ペイン・アンド・グローリーのレビュー・感想・評価
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芸能界の眩しさと危うさを美しく描き切った傑作
華やかに見える映画監督や舞台俳優の暮らしは、破天荒で病的で繊細で脆くて儚い。ゆえに美しい。
私もかつて芸能界に憧れた。あのまま進んでいたら、と想像するとき、煌びやかな照明に照らされる自分と、闇の中で苦しむ自分の両方が見える。そして重たい感情がこみ上げる。私は、そこで生きていけるほど、強くなかった、と。
映画を撮り続けられず、持病に侵され燻るような毎日を送る映画監督と、いがみあった主演俳優の再会の美しき痛さ。
互いの才能に惹かれ合い仲間となる中年男性間の友情。新しい芝居をつくる熱量と、さらに偶然の出会い。
中年男性同士のキスと今生の別れの美しさと切なさに泣く。初めての感覚に目が冴える。
回想シーンもさっきまで見ていた風景さえも最後には虚実が揺らぐ。虚実すらもうどうでも良くなるほどに喜怒哀楽の全てをリアルに感じることができた作品でした。
アルモドバルの代表作に加えられるべき逸品
現在のベスト・ディレクターの一人、ペドロ・アルモドバルの新作。2011年の『私が、生きる肌』でタッグを組んだアントニオ・バンデラスを主演に、老いた映画監督の心象を描いた。
脊椎の痛みから解放されず、仕事から離れ鬱な生活を送る。浅い眠りの中に現れる幼い頃の自分と若かった母(やはりこの役ははペネロペ・クルス!)、同性愛者であった彼が性に目覚めた鮮烈な瞬間。
バンデラスと同じ歳のせいもあるのだろうが、彼の鬱や痛みがやたら沁みる。かと言って決して落ちきることはなく、人生の最終章に向けての再生の兆しに救われた気持ちになった。
若い人にはお勧めできないが、アルモドバルの代表作に加えられるべき逸品。この作品でカンヌの主演男優賞を獲ったバンデラスにとっても宝物になったはず。
今年の外国映画のベストの一本だろう。
終始、会話劇
耳が英語に慣れているので、コロナによる自粛のせいもあって、
久々のスペイン語はなんだか宇宙語にも聞こえてしまう前半w、
こうして、年老いて自分を見つめ直して再び向き合っていく行程は、
誰しもいつか訪れ、そして必要なことなんだろうなと思った。
とにかくほとんどが会話劇。
キャストが動く場面がほとんどない。
なので、演者の演技力がこれほど試され、
そして映し出されるものも本当に久しぶりの気がする。
小出しにされるアイテムに驚かされるが、
なるほど、いろいろ考えさせられる。
またいつか、観てみたい作品。
記憶が実体となり、それが生命力となっていく
世界的名監督サルバドール・マヨ(アントニオ・バンデラス)。
4年前に最愛の母親を喪い、自身は全身に強い痛みがあって、創作意欲も衰えている。
そんな中、32年前に撮った映画『風味』がシネマテークで上映されることになり、上映後のティーチインを依頼される。
からだの痛みもあり、普段は引き受けないのだけれども、ふとした予感めいたことがあって引き受けることにした。
撮影時ひと悶着があって、それ以来絶縁状態だった主演俳優のアルベルト(アシエル・エチェアンディア)を訪問し、痛みを避けるためからか、アルベルトが吸引しているヘロインをサルバドールは吸う。
落ちていく意識の中でみたのは、幼い頃の自分と母(ペネロペ・クルス)の姿だった・・・
といったところからはじまる物語で、かなり自伝的要素が強い作品で、観終わってすぐの感想は「アルモドバルも枯淡の境地なのだなぁ」ということ。
アルモドバルといえば、強烈な色彩とある種の変態性、生々しいセクシャリティが特色だが、今回はかなり抑えられています。
部屋の色彩や衣装などには、明るさや派手さはあるものの、強烈というところまではいかない。
