ある船頭の話のレビュー・感想・評価
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クリストファー・ドイルが再現する古き良き日本の情景
確かに現代の日本で撮影されたはずなのに、近代化で失われて追想の中にしか存在しない美しい山間の景色が再創造されたかのように錯覚する。水墨画のような淡いカラー調整と、端正な構図によるところも大きい。撮影監督クリストファー・ドイルは、オダギリジョー主演作「宵闇真珠」に共同監督も兼ねて参加した縁で、オダギリの長編初メガホンとなる本作を撮ることになったとか。外国人の眼と感性によって再現された「和の美」に、日本人の監督・撮影監督たちも大いに刺激を受けるのではないか。
国際的に活躍するオダギリが長年温めてきた企画で、失われゆく日本的価値観、時代に取り残される庶民といったテーマが描かれるのも意外に思えた。だが、世界を知れば知るほど、それまで身近過ぎて見えなかったものを客観的にとらえられるようになることはありうる。その意味でもオダギリ監督と外国人の撮監の組み合わせは本作にうってつけだったようだ。
これは映画だ
美しい。
映像が美しい。
音楽が美しい。
台詞が美しい。
人は美しい
そして醜い。
トップクラスのスタッフに
主役級のキャストを集めた
オダギリ・ジョー監督・脚本の映画
美しくはあるが
重い空気に包まれた
ある川渡しの場所。
その重さは人か、時間か、神か、
または自然によるものなのか、
様々な噂話が飛び交うその場所で
噂は亡霊のように、そこに住みつく。
静かで淡々と物語は進んでゆくなか
ついにに噂と真実が混じり合う。
どのシーンも注目に値し、
あぁ、映画を観ているのだな
と実感した。
※
喋り言葉が現代過ぎる
昔の話ならもうちょい粋な言葉をチョイスできないかね?
都会ならまだ分かるが、田舎の船頭なんて半分なに言ってるのか分からないくらいがちょうどいいのではないか。
映像は確かに美しいが川の波紋がカメラ側から出ているシーンもありなんともお粗末な気がした。
一番気になったのはあの掘立て小屋が川に近すぎる。
増水の度に流されるだろう。
ましてや昔、山間地、年に何度も流されるのでは?
気になって仕方なかった。
日本の原風景 映画の原点
自然の映像が美しく、劇場でゆったり見るべき作品だと感じました。内容は想像以上にシンプルなもので、「近代化に伴って、利便性と引き換えに失われゆく古き良きもの」というど真ん中ストレート、素朴すぎてもはや誰もできないようなテーマに対し、真正面から腰を据えた稀有な映画です。それでいて、主人公の船頭の内面描写は異質な残虐性が垣間見えて演出含めなかなか面白いところではありました。全体的に台詞にもう少し捻りがあったら星4でした。
エンドロールで、ゆっくりと進む舟からいつまでも目が離せませんでした。味のあるいい映画だと思います。
贅沢な時間(廃れゆくものを惜しんで・・・)
大正初期の渡し舟の船頭・トイチに押し寄せる近代化の波・・・
渡し舟はやがて新しい橋の建設により用無しになるのです。
それにしてもオダギリジョー、渋い映画を監督したものです。
主役の船頭は名バイプレイヤーの柄本明。
脇を固めるのは豪華な出演者。
永瀬正敏、浅野忠信、伊原剛志、笹野高史、草笛光子、蒼井優・・・
助演は若い村上虹郎と謎の少女・川島鈴遥。
新潟県の阿賀町を中心にロケして、渡し舟の川は阿賀川です。
兎にも角にも撮影が素晴らしい。
それもそのはず国際的に活躍するクリストファー・ドイルが撮影監督を勤めています。
画面の構図が抜群ですね。
ゆったりした川の流れに渡し舟が小さい。
川脇を鬱蒼と樹々が茂り、空には雲と青空。
衣装はアカデミー賞を衣装デザインで受賞したワダエミ。
(少女が目を覚まして突然、朱色のドレスに着替えしたのは謎でしたが・・・)
語らぬことの潔さ。
船頭・トイチの過去も、少女の過去も、何も明かされません。
失われて行く時代への愛情が胸を打ちます。
アート系の作品です。娯楽は求めないで下さい。
海外のコンクールで多数受賞しました。
妄想ホラー映画
もう少し抒情的な話かと思ったら妄想ホラー映画だった。
