黒い司法 0%からの奇跡のレビュー・感想・評価
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もしも自分が、と思いながら観る恐怖
1980年代に実際にアラバマであった、黒人冤罪裁判を描いた作品。
レイシストの白人どもが、真実よりも黒人とみれば犯人と決めつけ、警察や検察が自ら作った筋書きにハメることと面子を重んじることに、怒りが積み上がってからの、最後の展開は予告からわかっていても大きなカタルシスがあった。
去年観た、イーストウッド監督の『リチャード・ジュエル』も冤罪の話だったなと思い出しつつ。
公権力が、真実や正義・安全より、面子や検挙率・安心を選んだ時の地獄っぷりは他人事ではなく、日本でもある話で、もしも自分がと考えるだけで怖かったです。
私は進む 少しでも高みへと。
アラバマ州モンロービル、『アラバマ物語』の舞台。昔とまったく変わらない黒人軽視の社会がまだそこにある。
長い歴史を積み重ねて虐げられてきた黒人たちの連帯感。人種を意識せずに不当に虐げられた人間を憐れむ白人看守の存在。未来への希望は見える。
しかし裁判の結果、道半ばなれど彼らが勝ち取ったものは大きいが、真犯人はいまだ野放しであることに変わりはない。「無実の彼から奪われたものは多い、だがこれを先例とすればより良い社会になれる」と自らを励ます姿の尊さ。徐々にその理想に近づく気配はあるものの、完璧な理想の社会になることはないだろうなあという絶望は付きまとう。ただ、ブライアンとジョニーDは、ジョニーDが亡くなるまで親友だったという事実は救いとなった。
正義と慈悲が失陥したアメリカと言う国で。
もうね。「失陥」って言って良いと思うんです。本来あるべきもの、人間に備わっているべきものが、何者かによって奪われて欠損状態にある、って事なんで。ちょっと視点が偏ってるし、厳密な定義から外れるけど。アメリカの場合です。
州高裁の法廷でブライアンは「法の正義が守られること」を願い、判事に訴えます。ラストシーン、ブライアンは聴衆に向かって "Justice" と "Mercy" が必要だと演説する。でも、タイトルは”Just Mercy”。突き詰めれば、ただ”慈悲”が欲しい。つまりは”死刑廃止”って解釈になるんかなぁ、と一瞬思いましたが。
ちょっと違うかも知れない。
インターンとして死刑囚訪問をしたブライアンは、収監されている同い年の黒人青年に出会い、何かに突き動かされる。"Just Mercy"は、ブライアンを闘いに向かわせている動機が何なのか。何が彼に、30年もの長き闘いに向かわせたのか。「ただ慈悲の心から」。実際の人物像は存じ上げ申さぬが、言います。「心から尊敬申し上げます」。
弁護士と言えば、スキャンダルを見たばっかだったもんで余計にね。
あれだけの新証言を提示しながら、再審を認めない郡判事。無能のそしりを逃れるために事実をでっち上げ、ご丁寧にシナリオを書き、役者を準備して、無実の市民に死刑判決を下す人々。
電気椅子のシーン。独房で打ち鳴らされるコップのリズムと、通気口から響いてくる声々に、哀悼の涙。
再審開始の報を信じて疑わなかったのに、下された判定のクソっぷりに、無念の涙。
ブライアンの突然の訪問に気を悪くしながらも、法廷で法の正義を下す側に転じた検事の言葉に、ガッツポーズで涙。
ちょっと涙もろくて、あれなんだけど、その他にもね。5分間時間を与えてくれた新人看守の姿だったり。ブライアンを迎える、無実の罪を晴らして欲しい一族達の姿だったり。結構泣かし何処、たくさんあります。
役者さんも良かったです。
ベタっちゃー、ベタですけど。
こんなんが、本当に大好き。
良かった!とっても!
今のところ、今年一番です。
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(3/2) またまた、どうでも良い追記。
もうすぐエジソンの映画が公開されるんですね。で、電気椅子です。19世紀終末から20世紀初頭に掛けたアメリカの「電流戦争」は、「直流送電」を推進するエジソンと、「交流送電」のウェスティングハウスの戦いでした。アルフレッド・サウスウイックが考案したとされる電気椅子。実際に電気椅子の開発に着手したハロルド・P・ブラウンは、エジソンの支援を受けていました。エジソンの狙いは、ウェスティングハウスの「交流送電」が危険で致命的であることを人々に印象付け、電流戦争に勝つことでした。実際、エジソンが実行したネガティブ・キャンペーンの数々は、下衆としか呼びようの無いモノばかり。人間のクズです。これ、あくまでも、21世紀のモラルに照らせばですけどね。
電気椅子には、エジソンの狙い通りに交流が使用されます。「囚人を処刑する送電方法と同じ方法で家庭に送電して欲しくない」となるはずだった世論は、そうはなりませんでした。エジソンのネガキャン、やり過ぎたんちゃいますか?
