実的過ぎて、目を背けたくなる。そう言った意味に於いて、ホラー作品とも言えなくはない。
観るべき作品なのに好きになれない映画〜
誰も不幸なろうとは思っていない。
真面目に働いてなんとか幸せになろうとしているのに
なぜこんなことになるのだ!!
一番きついのは、この話は作り物では無く
実際に同じ状況の人たちから集めた
真実の実態の集積であること、
そして、日本でも同じことが起こっていること、
それが果てしもなく怖い!
ああ、それと宅配はできるだけ一回で受け取れる様に
受け取る方も配慮しろよ!!
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ケン・ローチ監督の今の経済社会システムへの怒りが
前作、前々作からも伝わってきていた。
本人が悪いのではなく今の経済社会システム自体が
弱者を救済することを全く計算に入れていないということ。
それはよく解る。
もちろんシステムの問題が一番なのだけど、
映画の冒頭、お父さんは色んな仕事を転々としてきた経歴を話す。
そんなに色々やってきたのなら
何か他に続けられなかったのだろうか?
仕事を辞めた理由を、ガミガミ言われて嫌になったとか
奥さんの仕事に不可欠な車を売って
自分の仕事のための車を買ったり、
私には焦り過ぎて周りが見えてない人に思えてしまう。
そこを云々する映画ではない事は
重々承知の上で、
やっぱり、
このお父さんは最後まで好きになれない
と感じるのは私だけなのかな?
前作も前々作も、経済社会システムの被害者である主人公自体に
どうもいまいち共感しきれなかった〜
鑑賞後、少し経ってから監督のラジオインビューとか
「ザ・ビッグイシュー」に掲載された文章を観ると
人間にはいろんな面があるから
主人公を無条件にいい人には描かないとのこと。
確かにあまり主人公を良い人にしてしまうと、映画そのものが
あまりにも絵空事になって本当の恐ろしいことが伝わらない〜
でも、痛い!!痛すぎる!!
複雑だな〜
今の世界を変えるために観るべき映画なのに
好きになれない映画って〜〜
で、一般ピーポーがこんな痛い思いを堪えて
良い映画だとこの映画を讃えているのに
こんな歪んだ資本主義システムに胡座をかいて
ぼろ儲けしている搾取している側の資本家が
おそらく一人もまとものこの映画を
観ていないであろうことが一番、腹が立って、
資本家たちを蹴り倒してしまいたい衝動にかられる。
お父さん、行かないで!と子供達が言う。
子供達は
一緒にいてくれるお父さんが好きだったんだね〜
子供達が本質までは歪んでいない事が唯一の救い。
@お勧めの鑑賞方法は?
映画館で観た方が、まだ切り替えができるかも〜
自宅とかで観ちゃうと人生が殺伐としてしまいそう〜
希望への灯火を・・
「下流」「負け組」・・私はこの言葉が嫌いだ!
年収や不動産で人を計りにかける・・
そんな国に誰が生きたいか、そんな国だったのか・・
しかし、産まれる国は選べない、ましてや国を変える事は個人では出来ない・・
だが、家族には支え合い変えられる力が有るはず!
今は結果が出ない日々が続き
情けなさや悔しさ寂しさが伴うこの家族だが
・・目に見える紙幣は無くとも両親の頑張りや家族愛そのものが
「心の貯蓄」となり子供達に蓄積されるはず
両親が貯めてくれた「心の貯金」を
いつの日か子供達が「目に見える貯蓄」でマイホームを両親にプレゼントしてくれるから!
そんな未来が私には見える・・
だから、この家族は大丈夫!絶対に!
携帯を置け
農耕を覚えた人類が逆に穀物のために人間性が虐げられたというのは、サピエンス全史にあった解釈であったが、この映画でのスマホの描かれ方はそれに似ている。技術の進歩はそれ自体便利ではあるが、その便利な世の中での競争の意味するところを予見し得ずに、いつのまにかそうなってしまっている環境に隷属する。UberがTaxiを駆逐し、フランチャイズが小売店を駆逐する。規制するしかないのかと思わせるケンローチの手腕。
雇用主のクソ資本論、父と息子の葛藤、娘の意外な行動、妻が吠える展開など見応えのあるシーンが数多く盛り込まれ、行き場のない絶望感が重くのしかかる。最後は政治的な決裁しかない。しかし、政治自体も何かが駆逐されてはいないか?
