第三夫人と髪飾りのレビュー・感想・評価
全14件を表示
女性の宿命
14歳で嫁入り
昔だったら当たり前だったのかもしれない。でも今の時代生きている人は考えられないと思います。
一夫多妻の時代においては
男の権力が強くNOと言えない世界
女性は子孫を残すための物でしかない
これ等を全部受け入れていくには相当の覚悟が……女性には必要
三番目の婦人を中心に女性たちが美しく魅力的に描かれている。(13歳とは思えないほど落ち着いている)女の園みたいなところもあって女性側からで楽しめる。ほとんど男性の台詞はなかった様な気がする。息子は親同志で決めた結婚を強く背くことでその為に犠牲になる人もいる。娘も長い髪を自分で切り自ら生きていく覚悟をしているかの様な気がした
子供を授けた三番目の婦人は泣いている子供をどうしようとしていたのか最後、気になりました
絹を作るカイコの表現とか音楽とかも望郷的につくられて酔いしれる感じとゆったりとした自然の中で動物との暮らし日常の営みが綺麗に表現されていたと思います(闇の部分はありますがそれはどの時代においてもあるかと思います)
映像がとても美しい!
美しい映像と共に話も淡々と進んでいくので衝撃的!となることはないけれど胸にじんわりと来る。
夫人同士の多少の嫉妬心はあるもののドロドロなどではなく支え合っているところが興味深かった。
第一夫人の息子の元に嫁いできた少女、そうなってしまうだろうなと思ったけれど…あどけない少女なだけに余計に悲しくなった。
色彩、色香、男尊女卑。
淡い色彩、官能的な詩情、女三界に家無し、な現実。
幻想的で魅惑的で悲劇的で、よかった。
美しく描かれる地獄は、とても見応えがあった。
映像美と女性の哀しみ
ベトナムの雄大な自然が綺麗です。19世紀の裕福な家。調度品や女性の絹衣裳も素敵です。この映像美だけでも、観る価値があります。物語は、14才の少女が第三夫人として裕福な家に嫁ぎ、女児を難産の末産み、育てはじめるまでを、淡々と描いています。女性には人権がなく、男児を産まなければ奥様と認められない世界。長男に嫁入りしたが拒否され自死した少女が、浴びせられた唯一つの務めも果たせぬのか!!の言葉に、私も深く傷ついた。
全ては流れる川の中
撮影当時、メイ役のグエン・フォン・チャー・ミーは13歳。この少女が演じた官能的シーンが物議をかもし上映禁止の憂き目。忘れちゃいけません、ベトナムはマルクス・レーニン主義とホー・チ・ミン思想を基軸とするベトナム共産党による一党独裁体制の国。そりゃ、こりゃ、アカン。社会モラル上。
奇岩の美しい風景の中を進む船には14歳の花嫁が乗っています。これが始まりの画。
無邪気に「大きくなったら男になって、たくさん花嫁を貰う」と話していた少女が、無造作にハサミで長髪を切り落とし、川に流し、満足げにほほ笑む笑顔が最後の画。
男尊女卑の村社会の風習に生きる少女メイの描写で始まり、無邪気に否定するニャオの笑顔で終わると言う象徴性が判りやすくて好き。
女々しいクズ青年に婚姻を断られ、「唯一の努めを果たせないのか」と父親に罵られた少女は川で首をくくる。少女の黄泉への旅は、流れの緩やかな川を上る小船。そのシーンに被さる様にメイが登場します。
「男の子を授かりますように。この家で最後の男の子でありますように」と言う願いは届かず、女の子を授かったメイ。この家で何人目なのか。母乳を拒否し泣き止まない赤子を右手に抱き、メイは仔牛を安楽死させるのにも使った毒草を左手に持つ。
女の命の価値の軽さ。
断ち切った髪の毛が流れる川面。
そんなに軽い命ならば。
女である事など、こんな風に川に流してしまいたい。
そうできれば良いのに。
この家にやってきた婦人たちの喜びも悲しみも、全ては川の流れの中で。
全てはとどまる事を知らず流れ去り。
遠い過去から今へ続き、どこまで流れて行くのだろうか。
って言う映画。
