「撃たれる側に立たされる恐怖」ホテル・ムンバイ マツドンさんの映画レビュー(感想・評価)
撃たれる側に立たされる恐怖
五つ星ホテルに宿泊する富豪の身勝手さと、当たり前に共感できる一個人としての心情の動き。コック長の責任感とリベラルさ、リーダーシップ。アルジュンのサンダルに象徴される貧しさ。そして、彼の献身と誠実。テロリストという名の若者の、無邪気さと極貧と悲しさ。唐突に始まるテロの恐怖という言葉では表しきれない恐怖。
重層的に凝縮された、みごとな映画だと思います。
映画を見た後に、ニューズウイーク日本版の大場正明氏のコラムやその他のサイトを読むと、映画の内容・演出がよく理解できるのでお勧めしたい。なぜ、ザーラがテロリストの仲間だと疑われたのか。なぜ、アルジュンがシーク教徒なのか。このテロは、一体何だったのか。文化的・歴史的背景が理解できないと、見えてこないものがあまりに多くて、もったいない。決して、従業員の英雄奇譚で終わらせる映画ではないし、ましてやホテルへの忠誠を描く美談ではないと思う。
この映画を通して、一つ気付いたことがある。アメリカはドローンという兵器で、アメリカにいながら、「朝出勤して、殺して、夕方、妻子の待つ温かい家庭に戻る」という戦い方を発明したと言われるが、テロの若者もドローンであるということ。攻撃の主体は祖国にいながら、危険を冒さず携帯電話で指示を与え、攻撃をしかける。最貧国・最貧組織における、若者という最弱者がドローンとなる。戦いは、いつの時代も、集団の強者が弱者をして相手の弱者と殺し合わせる構図だ。このテロを計画実行させた組織やそのリーダーは、ステイタスを上げる結果につながったのだろうか。
もし、日本周辺に最貧国があったなら、きっと日本もテロの標的になっているだろう。歴史と経済格差がテロの温床だから。隣国とけんかをしても、何も良いことはない、と改めて思う。そして世界の混沌を思う。