「孤独の考察」アド・アストラ yuinenさんの映画レビュー(感想・評価)
孤独の考察
公開初日に鑑賞。以下の感想は鑑賞前提のものなので完全ネタバレ全開&個人の勝手な妄想の垂れ流しです。
この映画は、宇宙の彼方まで父を探しに出かける壮大なハードSF…の皮を被った超絶硬派な哲学映画と読み解いた。遙かな宇宙へと突き進んでいくことで、そのまま人の心の奥深くを探求していると思われる。
ロイは人と関わることを極端に忌避する。それは仕事仲間は勿論妻でさえも。彼は孤独を望んでいた。そうこうしているうちに地球の危機なので父を探しに出かけることになる(クッソ端折ってます)。
最初にロイが訪れるのは月。近いようで遠い場所。人間はそこをすっかり開発して、海外旅行感覚で行き来している(面白い描写)。そしてそこでも資源を争い紛争が絶えない…要するに、コントロールされているようでされていない世界。薄皮一枚向いた程度の世界では、人間は争いをやめることなどできない。
次に到達するのは火星だが、その途上に救難信号をキャッチして救助に向かった宇宙船内で実験動物のサルに襲われる。このサルは、直後のロイの独白にある通り、「怒り」の象徴であろう。争いの根源にはいつも怒りがあり、人間は些細なことで怒ることをやめられない。
いよいよ海王星へ旅立つために火星に到着。ロイはどうしても事の真相を知りたくて規則を破ってまで宇宙船に乗り込んだ挙げ句、過失は少ないとは言え自分以外の乗組員が全員死亡。それでも結局父を探して旅立つ。人間の持つ果てしない「欲望」が描かれる。
そしてひたすらに旅を続け、ついに到達した海王星周辺宙域に、果てして父は生存していた。「知的生命体の発見」という見果てぬ夢を捨てられず、自分以外の乗組員全てを失ってもなお。ロイは言う、「我々はお互いが全てだ(うろ覚え)」と。つまりロイは果てしない旅路の末に「自分自身」と邂逅したとも言いうる。
父は結局帰還を拒んでその身一つで深宇宙へと旅立ってしまう。ロイは葛藤に打ちひしがれながらも目的を果たし、ついにはあれほど忌み嫌っていた世界への帰還を渇望する。
自分があれほど望んだ孤独の世界は、想像を遙かに絶して恐ろしい暗闇。人間は人間である以上、孤独では生きられない。嫌が応にも「他者」との関係なくして自身の存在はない。ある意味で「当たり前」のことに、ロイは43億キロの旅路の果てに到達する。
怒りと欲望に目を曇らせ、ごく当たり前のことを認識することができないのは、ロイだけではないはずだ。仏教における三毒の煩悩と呼ばれる「貪欲・瞋恚・愚痴」を想起させるのは、なにもこの映画が仏教思想を背景にしているとかいうのではなく、ごくありふれた人間の心の構造を、暗闇の宇宙を背景にすることで浮き彫りにする狙いがあったのではないか。この映画は、孤独とは何かということを観賞する者に深く思考させようとしているように思われる(妄想)。
以上、妄想の垂れ流しでした。
大変面白い映画だった。