罪の声のレビュー・感想・評価
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(原作既読)力作。35年前に遡る話なので、証言者や事件関係者として実に懐かしい面々が出てくるのが嬉しい。映画として小説とは独立した面白さを持ち得た映画化の成功例だろう。
①原作は、「グリコ森永事件の真相はこうだったのではないか」という作者の推理を小説にしたものなので、面白くはあるが文学としての深みが有るわけではない。その映画化だからまたぞろ原作をなぞっただけの映画だろうとたかをくくっていたら、予想を上回る骨太の力作に仕上がっていた。②演出が最初から最後まで殆んどぶれずに一貫したリズムと骨太感で進むのに先ず感心した。土井裕康ってこんな達者な演出家だったっけ。勿論、ここまで刈り込んでも話の骨格は外さなかった脚色の巧みさや編集の上手さもあるだろうけれども。③小栗旬は、原作通りの好人物である阿久津を見事に具現化。原作ではあまり感じなかった記者としての成長も表現していて、良い役者になったなぁ、と感心した。星野源も実直なテーラーを好演。二人の関西弁も関西人である私にも違和感がなかった。④他の出演者もおしなべて好助演。原作の70年代の学生闘争とグリコ森永事件とを結びつけた発想も面白いけれども、その言わば中心人物とその協力者との晩年を、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で70年代にロックンローラー(昔のロックンロールは反体制の音楽だったんだけどね)として活躍した宇崎竜童と、「女囚さそり」で70年代初期に一世を風靡した梶芽衣子とに演じさせたのも粋なキャスティング。そしてなつかしや桜木健一が警察の柔道部の監督(?)として登場したときは「柔道一直線」をリアルタイムで観ていたオールドファンといては飛び上がる程驚いた。⑤上記の二人がそれぞれ京都とヨークとで真相を告白する場面を平行して描いたのは映画の作劇としては上手いと思った。ただある意味この映画のクライマックスとも言えるこれらのシーンが映画の他の部分と同じペースで演出されているので、皮肉なことにこの作品で最も最も喰い足りない。④映画は、所謂大人たちの欲望(金銭欲・権力欲・虚栄心・弱いもの虐め等)の犠牲になっただけでなく、反体制・反権力闘争に陶酔した若き日々(の自分)からぬけだせないでいる者たちの歪んだ主義・主張の犠牲にも子供たちがなったことを原作以上に丹念に描くことで、子供はいつの時代も大人の犠牲になるという構図を令和と昭和とを結ぶタイムレスな問題として全面にだすことで、この映画の現代性を強調する。この点が映画が原作との差別化に成功している由縁のひとつである。⑦小説を映画化した場合『こうなっちゃたのね↓』という残念さが多い中で、『こうい風にしたか!』と喜べる作品になっている。⑧なお、個人的なことながら、劇中で望みが読んでいた”スクリーン“の同じ刊を私、いまだに保管しています。そのことで、いっそう切ない気分になりました。それはそうと、グリコ森永事件が起こった年は新卒入社した年で会社と新しい環境になれることでいっぱいいっぱいで事件のことは細かく覚えておりませんのです。悪しからず。
キツネ目の男は誰・・・?
原作は新刊発売当時に既読。昭和最後の大事件、『グリコ・森永事件』をモチーフに、いつか実写化されるだろうと思っていたので、待望の映画化。自分達の世代には、大変印象深い怪事件で、連日報道される、警察をあざ笑うかのような成り行きに、釘付けになった。
「真実は小説より奇なり」の言葉通り、実際の事件をモチーフにし、それを脚色をしているため、ストーリー展開も、次への展開を期待させるサスペンスの要素だけでなく、人としての生き方や人間関係のヒューマンドラマとしても、大変興味深い内容となっている。
特に、何も知らずに、事件の声に使用された3人の子供達の成長過程のくだりは、穏やかで幸せな家庭を築いてきた曽根と、暴力団の監視の下で、底辺の暮らしをしてきた聡一郎の対比によって、哀愁を誘う構図となっている。
