「パラサイト・キム」パラサイト 半地下の家族 bloodtrailさんの映画レビュー(感想・評価)
パラサイト・キム
韓国らしいノリでクスクスしてたら。ゲゲ、な展開に突入も、締めはやっぱり韓国らしかった。けど。
カンヌには、やっぱり騙されたw
クォリティ的には、普通の韓国映画やないでしょうか。特別な感じは余りしませんでした。少しだけ肩透かし感はあるけれど、面白い事は面白かったです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1/14 追記)
降り続く雨は、坂を流れ落ち「半地下」の家を水没させて行きます。持てる者と持たざる者の対比は、強者と弱者の対比に非ず。その境遇を受け容れながら、己の不幸を嘆かず、他人のせいにもせず、恨まず、身を寄せ合って生活する一家。
社長一家に「寄生」し、小金が入る生活に転じても、特に贅沢をするでもなく、運転手の食堂に入り込んで食費を浮かせる吝嗇な生活習慣は変わらず。つまりは、一家の生活そのものが「寄生」。
物語は、「寄生する側」が「宿主」をぶっ殺しちゃう場面がクライマックス。生物は、用無しとなった宿主を放棄しますが、自活の道の無い寄生生物が宿主を殺すなんて、自らの手で、自らの生きる道を断つようなもんな訳で。
ギリギリの喫水線で保たれていたキム某の理性は、自らは気づかない「臭い」に対する蔑視を、瀕死の娘を両手に抱いた混乱の中で見逃す事ができずに決壊する。
最後。宿主を失った寄生者は、自立を夢見る様になる。
格差社会は、「寄生で生きている家族」を描くために必要な設定であって、テーマではありません。あくまでも「Parasite」と言う言葉から派生させた、コメディから始まるシュールで悲惨な現実を描いた映画、だと思う。いかにも、カンヌが好きそうじゃないですか。
現代日本での捉え方、違う事ないですか?
と、愚痴ったりするけど。やっぱり、最近の韓国映画としては、普通だと思いました。地下室の男がさ、何か。無理くり感あり過ぎて。あそこで萎えてしまいました。
--------------------------------
2/24追記
2/22のインタビュー記事を目にしました。主演のソン・ガンホの言葉が気になって。「寄生(パラサイト)ではなく共生を描いた映画」だと。
実は、この映画に今一つ入り込めなかった理由が「Parasite」と言うタイトルです。所謂「寄生」は、「共生」の形態の一つとして定義されています。「寄生」は「片方が利益だけを得、もう一方が不利益だけを被る」と言う「共生の形態」。で、映画を見ていて、ここがずっと引っ掛かっていました。キム一家とパク一家の関係は「寄生」ではなかったからです。キム一家は金銭的にパク家に依存し、パク一家は精神的にキム家に依存している。つまりは共依存。パラサイトやないやん、言葉の使い方が甘いやん、しかもタイトルやん。なんて考えると、「ツマラナイ」になる訳で。
「寄生では無く共生」の意図があったと言う事で、解釈を変えました。
「職を得られず"社会に寄生"しているかの様な生活をしていたキム一家は、裕福なパク家と言う共生相手を見つける。良好だった関係は、キム一家の身の程を超えた行為。パク家が隠し持っていた蔑視に対する怒りによって崩壊」
ここまでは良いとして。
後は、「酒盛り後のクササには気づかないパク一家」、「行き当たりばったりの設定にしか見えない地下住人」に対する説明、欲しい。後者はただの狂人って事でも良いけど。
いずれにしても、オスカーにはク エ ス チ オ ンだす。
bloodさん、コメントありがとうございます。
確かにそうですね。お隣のふたつの国ともにまだ〝戦後〟は訪れてない。
日本からは、あり得ないように見える行動も戦時下にある国の当事者にとってはあり得ること(結果的にもたらすものが国益にかなっているかどうかは別として)が、たくさんあるのですね。
bloodさんコメントありがとうございます。ということは・・・尾道に行った事があるんですね。いいなあ。あの坂道だらけの街。高低差。憧れです。話は変わりますが、鈴木誠也は美人の嫁さんも貰って今年はさらに大活躍の予感がします。カープファンなんです。
これまで韓国映画を観てこなかった方々には新鮮なのかもしれないですが、全体としては、いつもの韓国映画という印象でした。天の邪鬼なので、あんまり過大評価されるとシラケちゃいますw
毎度どうもです。
あまりお口に合わなかったようですね。
高台のボロ家に住む身としては、洪水の被害だけは絶対に来ないので安心しているのですが、雪が降ると高台の生活は大変です。
そんなこんなでカンヌのパルムドールもそうですが、オスカーでも疑問符がつくような最高賞があったりするものです。俺的にはカンヌが好きそうな作品だな~って感じでとらえましたけどw