「『そして遂に挫折を超えて・・・』」テリー・ギリアムのドン・キホーテ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
『そして遂に挫折を超えて・・・』
テリー・ギリアム監督と言えば、鑑賞済作品としては『12モンキーズ』、『ゼロの未来』、そして一番の印象作『未来世紀ブラジル』であろう。ディストピアSFの面白さを教えてくれた“エヴァンジェリスト”である監督の作品には“権力への抵抗”というメッセージを発信していると信じている自分がいる。
しかし、そんな監督が祟られている作品に悩まされていた事には詳しくは知らなかった。構想から30年という途方もない因縁の作品がこうして令和の時代に完成したという自体に、その執念の凄みを感じ震えてしまう。映画化の企画等はそれこそ泡沫のようにパチパチと破裂するものが殆どであろう。その中にある表現したい内容に強い固執があればある程、執念が宿るのが映画監督の本分なのかもしれない。それは不肖の子供程、溺愛することと同じなのか・・・
キャスティングにも救われた面も大きい。やはりここにもアダム・ドライバー。元々ジョニデが演ずる筈だった役を、若手注目株に代えたことは大きい。まるでNBAの選手のようなガタイとそれに呼応するかのおとぼけ顔の馬面は、圧倒的にスクリーンに映える。
モンティパイソン節(スペイン語の字幕を手で払いのけることや、電流ビリビリのVFX等)も差し込みながらのギャグセンスは、とまれ古くささも感じながらもノスタルジーに浸れる面も否定できない。ファン目線だがトータルでよく練られているのではないだろうか。
ストーリーそのものが、小説“ドンキホーテ”自体の世界観をトレースしているので、こういう境界線が溶け合ってるような話が好事家は堪らない展開だと思う。後半は破綻状態になっている流れでも、小説からの引用シーンを繫ぎ合せたようなDJMIXだと思えば面白さも感じる。現実がどんどん小説に喰われ始める展開は監督の十八番通りの作りで、その脳内“ユワンユワン”感に浸れればシメたものである。女性登場人物二人も、そのファムファタール振りが妖艶で、狂言回しとしての機能もしっかり果たしている。
虚実入り交じった世界観、まるで白日夢を浴びせられたような構築は、もしかしたら昔の映画作品のパターンの一つとして、ノスタルジックに語られることがありこそすれ、評価的には薄い印象を与えるかも知れない。証拠に後半の失速感は、自分も疲労感を感じてしまった程である。ラストのオチも、侵蝕されてしまったCMディレクターが終わらない小説の続きを受け継いでしまうという流れに、ある種の“逃げ”を思わすのも理解出来る。しかしこういう“巻き込まれ劇・偶然のアクシデント展開コント”をベースにした、曖昧模糊とした物語の映画も又総合芸術としての使命なのだと思う。これだけのビッグバジェットな“世にも奇妙な物語”は、避けず腐らずに脈々と受け継いでいって欲しい、それはラストのオチのように誰かがそれを引き継ぐように・・・。