不描写による余韻の多用が気になるっちゃなりますが、結構な残酷場面やエピソードが、淡々と起伏無く続いて行く演出は好きです。最後の数分間は、鈍器で後頭部を殴られるような感じ。いや、実際そんな経験は無いから、適当に言ってますけど。確実にハリセンではっ倒されるよりは、鈍く痛かった。ハリセンは経験有るんで、これは間違いないです。
ちょっとだけ良かった。
少し前のベトナムは
こんな感じでした、という映画。
平凡で保守的などちらかというとやや不快なシーンを見せられる作品です。
ベトナム史に興味のある方は観た方がいいですが、それ以外の方には全くお薦め出来ません。
第三夫人が杉咲花に見えてしょうがなかった(ちょっと無理があるか)
19世紀末に実際に監督の曾祖母から聞いた話をもとにしている。イスラム圏やアフリカにしか一夫多妻制はないものだと思っていたのに…こんなところにあった!やはりベトナムでも都会からは離れた地域なのだろう。「絹の里」として大規模に養蚕を営んでいるようだけど、一つのコミュニティとして世間とは距離を置いてる雰囲気が漂っていた。もう一つの王国の中の大奥みたいなものである。
エロチックでもあり、美しく戯れる少女たちの姿。水遊びをしたり、血を流したり、生命の根源である部分を描いていて、会話も少ないために別世界に入り込んだような気分にさせられた。まずは卵黄攻撃。『ナインハーフ』の氷を卵黄に変えただけのような気もするが、旦那の方の勢力増進にも役立てたのであろう。そして鶏を捌くシーンにて、生のための食物連鎖までをも想起させられるのだ。
事件がなければ何も面白くない作品なのだが、第一夫人の息子ソンと第二夫人の密通により義務的なセックス以外を愉しむ大人の事情が浮き彫りになる。いや、待てよ。その間、第一夫人と第三夫人は身重なのだから、旦那の相手をする頻度が増えてるはずなのに…ソンの性欲が凄かったのか?それにしても女だらけの使用人には手を付けなかったのか?仮に子供が出来たとしたら義兄弟でもあり親子でもありという、ややこしい関係になるんだぞ!と、やはり頭の悪そうな下半身男だったのか。鞭叩きの上、追放されてもよかったのに。
もう一つの事件は可哀そうだった。その下半身男に嫁いできた女の子。第二夫人が好きすぎるために、一切手を出さずに、離婚問題にまで発展する。しかし、風習により離婚させるわけにはいかないこととなり、それを苦に女の子は自殺してしまうのだ。跡継ぎが誕生するのに死人をだすわけにはいかない。牛が死にそうだったので、わざわざ死を早めてしまう措置をするなどしていたのに、すべてはこの下半身バカ息子が台無しにしてしまったのだ。
溝口健二の『赤線地帯』を観たばかりだったので、こうした妾に対しても地主側が金を払ってるのかと思いきや、多額の持参金を持たせていることに驚いた。閉鎖的なコミュニティってのも生と死の問題がいっぱいあるものなんですね…
水と女と蚕と女のお話
久しぶりに『登場人物が饒舌に喋る』映画ではなくて、映像が静謐に物語を綴る映画を観た。絹で富を成している家(使用人の多いこと!)に第三夫人として嫁いできた15歳の娘の眼を通して描かれる、19世紀末のベトナムの富裕層の社会。男の意向ひとつで女の運命が決まってしまう世界。その日常生活が淡々と、取り巻く自然、移り行く季節の中で綴られていく。水と血のイメージが「女」に重ねられていく。「女の唯一の役目は嫁いで(男の)子を授かること」という価値観が絶対な社会の中でも強かに生きていく第一夫人と第二夫人(しかし男の子を成していないので“奥様”とは呼ばれない)。勿論、女たちの間には小さな野心・嫉妬等は生まれるが、反目し合うのではなく女は女同士という同士意識・連帯感で結ばれているように描かれている。それでも15歳で花嫁になったヒロインは、夫に触れてもらえなかったという事だけで死を選ばざるを得なかった未だ少女であったもう一人の花嫁の姿に、割り切れないものを感じ始める。そして女に生まれる事が幸せなのかどうか分からない世界に女として生まれてきた娘の命を断とうして毒草を口まで持っていく。しかし最後カメラは引いて彼女が果たしてそれを娘の口に含ませたかどうかは曖昧にする。ラスト、大きくなったら男になりたいと言っていた、第二夫人の次女が長い髪の毛を切り落として決然と微笑む顔にやがて来る新しい時代の希望を託しているようだ。ひとつの時代・場所を切り取った風俗詩だが、それを映像で綴る正に「映画」である。
