命みじかし、恋せよ乙女のレビュー・感想・評価
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死生観、霊、家族、性同一性、依存症への示唆に富む豊穣な物語
まず単純に、ドイツ人女性監督ドーリス・デリエが日本の文化と映画人へのリスペクトを込めた映画を作り続けていることが喜ばしい。80年代から活躍し、ドイツで最も成功した女性監督と評されるが、この20年ほどで日本を題材にした映画を5本制作(本作含む)。中でも「HANAMI」(08年)と繋がりが強い本作は一応続編の扱いだが、前作を未見でも大丈夫。 茅ヶ崎館は、かつて小津安二郎が投宿し、樹木希林も「秋刀魚の味」撮影時に杉村春子の付き人として訪れたとか。また、歌詞が邦題になった「ゴンドラの唄」は、黒澤明の「生きる」でも歌われた。さらに日独の死生観や死後の存在(身近な人の亡霊)のとらえ方についての考察も込められている。 死を控えた樹木だからこそ「生きてるんだから、幸せにならなきゃ」の言葉がしみる。国際的なダンサーの入月絢も存在感をみせるが、日本での活動を考えると清水富美加似のルックスがマイナスか。
OPELで妖怪
の錦絵が出てくるところが、 この映画の本質そのものかと。 但し、ツケヤキバなドイツ人解釈の妖怪だし 夏の怪談程度の味の濃さ。 基本我が国の霊的テーマに触れるならば 輪廻転生ぐらいまで触れてから やっていただきたいものだ◎ 希林さんは当たり外れのないキリン節🦒 まこんなもんでしょw
幽霊ものか〜
日本語ドイツ語英語が入り混じって その上スマホの翻訳アプリで…興醒め 脚本が雰囲気だけな感じがする しょうがないか、幽霊なんだから 学生はこういうの撮るの好きだよね よく見かける コンテンポラリーダンスの子連れてきて ファッション科の子がスタイリングして 長身の外人呼んで ところどころにプロの役者さんを呼ぶ そしてなぜか海で撮りがちぃ わーわー悪口ばっかーー笑
幻想的で、深いです
世界観が興味深く、映像が幻想的で美しいです。監督が日本を愛してくださっているのがよく解る作品でした。 私は「生きる」が大好きですが、現代版をドイツの映画で見ることが出来た感じがします。 見て良かったです。
西洋と日本のコラボは難しい
樹木希林さんが出ていると言うので見たのだけど、なかなか出てこなくてそれが気になって集中できなかった^_^ まぁそれは良いとして、 ユウ役の女優さんの違和感がどうしても拭えず、難しい役なのはわかるけど、日本語も動きも不自然でこれも映画に集中できない理由。 主人公の複雑な内面にかかえている問題は痛々しいほどで、見ていて苦しいけど興味深い。 全体的に盛り沢山過ぎなのかな。 今までの映画でも日本人が西洋の映画に多めに登場すると、しっくり来ない、違和感がある、と感じていたけど、今回もそれはクリア出来なかった(^^) 残念だけど難しいのだろう。 西洋の人が期待する日本人像と、日本人の日本人像の解離が、映画だと更に強調されてしまう。 でも、頑張った。ストーリーは好きだ。 この監督の映画はまた見たいと思った。
わ、分からん~
と思いながら見ていたが、最後の茅ヶ崎パートでようやく話が通った。 にしてもなんでわざわざドイツくんだりまで?という疑問は残るが(笑) ストレートな幽霊譚ではなく、カールの家族間の問題やLGBT?ネタ、男根喪失、いろーんな苦悩をろくな説明もせずごった煮のように突っ込んでくるので、まるで闇鍋のような映画になってる(笑) クライマックスの海辺のシーンは美しくて気に入ったのだけど、そこに至るまでに何度か寝落ちして見直したくらいなので、映画館で見ていたら途中で帰ってしまったかも(笑) そのクライマックス近く、カールの日本での服装は相当おかしな格好なのだけど、この異様さは日本人以外に分かるのだろうか?とよけいな心配をしてしまった。 で、幽霊も物理的な力を奮うのな(笑) これでは女の幽霊は男に勝ち目はないではないか(笑) まあ最近は日本映画の幽霊もそうだけどね。 樹木希林の遺作、という付加要素がなければ見なかった映画だし、観賞後も何となく延々と監督のマスターベーションを見せられた気がしないでもないが、ラストシーンの美しさに免じて許しちゃおう(^-^*)
