ジョーカーのレビュー・感想・評価
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社会の悪意が「ジョーカー」を生む
ジョーカーを観て、真っ先に思い浮かんだのは数ヶ月前に観た【存在のない子どもたち】と「結愛ちゃん虐待死事件」。前者は「ぼくを愛して育てられないのなら、産んだ責任をとってもらう」と両親を訴える子どもの話で、後者は記憶に新しい連れ子を虐待死させた凄惨な事件。
根底に共通するのは児童虐待。上のルポを読むまで知らなかったが、雄大被告が暴力と異常なしつけに走った遠因は、子ども時代に受けた暴力が根底にあった。頭蓋骨が陥没するまで父親に殴られたことがあるという。
ジョーカーことアーサーも同じように子供時代に虐待を受け、それがそもそもの不幸の連鎖の原因にある。
この映画は、独りの人間をいくらでも助けられる瞬間があったにも関わらず、それをしなかったたくさんの悪意が、ジョーカーを生み出してしまったことを描いている。
ジョーカーことアーサーは、脳に受けたダメージにより突然笑い出してしまうという疾患を抱えており、多少奇行じみた行動をとるものの、至って普通の情動を持つ人間だった。それを他人や同僚、職場の雇い主たちの心無い悪意が蝕んでいく。
そして何より父かもしれないと心の拠り所にした人物(バットマンの父親)や憧れの人に、邪険にされ晒し者にされた瞬間、彼の「他人にいたわりや優しさを求める心」は崩壊するのである。
緊張したり悲しんだり苦しいときに限って笑い出してしまうことが、彼の悲惨さをより強調する。鑑賞後はどうしたってアーサーに同情してしまう。
もともと人間社会は平等などではない。持たざる者と持つ者は生まれたときから決まっている。努力ではいかんともしがたい格差がそこには横たわる。持たざる者が少しおこぼれをもらおうとしても、持つ者はそれを阻む。ほとんどの者が「持たざる者」である社会で、「この話は私のことだ」、もしくは「私はジョーカーになりえる」と感じた人も少なくないのでは無いか。
であれば、その平等ではない社会をぶっ壊す権利はあるのではないか?というジョーカーの主張に、どう反論すればいいのだろう。彼の言う「人は自分の判断基準で生きるべきだ」という考えが蔓延した社会は、所謂無法地帯である。
しかし法というものは、それが無いと人間社会が成り立たないから皆で守っているだけであって、必要があれば変化していくものである。
であれば、「生まれたときから他人によって決められた法を、なぜ自分が守らなければならないのか? 社会が、『自分を無視し、不必要で消えていい存在だ』と追い詰めるのであれば、自分がそれに反抗して何が悪いのか」とジョーカーに問われれば、答えに窮する。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに「自分(または自分の大切な者)が殺されたら困るから」という答え意外に、実際何があるだろうか。
そこで立ち返らなければならないのは、アーサーは元々は「ハグして欲しい」という小さな願いを持った不器用な人間だったということ。
現実の殺人の動機がニュースで報じられると、「こんなことで」と言われることがよくある。でもそのたった数行の裏に、何年も積み重なった恨みや一言で言い表せない人生があったことを考えなければならない。先天的に人を殺したくてたまらないという衝動を抱えて生まれる訳ではなく、人とつながり、優しくされたいと欲する心の方が先にあるのだから。
他愛ない笑顔や挨拶、ちょっとした労りで誰かの心を一瞬でも救えるのなら、それで救える悲劇もあるのではないか――。
ダークナイトのノーランの世界を踏襲したとことん重い世界観ではあるが、ヒース・レジャーのジョーカーとはまた違う生々しさがあった。
ただの殺人映画
閉鎖病棟を観た後だったので、どうしても精神を病んだ人間が殺人するという似たようなストーリーに比較してしまった。出来は閉鎖病棟よりはマシ。でもただの殺人映画。やっぱりどんなに俳優さんが頑張っても精神を病んだ人の眼は真似できない。
また殺人に至るまでの人生や環境にみんな思いを馳せて感動するんでしょうけど、殺人は殺人であって、身勝手そのものであって、実際の世の中にはもっと苦労している人はたくさんいるし、この程度でダークサイドに堕ちるのかとガッカリした…。だから星は0.5。