美とエロスと生と死と女
19世期のベトナム
美しい映像、風景、鳥や虫の鳴き声、人々の生活
美とエロスと生と死と女を感じ取った。
第二夫人の秘密の描写がリアルでエロくて美しい。
第一婦人の息子の妻の自殺、第3夫人の出産
女達の愛と嫉妬
昔は一夫多妻制が認められていたが
一夫一妻になった現代も、女は男の浮気や不倫(逆もしかり)に怒り哀しみ嫉妬したりして
いつの時代も女はこういった感情からは逃れられないのかも。
他の人が書いていたように、嫁に行っても夫に愛されず、触れられず、出戻りしようにも家族からは出戻り拒否されて
一番可愛そうなのは自殺をしてしまった第一婦人の息子の嫁だ。
結婚の自由を選べて、相手も自由に
選べるこの時代、国に生まれたことに感謝しなくては。
内容は哀しいけれど、映像の美しさと音楽がその哀しさを薄めています。
個人的に沐浴のシーンが美しい。
特に女性には、心に染みるのでは?
そう思うのは、自分も女性、しかも年齢でいえば第一婦人に近い(汗)から、かもしれません。
第一婦人、第二夫人にしてみたら、競争相手でもあり、でも感覚的には娘、妹、のような感じ?
人間て単純じゃないですよね。誰だって清濁持ち合わせ生きている。
第一婦人が、メイの赤ちゃんを取り上げるのを手伝うのも。
第二夫人が不義密通をするのも。
メイが、第一婦人の妊娠を知り、自分の子が最後の男児であるようにと願うのも。
その後流産した第一婦人を見て、良心の呵責に苦しむのも。
自殺した第一婦人の長男のお嫁さんに涙するのも。
生まれた女児の口元に、毒の花を持ってくるのも。
あるがままの営みが、北ベトナムの風景と、美しい音楽と共に。
時代も国も違えど、こうやって生きてきた女性たちの延長上に、私たちは生きているのかなあと、心打たれました。
ベトナムの中でも地方での実話に基づく話らしいです。全体を通してもの悲しいです。
19世紀のベトナムが舞台と聞いて興味を持ち、4日間で興行中止になったと知って、
観る機会があればと思っていた作品です。
正直なところ、もっとロリータ色の強い作品(※)なのかと思っていたのですが、
その点はそれほど強烈では無かったかと思います。
(※興行中止となった理由も、主人公が14才だからとかその辺りにあるらしいので)
ただ、「生々しさ」という点でかなり強烈な場面があるように思います。
ニワトリの生き血を絞るシーンとか、ダメな方は要注意です。ふぇぇ。
☆
全編を通じ、昔ながらの風習を通して「女性であることの哀しさ」が伝わってくる内容です。
・そもそも、一夫多妻であり、
・男の子を産まねば「奥様」と認められず
・嫁いだ先で気に入ってもらえなければ里に返すと言われ
・実家からは帰ることも許されず… とか。 ひどい話です…
うーん…
明るい展開はほぼありません。なんだかなぁ。。
最後の場面でも
女の子を生んだ主人公が黄色い花を摘み、赤ん坊の口元に寄せていく場面があるのですが、これがまた悲しい…。
黄色い花には毒がある--そのことを主人公は知っているはず。
(毒だと教えられる場面が出てきます)
自分の生んだ子が男でなかったことへの絶望感。
それを象徴するような場面です。
もの悲しいです。
☆
ベトナムの風俗。
家屋や衣服など、中国の影響が大きいみたいですね。
中国の山奥が舞台と言われても、違和感なく納得してしまいそうでした。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