この事件の身代金要求に使用された子供の声。それが30年の時を経て、自分の声だと知ったテーラーを営む曽根。一方で、令和を迎える前に、この事件を掘り下げるために、取材を始める新聞記者の阿久津。それぞれが、事件の関係者を辿って、一歩ずつ真相に迫っていく。それは、70年代の過激派学生運動に遡っての過去を明らかにすることに繋がっていく。
俳優陣も、なかなか良かった。W主演の小栗旬と星野源は、安定した演技を見せてくれた。また、懐かしいところでは浅茅陽子、梶芽衣子、宇崎竜童等、昭和を代表する出演者も、この事件からの長い歴史を感じさせてくれる。
ストーリー展開は、本当にキメ細かく作られており、ジワジワと迫る真相への道筋やそれぞれの人生の歩は、観る人の共感や憂いをいざなう作品として、大変面白く仕上がっている。多くの人に観てほしい作品だ。
昭和世代は見るべき
作品の質は高い、でも共感はしにくいかな…
原作未読。
役者陣は良かった。
無駄に泣き喚かない、大声で怒鳴らない、不必要に走り回らない、抑えた演技。
目立たないキャラクターたちにもちゃんと存在感がある。
そしてさすがの脚本。
犯人グループを筆頭に、かなりの数の人名が登場するが、物語が整理されているのでまったく混乱しないで済んだ。
これだけでも特筆に値する。
とはいえ、前半は主人公の二人が過去の事件を追うことに終始するので、(前述したとおり、ちゃんと解る様にできているので今思えばそんな必要もなかったのだが)一時「疲れ」との戦いも乗り越えなくてはならない。
最後は家族のドラマに収束していくんだけど、我々観客が心を寄せるべきこの事件に巻き込まれた被害者たちの境遇やその経緯がかなり特殊なせいもあって、正直なところ感情移入の前に「気の毒だなぁ」が先行してしまい、かなり客観的に観ている自分がいた。
ささやかながら幸せを築いている主人公が、わざわざ自分の不穏極まりない過去をあえて探ろうと執着する辺りも私にはあまりピンと来なかった。
野暮を承知で言えば、これだけたくさんの見ず知らずの人々の証言が集まって真相に辿り着くという設定が、令和の現代としてはやはり無理筋と言えなくもない。今や、田舎のご老人でもこんなに口は軽くないよ。
色々気になって私はノれなかったが、映画としては良くできているのは間違いない。
「いまさら掘り返す意味あります?」
怨嗟の円環
この作品は日本現代史の一側面である。この円環は今なお途切れていないことに戦慄を覚えずにいられない。役者陣にとっても生傷であるかもしれないことを思えば、膨大なエネルギーが作品に込められているように思う。ヨークの町を最後の舞台に選んだのも歴史俯瞰につなげる意図があったのだろう。
■書き直し■
「怨嗟の円環」
この作品は日本現代史の一側面を捉えている。
現実に起こった事件をモチーフにしているが、事件構造は全くの架空である。
(『リアル』な表層に『バーチャル』な構造を埋め込み、『リアル』な現代史構造を表現して見せる)という『入れ子』構造が本作の鍵であり、成功している。
年嵩の役者陣にとっては尚疼く古傷であるかもしれないことを思えば、膨大なエネルギーが作中に込められているように思う。蛇足のようだが、これも『入れ子』と見れば、複次元的な『入れ子』が完成する。
その複雑な構造を持ってストレートなメッセージを直球で放り込むところに本作の魅力がある。原作は未見で恐縮だが、先ずは脚本の秀逸さを称賛したい。
作中、黒澤明『天国と地獄』への言及があるが… 深読みに誘われた。
作品の“ありよう“とて提示したのではあるまいか?
まさに“複眼“的な本作の特徴を思い、手前勝手に納得してしまった。
怨嗟の円環は断ち切ることができるのか?
最後の舞台となるヨークの町は、シェイクスピア史劇に象徴されるように、「繰り返された戦火」を想起させる。人間俯瞰につなげる構造的意図があったのだろう。そこで語られるメッセージに重さを与えている。
小栗旬の、“人間臭い“ 中に “青さ“ を持った芝居が良い。
星野源やその他のキャスティングも的を射ている。
本作が発するメッセージは是非、劇場で確認して頂きたい。
コロナ災下、目先の経済や衛生管理が大切であることには論を待たない。
しかし、私たちの“ありよう“を俯瞰的に再確認することもまた、大切なことではないだろうか?
本作のような力強い作品が公開されることを嬉しく思う。
メチャクチャ胸を締め付けられた作品。
真実を知る事が正解なのか?