もうすぐ公開のエジソン映画、どんな人格描写になるのか、楽しみです。
見応えのある映画
邦題のほうがしっくりくる
法の下の平等なんて、所詮綺麗事だというアメリカ社会に根深く残る人種差別の問題を反映した作品テーマからすると、原題よりもメッセージ性が感じられる。
ただ、白人の囚人にも等しく寄り添っていた原作者のブライアン・スティーブンソン弁護士が一番伝えたかったのは、ラストシーンの説明字幕にあった死刑判決の過誤率の高さに象徴されるアメリカの刑事裁判の杜撰さだろう。
そういうことにスポットを当てたという意味では、普段なかなか陽の当たらないこうした人権派弁護士の活動を描いたこの映画は良い企画だったと思う。
また、ジェイミー・フォックスの哀愁を感じさせる眼差しは、この役どころにピッタリだったし、この人を見ると何故か気持ちが安らぐ。
人間の愚かさと恐ろしさを改めて思い知らされました!
まず1番衝撃だったことが、この話が実話を基にしており、しかもたった30年ほど前のごく最近の出来事を描いているということだ。
現在でも一部の人々による人種差別的な行動があることをニュースなどで知ってはいた。しかし、政府や組織的な差別は南北戦争ごろまでの話で、自分が生まれる以前の出来事だと思っていた。
しかし、この映画では1990年の前後を描いており、私自身が生まれたあとの最近の話であった。さらに劇中にも出てきたが、30年服役した後に、2015年にやっと無罪で釈放された事例もあるということに、ただただ衝撃を受けた。
昨年アカデミー賞の作品賞を受賞した『グリーンブック』でも人種差別を描いていたが、1962年と南北戦争真っ只中の人種差別を描いていた。
それだけに、今回の映画を見て、人間の愚かさと恐ろしさは本質的なモノで、今も昔も変わっていないのだと思い知らされてしまった。
自分たちとは異なる者に恐怖を抱き、その結果差別や迫害をしてしまう事は、人間の本質的な弱さによるものなのだろう。
一方で主人公のブライアンの様に正義を貫き、真実を求めて社会に立ち向かって行動できるのは、人間の本質的な強さなのだと思う。
どちらも人間的な本質であり、だからこそ自分自身が前者になっていないかという事を考えさせられた。
私たちの身の回りでも、多数派が善で、他の人とは違う考えを持つ人々を悪と捉える人が多い様に思う。
もっとたちが悪いのは名前や顔を隠しながら人を平気で傷つける行動を取ってしまう事で、これも人間の弱さの部分からくる行動なのだろう。
私自身も偏ったモノの見方ではなく、本質的な部分を捉えて、周りに流されないブライアンの様な強い人間になりたいと思った。
こういう映画こそ多くの人に観てもらいたい。そして、自分自身が白人側になっていないか、ブライアンと同じ立場になった時に同じ様に正義を貫けるのか第三者的に見つめ直して欲しい。
私自身ブライアンの様に振る舞える自信は正直ないが、もしブライアンが目の前にいたら応援して協力できる様な人間にはなりたいと思う。
偉そうな事は言えないが、そういう人が増えれば社会がもう少し優しくなるのではないかと思う。
俳優陣の演技も素晴らしかった。
無実の罪で死刑囚となったマクミリアン役を演じたジェイミーフォックスは、本当に色んな役をこなせる素晴らしい俳優だと思う。エンドロールで出てきたマクミリアン本人の写真を見た時に、そっくり過ぎて俳優としての力量の高さを実感した。
社会に立ち向かったブライアン役のマイケルBジョーダンはブラックパンサーの敵役(キルモンガー)で初めて見た。その時は主人公のブラックパンサーよりも存在感がありカッコイイなーと思っていたが、今回は嫌がらせに遭い、打ちのめされそうになりながらも、立ち上がって正義を貫く弁護士を演じ切っており素晴らしかった。
それでも僕はやってない
いま見るべきアメリカのリアル黒人差別
黒い司法MOVIX三郷にて鑑賞マイケルBJがかっこよすぎてパンフ購入。
好きなタイプの作品だった。
人種差別の根強い社会、、本当怖い、、。生きる希望も持てない。でもこれが差別の現状を知る良い題材だと思った。死刑執行(電気椅子は特に衝撃)のシーンや不当に逮捕されるシーンを見てすごく胸が痛くなる。
監督の前作ショートタームも好きだったのですごい、満足
観賞後の余韻がすごく残ります。それにしてもアメリカの実話の話はすばらしい映画が多い印象(リチャードジュエルなど)
映画としてはもうひと超え欲しかった。
事実に基く物語、それも社会派の感動作にケチをつける様で気が引けるのだが、正直なところ「新味に欠けるなぁ…」と。
相変わらずご丁寧にサブタイトルで結末は自明。もうホントにやめませんか。『JUST MERCY』で十分では?