生について考えさせられた
主人公が嫁入りして出産して、ももちろんだけど、牛の出産、死、鶏を絞める場面など「生」を描写した場面が多く出てきた。
当時は当たり前に生と死が感じられる世界だったんだなと思った。今が自然界と隔たり過ぎているだけかも。
最後が?だったんだけど、他の人の意見や解説を読んでなるほどと思った。
祖母の時代の美しいベトナムの生活と女たちの辛い人生
監督は祖母の時代の美しいベトナムの生活と女たちにとっては生きづらい時代を画面に残したかったのだと思う。
終わり方が秀逸だった。
第一夫人の長男に嫁取りをしたが、長男は拒否し、やむなく家長の富豪と父親は破談を申し出る。しかし新妻側は恥をかかせるのかと戻るのを拒否する。新妻は行き場を失い首をくくらざるをえなかった。
それまで主人公のメイは少しずつ大人の女の生き方を学んできていたが、ここで一挙につらい女の人生も知ってしまった。親に人生を決められ、婚家で受け入れられなければ生きることも出来ない女の人生を。
メイは自分が生んだ女の子もそういう人生になるかもしれないと悲観的になり赤ん坊の口許に黄色い毒のある花を持っていって迷う。
しかし、最後のシーンで第二夫人の下の娘が自分で長い髪をジャキジャキと切り落とす。女の象徴の髪を。これは女が自分の意志を持つ時代の始まりを意味している。
映画全般はとても美しく、ある意味とても豊かな生活だったことも描きたかったのだと思う。
また、三人の夫人たちの位置は、旦那様に仕える子供を産む役割の女たちで、使用人としては最高の位置ぐらいの感覚だったのだろうか、だから三人は仲良く過ごせたのだろう。
ちょっと脱線。初夜の交わりに卵黄を使うというのは面白いアイデアかも。長男の初夜の準備に運ばれた盆にも卵黄が乗っていた。初めてで潤わない新妻のためかも。これって伝統なんだろうかと思ってしまった。でも感染症を起こしやすくおすすめではないけど。
監督が祖母から昔話を聞く姿が目に浮かぶようだった。
一般視聴者・批評家から高い支持を受けています。
「この映画は一夫多妻制が許された時代を背景にしているもので、結婚観に関しては、現在のベトナムでさえ、今でも結婚に際しては両親の意見を参考にしている若者もいる。その他には、この映画でも取り上げているものとして宗教観や霊的にまつわるもの。そこには、儒教や仏教、そして1部にはアニミズムの考えも含め、宗教の混ぜ合わさったものが家族構成や子供たちの躾け、例えばお年寄りに対する礼儀ある接し方がなどがある。神聖的霊的なものに対しては、霊魂の再生や仏教の教えを信じているベトナム人も少なからずいる。」この映画の脚本家で監督でもあるアッシュ・メイフェアのコメント。
映画としては、何とも言えない素晴らしいの一言の背景を舞台にした官能的映画と称されている本作。撮影監督が素晴らしいのか、女性をとらえいる夜の場面でも間接的に何かを挟んでからの描写を多用し、また日中の中でも素肌に当たる水浴びのシーンでも、その甘く美しく女性を描き切っている。シナリオは、第三夫人のメイを主人公にそれを取り巻く女性陣、第一・第二夫人に加え、第二夫人の子供、ニャンとの交流が、メイの中に幼さゆえにまだ子供の部分を残している、この映画で唯一安心して観ることが出来る場面となっている。つまり男性陣は、老家長、現在の家長の出演は多いのにもかかわらず、ほとんど台詞と言えるものがない、映画の添え物状態となっている。この映画.comやその他のサイトでも第一夫人を”唯一の息子を産んだ穏やかな”と形容しているが、実質は別の顔を持ち合わせていると感じ、メイの赤ちゃんを見る目が、第一夫人も第二夫人も何かほくそ笑んでいるように見える怪しげで陰湿な最高の演技をされている。しきたりという名を借りた別の世界を見ているような気分になる。
-I want a boy.