考えさせられた作品。
基本、新聞記者の小栗旬さんとテーラーの主人の星野源さんがメイン。
ある事件の真相を二人が別々に究明する中、途中からバディーとなり進む展開。
何人もの関係者に話を聞きながら真相が徐々に明らかになって行くんだけど、難航する事が無くスムーズ過ぎ(笑)
だけどテンポが良いので許容範囲内。
話を聞く人々の人生ドラマが皆さん凄すぎた。
ひとつの事件で何人もの人の人生が狂っていく姿が印象的。
観賞中に気が付いたんだけど、過去に実際にあったキャラメル会社の事件がモチーフになっていて、その事件をググって復習してから観賞した方が良かったと反省。
仕立てスーツを3割引にしなければこの事件の真相は究明されなかったかもしれません( ´∀`)
初見的感覚感想。
原作本未読者の感想です。脚本担当の方の作品は兼ねてより拝見しており、巧みな物語の立て方に信頼を置いておりました。しかしながら前作は前作、今作は今作と、作品たちを混同してその人の描く脚本だからいい、と過大評価するのは視点ズレの色眼鏡かとおもいますのでそれら抜きのお話です。
初めから予告映像にもある、あの特徴的な子供の声を使い、開始10分ほどで物語が立ち、進展していき、進展し続け2時間20分の映画。よくある伏線を散らかすだけ散らかし、回収しない作品になることもなく、撮るべきところを撮り、伝えるべきところを伝える、大変筋の通った脚本に感じられました。
今作の出だし、巧みかつ、「最初からクライマックス」な、初見で見ても「どうなるんだろう?」と興味の湧き立つ立て方だったのではないかとおもいます。
私は後述のひとりですが、邦画特有の陰気なライティングに加え、クドイほどの尺使いなどが苦手な方にも今作はかなり見やすい作品かとおもいます。
ちょこちょこイギリスのシーンがあり、おしゃれな風景が出てきて、星野さん演じる曽根のテーラーもおしゃれです。映画全体のライティングも明るく、「冬の美しい背景」で描かれるので見やすいです。
2時間20分、知り合いに誘われ観覧しましたが、邦画としては評価できる作品だったとおもいます。
映画評価±0が★3つなら、今作は2段階評価を上げてもいい気がしました。
なかなか考えさせられるいい映画でした!
未解決事件といえば古くは『三億円事件』をかろうじて覚えていますが、時効寸前にそれを題材にしたドラマ『悪魔のようなあいつ』で記憶しているだけで、もう時効になってから40年以上になるかと思います。まだカッコよかった沢田研二さん、藤竜也さん、妹役の三木聖子さん(すぐいなくなっちゃいましたが)の『まちぶせ』はよかったですね!カバーでヒットした石川ひとみさん(プリンセス・プリンプリン)ですらずいぶん昔ですから。
逆にこの『グリコ森永事件』はまさに劇場型犯罪の初期のものとして鮮明に記憶しています。警察を翻弄させて喜んでいるかのような犯人(グループ?)に対して腹立たしく思いながら、店頭からお菓子類が消えてしまったことにも違和感を感じながら、またマスコミの過剰な報道合戦が印象深い事件でした。
この原作は未読ですが、素晴らしいストーリーですね!この映画を観た人は犯人像や内容が本当のものと勘違いしてしまいそうです。そんな素晴らしいストーリーと主役のおふたりをはじめ脇を固められた数々の役者さんたちの演技が素晴らしく、見事にマッチして2時間半の長尺を全く感じずにのめりこむことができました。
ある意味いいバディとなった阿久津(小栗旬さん)と曽根(星野源さん)が川沿いで話すシーン、なぜ社会部から出たのかは感慨深いものがあります。また「出た!京都人の褒め殺し!」はもしかしてアドリブ?って思うほどあまりにも自然で思わず笑っちゃいました。
また対照的な人生を歩まざるを得なかった生島聡一郎(宇野祥平さん)が曽根(星野さん)に「あなたはどんな人生を送られたのですか?」には曽根本人でなくても言葉に詰まってしまいそうで気持ちが重くなりました。
梶芽衣子さん、市川実日子さん、宇崎竜童さん、松重豊さん、古舘寛治さん、みなさん素晴らしかったです。久しぶりに見た桜木健一さんが『刑事くん』ではなく道場にいた(『柔道一直線』?)のは監督の遊び心でしょうか?!(ってわかる人少ないですよね?)
