ジョーカーのレビュー・感想・評価
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負の感情が辿り着く先。
私は本作の「狂気」という宣伝文句に少し安心しながら見始めていた。「狂気」の表現は大概、自分自身とは無縁といっていい表現であるし、物語を通して「狂気」にふれるとき、一種の怖いもの見たさのような、安全な場所から危険な様子を見て好奇心をくすぐられるような感情を楽しんでいた節がある。
ただ、実際のところ本作は「狂気」の物語ではなかった。むしろ日常にある負の感情や自身の中だけで凝り固まっていく感情が少しずつ膨張していって、「社会の中の自分」という外郭を破って出てきた自己主義的な主観風景が前に出てきてしまった、というように感じた。そうなってしまうキッカケは誰にでもあって、主人公・アーサーは運悪くそのキッカケに出会いすぎてしまった、というような感覚を抱いた。上映が始まる前の安心感みたいなものは、すぐに無くなってしまった。
この感覚を抱いてしまったのはきっと、アーサーの日常風景がすごくありきたりなものに見えたからだと思う。母と噛み合っているのかいないのかわからないような会話をしたり、テレビの向こう側の華やかな世界を見て自分もその中で選ばれた人間になれたらと妄想したり、良いことがなくて背中を丸めながら階段を登ったり…どれもアーサーの生活の一部であり、そして誰にでもあるすごくありきたりな風景だ。しかしそれは誰にも見られたくない負の感情を抱えていて、その負の感情をあそこまで生活臭のする空気感で描かれると、ジョーカーが突き進む先は私の世界と無縁の「狂気」だ、と言えなくなる。
この作品で見せつけられた結末は「狂気」という非日常の異常性ではなく、日常の中で積もっていく負の感情が辿り着いた先なのだ。そのリアリティが「狂気」とは違うゾッとするような恐怖を生み出し、本作の魅力になっているのだと思う。
狂気 ✕ 妄想 + 幻想 = 現実 ?
実はず〜っと昔にBDを購入していたのに、観たつもりでいて、全く観ていなかったと云う大チョンボ(古いねw)に気付き、「ダークナイトシリーズ」を観終わった記念で、気合いを入れて鑑賞。
これから書く感想は、極めて主観的なモノなので「そんな映画じゃないよ」と思う方には、先にお詫びしておく。
さて、何らかの精神障害を抱えている人は、程度の差こそあれ、何がしかの「この感覚は、普通の人とは違うんじゃないか?」と云う、全く確証の無い《不安感》みたいなものを必ず持っている。
周り中の人が笑っていても、自分には全然笑えなく感じる事や、世間が「変わった(人の)言動」と認識している事象も、自分には《そんなに可笑しな゙事では無いよ》と思える“様な時”が、しばしば想起されるからだ。
そうすると「自分は社会一般から“逸脱して”生きているのではないか?」と云う〈不安〉に直結してしまい、周囲の誰から「そんな事ないよ、別に普通だよ」と言われても、疑心暗鬼に陥ってしまう時が少なからず有る。
この作品は、そうした精神障害の極め付けみたいな主人公が、貧富の差や治安の悪い都市とタイミング悪く絡みついてしまうと、《こんなに恐ろしい怪物が、世の中に生まれるかもしれない》と云う、想像可能な作品に成っている。