唯一、強烈な眩暈を覚えるような色彩とデザインは、神学校で聖歌隊に入ったが故に、他の教科を学習しなかった・・・が、映画監督として成功するに連れて様々なことを知り、特に身体的痛みについては種々様々であると紹介するシーンぐらいかしらん。
なので、アルモドバル監督らしくないのかというと、そうではなく、冒頭のプールの全身を沈めて椅子に腰かけているサルバドールの姿は、あたかも羊水に浮かぶ胎児のようであるし、この母親に抱かれる感覚というのは、幼少期に暮らした洞穴住宅も同じようなイメージ。
暗いながらも、一部、天井がなく、陽光が差し込んでくる至福のイメージ。
そういう実体のない、思いだけの中にある過去が、少しずつ、実体を伴って現在のサルバドールの前に現れてきます。
32年前に絶縁した主演俳優の次は、監督として出始めた時に同棲していた恋人の記憶が私小説的な戯曲として、そして、こともあろうか、件の恋人フェデリコ(レオナルド・スバラーリャ)が姿を現す・・・
若い頃のふたりがどのような風貌だったのかはうかがい知れないのですが、歳を経たふたりは非常によく似ており、鏡像といってもいいくらい。
面長の輪郭に、口ひげ、頬ひげ、顎ひげ、それも胡麻塩で、天然パーマらしいところも。
この再会が映画中盤の「記憶の実体化」ならば、クライマックスに現れる幼い頃の自分が描かれた絵は「記憶の実体化」から更に進んで「再生へのスイッチ」かもしれません。
漆喰を半ば塗りつけた段ボール紙に描かれた自身の姿、それは、初めてリビドーを感じた日のこと・・・
そして、ラストカットは、記憶が映画として実体化するのです。
自身の過去を描くと、どこかしら甘美になり、その余情に浸りきってしまうだけになったりもするのですが(この映画もその傾向がなくはない)、このラストカットには、そんな甘美さだけでない生命力も感じることができました。
聖なる力
オープニングのマーブルのように、人はぐちゃぐちゃに混ざった思いの中でもがいている。
何不自由なく暮らしているように見える人だって、誰だって心の中では悲鳴が漏れている。
なりたい自分。なれない自分。それを罰する自分。後悔する自分。消えてしまいたい自分。それは全部エゴ。エゴは分析したり、変えたり、正したりできない。薬も効かない。
対抗できるの聖なる力だけだ。
聖なる力(グローリー、観音様)は見えているのに見えない。
貧乏だけど愛情いっぱいに世話をしてくれた両親も、洗濯女たちも、絵の上手い青年の肉体美も、かつての恋人を引き寄せてくれた俳優の仕事熱も、世話を焼いてくれる女友達も、すべて聖なる力を内包している。
自分の中のエゴを満足させることをやめて、聖なる力にアクセスすれば、全てはうまくいく。50年前の自分に届いた手紙で、主人公はやっとアクセスできた。
映像(映画)は、不確実な記憶でありながらも、それが確定的な記録・真実であると思わせる。ずいぶん美化された記憶だなと不思議に思ったが、ラストで謎が解ける。美化ではなく、再起した監督が聖なる力を撮っていたのだ。
見事に裏切られ、同時にしみじみと感動した。
洞窟の住居から・・
贅沢な住まいと絵画に散財出来る程の成功を手には出来たが
病の総合デパートかと思う程、心身共に傷み疲れ世界的映画監督の名誉も薄れ引退同然の日々を送る主人公を情感たっぷりに演じるアントニオ・バンデラス・・カンヌでの主演男優賞も納得👏
時に人は過去の記憶を後悔しつつも愛しく丸ごと抱きしめて再び生き直す・・
未来が輝く様に・・
そして自らが封印し続けていたテーマに取り組み始めた彼の柔らかな笑顔で締める結末に静かな感動を覚えました
この先、私達も変わり行く生活環境の中であろうと
自身の人生をゆっくり創りあげて行ければと・・
美しく強くたくましい主人公の母親の若かりし日を演じるペネロペ・クルスの存在感は流石!
