命みじかし、恋せよ乙女のレビュー・感想・評価
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あなた生きてるんだから、まぁかわいい、幸せにならなきゃだめね
映画「命みじかし、恋せよ乙女」(ドーリス・デリエ監督)から。
原題「Kirschblüten und Dämonen」は「さくらと悪魔」の意味、
それが、どう解釈したら「命みじかし、恋せよ乙女」になるのか、
ちょっと首を捻りながらの鑑賞となってしまった。
ただ、今の日本とドイツがともに抱える社会問題が満載で、
性同一性障害や、引きこもり、アルコール依存症、単身老人世帯など
あげたらキリがないくらいの現実を突きつけられた気がする。
振り返ると、何気なく撮影されていたドイツの車に書かれていた、
「ドイツがドイツであるために」というフレースが引っかかった。
それはトランスジェンダーでアルコール依存症の主人公が、
男として、夫として、父親として「あるべき自分」や「理想の自分」から
「自分が自分であるために」と悩み続ける葛藤の日々と重なったから。
住んでいるドイツでは、居場所がなかった彼を受け入れてくれたのは、
日本の老舗旅館「茅ヶ崎館」の女将に扮する(故)樹木希林さんだった。
トランスジェンダーを個性として受け入れているようでもあり、
男湯・女湯の場所を案内しながら、こう尋ねた。
「こっちが女の方、こちらが男の方、あなたはどっち?」
そして、部屋に案内し、着替えの着物を選択させる時も、
女性ものを選んだ彼に「あーこれが好きだったのね」と差し出し、
「あなた生きてるんだから、まぁかわいい、幸せにならなきゃだめね」と
何の抵抗もなく話しかけた女将が、とても温かった。
どんな人生を送ってきた人に対しても、差別をせず接すること、
これが彼女の遺作となったからこそ、記憶に留めておきたい。
P.S
スマホの翻訳アプリを通して会話する外国人(ドイツ人)に
「あなた日本語上手ね」と声を掛けるボケぶりは最高だったなぁ。
儚さ
日本の宗教観は、あちらの世界(あの世)とこちらの世界(この世)の境界線が曖昧で、お盆には亡き人をお迎えして一緒に過ごし、そして再びあちらの世界へ送り出します。日本で育ち当たり前に感じていたこの宗教感は、外国人からするととても幻想的に感じるかと思いました。カールはゆうと少し長いお盆を過ごしたのではないでしょうか。ゆうがカールと離れられなくなったのは、カールが死に傾いていたから。カールが生を意識した時がゆうとのお別れの時。ゆうは、普遍的に描かれてきた日本の幽霊と同じくとても情緒的で、昔話を読んでいる感覚になりました。
明日、来年、10年後、30年後、50年後、いつあの世へ渡るかなんて、誰も知りません。命は短く、儚い。だからこそ、「生きているのだから、幸せにならなきゃ」極右に傾倒した青年が殺戮の象徴だとしたら、幽霊は生きることをあの世から教えてくれる有難い存在なのかもしれません。
いのちは儚い
希林さんの遺作、ドイツ映画というカテゴリに惹かれて足を運んだ。
前半は混沌とした思慮深いダークな雰囲気。後半は日本的情緒も入って少し緩んでくる印象。悪霊とか死んだ人がちょいちょい出てきてオドロオドロする。個人的にはそれほど怖くはなかった。心の問題や戦争の傷痕を暗示するような含みが背景に散りばめてあり、死生観などを、考えさせられるシーンも多い。
先に『樹木希林を生きる』を観ていたので、お痩せになってる希林さん(おそらくかなり末期の頃だろう)は正直痛々しかったが演技は圧巻だった。
全体に映像描写が美しく、とりわけピアノの音色など音づけセンスが良いと思った。日本のビジネス社会や人との関わりってドイツ人にはこういう風にみえてるのかなって思いながら観るのも中々興味深かった。
ユーは何しにドイツへ?(シャレなので突っ込まないでください)
オープニングとラストの妖怪画。端的に言うとストーリーは「ベルリン牡丹灯籠」。カールも災難続きだったが、凍傷になったチン〇が痛々しい。性同一性障害と考えれば納得もいくのですが、幽霊と愛し合っていたことも原因の一つだったのだろうか。
