「拭いきれないにおい 宿主からの脱却」パラサイト 半地下の家族 野々原 ポコタさんの映画レビュー(感想・評価)
拭いきれないにおい 宿主からの脱却
ヒトは望みを抱かなければ、失望も芽吹かない。
計画も立てなければ、失策して焦ることもない。
日々移り変わる景色にただ、身を任せ
自然の流れに乗って、その都度立ち回ればいい…
だが、はたしてそうなのだろうか?
名匠、ポン・ジュノ監督が
なぜ、自国韓国を舞台に選んだのか?
そこには日本より顕著な学歴社会があり
就職難の憂き目に合うヒトたちもいたり
(それなのにサービス業など一部の業種が
人手不足に陥るという皮肉じみた現状は
日本にも通じる)
労働格差、貧困格差が強まる社会と併せ
隣国・北朝鮮の存在があったからに
ほかなりません。
そして、それらの要因を見事に作品に
落とし込んだ作劇をみせていました。
フィクションだから、他国の出来事だからといって
自国にとってよそ事には済ませない強度があり、
切実な社会問題と人間社会の〈寄生 = 依存〉の関係性を
巧みに織り込んだ作品だと思いました。
必ずしも〈寄生 = 依存〉が悪いとはわたしは思いません。
会社だったり、施設だったり、家族だったりと
少なからずわたしたちは何かに頼って
生活しているのだから…
宿主たる拠り所の存在の裏には
必ず努力したヒトがいるのだから…
そういうヒトたちに
〈リスペクト〉を忘れてはいけない。
息子は父親をリスペクトしていたのに
父親は宿主をリスペクトしていなかったから
悲劇は起きてしまった…
水石、雨、景色を写し出すそれぞれの窓など
〈象徴的〉な使い方が巧い!
有能なのに職に就けず雑多な街の半地下に住む家族が
成功して財をなしデザイナー住宅に住む家族に見た理想は、
なりたくてもなれなかった家族の肖像…
生きる手段として寄生した、裕福な家族への憧れが
いつしか裕福な生活の象徴としてのデザイナー住宅への
存在依存にすり代わり、父親を助けたい想いも手伝って
住宅所有の目標という望みが芽生える
やはりヒトは望みがなければ、生きていけない。
語るべき理想もなければ、ヒトは強くなれない。
…と、思いました。