自然を静かに切り取る映像は見事と思ったら撮影はカンヌでも評判の高いクリストファー・ドイルさん、納得です。それに引き換え本の酷さと役者の酷さは何と言うことでしょう、ベテラン俳優さんは別として村上虹郎の棒読みセリフは相手が柄本さんだけに浮きまくっています、お笑いの河本はオダギリさんの同級生とか、大半は彩り役で集めた友情出演の類でしょう。
変わりゆく故郷へのノスタルジーや近代化へのアンチテーゼなどでは月並みとおもったのでしょうか、トーンを壊す血生臭いエピソードは刺激的ではありますが映画にしてまで何を言いたかったのか、松本清張の「砂の器」的な非劇性が欲しかったのでしょうが技量不足が仇になった感。感情移入しようにも川べりの雰囲気だけで人物が描けていないので傍観するだけ、もの静かで気の優しい老人が訳ありの殺人犯であるという偽悪 趣味にはついていけませんでした。
オダギリジョーの美意識の塊
平凡な船頭さんが主人公
地味
ニッチ
オダギリジョー大丈夫?
心配無用
美しい
心が豊かになる
目から耳から癒される
邦画好きとしては柄本明に草笛光子はなんだか贅沢な気分
ほのぼのと話が進むかと思ったら始まって1時間あたりから船頭さんの妄想で殺戮
モノクロに鮮血の赤
まさかのグロ
悪い客にも怒らず飄々と仕事をする船頭さん
見習いたいものです
ふう役の川島鈴遥に『カンゾー先生』の麻生久美子を連想させたがヌードにはならなかった
それもまたオダギリジョーの美意識
「そういうのいらないでしょ」って言いそう
川島はほとんどボーっとしていたが終盤に迫真の演技
冒頭のタイトルに花から鮮血はこういうことだったのか
どこへ行くのよ
知らぬ土地だよ
船頭の人柄
を考える。どのような人物なのか。川と共に行き、そこに住む人の人生と触れ合う。雨ニモマケズに出てくるような男だと思ったが、うちに秘めたるものはなるほど医者の言う通り実に人間らしくもある。しかし、亡くなった狩人のように自分もなりたい、と言う願望は、やはり雨ニモマケズに出てくる男だ。便利なものが増えていくと同時に変わる町と人。源三がその良い例だ。若者ゆえ仕方がない。変わらない船頭は災いを呼ぶ少女と生きることを決め、川を後にする。橋のない川のある町へと移るのだろうか。
当初は監督自ら船頭役をやるということだったが、やはり柄本明で正解。オダギリジョーも大好きですが。出てくる人が豪華すぎ。監督の力。くっきーが何気に混ざっていたのはウケた笑
オダギリジョーやるねっ👍
風景が美しい。山、木々の緑、青い空、雲、川、水面、川面に打ちつける夜の雨、雪。こんな景色がまだ日本にあるのか⛰セリフは少ないが、風景の美しさに音楽が重なって壮大な雰囲気。
渡しを生業とするトイチの日常がセリフ少なめで淡々と進む。ある日、川に瀕死の少女が流れてきた辺りから話が盛り上がってくる。少女は何者?時々トイチには見える不思議な少年は?少しだけファンタジー(?)の要素もあり、トイチの人としてこうありたい、という思いが語られたり、中身は濃厚。
村に橋が出来たことによりトイチの仕事も減り、人々の生活も変わり始める。仲の良かった源三も金回りが良くなった様子で身なりも性格も変わってしまう。そして悲しい結末になるのだが、、、。
あまり好みの映画ではなかったけれど、オダギリジョーが監督ということでの鑑賞。仮面ライダークウガを観て、子供よりハマってしまい、すっかりファンになった😍それ以来静かに冷静にオダギリジョーの映画やドラマ、トーク番組は観てしまう🥰
一見、髪型やファッションなど独特だったり、でも誠実なんだろうなと思わせる所もあったり(私の勝手な想像ですが)と、気になる俳優。そんな彼がどんな映画を撮ったのかと気になったので観ることに。
想像以上❗️こんなにしっかりした映画が創れるなんて!本気度がわかる感じ!次にどんな映画を持って来るのかすごく興味が湧く。
出演者も贅沢。主役の柄本明もピッタリだけど、実力派の名優揃い。観る価値のある映画だった❗️
新しいものは古いものの上に
明治初期、山中で渡し船の船頭をやっている主人公(柄本明)、近くで橋梁工事が進んでいる。
あるとき、瀕死の少女(川島鈴遥)を見つけ助ける。