小泉八雲にしても、ヨーロッパの文化と違い、日本の幽霊話に興味を持ったからこそ、日本で活躍したのだろうし、この監督もきっと『雨月物語』あたりを鑑賞して興味を持ったに違いない。そんな昔の怪談話を現代風にLGBTを取り上げ、アルコール依存症という病をも描き、生きることの勇気を伝えたかったのだろう。
また、額にハーケンクロイツを描いた少年によって反ナチというメッセージも残し、反戦思想を持ってる樹木希林の起用も思い立ったのではないか。静かに展開するストーリーの中だけに、観終わった後からじわじわと感じるものがあった。
抜け殻になった心弱き独逸男が、日独の妖たちにより徐々に再生していく姿を幻想的に描いた令和怪異譚
不可思議な気配が漂う映画である。
妖の姿が朧げに動き回り、死の香が常に揺蕩う。
前半の独逸パートでは、ふわりと現れたユウとカールの現実離れしたような生活の中、彼が直面する過酷な現実と彼の周りを漂う親族(生死問わず)たちとの複雑な関係が描かれる。
ブッテンマンドルたちも土着の祭の中で現れる。
後半の日本茅ケ崎パートでも、妖はカールの周りに出没するが、生への執着が芽生え始めたカールはあまり、惑わされない。
そして、投宿した樹木希林さん演じる老女将と二人で浜降祭の炊き出しを準備する中、老女将から驚愕の言葉がカールに告げられ、彼は浜に駆け出していく。
茅ケ崎の旅館の夜の庭のシーン。匂いたつように咲く酔芙蓉を、カールと老女将が眺める後ろ姿の尋常ならざる美しさ、艶やかさは忘れ難い。
私は、樹木さんがこの作品に出演された理由は
<命尽きるまで、前を向いて生きよ>
というメッセージを遺したかったからではないか、と思った。
お盆が過ぎた日に、儚くも鮮烈で、実に美しい映画を観ることができた。
Kwaidan
少し前に「嵐電」という映画を観て、監督が感じる映画だというようなお話をしていた。
この映画は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「Kwaidan(怪談)」に収められてそうなお話で、日独にまたがって展開する。
ただ、日本古来の何か切なさ…、死んだ者とその未練、残された者と亡くなった人にもう一度会いたいという気持ちなどが巧みに散りばめられた不思議な…そう、きっと彷徨える魂の物語だと感じた。
複雑に展開する人間関係の物語は、ドイツの因習の残る、とある家庭の親子・夫婦・兄弟の葛藤、父親の戦争の苦い思い出、そして、日本では一人取り残された旅館の女将の悲しみを綴る。
ここからは勝手な僕の解釈だ。
カールの魂は生死の境にある時に、日本を訪れたのではないか。
ユウの魂は、実は、ドイツにカールの魂を迎えに来ていたのではないか。
そして、カールの魂は、旅館でユウの祖母に会い、母娘の悲しい物語を知ったのではないか。
だが、ユウにも葛藤があったのではないか。
カールの魂を向こうの世界に導こうとしながらも、もっと、あなたは生きなさいと言いたかったのではないか。
カールは、こちらの世界でもう少し生きようと決心する。
何か切なく、悲しいが、優しさを感じるストーリーだった。
樹木希林さんが役を引き受けたのもよく分かる気がした。
樹木希林さんが演じるユウの祖母の流す一筋の涙と、ゴンドラの唄の歌詞「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを」に、何か生きることに葛藤を抱えた皆に、もっと生きなさいというメッセージが込められているように感じられて、胸が熱くなる想いがした。
二国をつなぐ妖怪談?
序盤からして、自由奔放なヒロインの言動が、妖精譚のような雰囲気を作り出していました。
妖精といえばイギリスのイメージだったのですが、なるほどウンディーネが書かれた国でしたね…
物語のほとんどがドイツで、終盤は日本で進行しますが、両国が互いに持っているイメージが所々に現れます。
また、音楽と両国のランドスケープが素晴らしかったです。
盛り上がりには欠けますが、静々と進むお話が好きな人にはオススメできます。
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