又この作品には、単なる狂気だけではなく『強い妄想』も多く含まれている。例えば同じ階の若いシングルマザーとの《淡いロマンス》や、ピエロ仲間が押し付けた拳銃の《銃弾の残弾数》、突如爆笑すると云う気味の悪い発作の《出現するタイミング》等々、物語と合致しない点(≠現実)が散見される。
そして、制作陣が語っていた本作品の舞台背景にした、1981年頃の最悪の治安状況だった頃のニューヨークは、時にリアル、時に幻想的且つ殺伐とした雰囲気を良く作り出し、それら全てを上手に絡めたことによって、この物語を『何処から何処までがリアルで、何処から何処までがウソなのか分からない』、得体の知れない『異様な現実感』を強く放つ物語として創出した。
貧困により薬を止められる恐怖、その発作が故に起こしてしまった悲しい事件、元々の精神疾患を端に発した最悪の人生を歩んだ母親、その母にネグレクトされた記憶すらも思い出せない気の毒な主人公、それら全てを覆う社会不安…、これらはいつ何処の国でも「今後、未来に出現する可能性が無いとは言えない恐怖感」に、観終わった際、自分は打ちのめされるほど圧倒されてしまった。
『悲劇は喜劇にも成り、喜劇は悲劇とも成り得る』の格言通り、悲しさや恐ろしさと気の毒なタイミングでつい笑ってしまう可笑しさが綯い交ぜに成った、宣伝文句にある通りの《狂気の傑作》が、正に本作だと思う。
コレをワーナーやDCが、良く何の注文も付けずに作らせてくれたなと、アメリカ映画界の懐の深さ(?)につくづく感心したし、「ダークナイトシリーズ」ファンもよくぞ許したなと笑ってしまったw。
そして世界中の精神疾患を抱える人達が、この作品をスルー出来たことにも驚嘆の思いがした。
個人的には「内角高めのビーンボール」みたいに感じたが、皆さん強いんだねぇw。
喜劇いや悲劇
四方八方に虐げられ生きてたアーサーはこの世に対する屈辱感と裏腹に笑いにしていた。銃を手に入れたら不快感とトラウマが引き金で人を殺すが、これは人の負の心の鏡となり多くの人はピエロの変装をして殺人を起こすことなどたくさんした。同時に彼の悲観的な芸風がブームになり初めて売れ人として認められた気になる(アパートの女性との妄想もそう)。ただ彼は自分の起こした事件が引き金で多くの人の負の心や政治運動に繋がったことも長らく実感してなかったが、負の心の象徴になったことへ怒りの感情を抱いたのだと思う。こうして人々の象徴になり、ピエロになった。大衆がしてほしいことが変わっただけで、彼が恨んだ上流社会階級や政治家、母の元カレを初めとしたお笑い芸人と裏腹に低社会階級の人々は反政府と人を取り合えず殺すことを求めていて、それが嫌だったんだと思う
余談だが作中に出てくる女性は母親以外基本肌が黒い人だが、黒人の女性なら言うことを聞いてくれると思い込んでいるのだろうか。このことも彼自身が低流階級をコンプレックスに思ってることの象徴ではないだろうか?要するに低階層の自分自身にもスティグマを内包しているから無意識的なレイシズムも持つことで、安心しているんだと思われるし、彼の人生は悲劇ばかりの喜劇だった
やはり傑作
2を鑑賞した上で再度鑑賞。
やはり傑作ですね。
悪のカリスマ…いや、弱者のカリスマ誕生譚としてはこれ以上のものは無いのではないでしょうか。
皆少なからず持っている鬱憤の結晶を具現化したような偶像なのでファンが付いてしまう理由もよくわかります。
右手はアーサー、左手はジョーカーというのを最近見ましたが本当にそうなっていて驚きました。
こんな仕掛けまであったんですね。
いやー、おもしろかった。
カラフルな喜劇?