それにしても映画会社は精神障害者をなんだと思っているのか。社会も社会で、いざ現実社会だと精神障害者だからといって殺人は許されない!極刑に!などと声高に叫ぶくせに、映画だと精神障害者が殺人しても共感したり、感動したりするんだね。いい加減なもんだ…。
どんな境遇であろうと殺人はやってはいけないことと、エンドロールで良いから映画会社には言ってほしかったです。例えフィクションであってもね。美化して終わりだなんて、現実社会との対比も含めて、観ていて胸糞が悪くなる映画でした。
カルトの経典
ジョーカーじゃない
「ジョーカー」を観ました。
観客動員数がうなぎ登りで評判もいいとなれば観に行かないわけにはいきません。
ストーリーは、DCコミックのバットマンに出てくる悪役「ジョーカー」がいにして生まれたか、を描いたもの。
DCコミックの映画なので、過去の流れからいわゆるヒーローアクションものかと思いきや、非常に濃い人間ドラマに仕上がっています。
よってアクションヒーローを期待すると大きく期待外れな結果となりますのでご注意ください。
特に終始重たい雰囲気で、音も低音がうるさく時には頭痛がするほど。
全くもってデートに不向きです。幸せな人は気が滅入るだけの映画で、見る人によって大きく評価の分かれる映画といえます。
さて舞台ですが、はゴッサムシティなので、荒廃しています。荒れ果てた世の中という設定なので、ジョーカーは時代によって作り上げられた、なるべくして生まれた怪物のように描かれます。
しかし観ていてずっと違和感がありました。
これって本当にジョーカーなの?
この映画、描きたかったテーマをジョーカーに無理やりに結びつけたんじゃないのかしら?
ということで、この映画の大きなテーマについてちょっと書いてみます。
この映画のテーマは、普通と違う人の生きづらさです。
普通ではない特別体質、心の病気の人は、世の中から拒絶され、存在を否定される
本人が何も悪いことをしていなくても、日常的に普通の人とズレた言動が時に気味悪がられ、暴力にさらされる
当人にしかわからない苦悩
そんな生きづらい世の中で、存在を否定された男がいかに狂気に走るのか?
このテーマで実に重々しく気分の滅入る、全くデートに不向きな映画を見事に撮ったことは、素晴らしいと思います。
でも自分には、描きたかったそのテーマを無理にジョーカーという題材に当てはめた、というように見えるのです。
だって、僕らが知っているダークナイト(バットマン3部作の2作目)に出てくるジョーカー像とは一致しないんですよ。
自分以外にも、そう感じる人いませんか?
ダークナイトのジョーカーって、もっと頭が良くて度胸があって、バットマンですら手玉に取るようなキャラです。
これからそうなる?
と言われても違和感が拭えない。
自分としてはそんな評価です。
そしてなぜかジョーカーに1ミリも同情する気になれない自分がいました。
彼は不運が重なり怒りを溜め込み、世の中に後押しされるように人を殺します。
彼にあるのは怒りです。
民衆にあるのも怒りです。
でも同情する気になれないんですよね。
父親と思われる男に邪険にされるシーンがありますが、彼にとっては逆恨みもいいところ。
ジョーカーの思い込みで勝手に父親と勘違いされただけです。
裕福な人々は何も悪いことしていません。
映画の中では善悪をハッキリと描きません。富裕層を悪に仕立てて貧しさから暴動に走り、怒りからジョーカーを祭り上げる民衆を善として描いていません。(と思えます)
この映画をみて、富裕層をやっつけろ!
ジョーカー頑張れ!となる人がいたら、よほど今の現状に不満を溜め込んでいる人と思います。
基本的に感情移入できない映画はつまらないです。
意図的にジョーカーを気持ち悪く描いて、嫌悪感を抱かせようとしたなら、作品の狙いとしては成功なのかもしれませんが、ジョーカーの名前に釣られて観た自分にとっては、期待したものと大きく違ったという意味で、イマイチな映画でした。
70点かな。
戦慄と愛おしさ。
15回観た、と云う方がいらしたので、、、
さっぶ~
自分とは全くマッチングしない(波風を立たせない表現)映画でした。
かわいそうな境遇のおっちゃんが同僚のおっちゃんから銃を貰うことから始まり色々不幸も重なり闇落ちして人を何人も殺してしまう映画です。
まあそれで終わってりゃそういうお話ですってことでいいのですが(いいのか?)