ケン・ローチの視点
ケン・ローチ監督は前作に続いて、厳しい環境の中において、必死にもがいて生きる人々や家族を描いている。そこにあるのは弱者に対するまなざしを通して格差社会に対する糾弾だ。観ていて非常に息苦しい映画だった。
#122 悪循環と空回りのかたまり
日本でも重労働として嫌煙される宅配ドライバーと介護士夫婦のお話。
歩合制が厳しいところが日本よりも状況がハードな気がした。
介護士のほうはまだ心が救われる部分があるけど、ドライバーは酷い。
ネット通販は便利だけど人間の心が失われるなら昔の不便さに戻るべき。
自分事として考えてみた
もしタイムマシンがあって過去に戻れるなら、
どうすれば良かったのか考えてみた。
自分がそうならないために。
①嫌な上司や仕事でもサラリーマンを続ける
②家は買わない
③独立するなら低リスクで、フランチャイズに加盟しない
※映画では宅配でしたが、日本ではコンビニも同類だと思った
④感情とは逆の行動をとる
※ここが一番重要かもしれない。
⑤娘がカギ盗んだことが分かった日に今後も仕事を続けた場合、辞めた場合のそれぞれのメリット、デメリットを家族全員で話し合う
救われない世界の中で慎ましく生きることは「美」ではない
ヒューマントラストシネマ有楽町。最近公開となったケン・ローチ監督の新作「家族を想うとき」を観てきた。人間は突如としてリアルな世界を見せられたとき、身につまされるよりも先に唖然としてしまい、どう対応して良いのか分からなくなってしまう。それが例え映画だとしてもだ。ワーキングプアを生み出す「社会システム」と、その社会システムに翻弄されていくしかない家族。この救われない世界の中で精一杯に働き、慎ましく生きることは、けして「美」ではない。美であってはならない。この映画は、個々の人間も、家族愛も、全てのことを美化して描いていない。だからこそ余計に父、母、息子、娘、それぞれの愛情が、鋭利な刃物で肌を刺すような強い痛みを観客に感じさせる。2019年の今、この物語のような出来事は、イングランドのニューカッスルに限らず、日本を含む世界のあちこちで起こっているのである。観た人が『これ、俺たちの国も同じだよね』とみな感じるのではないかと思う。それこそがケン・ローチの問題提起なのだと感じた。
頑張っているのに、空回りする日常
当たり前の毎日、普通の人たちを描いたら最高の監督ですね。
すごい出来事が起きているわけじゃないのに、その日常にグイグイ引き込まれていく。奇をてらうことなく、淡々と、そこにはまさに、真面目に真摯に生きている人たちの姿がある。
みんな、頑張ってる。
家族全員が、それぞれの想いを抱えながら、精一杯頑張っているのに、うまくいかない。
え?これ、うちのこと?って思わず言いたくなる現実。
いい子すぎて、みんなが頑張りすぎてて、時間とともに切なくなる。
ごめん、自分を見失ってたってことなのかな、お互いに。お互いを見失ってたって、ことなのかな。
一緒に路頭に迷うのは、駄目なのかな。
親は弱みを見せちゃいけないのかな。
子どもだけど、頼ってくれてもいいのにな。
家族だから、本音が言えない?
家族だから、我慢するの?
大人が思うよりも、子どもは成長している。
人間の尊厳を問う
資本主義がもたらすはずの人々の幸せなど、とうの昔に消え去り、もはやそのツケは弱者の普通の生活を壊しながら支払われている。
全ては自己責任と切り捨てられ、人々はすでに沢山の未来をあきらめ、それでもなお懸命に追い求める。
平凡な日常すら手に入れることができない人々。多くのものを求めているのではない。ほんの小さな温かな灯火をも手に入れることが許されないのだ。
そこにはもはや人間としての尊厳はない。蔑まれ、辱められ、日々を惨めな思いで過ごしていく。それは新たな分断を生み、世界は荒んでいく一方だ。
なんとかせねばならない。人々の尊厳を守らねばならない。ケンローチの普通の人々を想う温かな視点と、社会を省みることのないぬくぬくと生きる者たちへの静かな怒り。心揺さぶる映画だ。
ケン・ローチ
「わたしはダニエルブレイク」以来のケン・ローチ。
社会の矛盾、不条理を鋭くあぶり出す、彼の手腕は相変わらず。
救いがあればいいのだけれど・・・・。
日本でも、働く環境の劣悪さを言われて久しい、宅配業の夫と訪問介護士の妻の家族のお話・・。
映画で描かれる、オーナー制の宅配もそうだが、コンビニ、派遣、介護関連の仕事・・、すべからく、上手く造られた現代のタコ部屋。タコ部屋から逃げられないような環境を政治が作り出し、安い労働力でも働かざる得ない奴隷を生み出している・・。こんな生きづらい世の中どうにかならないか!と声をあげたのが「わたしはダニエルブレイク」だったが・・。この作品では、どうにもならない現実を突きつけられちゃう・・。せめてもの救いが、優しい家族・・。家族のためを思い実直に働こうとすればするほど 蟻地獄の如くタコ部屋から抜け出せなくなる、地獄のような社会。
いわゆる、企業の株価は、利益に支えられ、そのためにコストを抑える、すなわち、人件費を削ることで保たれている・・。言い換えれば奴隷制の上の楼閣。ほんと、なんとかしなきゃ・・だ。
ケン・ローチ サッカーが好きなんだろうなぁ・・。ニューキャッスルのユニのお客と、マンチェスターユナイテッドファンの主人公の蝶々発止のやりとりが、英国っぽくて楽しい♪
実は、ケン・ローチ作品で一番好きなのが「明日へのチケット」。
複数の監督による、ローマに向かう鉄道の旅の列車内での出来事のオムニバス。
ケン・ローチのパートが、FCローマとスコットランドのセルティックスのチャンピオンズリーグでの試合をローマまで応援に行くスコットランドの若者と、たまたま乗り合わせた難民の家族のお話。セルティックス サポーターだから、スコットランド人の魂だけでなく、アイルランドのハートも加味されていると想う・・。そのハートがとても素敵な物語。「ダニエル・ブレイク」のハートもそれに通じるものがある。
人は、組織やら狭い社会の理不尽な論理に身を任せる前に、人としての倫理感や情を上位のモチベーションにしなければ、やがて滅びる。
良い作品だがお勧めはしにくい
家族全員が思いやる気持ちはある善人なのだが、忙しい労働や日常の中で徐々に疲弊し疲れ切って荒んで行く姿がリアルでした。
娯楽作品では全くないので、見て欲しいとは言えないが、今生きてる日常の大切さは十分感じる事が出来ます。
ラストは当然ハッピーエンドとはいかないが、この一家の数年後に全てを乗り越え明るい家族になって欲しいと本気で想いました。
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