あなたの名前を呼べたならのレビュー・感想・評価
全45件中、1~20件目を表示
ここの評価を見て視聴。見て良かった!
皆さんありがとう。
とてもいい作品に出会えた事に感謝します。
インドの身分制度は、
カーストとそしてカーストにも含まれない最下層があり、パーリヤとかダリット(不可触民)などという。
インドアーリア人の顔立ちは目鼻立ちのはっきりしたいわゆるインド人の顔。
ダリットは言ってみれば南方アジアの顔。鼻が低く丸く目も小さい。見た目でわかるので差別の壁は非常に高く超えるのは困難を極める。
彼女はそうではなさそうですが。
カースト制度が廃止されたとは言え、インドの身分を超えた恋愛や結婚は不幸しか産まない。
当初は、彼女のひどく無愛想な ろくに返事もしない感じやご主人様の彼が 海岸で点かないマッチをぱすぱす捨ててるのとかもめっちゃ気になって
しまいに あのインドのサリーの仕組み(肩から落ちないの?とか時々 なんかしてるけどなんじゃあれ?)が気になって気になって、とうとう止めてインドサリー着方で検索して、その後はインドサリーに詳しい人のような気に(勝手に)なってとても堪能した。
インドサリーの インド綿
独特なにおいがします。大好きです。
作品全体ににおい(かおり?)がしてきそうな程。
彼女の作る料理も興味深かったーー。
薄手のナンみたいなものでくるんでる夜食も美味しそうだった。
インドの田舎の未亡人の在り方や女性の生き方はまだまだ厳しい。(腕輪のしきたりもネット検索しました)
ラストの ぱきっとした身の引き方!
すっごい!
羨ましいくらいの潔さ。
彼は 彼女の そういう部分も 愛したのだろうなあ。
あのあと、、、、
いや考えまい。
目からウロコの秀作
インド版シンデレラストーリーと思いきや
当然の結末
踏み出そう、生きてみよう。
やさしくてくるしい
見終わった後に、心にそっと残る作品
『自分が愛そうと選んだ相手を人はどのように愛するのか、ということを考え始めていました。それから、ずっと私の頭から離れなかったインドの階級問題を、恋愛物語を通して探求できないか、と考えたのです。「自分の愛する人をどのようにして愛するのか」、また、「私たちは、どのようにして人を愛する許可を自分に与えるのか」ということを、この作品を通して問いたかった。』
監督のインタビューより抜粋
誰かを好きになる気持ちは、故意に出来ることではない
ある日、気づいたらその人が心の中にいた
いつの間にか、その人を目で追うようになった
そんな風に始まっていくもの
その想いに名前をつけて、受け入れてよいのか、
気づかなかったふりをして全身全霊で見えない場所に封印するのか、
それをどう決めていくのだろう
カースト制度による階級が強く残るインド
農村では、未亡人となれば、もう二度と嫁ぐことは出来ないインド
そんな国で、身分の違うふたりが出逢う
ラトナは未亡人、そして彼女を家政婦として雇っているアシュヴィンを「Sir」と呼ぶ
ふたりの間に芽生えるもの
それは、思わず微笑んでしまうような優しい想いのかけら
でも、ふたりは…
切なくて苦しい
そんな物語の、最後の最後、ラストシーンに思わず声が出そうになった
繰り返し浸りたい作品
雇い主の結婚が破断し、主人公のメイドが休暇先の実家から呼び戻されるところから話は始まる。
前情報が全く無い状態で見ると、2人の関係性を掴むのに時間がかかるが、脚本を書く上でどこを切り取ったら面白いか、その切り取り方によっては説明的になってしまい、一気に興醒めしてしまうが、この作品は伝わりにくいかも知れないが説明的ではない。作られた演出が抑えられ、リアリティが感じられた。
単なる『上流社会のカップルとメイドとの三角関係』に留まらず、階級社会とインドの風習の中で、メイドが雇主を名前で呼ぶまでの、2人の関係の変化をたっぷりと堪能できる作品であった。
雇主とメイドという関係から恋愛感情が生まれていく過程もナチュラルだった。同じ家で暮らす雇用関係にある女が、傷心した男を癒し、やがて贈り物を渡し合う間柄になり、恋愛感情が芽生えていく。社会レベルで超えられない障害を、2人でなんとか乗り越えてゴールインする、そんな恋愛サクセス物語でないのがいい!