ジョーカーを観た事がないままフォリアドゥを観て
個人的にはかなり刺さる作品だったため、
帰宅後配信にてこちらも鑑賞。
家庭内でも社会でも居場所を見出せなかったアーサーが
衝動的な出来事をきっかけに「ジョーカー」として崇められていく。
終盤、自らの血でピエロの口を描くシーンは鳥肌が立った。
ジョーカーの標的となっていった人間達は、
当然の報いと感じてしまったのは、
私の中にも狂気があるのだろうか。
決して犯罪を許す訳ではないが、
人間の奥底に誰しもあるドロドロの部分を
ジョーカーが体現してくれたことが、
日々の生活や社会の闇の部分とも重なり評価を得たと感じた。
音楽も素晴らしく、カラフルな色彩に惹き込まれる映画だった。
2を観てから観返してみて(考察入り)
映画館で観たんですが、2の違和感というかモヤモヤを晴らしたいと思い、アマプラで観返しました。
やはりこちらはシナリオ、演技、アドリブ、映像表現どれも素晴らしいです。内容は初っ端からすごく不条理でやるせないのに、観終わった後の不快感や嫌な感じはありません。たぶん、最後までアーサーが生き生きしてるからだと思います。
そして2への伏線というか、細かく引き継がれた設定もたくさんあることに気づきました。
2を観た後だと、このジョーカーがバットマンと戦えるのか?ゴッサムシティを混乱させて地獄とするのか?そこまでの力や知能や統率力ある?別人なのでは?って思いました。
この映画で、ブルース・ウェインの両親をクラウンの仮面をかぶった暴動参加者が射殺するのですが、その時の仮面野郎のセリフが、2でアーサーを刺したサイコパスのセリフと同じような気がするんですよね。同一人物なのでは?バットマンの真の敵はこいつでは?と思ってます。
映像の撮り方が上手いってだけで飽きずにはいたが。
物凄く凄惨な人生を送っていたわけでもなく、仕事もあり、趣味でステージにも立てて。。
笑わせられない実力なのに笑い物にされたという被害妄想。ジョーカーに振り切るほどのことではないと思う。自分に酔っててエって思った。ジェイソンを見習ってほしい。
悲しすぎる…
終始不幸で唯一の救いの光であっただろう母親も実は…のところで『もうしゃーない、悪者になる気持ちも分かる!』と言いたくなるくらい可哀想な展開続き…
映画館で一度見てしんどくなって帰ってきたが、テレビで見たらまた違った感触。
でもやっぱりかわいそうは変わらなかった。
ジョーカーになるまでの話が分かって納得!できたけど、かわいそすぎたので星は少なめで。
サタンの誕生、バットマン観なきゃ〜
アーサーが小児科に銃を持ち込んで病室の子供や看護師がシーンとなり、変な空気になるシーン。アメリカ流ブラックジョークが少し笑えた。
アーサーが自宅でランドルを殺害し、ゲイリーが逃げようとするシーン。一刻も早く部屋から出たいのにドアの鍵に背が届かず、アーサーに開けてくれるよう頼むしかないゲイリー。人を絶望に陥れる演出がすごかった。
平凡な男が悪のカリスマになってしまう
続編がつくられるようなので今更ながら観ました
バットマンシリーズの悪役であるジョーカーの誕生秘話らしい
バットマンについてはまったく知らず本作を観ました
全体的に重苦しい空気の作品になっている
貧困層のコメディアンを目指すアーサーが
様々な出来事で追い込まれていくなかで悪のカリスマ『ジョーカー』になっていく
アーサーは突然笑い出す症状を抱えているので
他人から気味悪がられるところがあり
仕事でも不遇なことがあってクビになってしまう。
最初の看板を奪われたこともアーサーのせいにされてしまうのは酷い
証券マンを殺害する描写も
特に意図をしていなく偶発的なことが重なって起こったように見える
ジョーカーが現れた理由にゴッサムシティの問題を放置して格差が広がり
証券マンを殺した「ピエロ」が貧困層から英雄視されたことによるものだと思うので
アーサーが悪というよりも、ゴッサムシティの環境が結果として
悪い偶然が重なったことによって平凡なアーサーをジョーカーにしてしまったように思う
本作は妄想と現実がわかりにくい描写が多く
どこまで現実なのかは視聴者にゆだねられている感じがする
ホント、久々に素晴らしい
素晴らしい。
この25年間、映画から離れてて全くの無知識、かつ元々映画マニアというわけでもないけど、好き放題に思ったままを書きます。
アメリカ映画っぽくなくて、ヨーロッパっぽい映画だなと思った。
これは音楽の世界でも起きていることで、感性の国境が溶けている。
昔はアメリカ人にはどうひっくり返っても出来なかったことが今は普通にできている。