映像は美しい。樹木希林の遺作に敬意を表するなら、どうぞ。
家族の呪いといいますか、父や母の教育方針に起因する人格障害を負った子供たち(といってももう大の大人)のありさまを描いた映画です。 子供の精神に痛手を負わせ、あるいは子供の全人生を破壊する可能性のある教育方針とはどんなものなのか、そういう点に興味がある人には、勧めたい作品です。 また、映像は美しいですし、樹木希林が亡くなる直前に撮影された作品でもありますので、そういうエピソードを評価点に加算する人なら、観る価値がある作品なのかも知れません。 これらすべてを加算しても、私としては、せいぜい★3個しか付けられませんが……。
悩みが‥
ジェンダーの悩みがちょっとわかりづらかった。微塵ものその毛がないように見えたから。子供がいたりして。でもリアルはこんなもんなのかな。相変わらずの樹木希林の存在感だったけど、娘と孫が自殺って一体何があったの?どんな生い立ちだよ!と樹木希林まで疑いの目で見てしまった。涙するシーンはさすが。孫の役の女の子が不思議と魅力的だった。
日本人には馴染みのないアル中のくるしさ
恐らく! 外人さんの重度のアル中って、こんな感じの幻覚に苛まれるのだろうなとは思ったけれど、 その表現時間が長くて飽きる。 そして謎の女ユウも、 日本人らしからぬ振る舞いに違和感を感じる。 調べると本業は舞踏家さんなんですね。 もうちょっと日本人らしい女優さんでも良かった気がします。 とにかくしつこくしつこく幻覚が表現されて、 かつ叙情的な風景が合間に挟まり、 日本人には到底受け入れられなそうな作品でした。 樹木希林さんの遺作ですが、 彼女の登場はかなり後半。 しかし重要な役です。 彼女が泣くと観客も泣きます。 そりゃそうだよね…。 ハリウッド初登場にして遺作。 この謳い文句はズルい! と思うくらいです。 120分がこんなに長いと感じたのも久しいです。
希林さんはあくまで脇役❗
星🌟🌟🌟樹木希林さんの最後の作品なので観たのですが…あくまで脇役で主人公のカールとユウを導くような役柄で希林さん目当てで観ると期待外れになると思います❗内容はちょっと幻想的で自分はちょっと理解出来ない感じの作品でしたが…希林さんがこの作品に出演する条件が撮影まで生きていたら…と言うのが希林さんらしいと思いました❗もうだいぶ撮影の時は調子が悪かったそうですが渾身の演技を見せてくれてると思います❗
人間の複雑さは幽霊よりも怖い
昔、ドイツに行ったときにドイツ人はほとんど幽霊を信じないと言われたのだが、だからこそ日本を登場させ、あえてそこから幽霊を引っ張り出してきた作品だったのだろうか。 子どもの頃から抱える家族関係の葛藤、現在も苦しむアルコール依存症、それらによる幻覚症状など、精神的な病と闘う主人公の心の隙間に入り込むようにやってきた一人の怪しい日本人女性。 ドイツの重々しい雰囲気の景色の中に突然現れたユウというその女性の存在がとびぬけて浮いていて、彼女の存在は幽霊なんだろうなと最初からわかってはいたけど、幽霊というよりも妖怪のようにも見えて、ある意味おもしろさも含んだ存在に見えてしまった。 小津安二郎監督や是枝裕和監督が海外でも愛された名作映画の執筆を手掛けてきた「茅ヶ崎館」が後半の舞台となっており、ここの宿の主人が現代の日本映画を支えてきた樹木希林さんという日本作品に対するリスペクトはすごく感じられる作品だったけど、茅ヶ崎館はすばらしい旅館なのは間違いないのだろうけども、ロケーションとして茅ヶ崎が弱い事を実感してしまい、地元民として見ていて申し訳なくなってしまった。 希林さんに対する追悼のメッセージがエンドロールに添えられていた事がとても嬉しく感じました。
死の闇に生を差し出す必要はない
