「或る意味、「下級民の復讐」」パラサイト 半地下の家族 突貫小僧さんの映画レビュー(感想・評価)
或る意味、「下級民の復讐」
脆く危うい人と人との関係、前半は、具に描かれず、後半の伏線として描かれている。
後半は、ポンジ・ジュノ監督の逃がせない物凄い雨音とバカデカイ音楽で始まる。彼のドラマには、夜に激しい雨や雷がなる場面がよく出現する。「ここからが、見せ場です!!」の合図であるかのように流れが急転する。観る私としても、ここからズルズルと作品に引きずり込まれていく。10年前の「母なる証明」もそうだった気がする。パンフレットを拝見し、多くの著名人の大賞賛の嵐はどうだろう。一番の肝は、いかに金持ち家族にうまく寄生する過程であるが、私としては、及第点とは言いづらい。
日本と韓国の違いはあるが、家庭教師や自家用車の運転者を雇うのに彼らの「履歴」など何にも考えず、雇い入れるところが、韓国の上級人民はそんなものか?と不思議に思えた。描きたいのは、貧しき下級民が、キム家がパク家の大豪邸に寄生する。この作品の見どころから、下級民が上級民の生活を徐々に食いつぶしていく過程が醍醐味ではあるが、IT企業のパク家の家族が馬鹿っぽく映って少しがっかりした。あまり知的に見えない旦那さん。
前半のパク家を手練手管騙す場面は、実に面白く描いてはいるが、先に「寄生」している夫婦がもう1組いたことに絶句させられた。
ポン・ジュノ監督の人を殺める場面は、いつも残虐性半端ない。最後のパーティーでの家政婦の旦那の殺し狂う場面は、目も当てられない。
ラストの主役が息子に宛てた(ボーイスカウトで学んだ)「モールス信号」の手紙やギテクの語る豪邸に入り込むための「計画性、無計画性」そしてキム家の「独特の雑巾のにおい」などなど、監督は意味あるものとして語られている所は同情せざる負えない。下級民が上級民に「寄生」せざる負えない現代の問題、監督自身がお得意のカメラワークで撮り終えたことは、世界の名だたる映画賞を十分獲得した納得のいく理由だと私自身は思う。