黒い司法 0%からの奇跡のレビュー・感想・評価
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原題 JUST MERCYには深い意味がある
【鑑賞のきっかけ】
本作品は、劇場公開時、注目していたのですが、鑑賞を逃してしまいました。
今回、動画配信で鑑賞することに。
【率直な感想】
<「アラバマ物語」との接点>
本作品は、実話に基づいた作品であり、主人公の黒人弁護士、ブライアン・スティーヴンソンが2014年に発表したノンフィクション「黒い司法 死刑大国アメリカの冤罪」を原作としています。
主人公は、黒人死刑囚の支援のために、アメリカ北部からアラバマ州にやって来た弁護士。
ここで、1987年に起きた少女殺害事件で死刑判決の下った黒人死刑囚と出会い、冤罪と確信。再審査請求により、無罪を勝ち取ろうと奮闘します。
映画の好きな方であれば、「アラバマ物語」という1962年のグレゴリー・ペック主演の映画作品を思い浮かべることと思います。
本作品でも、物語の初めの方で、主人公の弁護士が、後に法廷で対決することとなる地方検事を訪ねた際、「『アラバマ物語』の博物館があるので、立ち寄ってみるといい」と薦められるのですが、これはとても皮肉な展開です。
「アラバマ物語」は、本作品同様、黒人差別を扱った映画です。こちらも動画配信で、数年前に鑑賞したのですが、鑑賞直後の私自身のレビューの一部を抜粋します。
「アメリカは憲法修正第13条が成立し、奴隷制が廃止されたのが、1865年であるにも関わらず、本作品の舞台である、1930年代どころか、制作当時の1962年でさえ、差別意識は強く残っていたようです。ただ、この60年代は、公民権運動が盛んとなり、差別意識解消が強く進んだ時期とされていますので、本作品はそうした状況下で発表された作品として、大衆に広く受け入れられたのではないでしょうか。」
本作品は、この「アラバマ物語」制作から20年経ってからも、黒人差別は続いていたというものであり、しかも、黒人死刑囚の有罪を信じて疑わない地方検事が、「アラバマ物語」の博物館を薦めるという展開に驚かされました。
<原題 JUST MERCYとは>
邦題の「黒い司法」は、原作本の邦題と同じですが、原題は、映画も原作本も、「JUST MERCY」です。
「MERCY」は、「慈悲」という意味で理解しやすいのですが、日本人にとってやっかいなのが、「JUST」です。
直訳すると、「ただ慈悲あるのみ」なのですが、これだと無味乾燥です。
そこでもう少し調べてみると、「公正な」という意味があるらしい。
つまり、「公正な慈悲」なのですが、これでも何となく意味不明な感じ。
そこで、どの箇所かは記せないのですが、主人公が自分の考えを吐露するシーンがあります。
「If we can look us for closely, and honestly, I believe we will see the all need justice. We all need mercy.」
(私たちが自分自身を注意深く、正直に見ることができれば、すべての人が正義を必要としていることがわかると私は信じています。 私たちは皆、慈悲を必要としています。)
上記は、mercyは出てくるけれど、justは出てきません。
でも、justから派生した単語が出てきます。
それは、「justice(正義=司法)」。
justiceとは、「judge(裁判官)がjustな刑期を決める過程から来ている」という説があるそうです。
本作品の原題が、「正義」や「司法」に繋がっており、そこに重要な要素として、「慈悲」の心が必要と訴えていると考えることもできるのではないでしょうか。
【全体評価】
正義=司法とはかくあるべきということを勇敢な弁護士が身を以て示したという実話ベースの作品として、大きく胸に響く良作であると感じています。
実話
実話を2時間ちょっとに凝縮しなければならないと、どの部分にスポットを当ててどの部分を削るか。
うまくいった作品だと思う。
1980年でもこれだけの差別やあからさまな嫌がらせが横行してたなんて。