昔の恋人 アンド 昔の絵
ヘロインに逃げる主人公に共感はできないですし、ひたすら昔の回想に主人公が感傷的に浸る映画で全体的にはちょっと退屈な時間もありましたが、ふたつのシーンがとても良かったです。
・主人公が書いた脚本の舞台に偶然観にきていた昔の恋人との再会シーン。
・主人公がこどもの時にモデルとなって描かれた絵を50年ぶりに偶然見つけその絵の裏にメッセージが書いてあったシーン。
アントニオ・バンテランスって、こういう抑えた演技も上手いのですね。特にこのふたつのシーンの演技は素晴らしかったです。
何が何なのか?
とても単調で前半は多分ほとんど寝ていました。なので正確なレビューではないですが覚えている範囲で感想を書きたいと思います。
言ってしまえばおじさんが人生を振り返りつつ、自分に人生に未来を見出す、だけです。本当にずっとダラダラで、全く説明なく細かいエピソードを重ねる感じです。その中で言えば、お母さんの晩年のエピソードはちょっと心を痛める物がありました。
ストーリーに起伏がないというか、こうなっている現状をずっと説明されているような気分です。つまりだから何だよ、という感情が否応もなく沸いてきます。
最後の、回想映像が実は最新作の撮影だったというのは驚きでしたが、それもだからなんだって話です。
演技も別に大した見所があるとは思えませんでした。
原点にして再生
アルモドバルが20年前の「オール・アバウト・マイ・マザー」へ回帰していく。おずおずとカムアウトの声を大きくし、パンクロックのように叫んだ2010年代の狂乱が静まり、いまいちど<母>を描きなおすことを試みる。そして、それはラストカットの美しさと、静かに叫ぶ<作品>の再生の種明かしで、深く観客の心を震わせる。
なんだかいろいろと救われる作品
三つ子の魂百までというが、躁鬱質、癲癇質、分裂質という3つの気質と強気、中気、弱気の3つの気性についてはその通りだと思う。この9マスのマトリックスの分類からは誰も逃れられない。加えて幼い頃の五感にかかわる思い出は、歳を経ても色褪せることがない。
幼少期の思い出の中には、決して人に話せないことがある。心に刺さった棘のように不快で、時には炎症を起こして激痛を齎すこともある。そういう思い出を心の奥深くに潜めている人は少なからずいるだろう。
それでも絵を見たり本を読んだりして、人は屢々癒やされる。映画もそのひとつだ。そして幾人かの人々は自分で絵を描き、小説を書き、あるいは映画を作る。そうして誰にも言えない自分の傷跡を覗き込んでは痛みの向こうにあるものを見ようとする。産み出された作品は、同じように心に棘を持つ人を癒やすことができるかもしれない。
芸術はどこかで共同体のきまりに反したり、世の中のパラダイムに背くものだ。それはとりもなおさず心の傷が人に言えない理由に等しい。恥、禁忌、異端などを自覚したことによるうっすらとした息苦しさが、人をそこはかとなく苦しめる。そして芸術に向かわせる。夏目漱石が同じようなことを「草枕」に書いていたのを思い出した。
本作品の主人公サルバドールもまた、心に刺さった棘に苦しむひとりである。おまけに坐骨神経痛などの様々な痛みに苦しんでいる。坐骨神経痛は長時間歩き続けられないし、踏ん張りが効かなくて足も上がらなくなる。若い頃空手で鳴らしていた人でも、坐骨神経痛になると回し蹴りはおろか前蹴りさえもままならない。身体がうまく動かないと気が弱くなる。だから逆に虚勢を張りたくなる。
思い出と老化と身体の痛みと過去の栄光と将来の不安。様々に苦しむサルバドールだが、32年前の映画の再映をきっかけに動きはじめる。知人の助けと偶然の助けがある。心の傷は芸術への原動力だ。行動するには痛みが邪魔だが、意欲が失われた訳ではない。