重いストーリー展開の中、聡一郎が生きる望みを取り戻したこと、母親に再会できたこと(よくある認知症で息子のことが分からなくなってしまっているパターンではなかったこと)少し気持ちが明るくなりましたが望ちゃんには生きていてほしかったですね。
エンディングで阿久津がテーラー曽根にスーツを注文しに来るところもなんだか救われた気持ちになりました。
いい映画です!映画のストーリーが本当のことと勘違いする方がいてもいいので色々な世代の人に観てほしいと思える作品でした。
声を使われた子供の視点という着想が秀逸
塩田武士のグリコ森永事件をモチーフにしたミステリの映画化です。30年以上前の複数の食品会社の脅迫事件を、脅迫に自分の声が使われた子供の視点から描いた作品です。30年以上前の未解決事件が記者が調べ始めると次々と新事実が発見されて犯人まで辿り着くあたりは都合良すぎるようにも思いますが、昭和の未解決事件を声を使われた子供の視点から描くという着想は秀逸で、面白かったです。
グリコ森永事件の謎解きとして面白い
グリコ森永事件の謎解きとして単純に面白いし、事件に使われた声の子供たちのその後に焦点を当て、星野源・小栗旬双方から迫ってゆくところも興味が引かれて良い。
その結果はなかなかになかなかなのだが…
確かに泣きはするのだが、「感動」というのとは違うのでは?むしろ同情というか「可哀想で可哀想で…」というに近い感情…
惜しむらくは、まるで「お上に楯突くのは良くないよね」とも理解されてしまいそうなところ。あくまでも「犯罪というやり方では良くない」ということ。
そして、負けたのは国民だったのではなく団塊の世代だったのだということも強調しておきたいところ。
しかし、「スクリーン」が哀しい…
初の組み合わせ聖域に挑む
トイレに行きたい!でも、トイレに行けない。
なんだこの映画は。
長めの映画だったけど、気持ちが途切れることなく、最後まで駆け抜ける感じの映画だった。
こんなに気持ちを持っていかれた映画は初めてだった。
事前に小説を読んでたから、より、ぐっと気持ちが入ったかもしれない。
犯人の言い分もわかるし、一方で、その結果振り回された人たちの悲劇も切なすぎて、憎しみをどこにぶつけたらいいのか、気持ちのやりどころに困る。
それが、すごくリアリティがあって、脳が痺れる感じがした。
ただ一つ欠点があるとすれば、2時間半の映画は長くて、途中でトイレに行きたくなって、でも、画面から目を離せなくて…。多くの人が映画終了後に、トイレに駆け込んでいました。
それくらい、夢中になれる映画でした。
見応え充分
【点と点、80年代】
グリコ森永事件をモチーフにして、少しずつ真実に迫る謎解きを展開しながらも、どこかノスタルジックな感覚を覚える作品だ。
そういう意味で、80年代の雰囲気をよく伝えていると思うし、更に、子供の声を主要なファクターに据え、その子供たちの成長や運命を見つめる重厚な作品になっていたと思う。
80年代は、ある意味、混沌とした時代だった。
多くの謎を残し、この作品のモチーフになったグリコ森永事件もそうだが、70年代の学生運動の残り香もあちこちにあったような気がする。
バイトしていた都心繁華街の居酒屋の近くにあるバーのオーナーが、学生運動に傾倒した人物で、「腹腹時計」という爆弾の作り方を記載した地下雑誌を所有しているという噂を聞いたことがあった。
70年代の三菱重工ビル爆破事件の爆弾の作成工程を記したものだ。
あの居酒屋は、ビルを建て替えてまだ営業している。
今度、バーがどうなっているか探してみようと思う。
また、80年代は、金融市場が激変した時代でもあった。
為替のプラザ合意。
後半は、バブルに突き進んだ。
しかし、株式市場も、まだまだ未成熟で、仕手やインサイダーといった禁じ手に手を染める連中がいて、取り締まりも不十分な時代だった。
そして、確実に儲かる話というのもあって、株絡みのうまい話に政治家が擦り寄って来ていたというのは、リクルート事件でも明らかになったところだ。
企業がらみで言えば、佐川急便事件で、政治家の金丸信が90年代初めに逮捕起訴されたが、実際の贈賄が行われたのは80年代だった。
そんなことを考えると、この作品で、株の空売りの資金の金主が政治家と推測される場面があるが、80年代であれば、ありそうな話だとさえ思えてくる。
こうして、この作品では、時代の雰囲気を表す特徴を点と点で結び、僕達のノスタルジーが刺激されるのだ。
そして、子供の声。
僕達は、キツネ目の男の似顔絵や、人を食ったような脅迫文、次から次に標的にされる食品関連企業に注目しがちだったように思う。
でも、声を利用された子供たちの、その後の運命など考えたことはなかったのではないか。
どのように声は調達されたのか。