少女は全快しても出ていこうとせず、一緒に暮らすことに。
オダギリジョーの初長編監督作品で、なかなかの演出力だ。
トイチには守るものが出来た
少女は自分の家族を殺されたのか、殺したのか。
今となってはどうでも良い。
トイチには守るものが出来た。
その喜びと苦しみを抱えて彼は舟をこぐ。
何処へ行くのか、舟が画面から切れる時、映画は終わる。
彼と少女の行く末が幸せであることを願わずにおれない。
それは私の心の物語でもあるから。
風が吹けば船は流される、世の中も少しの風で変わってしまう
映画「ある船頭の話」(オダギリジョー監督)から。
一言で言えば「村と町をつなぐ渡し舟の船頭・トイチ」が
ゆっくり流れる時間と静かな自然の中で生きていく様子を
パノラマ的なワイド画面で丁寧に写し撮った作品であるが、
そこに面倒臭い人間が絡んでくると、事件が起きる。
まぁ、それがなくては、物語にならないのであるが・・。
監督は、この作品を通して何を私たちに伝えたかったのか、
キーワードになりそうな台詞、フレーズをメモしてみた。
「いやね、孤独って言う字、知ってる?
孤独の『孤』は『狐』って字に似てんだよ」
「役に立たないものはみんななくなっていくんだよ。
わかるか、船頭!!」
「できあがる前にぶっ壊さねえか、あの橋」
「風向きで水の流れが強くも弱くも、川の性格まで変えちゃうだろう」
「何か新しいものを求めたら古いものは消えていく、
それはしょうがないことなんだ」
「風が吹けば船は流される、世の中も少しの風で変わってしまう」
渡し舟の船頭「トイチ」と、川上から流れ着いた「オフウ」(風?)
この関係が微妙なバランスで展開される。
マンネリ化したことを破っていくためには「風穴」が必要だが、
静かな「風」が私は好きだ。
季節、時間によって発生する真っ白な「川霧・川靄」の映像が、
普段は見ることができない川の水面を流れる風を表現して幻想的だ。
「風」をとても意識した作品となった。
エンドロールの「映像」を観続けて欲しい、舟が画面から消えるまで。
かつて穏やかだった川に舟を出して、我々は何処へ向かうのか
オダギリジョーが脚本も兼ね、長編映画初監督。
撮影監督にクリストファー・ドイル、衣装デザインにワダエミ、音楽にアルメニア人の世界的ジャズ・ピアニスト。
国際色豊かな面々で描くは、古き良き日本。
時代はいつなのだろう。昭和初期どころではない。大正…いや、明治。明確ではないが、日本が近代化になる前。
山の中の、村と町の間に流れる大きな川。
その川で、渡し舟の船頭をしている老人、トイチ。
これは、彼の話…。
川の辺りの小屋で一人で暮らし、客が来ない時は魚を釣り、木彫りをし、客が来たら舟を出す。
客は様々。馴染み客や風変わりな医者、上品な老婦人や芸の若い女たち。時には、口の悪い偉そうな客も。
そんな全ての客に対し、トイチは川の流れのよう。
一人で船頭をする老人と言うと、無口で頑固で無骨なイメージだが、無口ではあるが低姿勢で穏やか。
トイチの人となりに魅了される。
きっと、彼に会い、彼の舟に乗りたいから、やって来る村人も居るだろう。
変わらぬ毎日。
そんなゆったりとした時は、少しずつ終わろうとしている…。
この大きな川に橋の建設が進められている。完成までもうすぐ。
完成したら便利になる。行き来が忙しくなり、村にとっても町にとっても、仕事や生活が豊かになる。
その一方…
渡し舟の仕事は無くなる。
建設関係者から、散々嫌味や悪口を言われる。役立たず、時間の無駄、時代遅れ、無用の存在…。
それに対してもトイチは、穏やか。そうなったら、そうなるまで。…一見は。
実際は心中、穏やかではない。複雑な心境。
皆の生活が豊かになるのはいいが、自分自身は…。今更他の仕事は出来ないし、他に居場所なんてない。
時折、川の先を見つめるトイチの佇まいがそれを表している。
そんなある日…
その日も舟を漕いでいたら、流れて来た何かにぶつかった。
すくい上げたら、思わず驚く。
怪我した少女。
小屋で手当てをする。
暫くして気が付いた少女。
が、何も話さない。怪我の後遺症で話せなくなったのか、元々話せないのか…?