ジョーカーはあなたの中にもいる…てか、あなただったのかもしれない…こんなかわいそうな事があったんやから暴力に走ってしまったのは仕方がなかったのだ…(マジ顔)
みたいな公式の全体的なノリが寒いな~と思ってしまいました。主語でかくすな!サラッと暴力肯定すな!暴力はアカン!
あと「悲しいのに笑ってしまう」っていう設定が気に入ったのか何回も出てきてもーええ!その設定好きなん分かったから!と思ってしまいました。
いつ面白くなるのかな?と思ってたら画面にThe end の文字が出てきました。
同行者がデニーロのそっくりさんやと思ってたようで笑えました(こんなおもんない映画に御本人が出てるとは思わなかったらしい)。
思春期闇落ち時代に見たらジョーカーは俺だ…(ほの暗い微笑)みたいな感じにハマれたのかな
観た後なんとも辛気くさい気持ちになったので景気付けに美味しいご飯を食べて帰りました。
標準作
破綻なく、スピーディに展開する。
映像美は確かにあるけど、それ目当てに見にいく映画ではない。
デニーロ、出てます。が、これも見どころというほどではない。
ストーリーは、だろうね、やっぱり。ということで、予想どおりなのが、かえって驚き。
ジョーカーという不条理が、現実の不条理によって生み出されるという、もう、ベタそのものの「条理」。
不気味で訳がわからないジョーカーが、ちっちゃくなっっちゃったな。
刺さる台詞や、ハッとさせられるシーン、心が揺さぶられる場面もない。
ときおり出てくる、妙に読みやすいレイシズム批判のプラカードが、現実批判なのか、映画賞アピールなのか、中途半端でいらんなぁ。
暴力シーンだけは、やたらと生々しくて、ウンザリする。
凡作プラスαで、せいぜいが標準作。
この映画は狂ってる
正直微妙かなぁ
映画単体としてみれば、
確かに面白い社会派の映画だ…
けどジョーカーとして見ると正直微妙
自分もダークナイトで予習しただけだったけど、
ダークナイトと繋がらない…
ダークナイトでは、犯罪歴のない(捕まったことのない)ケチなコソ泥が
バットマンのビックリするような正義に照らし出されて表舞台に…って説明だったはずなのに
精神異常者が病んで人殺しちゃいましたみたいな話になってた
挙句オチがこの話自体夢オチかもねみたいにお茶を濁して、ダークナイトと繋がらなくてもしょうがないよねと言わんばかりの終わり
面白い社会派映画作ったから見てほしい!
じゃあ、ジョーカーの名を借りて人集めてみよう!
…みたいに邪推してしまった
ジョーカーを探して
なんだろうこの、映画鑑賞後に特有のプチトリップ感の無さは...
人の作り上げた映像作品としては、すごく評価出来ると思う!
ホアキン・フェニックスの演技も素晴らしく、惹き込まれました。
けどこのストーリーは、私にとって日常的と言うか、割りと良くある&良く聞く身近な不幸話だったので...
アメリカでは公開時に暴動が警戒されたというけど、それくらい、この社会には「アーサー予備軍」が存在すると大勢の人が感じているんでしょうね。
つまりは主人公が平凡に過ぎたのかなぁ。
不運で不平等な人生に詰んで、とうとう暴発して犯罪者になっちゃった男性の中には、希代の怪人ジョーカーの片鱗はまだ見あたらず。
あの、おぞましくもゾクゾクわくわくさせられるグロテスクな存在感!カリスマ性!
いずこに?