最初に黒澤明の影響があったりするのかなと感じた。
全ての瞬間的が、どこを切り取っても金太郎飴のように部屋に飾れる絵画の様になっている。
その映像美と色彩センスは素晴らしいとしか言いようがない。
が、しかしこの映画は何といってもマーティン・スコセッシのタクシードライバーだろう。(とキングオブコメディ)
デ・ニーロも出していて、この映画がタクシードライバーのオマージュであることを全く隠していない。
you talkin’ to me ? のシーンのオマージュなんか最高だったな。
エンドの光の中の喜劇のシーンはキューブリック。時計仕掛けのオレンジの最後を彷彿とさせるか。
他でもキューブリックを思わせるシンメトリー&潔癖的清潔感のシーンは多数あったが、最後にキューブリックを出して来たかという感じでここもニヤリ。
こんだけやったら普通は「パクリの中二映画じゃん」とならなきゃおかしいのに、全然そうならないことが何より凄くて、これこそが監督の実力なんだろう。
WHITE ROOM
で、毎度毎度痺れる。。
もうすぐ公開される"ジョーカー2"に合わせて、現在リバイバル上映されている本作を鑑賞してきました。
このレベルの作品になると、こちらには初見の方はいないだろうから、あらすじ云々は省略で。。
私は、様々な媒体で3、4回位観ているのだが、解説とか見ていないので、
初見の先入観が拭いきれず"決めつけ"ている部分もあるかもしれませんが。。
しかし
観るたびに実はほとんどがアーサーの妄想に思えてきて立ち止まってしまう。
(DCやアメコミは詳しく知りません)
この信頼できない語り部がみせる現実と妄想にいつも溺れてしまう。
差別・貧困・病気、社会的弱者という背景。
自分ではどうしようもない怒り。
彼に同情しても良いのか?
心優しかったアーサーは、理不尽だらけの世の中の犠牲者なのか?
民衆に祭り上げられた哀しいピエロは、我々の代弁者なのか?
本当に"弱い者"なのか?
現実逃避の先に希望を見たのか。
その希望は願望から作られた都合の良い妄想なのか。
辛い現実から逃れるための手段として彼の中で美化された妄想に、鑑賞者も混乱させられ、徐々にアーサーと同化していく恐ろしさ。
彼に付き合わされてしまうのだ。
私が、あなたが、
アーサーに共感(共鳴)して
"しまった"所が、もしかしたら彼の妄想
(嘘)だとしたら。。と、考えると、
又また恐ろしい。。と、思うのです。
言わずもがな、ホアキン・フェニックスの魂の芝居に圧倒される。
これが見たくて、あまり観たくないのに観てしまう。
痩せこけた身体にアンバランスなピエロのメイク。
不気味で異様なのに、美しいとさえ思ってしまう。
初見から何年も経っているのに、こんな風に思い続けているという事は、
まだ、取り込まれたままなのか。。
だって、勿論続編も観るし今から楽しみだ。
史上最狂の鳥肌モノ映画──
人生最大の衝撃を受けた映画です。
初めて観た日は、ホントに一睡も出来なかった程でした。
理不尽で生きづらいダークな世界観、最低な社会に狂わされていく主人公、暗く沈み込む音楽など、どこを取っても僕の好みにド直球でした。
好きなシーンはありすぎるのですが、一つ選ぶとすればクライマックスシーンです。
社会の〝悪〟になることで多くの人々と共感し合えた衝撃のシーンですが、ここで僕は涙が止まりませんでした。
直前、クリームの"White Room"が流れる中、警官に連行されるアーサーが、街を荒らされていく様子を見て笑うシーンもヤバかったです。
長年募らせてきた怒り、孤独感、憎しみなどが一気に解き放たれて社会を荒らす。
本当はそんなことしたいわけないのに、そういう風になってしまったのはマジで悲しすぎます……。
あとはラストシーンの精神病院で流れる、フランク・シナトラの"That's Life"の歌詞。
特に、
♪これが人生♪
♪ご覧通り笑えるものなのさ♪
♪他人の夢を踏みつけてくる人いるけど♪
♪僕はそんなじゃくじけない、落ち込んだりしない♪
♪なぜならこの世界は、常に回り続けるのだから♪
のところが大好きです。
他人に笑われるのを気にしない。
それは現実でやろうと思うと、僕にとってはすごく怖いことです。
いくら下から謙虚にいったって、笑ってくる人はいるものです。
でも、それを耐えることができれば、人生少しは楽になる部分があると思います。
……長文になりましたが、僕の感想は以上です。というか最後は感想というより僕の話になってしまいましたけど笑。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます!