トイチもそこまで詮索はせず、小屋に置いてやる事にする。
ずっと川を眺め続ける毎日の少女。
ある日の事、トイチは舟の客から物騒な話を聞く。
川上の村で、酷い殺しがあったという。
唯一生き残ったのは、少年もしくは少女。
この少女も川上から流れてきた。
ひょっとして、殺しと何か関係あるのでは…?
てっきり少女が殺しの被害者もしくは加害者で、関わったせいで、トイチにもあらぬ疑いが…という、集落あるあると思っていたら、少女と殺しに関係ナシ。
何も話さないでいた少女だが、次第に口を開く。
トイチと少女、孤独…いや、“狐独”な者同士の交流。
トイチを慕う若い村人の源三や馴染みの村人の交流。
それらを、静かに、淡々と。
本当に、静かな静かなヒューマン・ドラマ。
時々、意表を付く演出も。
物騒な殺しの噂話や、本当は穏やかではいられない発狂したトイチの心境イメージはサスペンスフル。
度々トイチの前に現れる謎の少年は、急にホラータッチ。
川の中に飛び込み、優雅に泳ぐ少女は、幻想的。
オダギリジョーの演出は正攻法でありながら、大胆でもある。
まるで俳優の監督デビューとは思えない、格調高く、名匠が撮ったかのよう。
何と言っても特筆すべきは、クリストファー・ドイルによる映像美。
これは本当に一見の価値あり!
川のせせらぎ、穏やかさ。
山々の緑。
青い空、白い雲。
ワンカット、ワンカットが画になる。
季節は夏。夕刻、この自然の中のひぐらしの鳴き声さえも“画”になる。
終盤、雪に包まれた白銀の画は、水彩画のよう。
外国人から見た日本とは、こんなにも美しいのか!
ドイルの監督作で主演を務めたオダギリ。
「ジョーが監督したら、必ず俺がカメラマンをやる!」
この美しい日本は、2人の美しい友情の賜物。
静かな作品なので、人それぞれ好き嫌いは分かれそう。
自分的には、この作品が、この古き日本の姿が、染み入った。
見ていたら、キム・キドク監督の『春夏秋冬そして春』を彷彿した。
大自然の中で孤立した人の営み、人の運命、人の業…。
最近は専ら助演が多く、何と本作が11年ぶりの主演作となる柄本明が、円熟の名演を披露。
オーディションで選ばれた若手女優の川島鈴遥も、難しい役所のヒロインを熱演。
劇中ではトイチの人となりだが、豪華なキャストはオダギリの人望か。
ワンシーンだけの出演者もおり、誰が出ているかは見て貰うとして、印象に残るは、村上虹郎、永瀬正敏、橋爪功。村上演じる源三の終盤での変わりようは、これが人なのだと思わずにいられなくなる。
冬。橋は完成し、皆がここを行き来する。トイチも医者へ行く時、橋を渡る皮肉。
終盤、思わぬ展開。源三が少女にある秘密を話す。少女はやはり、あの殺しと…。
トイチが帰ってきたら…。
あの舟場に取り残され、近代化していく日本の中に入れないトイチと少女。
自分たちの存在はもう、役になど立たないのか…?
自分たちには、居場所など無いのか…?
もう二度と、あのゆったりとした穏やかな川の流れはやって来ないのだろうか…?