もちろん起きている事は確かに残酷ではあるし象徴的。電気イスでの処刑に絡むシーンなんかも印象的ではある。
裁判で証人が偽証を認めたのに判決が変わらないという事態になっても、ブライアンに「でも、私は真実を手に入れた。もういつだって笑って逝ける」と言うウォルターにはグッと来たし、最高裁で無罪判決となったシーンには感涙した。
だけど、この街、また黒人社会そのものが瀕している事態についてはかなりマイルドに描いている感じがした。
ウォルターの家族だって、ホントはもっともっともっと苦しんでいたはずなんだ。
さらに、判決が覆るのもごく少数の白人の「良心」頼み。
実話をどれだけ脚色するかの是非はあるんだろうけど、個人的には「いやいや、現実はそんなレベルじゃないだろ」と思うし、それがあればもっと映画としてのラストはカタルシスがあったと思う。
現代においてもなお、肌の色で差別され続ける人々の苦悩とその為に戦う若者の姿を描くというこの作品のテーマそのものはしっかり伝わる良い映画。
あとは好みの問題、かな。
衝撃を受けました
たかが20年前、こんな状況が存在していた。。
【あらゆる差別、偏見思想をぶち壊せ!世界の現状に鋭い警鐘を鳴らす作品。メインキャストを演じた俳優達の抑制した演技が、直面する深刻さ、怖さを浮き彫りにした作品でもある。】
舞台は人種差別思想が色濃く残る1980年代、アラバマ州の田舎街。
ブライアン(マイケル・B・ジョーダン)は"北"から来た若き弁護士。ある理想を実現させるためにやって来た。
が、彼とその仲間達(エバ:ブリー・ラーソンetc.)が直面したのは、この地に根強く残る”風土”。
検察がでっち上げた"死刑囚"ウォルター(ジェイミー・フォックス)の無実を長年かけて晴らす過程には唸らされるし、結果には喝采する。
(若い白人警官のブライアン達に対する接し方がどんどん変わっていく所をさり気無く写し込んでいるのも良い。)
が、 現在でも、世界各地に蔓延る事象を考えると、暗澹たる気持ちになる。
検察官が、ウォルターを殺人犯に仕立てた手口が、巧妙で汚い。
所謂、司法取引というモノだ。マイヤーズ(ティム・ブレイク・ネルソン)に巧妙に圧力をかけながら、嘘の言葉を言わせたことが明らかになる件など、どこでもやっているのではないか?と思わせる程である。
ブライアン達が執念でマイヤーズの嘘を暴いた決定的な証拠を提出したにも関わらず、そしてマイヤーズ自身が嘘を言った事を認めたにも関わらず、裁判官(男性)は、ウォルターの死刑判決を覆さない。
それでも、ブライアンは諦めない。
検察の”冤罪ドキュメンタリー”を作り、検察を追い込んでいく・・。
そして、検察側が裁判で取った判断。(この時の裁判長は女性・・)
日本でも検察の控訴断念事例は枚挙に暇がない。そして、その多くは偏見に起因しているのは皆が知っている事。
(戦前、終戦直後は知的障がい者がターゲットにされた・・)
アメリカでも国を統べる唾棄すべき人物の不寛容な思想に基づいた愚かしき政策の数々。
日本国は大丈夫か?
