わたしは光をにぎっているのレビュー・感想・評価
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詩的な題名と主人公が似合ってないような・・・
天涯孤独になりつつある娘(澪)の、巣立ちを追う映画。
同時に東京の下町(江東区かな?)の再開発により、
立ち退きになる商店街や映画館、として澪が身を寄せる銭湯も
取り壊されて行く。
評価を受けた映画とのことです。
説明し過ぎない所が良いのかも。
祖母が入院したのなら、地元で看病して信用金庫で働く・・・
見葬ってから普通は地元を去る。
普通なら、そうすると思う。
10年以上前に亡くなった父親の親友(光石研)を頼って
上京する澪(松本穂香)
不思議に思うのは澪の意志というものが描かれないこと。
病気の祖母を見捨てて上京するのは澪の意志なのか?
最初にアルバイトしたスーパーでは、役に立たず、
おじさんの銭湯で楽しそうに床を磨く。
銭湯が好きなのかも。
ラストで別の銭湯の番台に座っている澪。
天職が銭湯。
そういう事?!
澪は光を握ったことになるのかな?
下町の風景は懐かしい商店街だったね。
来年は昭和100年だぞ。
都会はこれだけ仕事が無くて住みづらい。
でも、田舎はもっと仕事が無くて、モハヤ住めない。
つくづく思うよ。狭いのに、この国はどこへ行っても住みにくい。
10年から40年先を見越した生活が出来ない国になったんじゃないかなぁ。そりゃ、少子化にもなりょう!それで『75歳なったらさよならね』としたら、仮に40年仕事を続けられたとして、後は余命10年も無い。
変わって行く街に哀愁なんて感じる事は無い。老人だっていつかは死ぬ。だから、昔からの風景は変わるものなのだ。昔の風景を知らない者にとっては立石のアーケードもセンベロ横丁もどうでも良かろう。それよりも、早く駅にエスカレーター付けてくれ。
最近は環七を迂回できる道を見つけたので、高砂小橋から中川の高砂橋を渡って、川に沿って環七の下を潜って、青砥駅を迂回して、葛飾区役所迄行く事にしている。勿論、電動自転車を使ってね。15分もあれば行ける。
定期券持ってないので仕方ない。老人にも生活しにくい所だが、区画整理されて映画館が閉館になったり、銭湯が閉まっても僕の生活には支障は全く無い。
昭和を思いやるのは良いが、昭和は遠くなりにけり。どんどん、時間は進む。止まってしまったのは昭和文化の時間だけ。来年は昭和100年だぞ。早くセンベロで飲みたい者もいるだろうが、新しい立石は『10ドル横丁』だろうね。
因みにリトル・エチオピアは四つ木だよ。
そこに当たり前にあったものが失われるときの美しさ
飛行機の中で鑑賞。
いつまでも変わらない いつもそこにあると、
なんとなく思ってることってたくさんあるけど
逆にそういうものって実は稀有で
でも世界は変わっていくから
仕方ないけど、その儚さを愛おしく想う作品。
そして、そう感じるのは
自分も歳をとったからだ、
と思うまでがパッケージ。
なかなか面白かった。
書店にある、写真いっぱいのソフトカバーの本のような映画!!
写真集のようなロケーションばかりで、選定に凄く拘ったのを感じました。やりたい事じゃ無くできる事をやれ、どんな小さな事でもできる事をやれ、見る目と聞く耳それがあれば大丈夫、等と、今現在人生が停滞している者へのメッセージが込められていました。知恵と行動でもって身一つで生き、何も持たざる者が全てを持っているとすれば、タイトルの「わたしは光をにぎっている」に繋がると感じました(終盤作中では終盤、言葉の事を光と言っていましたが)。海外展開を意識していると思いますが、序盤で「時給985円スタートで」という台詞があり、諸外国の半分で皆ビビると思います(アメリカの最底辺で月収25万円)。最後はポエムになり、書店の自己啓発本ノコーナーにある、写真いっぱいのソフトカバーの本のような映画でした。
空気感は楽しめた
多弁な登場人物達の中であまり話さない主人公。都会に馴染めない田舎者、元々住んでる人達、それぞれに生きにくさを抱える。が、活き活きと暮らす側面もある。
あまり多くを語る作品では無いがそう感じられる点では良い映画なんだろうな。
再開発
主人公の私喋らないけど雰囲気で分かってよね、私は良い子だからみんなから世話焼いて、みたいな感じが許せない。消えゆく下町の切なさ、優しさを出したい映画なのかも知れないが、田舎過ぎて消えゆく町に住む身としてはハイハイ、分かりましたでした。
時代の流れで残るもの、変わるもの、無くなるもの。
終始抑揚なく進むので、何が映画らしい期待を持って鑑賞すると寝落ちとなるので注意。
長野の小さな旅館で生きてきた。
その旅館も叔母と祖母で細々とやってきたが断念する事に。
主人公の松本穂香さんがこの地を離れ東京の知人を頼ってこれからを見つけるまでや如何に!?