より良い世の中になって欲しい
心の中の正義と向き合い、社会の価値観を変える
2023年最初の映画は黒い司法。
アラバマ州の刑務所に誤認逮捕され、無実訴える死刑囚と黒人差別のある州で弁護士となった黒人男性の話。
事実を基にした話と言うところが1番のホラーだ。
そして、近年ポリコレでさも白人社会は黒人を差別、奴隷化してた歴史なんてありませんよ?とすっとぼけたキャスティングをしているハリウッドに反旗を翻すような映画だった。
私が幼い頃見た映画では「黒人は死ななかった」白人の主人公の補佐的役割で「白人の仲間の絶対死なない脇役」だった。
どうして黒人は良い人に描かれるんだろう?と感じていた。そうして、白人社会が黒人差別をしていた歴史を知ることとなった。
今でこそ、差別主義者の方が世間からの批判を浴びる世論になってきたが、私はポリコレの強引な差別意識撤廃の姿勢が嫌いだ。
差別があった時代に役職の高い地位に黒人がいたり、アジア人がキャスティングされてたりすると違和感を覚える。
歴史的に差別も奴隷化も行われたし、今現在も差別は行われている。
映画とは後世に残る作品だからこそ、時代物の映画であれば当時の価値観でキャストを選ぶ必要があると思う。
自分の中にも差別意識はある。
白人は傲慢で自信家で金持ち。
アジア人は頭は良いけどルックスがイマイチ。
黒人は奴隷や窃盗集団。
パッと考えたマイナスのイメージはどこから生まれた?
これは私が育った時代だ。
ただ、黒人への差別意識を改め、黒人の大統領が生まれた時代でもある。
なぜ、変わったのか。
それは今作の主人公ブライアンのように、暴力ではなく知識と良心で白人社会と闘った人がいたからだ。
社会の価値観を変えるのは当事者でしかない。
作中でも描かれていたように、囚人でもないのに服を脱がされ、鼻で笑われながら中傷されることが常習的に行われていた時代もある。
自分の生きる社会の価値観を変えようとするならば、当事者が声を上げ、どういう価値観を社会理念として根付かせるかを発信し続けなければならない。
それは途方もなく時間のかかることだし、馬鹿馬鹿しいことだ。
差別や偏見とは自分の知らない世界で起こる。
知らないものは恐怖の対象だ。
恐怖する対象には攻撃的になるし、相手を組したくなる。
安心したいからだ。暴力はそれを容易くさせる。
知らない世界を知ろうとする、分かろうとする心が育つことで差別は無くなりはしないけど緩和すると思う。
「我々は試されています」
正しく差別を理解するのか、安易に差別が無くなったと認識していくのか。
相手を知ろうとする心と自分の心の中にある正義を育てていきたいと思った作品でした。
南部の闇
黒い司法という邦題、なんなん。
さて、私は1976年生まれ。私の物心ついた時には、地元に住む部落民への差別なんてなかった。
ただ、父親は少し部落民と接触しようとしていなかったような記憶は朧げながらにある。まあいい。
この映画は1980年代の話だから、私がこの世に生を受けのうのうと生きている中、アメリカ南部に生きる黒人は未だ虐げられていたというわけか。
公僕であるはずの警察が、事件の真相など二の次で面子を重んじ、黒人を殺人犯にでっち上げるとは。
アメリカでは随分と人種差別への取り組みが盛んだと勝手に思っていたが、そのスタートラインの低さもこの映画から汲み取ることができた。
エリート弁護士の強い信念が実るラストには感動するが、正直同様の冤罪事案が数多にあるという事実が私は一番衝撃的だった。
強い信念
実際に怒った話ということで深みがありました。
私が生まれていた80年代にこういった、国家権力が差別観点を持っては本当にダメだと思いました。
エンドロールにもありましたが、顔が犯罪者っぽいって理由で。ほんとひどい。
本作は、シリアスな内容はさることながら、主人公のマイケル・B・ジョーダンが誠実な弁護士を熱演してくれました。
また、冤罪で逮捕されたジェイミー・フォックスがいい味を出してました。
この作品は、誰にもみて欲しい映画でした。
我々は試されている、恐怖による支配または法による支配どちらを選ぶのか
