「離れて、くっついての説得力が希薄」窮鼠はチーズの夢を見る しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
離れて、くっついての説得力が希薄
クリックして本文を読む
惜しいな。
主演2人の演技が良かっただけに。
本作は、登場人物の行動に対する脚本上の説得力がいまひとつ薄いのである。
いったん、以下の解釈で仮置きしてみる。
夏生が大伴に言った通り、大伴は誰かを本気で好きになったことがない男である、と。
では、「なぜ」今ヶ瀬だけが、大伴に愛することを伝えることが出来たのか?
長いあいだ想っていたから、というのはおかしいよね?
知佳子(妻)、瑠璃子(浮気相手)、たまき、夏生では、なんで出来なかったの?
大伴の薄情の説明はある。「結婚って、そういうものだから」「断れなかったから」…(サイテーである)
でも、そういう大伴を、なぜ今ヶ瀬だけが変えられたのか、という説明が足りてないと思う。
なので、2人が離れたり、くっついたりする理由もよく分からない。
「好きだから」と言ってしまえば、それきりで、それだと観客にとっては、すべては「結果論」でしかない。
登場人物たちの行動に「意味」を持たせる脚本が浅いのだ。
常に女に言い寄られ、それでなびいていた「流され侍」の大伴が、ラストで、確証のない愛を待つ存在へと変わる。
いや、そもそも愛に「確証」なんてないわけで。
ゆえに、この大伴の変容は、「愛を知った」と言い得ると思う。
そうしてタイトルの「窮鼠」を意味するのが、今ヶ瀬から大伴に変わったのは面白かったのだが。
ゲイ映画は、たいてい女性登場人物に厳しくなるものだが(ゲイ映画かどうか以前に、一般に恋愛映画において、主人公のライバルに厳しいのは当然ではあるが、ゲイ映画では、そこに“女性性”を含意させていると思っている)、本作は今ヶ瀬の「ズルさ」も表現されていて、まあまあフェアだと思う。
コメントする