なんだかいろいろと救われる作品だった。人生も半ばを過ぎて来し方を振り返り行く末を案じる歳を経た方々には心に響く映画だと思う。
観に行って良かったと思えた映画。磁味溢れる演出、磁味溢れる脚本、磁味あふれる演技。
①もっと重たい映画かと思っていたら、軽みのある、でも何とも言えない豊かさのある映画でした。②アントニオ・バンデラスももっと重くてエキセントリックな演技をする俳優かと思っていたけれど、満身創痍で鬱なのに何処と無く可笑しい主人公を飄々と演じていてチャーミング。③少年時代(過去)と初老時代(近過去と現在)とが交錯しつつ(と言っても過去も現在も時系列通りに描かれるわけではない)最後に過去の部分は映画でした、という脚本は如何にも映画的。④冒頭の幼いサルバドール役の子役がとても可愛いし、女たちが洗濯しながら唱和していくシーンも微笑ましい。どのシーンも印象的だが、やはり昔の恋人と30年ぶりに再会するシーンが白眉であろう。亡くなる直前の母親とのシーンも良い。⑤『依存』の脚本を昔大喧嘩した主演男優に渡したことが結局かっての恋人に再会する契機となったり、偶々目に触れたのが少年時代にモデルとなった絵であり、そこから初めて(同)性愛に目覚めたエピソードにもっていく脚本が心憎い。⑥何とも豊かな気持ちになって映画館を後にしました。
喪っていくつらさ
歳を取って、健康を損ねた自分には、つらいくらい染みる作品。
一番やりたい仕事が老化や病気、痛みで何もできない悔しさとか。
心残りはないと自棄な強い言葉で反発しながらも、死ぬかもしれない病気であることを知るのが怖くて病院に行けないとか。
過去の自分を超えられない惨めさとか。
それでも、仕事(脚本を書く)を辞めたくないと悩み、心身不安定で不眠症になっていくので薬が増えるとか。
ことごとく身に覚えのある事象が展開して、面白いけどつらい。
つらいけど面白い。
逃げ場のない劇場だから最後まで観られたけど、自宅なら間違いなく10分以内に再生を止めます。
あと、(逆に年齢というより、健康が大きなファクターですが)若くて健康な人が本作を観ても、「またホモ(LGBT)のヤク中ネタかよ」「共感できず、つまんない」とばっさり斬られて終わりだと思います。
繊細な老監督の役を、アントニオ・バンデラスが熱演。
多分、本作の監督の自伝的要素も入っているのではないか、と思うくらいに、生々しい表現があちこちに。
人生の棚卸し映画
ペドロ・アルモドバル監督の新作「ペイン・アンド・グローリー」を観た。心身の不調に苦しむベテランの映画監督が、初めてのヘロインにラリってしまい人生を回顧する。それは仕事のこと。仕事仲間のこと。愛した男性のこと。そして何より、今は亡き母親のこと。いわば人生の棚卸し映画である。
それでも、全編を通じてお涙頂戴に陥らず、どことなくコミカルでさえあるのは、アルモドバルの手腕であろう。主演のアントニオ・バンデラスの演技が素晴らしい。枯れているが茶目っ気があり、男ながらに惚れ惚れしてしまう。赤や緑の原色の衣装も格好良い。足元にも及ばないが、こんな歳の取り方は理想的だ。
そして、特筆すべきは見事なラストシーンである。セリフや音楽は何も必要としない。映像だけで全てが語られる、まさに映画としての醍醐味。ここには監督の愛が満ち溢れているし、母親役のペネロペ・クルスは美しさが際立っている。
随分と懐古的になってきた
欲望の法則で挑発されて以来、刺激的で奇想天外な発想に楽しませてもらったが、今回はずいぶんと懐古的で内面を向いた作品だった。
神々しくも職人の肉体に打ちのめされるシーンに、仮面の告白の股引を思い出した。
夏と汗が似合うなんて、腐女子的な想像をしながら。
しかし常連のペネロペの変わらない美しさには驚く。彼女だけは、少女役でも母親役でも美しくあり続ける。
先週金曜日の1本目 ペドロ・アルモドバル監督の 『ペイン・ア...