という大筋をほわ〜んと観る映画。
映画では珍しい"静"を味方にした暖かいドラマ、透明感を感じる松本穂香が光る
銭湯に自身の居場所を見つけた主人公が、その居場所を失うことになり、「どう終わるか」に向き合うストーリー。映画における"静"を見方にする映画は、美しくて儚かった。
本作の主演を務めた松本穂香に感じる空気は、まるでフィルムに通して見ているかのような透明感を感じる。湯のように透き通っていながら、ドシッとした主演らしい佇まいも兼ね備えている。内容としてはすごく暖かく優しいものだが、寝不足だったのか、少し睡魔に襲われた。場面における言葉を不要としながら、心の動きが丁寧に描かれるので、なんとも興味深い。キャスティングも、光石研に徳永えり、渡辺大知、吉村界人と重厚で、世界観を損なわないので惹かれる。
空気も湯加減もちょうど良かったため、しゃんと楽しめたかは微妙。少し自身に合っていなかったかもしれない。
見る目、聞く耳、それがあれば大丈夫。
映画「わたしは光をにぎっている」(中川龍太郎監督)から。
まずは、タイトルの「私は光をにぎっている」は、
「詩人・山村暮鳥の詩集」の一節。
何度か、登場するフレーズなので、記録してあるが、
私の記憶では、山村暮鳥さんと言えば、教科書に載っていた、
詩集「雲」を思い出していた。
「おうい くもよ ゆうゆうと ばかに のんきそうじゃ ないか
どこまで ゆくんだ ずっと いわきだいらの ほうまで ゆくんか」
の方が好きだった。(汗)
さて、気になる一言は、何度か使われていたフレーズ、
「見る目、聞く耳、それがあれば大丈夫。」とした。
働く基本、いや、コミュニケーションの基本、
いやいや、生きる基本として、掲げた言葉なのかもしれない。
何事もよく観察して、謙虚に人の話を聞く姿勢さえあれば、
どんな境遇に身を置いても大丈夫、ということだろうか。
個人的には「銭湯の値段(入浴料金)」
「大人460円・中人180円・子供80円」が気になった。
「中人」って、中学生・高校生だったっけかなぁ。
ブルーレイも買いました
人におすすめ度⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ 主演:松本穂香
東京の下町の銭湯で繰り広げられる人間模様でちょっと泣ける ・温かい映画
・銭湯に行きたくなる
・主人公が少しずつ、本当に少しずつ成長していく感じがとてもよい
最後の方で商店街の人たちの笑ってる映像を銭湯で写してみんなでそれを見るっていうのがエモかった
ラストシーン、主人公が帰るところで終わるのかなと思いきや、最後には、1年後となって新しい銭湯の番台を勤めている終わり方だった
どちらの終わり方でもいいなーと思った
詩人の人が、「いつ終わっても良い映画」と言っていて、本当だなと思った
上京する自分と重ねて見た
ああいう下町で住もうかなと本気で考えた
結果的に大都会池袋に近い物件に決めたんだが
今自分は地元で暮らしていて、とてもよい居場所があって、それを失う怖さはあるが人生は一度しかないから頑張ってみようと改めて思った
主題歌が本当に良くてほぼ毎日聴いてる
光の方へ/カネコアヤノ
それにしても松本穂香ちゃんかわいかったー
タイトルの意味。松本穂香さん。
こういう作品を観ると、日本映画の良さを強く感じます。
ヒロインの松本穂香さんの存在感が素晴らしい。
ヒロインは大人しく、挨拶も上手くできないタイプの女の子なのだけど、
松本穂香さんの演技や立ち姿の自信なざけな立ち姿には、不自然さが無い。
台詞も少ない中で、
横顔や表情、後ろ姿、街中を鞄を両手でつかんで不安そうに歩く姿、