数日間あるいは数か月間という比較的短時間の物語であっても、他の登場人物はいざ知らず、少なくとも主人公の過去については、物語の中で語られることが多い。日常の瞬間的な景色や風景を切り取った作品などには登場人物に関する説明が一切ないこともあるが、主人公の人格が物語に重大な影響を与える場合には、生い立ちから語られることもある。 人間の人格は気質などの遺伝的な要素に加えて、乳幼児期に決まる気性、それと経験と記憶によって形作られる。記憶の殆どは無意識の領域にあり、大部分は自覚がない。だから本人から話を聞いても、それは人格を形作るほんの一部であり、どれだけ長く話を聞いたとしても、本人の話だけでその人を理解するのは非常に困難である。意識と無意識の割合は、一説によると一対数万と言われている。人間の人格は無意識の内にあると言って過言ではない。 加えて人間は嘘をつく。記憶は本人の望むように改変されるから、嘘をついている自覚がない場合もある。そういった条件が人間相互の理解を困難にしている。他人と理解し合えたと思うのは錯覚である。さもなければ奢りだ。人間は生物の中で最も高等だから、最も個体差が大きい。特に精神世界については千差万別であり、まさに人それぞれだ。共通点よりも差異のほうが圧倒的に多い。深くて狭い川があるのは男と女の間だけでなく、すべての人間同士の間にある。 しかし理解し合えないことを嘆く必要はない。寧ろ理解し合えないのが当然と思っていれば、たまに同じ星を見て美しいと言い合えることが大きな喜びになる。人は誰でも心の奥に混沌とした闇を隠している。自分でも上手く説明できない闇だ。広大な闇の世界に光を当て、その姿を朧気に浮かび上がらせると、人類に通じる真実が見えるかもしれない。 本作品に登場する「ゴンドラの唄」は、黒澤明監督の「生きる」で象徴的に使われた歌である。昨年(2018年)の秋に赤坂でミュージカル「生きる」を観劇した。主人公渡辺勘治を鹿賀丈史と市村正親が交互に演じるダブルキャストで、当方が観劇したのは鹿賀丈史のほうだった。とても味のある歌を歌う人で、テレビで「Allez Quisine!」と元気に叫んでいたときから月日は流れ、いまでは枯れた男の哀愁を醸し出す。 本作品の主人公カールはエリート銀行員からアル中に身を落とし、妻子からも捨てられそうになっている。この男がこれからどのように世界と関わっていくかが作品のテーマだから、彼の生い立ち、トラウマ、妄想などが描かれる。意外に複雑な人間関係で、そこに登場するのが謎の日本人女性ユウだが、トラウマを解(ほど)くよりも、ありのままを肯定しようとする。思えば主人公は否定される人生だった。しかしユウは何も否定することがない。流石ニーチェの国の映画である。肯定が力強い。 ドイツ語と日本語と英語がランダムに出てくる作品である。神はどこにも出てこない。代わりに幽霊や悪霊が跋扈し、主人公の精神世界の闇を描き出す。闇を拒絶し現実から逃避するためにはアルコールが必要であった。しかしアルコールは闇をさらに大きくするばかりである。ユウと行動をともにしてトラウマの場所を尋ねることで、闇を闇として心に抱えて生きていく覚悟がいつの間にかできたようだ。神を否定し、生を肯定する。パラダイムはもはや意味を成さない。 祭は共同体の精神世界を操るものだ。かつてはシャーマンが祭を取り仕切った。いまでは祭は形骸化して形式だけのものとなっているが、参加者の誰も意味がわかっていない祭の手順には、霊的なものが潜んでいる。祭の中にこそ人間の闇があるのだ。幽霊も悪霊もそこに集い、打楽器のリズムや掛け声の中で練り歩くうちに、人々の中の闇が少しばかり解き放たれる。ある種の浄化作用である。 主人公がこれからどのように生きるかは不明だが、世界との関わりは確実に変化した。樹木希林が演じた老女将は、主人公の浴衣の左前を右前に直す。象徴的な場面だ。死者の世界との決別である。彼女がカールのお尻をポンポンと叩きながら「生まれてきたんだから、幸せにならなくちゃ」と言うときにも、やはり生を力強く肯定する世界観が示されている。日本語が理解できないはずのカールも何故か晴れ晴れとした表情を浮かべる。生は死を内包しているが、死の闇に生を差し出す必要はないのだ。そんなふうな映画だと思う。
名作
実は名作『HANAMI』の続編。いろんなディテールに、日本人から見ると違和感あるのはデリエによくあることだけど、はまるとそんな違和感を超える(そんな違和感をプラスにひっくり返す)圧倒的な迫力が生まれることがあり、『HANAMI』同様これもそんな映画だった。 内容は豊富すぎて一度では理解しきれない。
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