私が読み取れなかっただけなのかなぁ...無念。
悲劇が生んだダークヒーロー
もやもやもや
非常にもやもやが残る作品でした。
精神障害を持つ大道芸人が世間の目だとか他人の声だとかに苦しんでいつしか犯罪を犯してしまう…話。
演出も俳優さんたちの演技も素晴らしく、その点だけで言うなら星5でした。ただ、バットマンを知っていて、ジョーカーも知っていて、バットマンの敵としてのジョーカーを求めて観ると消化不良を起こすような気がします。私はそうでした。
作中好きなシーンは沢山あります。でも(あくまで主観なのですが)それはストーリーではなく演出だと思うのです。ストーリー自体は主人公がジョーカーである必要があるのだろうか?という思いが拭えませんでした。
これがジョーカーでなかったのなら、ただの大道芸人であったなら、私はこの映画をただ素晴らしいと評価していたと思います。
ジョーカーになる以前のアーサーやジョーカーとして名乗りを上げてすぐのジョーカーが、バットマンの強大なヴィランとして無差別テロを起こすようになるのがどうも想像しづらいのです。将来の姿を想像するとそこまでなるかな?という気持ちになってしまいます。
正直なところ、ジョーカーの過去はどこかでみたような話でした。経験したことがない人間が知った口を、という話ですが、わざわざ主人公がジョーカーである必要は?と…。
ジョーカーはあなたのすぐそばにいるかもしれない、そんな恐怖を駆り立てるような作品なのかもしれません。ホラー映画と同じようなものなのでしょうか。あなたの後ろにも貞子が…、というような?残念ながら私は映画を束の間の現実逃避として観るタイプなので、そういった感覚も解りませんでした。
もし現実にジョーカーが存在して、その過去を描くドキュメンタリーのような作品でした。
私自身人生経験もゼロに近い若造ですし、学も有るとは言い難いのでこういった感想ですが、この映画は自分の目で耳で心で考えるのが一番かと思います。映画館でお金を出して観てほしいとは言いません。でも一度は何かで観てほしい作品です。
乱文失礼いたしました。少しでも参考になれば幸いです。
ユーモアの綱渡り
「人を笑わせるのは、人を怒らせるのよりも難しい」と祖母が言っていたのを思い出した。本来は誰か笑わせるためのユーモアも失意や悲しみの中では凶器にもなり得る。ユーモアとはそれだけに儚く、脆いものなのだ。そして、本作の主人公アーサーのユーモアは喜劇と悲劇の間を綱渡りする。これが“ジョーカー"というキャラクターが道化師である所以なのかと頷いてしまう。
本作の見事な点は誰しも悪に染まってしまう怖さを描いた点ではない。誰しも悪にならされてしまうかもしれない、というところに本作の面白さがある。喜劇に転げ落ちるのか、はたまた悲劇に転落するのか?善人が悪に堕ちるという作品はこれまでにも数多あったが、アーサーは悲劇という階段を転がり落ちるどころか、むしろ上り詰めていくことで喜劇にして見せている。悲劇と喜劇は表裏一体であり、どちらの方向から見るかによって、見え方が異なってしまう。それは時に善悪にも当てはまる。たとえ合法的な行為であっても、たとえ反社会的な行為であっても、単純にその善悪を決めきれないこともある。
言うまでもなく、本作はバットマンの宿敵“ジョーカー”の誕生までを描いた作品であるが、それと同時に我々が知るあの“ゴッサムシティ”誕生までを描いた作品と言っても良い。一人の人物の登場によって、あるいは一つの出来事によって、世論は、メディアは、そして社会はいとも容易く変化する。そして、この恐さ、この愚かしさ、このバカバカしさの根源は一体何なのだろうか?と観客に問いかける。
コミカルに見せるラストシーンを笑って済ますか、不謹慎と見做すか、あるいは憤りを感じるかは観る者によって違ってくるだろう。だが、そのいずれかの感情を抱いたとすれば、それはジョーカーの術中にすっかり嵌ってしまったということであろう。
最後に何故か清々しく
ジョーカーはバットマンの悪役という程度の情報で、評判の良い本作を鑑賞しました。
ホアキンフェニックスの演技にやられました。殺人は、悪い事なのに、感情移入しまくり、気付いたらアーサーを応援していました。地下鉄のヤッピー達がホント嫌味で、そんな奴ら撃っちゃえ!と←オイオイ。
アーサーが闇落ちするのは、哀しいはずなのに、最後には何故か凄いカタルシス。
常人には理解不能。
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