舞台の中心になる銭湯で仕事に励む姿を、ただ見守る様に映画は進んでいく。それがとても好きな時間。
それと共に、監督は、ヒロインの姿と、失われていく昔馴染みな街並や、そこに集まる人たちへの想いも、平等に描いていく。
キャストも好きな俳優さんばかり、
そして街並みや昔馴染みな銭湯を見守る視点、
そして松本穂香さんのヒロインの姿を繊細に詩情を込めて描いている。
今はもう見れない街並み、そこで働くヒロインの姿を映画の中に優しく包んだ様な作品。
つつましやかにゆっくりと
わたしは光をにぎっている。
そんなのんびりしていたら生きていけないよ、そんな気分になりちょっとイラッとする前半。
とはいえ自分だってそうだったじゃないか、知らないから無防備だかこそ、スルッと切り抜けてきたし変化にも柔軟だった。
つつましやかにゆっくりと生きる様は、頼りなさげだけど力強い。
光石研の酔っぱらい演技は見るべきメモリアル
地方で祖母と暮らしていた若い女性が、亡き父の知り合いのツテで東京の銭湯に部屋を借りて暮らし始めるが、、都市開発で閉鎖することになり、。リアリティのある描き方で、セリフよりも音と映像での展開で好み。挿絵のようにスライドしていく風景が揺らぎ全体としてとても美しい映画。
光石研の酔っぱらい演技はすばらしい。
自分に出来ることから。
非常にゆっくりとした時間が流れる映画。
松本穂香さんの役が非常にしっくりくる。
どんな人間も、出来ることからコツコツと。
自分から動いて、挑戦することで成長していくんだ。と改めて感じさせられた。
生まれるものは必ずいつか終わりを迎える。
そんなことは当然わかっているうえで、どう向き合うか。どう生きるか。
今の生活をどう守るのか、なんて単純なことすら難しく感じる、大切に感じる。
銭湯というロケーションも非常にわたし好みで、窓から挿す光と反射するタイルまでもが、綺麗だった。
見えないものを握ることの大切さ、難しさを少女は学んでゆく。切なく、心温まるストーリー。
長所は96分
主演松本穂香に自分が好きな徳永えりと光石研も出るので観ることに決めた
ヒロインが田舎から上京し銭湯に身を寄せて働く話
舞台が銭湯だから期待する男性も多いと思うが期待しないでください
松本穂香はこういう役がしっくりくる
タイトルがピンとこなかった
光は握れない
形あるものである程度硬いものじゃないと握れない
イニシアチブを握るという言葉があるが
処女崇拝のやりとりだけは面白かった
全体的にはつまらなかった
わたしも光をにぎりたいものです
ひとりぼっちの松本穂香が親戚の光石研が経営する銭湯に引き取られ、周辺の商店街のひとたちと交流するものがたりです。
映画の間の取り方が絶妙で、映像も演技も自然で丁寧につくられています。
なぜか、ほとんど遠巻きに撮られているので表情を読みにくい。
それが演出なのか、結末では、数センチまで近づいて観ても松本穂香が微笑んでいるのかすら判別できなかった、鼻の穴が開いたのはわかったけど。
なんだか、ほのぼのとしました。
形のあるものは有限だけど、ことばや心は光で無限で、それを握っていたら希望があって、そんなことを言われると、なんだかほっとしました。
良い映画でした。
握っているものは何か
状況に流されているように見える、若く寡黙な主人公。
彼女のまわりを照らす柔らかな光ー野尻湖の水面、障子越しの陽射し、銭湯のきらめく湯、祖母から贈られた詩集の言葉。
タイトルに込められたメッセージが、美しい映像と研ぎ澄まされた台詞、淡々とした日常を通して胸に迫ってきた。監督は二十代。これからどんな作品を撮っていくのだろう。
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