「世界を繋ぐのは恐怖でなく優しさと敬意」ホテル・ムンバイ 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
世界を繋ぐのは恐怖でなく優しさと敬意
2008年に発生したムンバイ同時多発テロを、
テロリストに占拠された高級ホテル、
『タージマハル・ホテル』での脱出劇
を中心に描いたサスペンス作。
開幕から終幕までとにかく物凄い緊張感の作品。
実際のテロ事件を扱っているため精神的にも重い。
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実行犯たちがボートで上陸する冒頭からすでに
不穏な空気が漂っている。そこから駅での銃乱射、
繁華街での大混乱、ホテルでの立て籠もりから生存者
が脱出を遂げるラストまで、気を抜く暇は殆ど無い。
実行犯は未成年の少年ばかり。
だが、その淡々とした犯行の様子には背筋が凍る。
「奴らを人と思うな」という指示役の言葉通り、
実行犯たちは害虫駆除か何かのように無表情
のまま、逃げ惑う人々へ銃弾を浴びせていく。
ルームサービスのふりやロビーからの電話で
警戒を解かせるなど、巡らせてくる知恵も残忍だ。
にこやかに恋人や友人と会話をしていた数秒後に
周囲の人々が手投げ弾や銃弾で惨殺されるという
状況では、誰だって冷静などではいられない。
状況も理解できないままに人々がムンバイの街を
当てもなく逃げ惑う様子がゾッとするほどリアル。
狭く明るいホテルに舞台を移してからは益々緊張感
が高まり、廊下に出たり物陰から覗いたりといった
小さなアクションや微かな呼吸音すら恐ろしくなる。
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そんな未曾有の恐怖に晒されてもなお、宿泊客を
1人でも多く救おうと居残り続けた従業員たち。
料理長オベロイが見せる毅然とした姿や
宿泊客への気遣い。どんな状況でも決して
焦らず怒らないアルジュンの優しさと勇気。
一刻も早く家族のもとへ戻りたいだろうに――そう
することも出来たのに――彼らは逃げ出さなかった。
それは単なる義務感だけではなかったと思う。
持って生まれた善良さだけでもなかったと思う。
宿泊客をもてなす為、様々な国籍のゲスト
ひとりひとりを理解しようと日頃から
努めていた彼らにとって、宿泊客の人々は
簡単に見捨てられるような他人ではなく
自分と同じく家族もいれば人生もある、
隣人のような存在だったんじゃないか。
家族を案じ続ける宿泊客たちの姿も印象的だ。
無謀ではあったが、家族を救うために単身
ホテルを駆け巡るデヴィッド。夫を想い、
泣きながら唄い続ける妻ザーラ。軽薄な男と
思いきや意外な男気を見せるロシア人ワシリー。
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テロ実行犯たちの描写もしっかり。
残忍な彼らに完全に同情するのは僕には無理だが、
本作は彼らを単なる殺人鬼として描いてはいない。
テロ実行犯のひとり、イムラン。
足を撃たれた痛みにのたうち、家族に報酬が
支払われたかを心配し、父との電話で泣きじゃくる彼。
実際の報道を調べてみると、
ムンバイ同時多発テロの実行犯はパキスタン
の中でも特に貧しい地域の出身だったらしい。
貧しいが故、家族を養える大金に飛びつく。
貧しいが故、「自分達が困窮するこの状況
を生み出した者は誰なのか」と怒りを抱く。
顔を見せない指示役は、そんな彼らの
背中を少し押してやればいいだけだ。
"敵は我らの利益をむさぼる強欲な外国人どもだ、
我らの神の教えに反する強欲な異教徒どもだ。
彼らを殺せばお前もお前の家族も救われる。
神の栄光と家族の安寧を手に入れられる。"
だが当たり前の話、人を殺せば恨まれる。
恨みは報復につながり、それが新たな恨みを生む。
どちらかが根絶やしになるまで続く報復など不毛だし、
おまけに彼らのように世界中から恨みを買われる
ような真似は孤立を深めるばかりではと僕は思う。
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人と人の心を隔てるのは、
国籍でも人種でもなく、互いへの無理解だ。
イムランの取り乱した姿を思い出す。
「奴らを人と思うな」と叩き込まれた彼が
動揺を見せたのは、ザーラの祈りの唄声に
『彼女もムスリムだ、自分と同じ人間だ』と、
それまでの教えを激しく揺さぶられたからだ。
アルジュンの真摯な姿を思い出す。
「ターバンと髭が怖い」と彼を突き放す婦人に対し、
彼は怒りを見せることも無く、自分のその身なりが
いかに自分にとって大切な物なのかを滔々と語った。
そして、それでもあなたが怖いのであれば、私は
あなたのためにそれらを取り除くと頭を下げた。
相手に自分の文化と心を理解してもらう努力。
そして同じ人間として相手に敬意を払う心。
そうして初めてお互いを、同じ人間と認め合える。
世界を繋ぐのはその粘り強い優しさだと思う。
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最後に流れる『タージマハル・ホテル』での式典の映像。
「世界中がお前達を見ている」と、顔の見えない
テロの指示役はことあるごとに語っていたが、
世界が本当に見て、憧れて、語り継いでゆくのは、
人を殺す英雄よりも人を救う英雄の方だと言いたい。
安全圏からイスラムの大義とテレビリモコンを
振りかざす指示役には怒りが込み上げるが……
あの指示役もやはり、家族・民族・自身の宗教が
踏みにじられる怒りに駆られているのかもしれない。
きっととてつもなく怒っているのかもしれない。
だけどさ、銃や火薬を買って、何の罪もない少年達
の命を買って、彼らを殺人機械に教育するだけの
金があるなら、自分達の窮状や諸外国から受ける
不平等を世界に理解してもらための情報発信に
使った方がよっぽど効果的じゃないのか?
彼らに恨まれる側の僕らももっと、彼らの現状に
アンテナを向ける努力をしていかなければとも思うが。
窒息しそうなほどのサスペンスと同時に、
残忍なテロを生み出す今の世の中の悲しさ、
人間の尊厳や相互理解の美しさを感じさせる
素晴らしい作品だったと思います。4.5判定で。
<2019.09.28鑑賞>
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余談:
先週からチマチマ書き進めていた本レビューと
昨晩書き上げた『ジョーカー』のレビュー、
どちらも激重な映画で気持ちがしんどい……。
無邪気で明るい映画が観たい……。
今晩は。
”相手に自分の文化と心を理解してもらう努力。
そして同じ人間として相手に敬意を払う心。
そうして初めてお互いを、同じ人間と認め合える。
世界を繋ぐのはその粘り強い優しさだと思う。”
浮遊きびなごさんのこの言葉を、今を生きる様々な思想信条を持つ世界中の人々が(私を含め)共有出来たならば、と心から思います。