近代化し、発展していき、何もかも便利になり、豊かになっていった日本。
その傍ら、蛍や2人のように、消え忘れ去られた存在も…。
今一度、この日本に問う。
我々は、かつては穏やかだった川に舟を出して、何処へ向かうのか。
編集が雑
一言でいえば、役者に助けられた作品。
これが実力が伴わない役者がやっていたら、
監督・脚本がオダギリジョーでなかったら、
目も当てられなかったろうと思う。
今作の主役、柄本明は常に作品毎になにかしら進化を遂げる恐ろしい怪物だし、
豹変した虹郎もまた、彼しか出来なかったろうと思う。
大事なところに主役級の役者をぽんぽんと配置したお陰で、
この作品のクオリティは保たれたという気がする。
撮影にクリストファー・ドイルを採用した事で、
画面は常に、『映え』なのが、
途中から慣れてきたものの、最初は舌打ちしたくなる絵だった。
本は悪くない。
刺さるセリフはなかったにしろ、
言霊を放つ役者によって、
素晴らしい空間を感じられた。
が!
編集が雑!
な、気がした。
草笛光子さんが草をそっと水に流すカットとか、
風による相乗効果とか、
なんだか尻つぼみのような気がするし、
こここそ繊細な表現だろうという場面が、
潔くカットされてて、
叙情に浸りたい観客をあっさり裏切ってくれたりもして、 なんだかなあ…でした。
善悪の彼岸は存在するか
いい映画を見終わり、暗闇の映画館を出た後の現実の世界に戻るまでの、映画と現実を往復する奇妙な感覚が面白い。いい映画ほど長い時間、強い目眩に襲われる。
美しい風景、綺麗な映像、心に残る音楽、名だたる名優達の演技、残念なコンセプト。単純な原始的自然讃歌、おおらかな人々を打算的な薄情な人間へと変える悪としての近代化。時代劇のような勧善懲悪の演出演技。橋とホタルの擦りきれた対比。謎の人魚の泳ぎと謎の悪霊。映画館を出て、程なく現実世界に戻ることができた。
トイチの深層心理の挿入が深みをもたらしている点は素晴らしい。
私たちは豊かになったのか?
オダギリジョー監督 舞台挨拶の回で鑑賞しました。
オダギリジョー監督らしい飄々としながら熱い想いも感じられる質疑応答で面白かったです。
なんと言っても映像の構図やアングルが格好いい!
オダギリ監督の用意したカット割りと撮影監督のクリスさんの即興、2人で作り上げたものだそうです。
自分の作りたいものと わかり易さのバランスで悩んだそうですが、いやいやインディーズ魂感じさせる映画でしたよ。
無難な映画しか作られず、お金があつまらない現状に一石投じたい。もっとオリジナルや作家性のある映画が観たいという想いのスタッフ、キャストが集まって作った作品だそうです。
これは、この映画が上映されるような映画館にも通じる事ではないでしょうか。
作られる新作映画の数が年々増えていっているにも関わらず、全国どこの映画館へ行っても同じようなラインナップ。
多様な作品に触れる機会を失わないためにも、私たちは客としてこういう映画に足を運ぶ必要があるのではないかと感じました。
画一化されて便利になる代償として私たちが失っているものってそういう事なんじゃないかと思いました。
役に立つ新しいものをひとつ求めれば、古いものはひとつなくなっていくんだよ。わかるか?船頭。
色彩鮮やかでありながら尖った印象のない画質。斬新なカット割り。風景に溶け込んだ人と衣装。ジム・オルークのような、ティグラン・ハマシアンの繊細で情感あふれる旋律。ため息を漏らしながら眺めた。監督のこだわった映像と音楽がマッチして見事な仕上がりになっている。
ストーリーは、山本周五郎を思わす。もしくは松本清張「左の腕」。この、穏やかな人々の暮らしが、どこかで亀裂が生まれてくる予感を絶えず抱えながら、世の移り変わりを儚む。近代化の進む明治期、橋の完成とともに渡し舟も無用となる。それは現代においても同様で、瀬戸大橋ができたあとの宇高国道フェリーなんてまるで同じ。人々は楽になる方を選ぶもの。それは人間の英知であるから素晴らしいことなのには違いないが、交通に限らず、便利なものができれば、要らなくなるものは出てくる。それを便利と呼ぶのだろうが、数十年のちに風情がなくなったと嘆くのは身勝手でもある。だが、この映画の言いたいことはその批判ではない。フライヤーに"they sey,Nothing stays the same"とあるように、"無常"なのだ。移りゆく時代に抗えないもの。だからトイチは、「ああ、もちろんだ」と受け入れるのだ。