先週金曜日の1本目
ペドロ・アルモドバル監督の
『ペイン・アンド・グローリー』
ペドロ・アルモンドバル監督の作品は
「オール・アバウト・マイ・マザー」
「私が、生きる肌」
しか観たことないんですけど、
珍しく日本版ポスターが素敵でどんな内容なのか公開を楽しみにしていた作品。
本作、ペドロ・アルモドバル監督の自伝的なお話しだそうで、劇的な展開があるわけではないんですが、作品に登場するインテリアや色彩の芸術的なところとストーリーに感じられるノスタルジックなところがじんわり心に染みてくる素敵な作品でした。
主人公の映画監督サルバドールを演じるのはアントニオ・バンデラス。
なんでしょう、生気を失った感がある役なのにその枯れた表情に物凄く惹きつけられる。昔のバンデラスは物凄く苦手だったんですけど、最近のバンデラスさん本当に素敵な表情で魅せてくれるなぁ。
本作品でカンヌの男優賞を獲ったのも納得。
そしてペネロペ・クルスの美しさ。
ペネロペの笑った顔と少し苦労がにじみ出る表情がバレンシアの白さに映える。
主人公のサルバドールの幼少期を演じた
アシエ・フローレスくんの表情も素晴らしかったなぁ。彼のキャリアを検索してもほぼ情報が無いんですが、ジェイコブ君、ノア・ジュプ君に続く逸材な気がする🤔
出来ればもう一度観たいなぁ。
いやだ。そんなバンデラス見たくね。
そう言えば去年だったか「ユーロシネマウィーク」みたいなヤツがあって、有休(半休)使いまくって見まくって、思った。スペイン人は映画撮るの止めてサッカーに集中した方が良いと。ヘイトだよー!
でね。今年、鉄板の感動作がスペイン作品だった事から「やれば出来るんじゃね」なーんて見直したのに。
いや、どうでも良いし。興味無いし。そんな男の人生述懐物語りとか。
と。身も蓋もない感想しか出てこなかった俺。刺さるものがなぁい。引っ掛かりもせず。2日続きの、バンデラスに痺れるだけの113分間。長かったです…
生きる源泉は映画
今作はアルモドバルの半自伝作品ということで、アルモドバルが大好きな私は、サルバドールが痛みに苦しんでいるのとヘロインにハマっていく様子を複雑な気持ちで観ていました。いつだったか、何年か前にインタビューで、鬱になっていたと話していたのを思い出したので。
現代のサルバドールを映すパートのフィルムのトーンが妙に落ち着いていたのに対して、サルバドールの幼少期を映すパートのフィルムが色彩に溢れ生き生きしている様に感じたのですが、ラストで理解しました。
サルバドールが映画を撮っている幼少期のパートのシーンは、アルモドバルが人生を再生した内面を映しだしているのでしょう。母親との暮らし、眩しい太陽に当たり性に目覚めた原体験。アルモドバルにとって、映画は生きる全てであり、映画を創造する源泉が性であり生なのです。そして、創造の源泉を再び思い出させてくれた家族や友人、芸術への敬意と感謝。
サルバドールが『映画』を撮影しているラストシーンに、私は人生の再生は必ずできるのだと涙しました。歳を重ねて人生を見失いそうな時に、改めて鑑賞したいと思います。その時は私も、アルモドバルと同じく映画によって再生されていることでしょう。
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