名門ハーバード大学生を卒業後、弁護士となった黒人ブライアン。黒人差別が激化した1990年代を舞台に、一つの実話である冤罪事件に焦点を当てた今作品。東洋人である私は黒人差別は用語としての認識あるが、実際にこの映画のような扱いをされているとすると唾を飲む事も重くなりました。白人が支配している警察、検察側からの安易かつ不十分な証拠、真実を証言すると偽証罪、自分達に不利な行動をしようものなら理由もなく拘束、とても理不尽かつ捻くれた世界観と感じました。これを劇場で見なかったのは悔やまれる。主演はブラックパンサーのマイケルBジョーダン、その側近にブリーラーソンとまさかのmarvel出演組。
最後にブライアンの言葉を一部
『理想だけではなく、強い信念。そして希望を捨てない事。絶望は正義の敵である。権力者が捻じ曲げても希望があれば前に進める。座れと言われても立ち上がれる。貧困の反対は富ではなく、貧困の反対は正義です。国のありようは富裕層がどれだけ優遇されているのではなく、貧困層や弱者がどのように扱われているかです。・・・』
貧困の逆は正義
GWワイルドスピードから観賞
1987年の事件ということはロスオリンピック後、日本ではバブルにむかう最中にこのような事件がおきていたとは…
エバ役のブリー・ラーソンが良いアクセントになっている
『やめても責めないよ』
『息子に思われたくない
ママはビビって正しい道をあきらめたと』
弁護士はもちろん彼を支えるエバがどんな人物かがこのセリフで理解できる
貧困の逆は正義
差別による暴動はこの言葉に込められている
裁判に勝つことよりも、重要なこととは
本来は〈裁判に勝つ〉ことが重要なはず。冤罪であれば尚のこと。
しかし、闘う二人にとってそれよりも重要なことが〈真実を証言してくれる人間がたった一人でも現れたこと〉なんですね。
その発言は大きな嘘や権力の前にたった一粒穿たれた水滴かもしれないけど、自分のために公平な証言をしてくれる人がいて、その証言が信じてもらえなかったとしても、聴衆がそれを聴いている。
それだけでいかに心が救われるのか。それを教えてくれた映画だった。
弁護士によっては、裁判に勝てなければ負けなのかもしれない。だが肉体の牢獄よりも心が解放されること、こちらのほうが人間にとっていかに大切か、それが身に沁みた。
実話
たった40年前のアラバマでの実話。
死刑制度には賛成だが、日本みたいに三権分立がしっかり機能していないと悲惨なことになる。
捜査が杜撰どころか、黒人を目の敵にしている感じがして悲しい。
最後検事が正義のために証言を覆したのが良かった。
所々泣けるシーンあり。
WILLERのバス車内のサービスで見た。
良い映画!
久々に感動した。実話ならではの。
30年前の話だけど、クソッタレな人種差別はいまだに根付いてるアメリカ。
今の話なら良かったのに。
これ観たら、今の中国の人権侵害を叩いてる姿勢には違和感も感じる。利権とか政治とかの兼ね合いもあるんじゃん? そこは嫌だけど中国の言う通り。
正義は真実の上に成り立ってほしい。
そういった意味では、日本の冤罪も改めて感じさせられる映画だった。
泣けた。
実話だけに説得力があります
実話であるという黒人弁護士の活躍を描く一方でむちゃくちゃな裁判で無実かもしれない人が死刑にされていったのもまた実話。
そこには黒人対白人という対立軸があって貧富の差も当然のごとく描かれている。
住んでいる場所も建物も見ただけで違うとわかるし黒人につく弁護士はヤル気の無い奴ばかり。
主人公も最初はやりにくかっただろうけれどだんだん誠意が通じ最終的には信頼を勝ち取っていく。
この映画に出てくる白人警察官の黒人の見る目のやらしさや、傲慢さは昨今、警察官の黒人をむやみに殺害する状況から、アメリカ社会は人種差別の歴史は進歩していないんだろうなと思ってしまう。残念だけれど。
でも、日本も至る所で差別はあるんだろうけれど・・・
この映画を見た白人はどう思ったのだろう。
少なくとも見た人自身が人種差別しないと思ってくれたらすごく価値のある映画だろう。
登場人物みんなの素晴らしい演技が光っていた。
ところで真犯人は見つかったのだろうか?