間仕切りの少ない開放的なリビングと、深緑を基調としたインテリアが素敵。
主人公の変化とともに衣装が少しずつ変化してるのも楽しい。
もう少し見たい、もっと浸りたいと思える作品。
好き💕
カーストを乗り越えて
主人公は19歳で未亡人となった田舎の女性で、親戚から不吉だと家を出され、ムンバイの金持ち御曹司の家で女中をやっている。
御曹司は相手の女の浮気で、結婚式をキャンセルし、落ち込んでいる。
優しい主人公は気配りで励ます。
また、将来を見据え、好きな洋裁に精を出す。
観ている方はこの主人公に声援を送ることになる。
ラストも秀逸。
いやはや
もしもタイトルが違っていたら…?
長女の物語。ラトナは原節子。
ズバリ、働き者で自分の役目を心得ている「長女ラトナ」が、甘ったれで自分の立ち位置を定め切れない「次男坊アシュヴィン」に対して、控え目に、悟られないように姉のように世話を焼いてやる
という導入です。
長女の苦労と願いを理解しない、これも甘ったれの故郷の妹に振り回されながら、自分の夢は二の次にして奮闘していたラトナ。
解りますねー、僕も長男なもので。
だから本作は、男女の淡いラブストーリーでありつつもこれはラトナ個人のestablish 物語だと感じました。
踏ん切りをつけ、家族のしがらみから距離をおいて、(夫の死を前向きのチャンスとして掴み)自立していこうとする「長女の成長物語」と僕は見えたのです。
ラトナが今後アシュヴィンへの思慕に崩れていくか、あるいは顔を洗って恋を忘れることにするか、これはわかりません。
3:7で後者かな?
==============
インド、フランスの合作なんですね。
なるほど、この恋物語は舞台がインドでなくても成立出来るかもしれないほどトレンディー。いつもの“群舞”がないこともかえって新鮮でした。
監督はインド出身ではあるがヨーロッパで活躍する女性だそうです。
そして劇中登場するキーマンの御曹司はアメリカ暮らしの経験者。加えて制作にはフランス人が関わっている。
そのへんの背景と味付けがあるからでしょうか、外部である日本人の僕から観てもすんなりくる。灰汁が薄められたドラマになっていたのだろうと思います。
(“カースト破談”にもギリで立ち入っていないし)。
で、この映画がインド本国ではどれくらいの評価なのか、興行成績はどうだったのか、知りたくもあります。
[最後の電話]は
恋人アシュヴィンへのさようならであり、
親友アシュヴィンへのこんにちはでもあり。
そんなふうに聞こえました。
ちょっと違った切り口からレビューしてみました。
sir.
じわじわっと、じわじわっと、胸に訴えかけてくる。どうしようもない格差社会、縛られた村の因習。それでもお互いが一人の男、一人の女として相手を理解することで、その理解は愛へと高まっていく。・・・それでも。
百年も前にさかのぼれば、日本だってこうだった。召使いはあくまで召使い。いいとか悪いとか、そういう現代の価値観でははかれない。結ばれるとしても、せいぜい妾だった。そんな時代と、今のインドが同じということ。だけど、劇中では、都会の若者の意識が変わってきていると言っていた。だから、アシュヴィンとラトナのような関係も、あと何十年か経てば当たり前になるかもしれない。だけど、今はまだ無理なんだ。それを、アシュヴィンは打ち破ろうとしている。ラトナはまだ縛られている。その隔たりがずっと並行のまま続いて行く。
そして、そこへ持ってくるラストの一言。上手いなあ。実に心地よい余韻。このあとの困難はさぞ辛かろう。越えられない壁もあるだろう。だけど、その一言を言えた勇気があれば、乗り越えられるんじゃないか、このまだ格差が横たわる閉鎖された時代を、ぶち壊す先導者として。そう思わせてくれる、一言の呼びかけだった。
映画らしい映画。 テーマも古典的といえるかもしれない。 だからこそ...
二本立て二本目。恐るべき格差社会。 メイドに恋する旦那様。その過程...
切なく美しい禁断のラブストーリー
派手な演出も無くシンプルなストーリーですが観るものをグイグイ引き付ける素晴らしい作品。インドの格差事情は良く分かりませんが、それでもラトナとアシュバインに感情移入し二人の恋愛を応援したくなる。
2019-243
全45件中、1~20件目を表示