That's right.
Mistress Xuan is not the real lady of the house yet.
Because she hasn't given any boy to Master Hung yet.
”人を呪わば穴二つ”
Please hear my prayer. 後悔しても後の祭り
Please give me a son.
Please let me be the only one to give birth to a boy.
第一夫人........根が怖い。
-Why do you feed him nightshades? (ナス科の有毒種)
....................................................
Can't let him die on Son's wedding day.
第一夫人の息子
Mum.....
I can't marry someone I don't know.
-I used to not know your father either.
-The first time we met was our wedding day.
地主は法律であり、弁護士のいない検事であり、裁判官として行政官として、小作民の人間頭数の管理もしている。
Why punish them? Why not just fire them?
-They got pregnant out of wedlock , we can't just let them go.
What will happen to her and the baby?
She and her baby belong to the temple now.
What about him?
He will be punished some more but he'll keep his job.
生者が通れる川から始まり、終いには、無残にもステュクスに流される若き人もいる。ベトナムの19世紀に生きた人、特に女性に焦点を当て、お茶の作法や生の物が血を抜かれ、神の供物になるところや人間の哲学的、宗教的な概念の転生までを一通りをゆっくりとした自然の川が流れるように映像が進んでいくのは、いいかもしれないが、面白いとほんの少しでも思わないものにとっては、苦痛の何物でもないが、しかし、今回は、何故かいつの間にか観終わっていた。
ラストのメイの泣き止まぬ子どもを癒しているのが嫌なのか? 自分の真のジェンダーを知ったためか? 次も女の子だったらどうしようという何とも言えない不安感からか? 抜け殻のように一点だけを見つめているのか? いないのか? 哀れとしか言いようがない。カイコの蛹(さなぎ)の繭(まゆ)を作りあげるまで、子供を作りあげるまで一生を捧げる運命を悟ってしまう。その反面、男の子になりたいと思っていたニャンが川辺で思いがけないことをして喜んでいるシーンで終わる。何故かエンドロールもゆっくりと.......
この映画は、少し間違えれば、幼児虐待をしていると受け止められても仕様がない映画で、他の映画情報サイトでは、製作者側から上映中止の申し立てをベトナムの文化スポーツ観光省に提出している。5月17日の上映開始からわずか4日後の事。 個人的には、アメリカ映画つまりハリウッドに競合する映画作りがなされていると思う。ハッキリ言って、美しく映像化しているのに映画芸術の名のもとに何をしてもいい訳ではない。強く言いすぎました。謝るぐらいなら書くなってか?
そんな映画を評論家や視聴者を含め高い支持をしている本作。
Boston Globe 2019.7.3
アメリカのボストンにおいて最大の部数を発行する日刊新聞
A beguiling and hermetic world in ‘The Third Wife’ より
「この映画の根底には怒りがあるけれど、それはほとんど認められないほどにまで表現されず、映画”第三夫人と髪飾り”としての力と勢いを失っている。」
San Francisco Chronicle 2019.5.29
カリフォルニア州サンフランシスコに本拠地を置く日刊新聞
‘The Third Wife’ a delicate tale of sisterhood in 19th century Vietnam
「映画”第三夫人と髪飾り”は、シナリオに組み込まれたサド・マゾヒスティックなファンタジーの要素について、程度の差はあるが素直に描かれ、奇妙にも田舎の田園の魅力と融合している。」
日本の視聴者からすれば、なんでもない事かもしれないが、その理由がレイティングに対して、日本では、R15+になっているが、文化の違いか、べトナムでは18歳未満鑑賞禁止となっている。そして今や中止に追い込まれている。
全14件を表示