わたしはパトカーを運転していてつけ回していた警察官が怪しいと思っていたのだが・・・
公正であること
このタイトルからして差別的だということを、そろそろ日本人も差別意識について真剣に考えた方がいい気がする。
罪もない人を死刑にして、食べる食事は本当に美味しいのかなぁ。本当に幸せなんだろうか。。。
差別すればするほど己が苦しみを生むだけなのに。
釈放された時に、家族が、それでも、おぉ主よ。と、感謝していたのが切なくてたまらなかった。
アメリカの差別はいつなくなるんだろう
2021年8月26日
ストーリーもテンポも適度で観やすかったです。
展開が読めるので、そんな感動はありませんでした。
ただ、この映画のすごいところは実話なことでした。
アメリカ映画にこの手のものが多いですが、いつの時代になっても黒人差別は無くならないですね。
21世紀になってもアメリカでは黒人差別による死者が毎年発生しています。
いつかこういう映画がなくなる時代がくるといいなぁと思いました。
差別との戦い
いい話だった。実話とのことで、正義を体現しようとする弁護士の戦い。アメリカではこういう映画がとても多い。それほど根深い社会問題なのだろう。
自分の人生をかけて、貧しい人のために正義を貫く彼の姿はとても美しい。
救済ができずに死刑執行となった男の、誰も恨んでいない
というセリフに涙した。
0%の奇跡とはどのようなものなのか。全くこの作品について予備知識が...
0%の奇跡とはどのようなものなのか。全くこの作品について予備知識がなく、DVDのカバーで興味をもって借りてみた。
あらすじ
冤罪の死刑囚たちのために奮闘する弁護士ブライアン・スティーブンソンの実話を、映画化した作品。
黒人に対しての差別は法律上はないものの、1980年代の米アラバマ州では根強い黒人差別が横行していた。なんと、犯してもいない罪で死刑宣告された黒人がとても多かった。その現状を知って、新人弁護士のブライアンが立ち上がった。冤罪を証明すべく奔走するが、再審請求はすべて棄却されてしまう。その裏には、仕組まれた証言や白人の陪審員たち、証人や弁護士たちへの脅迫など、数々の困難に直面する。
ウォルターという黒人男性が、白人女性を殺した容疑で死刑判決を受けた。彼が犯人であることを示す証拠は一つとして存在しなかった。それにも拘わらず、検察側は誘導尋問などを駆使してウォルターを犯人に仕立て上げたのである。まさにずさんな状況であった。憤慨したブライアンはウォルターの無実を必ずや証明すると心に誓い、その弁護を買って出た。当初、ウォルターは「大学出のインテリ先生に差別の何が分かるというのか」などと頑なな態度を取るばかりであった。それこうして、ブライアンとウォルター、エバの3人は司法制度の不備及び黒人への差別意識という難敵と闘っていくのだった、エバの3人は司法制度の不備及び黒人への差別意識という難敵と闘っていくのだった。
本来、中立の立場である裁判所が中立で裁判していなかった。不公平がまかり通っていたのだ。
一度、再審請求が棄却された時点で冤罪をはらす手段がないと思えた。しかし、アメリカ全土に呼び掛けたこともあり、検察側が起訴を取り下げ、こウォルターの無罪、そして放免となったのだ。まさに地獄からの生還である。さすがのこの場面には涙が出てしまった。
感動の作品といっていいだろう。
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