〈今作品の原題は”ジャスト・マーシー”。
相手を敵対視するのではなく、慈悲の心で包み込む姿勢が、現代社会の風潮を変える第一歩だと、私は思いたい。
鋭い警鐘を私達に鳴らす、素晴らしい作品である。
今作品を制作し、上映に漕ぎつけた方々の執念に敬意を表します。〉
実話の映画化についての雑感
Based on a true story
実話に基づくストーリーの映画化、アメリカには本当に多いですね。
同時に公開されているフランス映画『レ・ミゼラブル』と連続で観てしまったせいか、理性でなく感性として希望よりも絶望が上回り、正直、少しきついです。
なので、実話に基づく映画、についての雑感を少しだけ。
近代の戦争だけでなく最近のテロ関連も含めた軍隊・部隊・作戦もの、政治(家)もの、ウォール街的な経済もの、『ギフテッド』のような子ども関係、カルト教団や悪魔信仰系、『ハドソン川の奇跡』のような事件・事故に材を取ったもの……
翻って日本では、映画の題材になるような事件・事故、ヒューマンドラマが少ないのか、或いは実話を映画として公開しづらい環境的要因があるのか。
たとえば、
・政治関連…政権への忖度?、情報開示の制約?
・事件・事故…当事者への配慮・遠慮(アメリカのように国内でも時差があったり、州が違えば別の国というほどの多様性や物理的距離、空間的距離がないので、日本では事件・事故の全貌が明かされることへの配慮は欠かせない)
・ヒューマンドラマ…市井の人たちの活躍はワイドショーで食い尽くしてしまって、映画化される前に陳腐化してしまう?例えば、スーパーボランティアの方など、どうなんだろう。
それから、いい話や人間ドラマは映画化される前にNHKが地上の星やプロフェッショナルとして紹介してしまうから、ということもあるかもしれない。
もしかしたら、日本の映画界には、すぐそこにあるはずの題材を発掘したり拾ったりして商業ベースに乗せるまで、プロデュースできるシステムや人材や資金を集める力が全体として不足しているのか、或いは未成熟なのかもしれないですね。だとするとちょっと寂しい話となりますが。
そうは言っても『37セカンズ』は素晴らしかったし、3月の『Fukushima50』にはとても期待しています。
真実はもっと辛い戦いなんだろうなぁ
よかった
心が震える、ってこういうこと
そう思わせてくれる映画でした
黒人は生まれながらに有罪
証拠も証言もなくてもいい
でっち上げでもいい
そんな驚くような背景で、多くの人々が無実のまま死刑宣告を受け、実際に命を奪われる現実がある
そして、実際の犯人は野放しのままだ
そんな現実に立ち向かった弁護士のブライアン・スティーブンソン
彼とその仲間たちの成し遂げた偉業の、ほんのかけら、
けれど、守られた大切な生命がこの映画では描かれる
全くでたらめの証言だけで、まともな裁判もなく、死刑を宣告されたウォルター・マクミリアン
再審請求は却下され、すでに数年を死刑囚として刑務所で過ごしている
彼の無実を確信したブライアンは立ち上がるが、そこに立ちはだかる妨害や壁
果たして、ブライアンは、ウォルターを救い出せるのか
観ながら、途中途中で4回、涙が溢れた
悲しさではなく、心が震えて
涙は零れずとも、心が揺さぶられるシーンは他にもあった
真実が通じない、正義が貫かれない
そんな逆境の中でも、ウォルターが語る魂の気高さを見せる言葉
観ているこちらは、なんとしてもウォルターを助けたくなる
そして、劇中に二度出てくる打ち鳴らされる金属音
この音の意味するもの、その言葉ではないものに涙が溢れた
ブライアンだからこそ、起きた展開の数々
貫かれない正義がまかり通る世界で、何を守っているのかわからないような検察
劇中でも、ムカつく相手たちでしかない存在
しかし、本来であれば、敵対し、相手を負かすことだけに目がいってしまうような状況下で、
ブライアンのとった行動に驚かされる
この行動が、のちに大きな展開のきっかけになるのだけれど、その展開を起こしたある人物の行動にも驚かされる
とてつもない勇気が必要だったはずだ
全てを投げ出す覚悟が必要だったはずだ
でも、それを成し遂げた
同じように勇気を振り絞った人物は他にもいるけれど、その人の行動にもまた心を動かされた
それもこれも、ブライアンの人となりが為せる技だった気がする
Do the right thing(正しいことをしろ)
よく映画でもドラマでも聞かれるこの言葉
まさにこれ、なんだよな
そして、この映画を観たことで、死刑について、再び考えさせられた
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