この劇場型とも言われる事件の闇の深さを改めて思い知る。
グリコ森永事件では、当初、録音された声の主は、30代の女性と言われていた。
しかし、再鑑定で、これは10代のものとされ、他に幼い2人ないしは3人の男の子の声があったと報じられていた。
幼い子は記憶も確かに曖昧かもしれない。
だが、10代と思われる女の子は、記憶も鮮明なはずだ。
彼女は、何を感じていたのだろうか。
今も、怯えながら生きてるのだろうか。
興味というより、胸が苦しくなる。
ストーリーは、子供たちのその後の運命にフォーカスし、時代や時代の雰囲気に翻弄された周りの人を照らしながら、声の主たち…といっても残されたのは2人だけだが、彼らを罪の意識から解放していく。
阿久津と曽根が繋がった。
そして、京都のテーラーとヨークのブックストアの店構えがとても似ていたのも、点と点が繋がるような気がした。
この作品では、事件がさまざまな事柄や人と繋がっていた。
実際のグリコ森永事件はどうなのか。
一体、社会の何とか繋がっていたのか。
改めて興味が湧く。
しかし、子供のことを考えると、実は謎のままの方が良いような気にもなる。
ただ、一方で、キツネ目の男をすんでのところで取り逃したとして左遷された警察幹部は自死を選択した。
なかには、事件が永遠に終わらない人もいるのだ。
グリコ森永事件とは一体何だったのか。
僕達は改めて考えることで、日本の社会の歪んだ暗い部分を心にに留め置くことになる。
久々に胸にズドン!と来た作品でした
公開初日の舞台あいさつ全国同時中継回を
観てきました。
映画の宣伝番組で星野源さんだったか小栗旬さんだったか、どちらが仰ってたかはハッキリ覚えてないのですが…
高田聖子さんのシーンが印象的だと言われていたのが実際に観て納得でした。
そこからが涙が止まらなくって…
私には この事件は最初のターゲットになった会社の名前が入った事件名が印象が強すぎて、他の会社の事を含め 具体的には覚えていない事も多かったのだけど、でも今回の作品を観て改めて記憶の奥底にバラバラに眠っていた記憶のピースが正に埋められた感がありました。
あくまで事実を題材にしたフィクションではあるのでしょうが、でも…
自分の知らない内に"罪の声"に使われてしまった人や その人に関わった人がこの世の何処かに存在されていて、それが原因で長い間 辛い思いをされていたのだとしら…。
その何とも言えない切ない思いが、前述の高田聖子さんのシーンから溢れてきてしまって…。
本当に舞台あいさつで星野源さんが言われていた通り、時間を感じさせない作品でした。
似顔絵は本物?
佐藤蛾次郎が「キツネ目の男」について尋ねられたとき、「と、寅さん」と言ってほしかった。とにかく有名俳優がいっぱい。その中でも一番の好演だったのは梶芽衣子かなぁ・・・
最初からラジカセ(同じの持ってた)が登場したこの作品。1984年の事件という設定であるため懐かしさも満載。もうちょっと年配の方なら学生運動の様子も懐かしいだろうし、昭和と平成の半世紀という激動の時代の陰となった者たちにもスポットライトを浴びせた感じがする。
グリコ・森永事件をモチーフにしているだけあって、当時のニュースにくぎ付けになったことまで思い出した。子どもの声に撹乱されたり、ワープロの機種(パンライターP45)まで特定できたり、鈴木松美所長の音声研究所がクローズアップされたり、といった様々な報道が思い出されるのです。あぁ、懐かしい。
新聞記者の阿久津による独自の調査。人から人へと繋がっていく地道なものなんですが、当時の警察にできなかったこと、しかも35年も経ってるのに無茶やろ・・・とは思いながら、徐々に関係者の人数が増えていくにつれ、写真も古かったし名前を覚えきれなくなりました!重要なのは、元警察官の生島一家と殺害したヤクザ。そしてテーラー曽根の伯父にあたる達雄だ。
やっぱりこの長尺はきつかった。総一郎の激白、保険証がないこと、俊也に「あなたはどうでしたか?」と尋ねるところ。泣けた・・・どんな過酷な人生なんだ。姉の望は死んでしまい、この先生きる希望といえば母に会うことだけ。対する俊也が妻子もある、まだマシな人生を送っていたことに戸惑いを見せる星野源も良かった。
もう一つの個人的泣きどころは梶芽衣子の告白シーン。冤罪事件で死に至った父親の復讐の意味を込めて学生運動に参加。一旦は幸せな人生を選ぶものの夫の兄が達雄だったことで、犯罪に加担してしまう。そして俊也録音したのは・・・
子供の未来のことなど考えてもみなかった当時の状況。生島にいたっては、全ては金のためだった。望が翻訳家になる夢を抱いていたところも映画ファンとしては嬉しい限りで、大切そうに持っていた「スクリーン」誌が光っていた。
全545件中、501~520件目を表示