流れてきた少女は、悪意のない異物である。ただそのために何かが変わっていく。橋のように。
あの少年は、トイチ自身である。人に言えず隠してきた過去でもあろう。船に乗る乗客との会話からそれを読み解く作業は、この映画の仕掛けの上手さだ。
トイチこそ孤独だった。誰か傷付けたのか、捨てたのか、裏切ったのか。自分を失くして言葉少なになった船頭であったのに、自分が生きている意味を手にしようとするラストには震えた。オダギリ・ジョー、しびれるセンスだ。
「死んだ後でも何かの為になろうとしている」
俳優オダギリ・ジョー監督作品に、更に豪華俳優陣の友情参加、高名な撮監、そして世界的衣装デザイナー集結といった印象を伴う、何から何まで沢山の修飾語がスタンプされている作品である。ロケ地も、今の日本に於いてこれだけの原風景が残されている場所はないのではと思うような場所であり、ここからのインスピレーションは無限に拡がる筈なお膳立てである。後はストーリーが壮大に仕上がればパーフェクトといった事なのだが。。。
今作は、鑑賞力の多大なエネルギーを要した。というのも、意図なのであろうか、話のまとまりがあるような無いような、テーマの方向制が“川”の如く一貫性を伴っていないので、観ていて思考ばかりに走ってしまうのである。一つ一つのプロットは興味深いのだ。『新旧の交代』『社会変動』『昔話的伝説やあやかしの話』『古典的村の因習や排他主義』『宗教』『自然と近代化の波』『ペドフィリアの匂い』、ピックアップしていてもどんどん挙げられる程のテーマのてんこ盛りなのである。これに上記の沢山の要素が用意されているのだから、今作のメッセージ性が、互いのテーマを打ち消してしまって、訴えたい想いが感じ足りないのである。
思うに、今作、もっとダークファンタジー色を前面に据えれば良かったのではと思う。勿論、そうなるとどうしてもジャンル映画の部類に属してしまうのだろうが、あの美しい映像美が積極的に訴求できるには“霊的”な切り口が一番似合うのではないだろうかと思う。若しくは逆に、フードを被った川の神的な子供を登場させずに、単に娘が非業の状況に巻き込まれながらも、しかし船頭への父性に心を囚われ、その想いがオーバーフローしてしまう話を中心に置く選択肢もあっただろう。それならば余計なカットや豪華すぎる友情出演ももっとコンパクトにして、マリア様の件も排除して、逆に村上虹朗演じる村人のあの変化を丁寧に描きながら、あのお惚け感しかし正直者の村人が、後半羽振りの良い身なりになった様を観客に落とし込めるのではないだろうか。船頭が娘の出自を隠すために嘘をついたことがきっかけで村人が“嘘・誤魔化し”を覚えてしまい、生活的には成り上がったが肝心の心が荒廃してしまったという、キリスト教的な“禁断の果実”のメタファーを分かり易く語ることで充分それが宗教観を内包できるのではと思うのだが…。
橋を作っている作業人の横柄な態度に対しての心の底から湧き出る嫌悪感等は面白く表現できていたし、そこに黒いエモーショナルを掻立てられたが、次々と舟に乗る客が、登場人物ではなく、役者そのものが乗っているような感じ、興醒めも甚だしい。一つ一つのシークエンスは惹き込まれる程の出来映えなのに、それが“天丼”みたいな状況になってしまうと視点がぼやけてしまうと言うなんとも贅沢で無駄な構成になってしまうのである。
世界観が大変興味深く、昔のおどろおどろしい角川映画を彷彿とさせていただけに、本当に勿体ないと悔しい限りである。
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