心の闇。
公開当時からずっと評判が良くアカデミー賞にも輝いた本作、『バットマン』映画はティム・バートン監督の2作しか観てなくて、本作を観る前にはやっぱり『バットマン』4作、『ダークナイト』3作を観終わってからと思っていたのですが、レディー・ガガを迎えての続編『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』の今秋公開が発表され辛抱堪らず観ることにしました。
昔からヒーローはもちろんですが、個性的な悪役にも少なからず魅力を感じる質だけにすごく楽しみにして観たのですがそんな生易しい作品ではありませんでした。
アーサーが吹っ切れ「喜劇なんて主観さ」の言葉を吐いた後、失うモノが無くなった者の嫌な強さが、ホアキン・フェニックスの鬼気迫る役作りと演技によって胸に深く刺さります。
比べるまでもありませんが、生きているとやはり嫌なことやムカつくことは起きるし、誰しもが多かれ少なかれ心の闇を持っていると思います。それだけに私も極力ストレスを溜め込まないように意識しているつもりですが、アーサーの立場になったら果たして抑えられるかというと全く自信がありません。
調べてみればとんでもない親だった母からの主人公に対する「ハッピー」という呼び名があまりに悲し過ぎるし、ちゃんと産み育ててくれた両親にあらためて感謝の気持ちが湧いてきました。
ホアキンの泣いているような笑い方が、美しい映像とも相まって心に残り、正直後味が悪い映画ですが、名作であることに間違いはありません。
余談ですし恥ずかしい話ですが…ロバート・デ・ニーロを見るのが久し振り過ぎたせいなのか、途中トーマス・ウェイン役のブレット・カレンとゴチャ混ぜになっちゃいました(汗)。
演技
演技がただただ凄かった。ストーリーも秀逸。
ただ、笑わせる人ではなく単に笑われる人を舞台に上げたり、TVショーに出演させたり、
不思議な展開もある。ゴッサム・シティ故なのか。
主人公の幻想もどこまでが幻想なのか、それを打ち破るための銃なのか、
考え出すときりがない。
何かが爽快ということはなく、この映画の面白さとはなんであろうか。
個人的には、バットマン絡みということもあって、どうしても
バンドU2 のボーカルのボノがツアーの途中で演じたマクフィスト
と被ってしまう。
思ったより良かった。
俳優の演技も画面の切り抜きもテーマもすごく面白かった。
(⚠️隙自語注意⚠️)
毒親母子家庭きょうだい児沖縄離島出身です。
本当になんの機会にも恵まれず、とにかくお金がない。時間もない。
勉強する場所も機会もなくインターネットも黎明期。ガラケーと重いパソコン。
自腹で携帯を持ち、自腹でADSLを契約し、二年生以降全額給付型奨学金でなんとか国立大を卒業するも
リーマンショックと東日本大震災で今まで一度も正社員になったことがありません。
職歴はブラック学習塾と臨時教員、コールセンターの夜勤、物流のみです。
母は重度自閉症の兄の世話をしながら働いていましたが、人並外れた体力やメンタルがあるわけもなく、
見事に◯藤◯とりにハマり、私は本当に家の中で空気のような存在でした。
特に衣食住は提供されるが世話をするわけでもないし、運動会や入学式、卒業式も来ない。
三者面談で先生が話し始める前に「うちお金ないんで、高校は公立だけで」と矢継ぎ早に言い出したのには参りました。
席に座る前にです。先生も「はぁ…、」って感じで引いてました。
私がジョーカー化してないのはおそらく知的障害がなかったからです。
IQが生きるために必要なすべての能力を測るわけではないですが、下がるほどに生活での困難が増える、というのが一般的な解釈です。
大人の知能指数の算出の仕方は単純なカレンダーエイジ分のメンタルエイジではなく偏差知能指数を使って算出されます。
IQ70未満のいわゆる知的障害のある方は全体の2%、グレーゾーンと呼ばれる方(IQ70-84)は社会全体に14%いると言われています。
ジョーカーは誤字脱字、空気の読めなさ、他人の言っていることへの理解力、仕事を続けるという努力の意味を理解すること、など知的障害があるという示唆があります。
さて長々と関係ない話をしましたが(いや本当に)
私がこの映画で一番感銘を受けたのは
「障害があっても助け合っていけたら彼は悪い方向に進まなかったと思う」
「彼を誰か救える人はいなかったのか」
「母親だけが彼の救いであった」
「子供が発達障害ですが、この映画の書き方は事実をとらえていません。否定的で悲しくなりました」
などの感想が溢れていたところです。
話せば、その立場に立てば、想像すれば「理解できる」なんて嘘です。
悲しいおっさんが笑う話
最後の笑いのみが本心からの笑い。
バットマンの悪役であるジョーカーだが、本作は独自に作ったもののため繋がりはない。ただ、一部設定は同じであるので細かいネタがある。事前に情報を知っていた方がいいのか微妙なところである。
映画の解釈については作中内に情報が少ないため正確なことはわからない。
かなり好きな映画
ストーリー、演技、映像美、音楽全てが最高の映画。
序盤の不良にリンチされるシーン、アーサーのみすぼらしい身なり、狭苦しいバスでの移動、パトカーのサイレンが鳴り響くゴミだらけの街並み...。そういったシーンから、アーサーが苦しい生活を送っているのが十分過ぎるほど伝わってくる。そのため映画にリアリティが出せていて、序盤から引き込まれてしまう。この映画がとても面白いのは、アーサーが感じてきた苦しみの表現が秀逸で、共感できる部分が多いからだ。
アーサーはウェインの会社の鼻持ちならない社員を殺したことで、彼のように世間に不満を持つ人間からの熱狂的な支持を得るようになる。今まで誰にも相手にされてこなかったアーサーが、初めて世間の肯定的な評価を受けるようになり、自分の行った殺人は正しかったのだと思い込むようになる。だから彼は徐々にダークサイドに堕ちていったが、むしろ堕ちた後の方が彼にとっては幸せなのだ。ジョーカーとして悪の道に振り切った彼はもはや失うものが無いため、抑圧されるものが無くなって、以前の少し間抜けだったアーサーの面影は無くなってしまう。
映像美や音楽等の演出も秀逸。荒廃した街並みや落書きだらけの電車、後半になるに連れて明るい曲が増えていくのが、全てアーサーの心境を表せていて素晴らしかった。
同情はするが感情移入はできないなあ
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ジョーカーはコメディアンを目指す冴えない労働者だった。
心に病を抱えてて、辛かったり悲しかったりすると笑いが止まらなかった。
そんなある日、地下鉄でその笑いが出て、調子に乗った証券マン3人に暴行される。
その時はひょんなことから銃を持っており、3人を射殺。そして逃走に成功。
市民は貧富の差に不満を募らせており、その事件に肩入れする人は多かった。
またジョーカーは母から、ある有名実業家との間の子と聞かされてたが嘘だった。
調査すると、母は若い頃から虚言癖があり、それで入院してたことが判明。
しかも母の恋人が自分に暴行するのを止めず、自分はそれで精神を病んだことも判明。
こうして逆上し、母を殺す。さらに銃をくれた友人が保身に走ったため刺殺。
さらにコメディアンとして出た番組で司会者を射殺。逮捕される。
しかしこの事件をきっかけに市民が暴動を起こし、護送車が襲われる。
そして暴徒達に助け出され、悪の英雄みたくなる。
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悲しい話やな。まあ有能なおれには理解できない話ではあったが。
アメリカのお国柄はよく知らないが、底辺の者にあんなに冷たいのか?
悪役とは言えジョーカーには同情するし、悲しい気持ちになった。
最初の証券マン3人は調子乗り過ぎなんで、殺されてもいい。
母親の命を奪うのも愛情の反動なので、分からなくはない。
でも友人を殺したのはどうなんやろ?
保身に走ったとは言え、口裏を合わそうって提案して来ただけで、
罪を押し付けられるような酷いことはされてないと思うのやが。
最後の司会者もそう。そんなに悪い人には見えんのやけどなあ。
その司会者、よく見たらロバート・デ・ニーロやった。久々に見たわあ。
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