第三夫人と髪飾りのレビュー・感想・評価
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相対化すること
非常にきれいな、水彩画的な映像。19世紀、まだフランスの植民地になる前の話でしょう。ベトナムの農村風景は20世紀でも、この様な水辺のきれいな情景でした。しかし、21世紀の今、どうなっているかは、わからない。すでに、第二次世界大戦後の、日本農村の様な変容を遂げてしまっているのかも知れないですね。監督は、記憶に残る郷愁の思いから、この様な、映像表現をとったのかも知れません。時間的背景、19世紀、日本の時代背景を考えると、明治維新は、1868年ですから、江戸時代末期から明治の初年頃の期間でしょう。農村のほとんどの人々が、小作農の身分であって、ベトナム同様な階級社会だったはずです。映画批評で、ベトナムの恥部とか、言われると、日本の歴史を考えてないな、と思えてしまいます。世継ぎの男子。日本でも同様。明治天皇、大正天皇の出自を考えても十分理解できると思いますが、、、もう日本では、この様な時代背景の映画を作る人々がいなくなっただけですね。卵も、花柳界では、よく使われていた小道具ですよ。
自然が美しい
第三夫人はとても若くて、第二、第一夫人の娘のよう。室内や衣装も良かった。
第三夫人の視点なのでたくさんの使用人?の生活や夫の生活はあまりわからなかったけれど、家の中で男も女も抑圧されていて、何とか折り合いをつけようとするけれど、できないこともある。運命は変わらない。
美しく不穏な世界
スパイク・リーがその才能を絶賛したという新鋭監督・アッシュ・メイフェアの処女作。トラン・アン・ユンがアーティスティック・アドバイザーとして参加している。本国ベトナムでは4日で公開中止に追い込まれたという問題作。
タイトルどおり、裕福な地主のもとに、第三夫人として14歳で嫁いできた少女が主人公である。演じた女優が13歳だったことも、本国で批難を浴びた原因のようだ。
まさしく「息を呑むような」圧倒的な映像美と、極力排されたことば。表情で見せられる機微。
3人の夫人たちは当て付けあったり、嫉妬心をあからさまに出したり、争ったりはしない。しかし「男子を産む」という静かな、しかし明確なプレッシャーに苛まれている。男子を産まなければ「奥様」と呼ばれることはない。明確な男性優位社会。家父長制。
しかし男も女も、自分で連れ添う人を選べない。第二夫人の娘がそれを自覚しながら段々成長していくさまが哀しい。そして第一夫人の息子、この家唯一の男子の痛切な愛と叫び。
表面上はとても穏やかな日々であるのに、極めて閉鎖的な社会慣習の中で強固に縛られた生活は常に不穏だ。あまりにも美しい映画の描写自体がそもそも激しく不安を掻き立てる。美し過ぎるものは、恐ろしい。
不穏な生活は極めて複雑で歪んだ人間関係を生み、しかしそれは表面上全くないかのように日々が続く。しかし、そこを堪えられなかった青年と、「何もされない」を恥辱とされた少女が終盤で激しい波を立てる。
当たり前のようにその社会に染まった「第三夫人」の少女も、第一夫人の妊娠に動揺し「男の子を産みたい」と祈り、そしてその結末に慄く。彼女は社会に染まっても大人にはなれない。
最後に少女が手に取ったものの意味は、絶望だろうか、解放への祈りなのだろうか。
最後の最後はほんの少しの希望、だと思いたい。
景勝地、チャンアンで長期間に渡り行われた撮影の中で、その自然を映画の物語に取り込んでいったという監督。水、草、蚕、蝶。意味深に映される自然が語る、美しいけれど過酷な世界。型に嵌められた世界。そして監督の曾祖母の話を基にした物語は、決してフィクションではなく、1世紀少し前にはこのような時代が当たり前にあったことを示す。私たちが得てきたものは、極近年のさまざまな先人の努力が生んだのだ、と思う。そういう意味で、曾祖母の物語を残しておきたかった監督の意図が分かるような気がする。
第三夫人が杉咲花に見えてしょうがなかった(ちょっと無理があるか)
19世紀末に実際に監督の曾祖母から聞いた話をもとにしている。イスラム圏やアフリカにしか一夫多妻制はないものだと思っていたのに…こんなところにあった!やはりベトナムでも都会からは離れた地域なのだろう。「絹の里」として大規模に養蚕を営んでいるようだけど、一つのコミュニティとして世間とは距離を置いてる雰囲気が漂っていた。もう一つの王国の中の大奥みたいなものである。
エロチックでもあり、美しく戯れる少女たちの姿。水遊びをしたり、血を流したり、生命の根源である部分を描いていて、会話も少ないために別世界に入り込んだような気分にさせられた。まずは卵黄攻撃。『ナインハーフ』の氷を卵黄に変えただけのような気もするが、旦那の方の勢力増進にも役立てたのであろう。そして鶏を捌くシーンにて、生のための食物連鎖までをも想起させられるのだ。
事件がなければ何も面白くない作品なのだが、第一夫人の息子ソンと第二夫人の密通により義務的なセックス以外を愉しむ大人の事情が浮き彫りになる。いや、待てよ。その間、第一夫人と第三夫人は身重なのだから、旦那の相手をする頻度が増えてるはずなのに…ソンの性欲が凄かったのか?それにしても女だらけの使用人には手を付けなかったのか?仮に子供が出来たとしたら義兄弟でもあり親子でもありという、ややこしい関係になるんだぞ!と、やはり頭の悪そうな下半身男だったのか。鞭叩きの上、追放されてもよかったのに。
もう一つの事件は可哀そうだった。その下半身男に嫁いできた女の子。第二夫人が好きすぎるために、一切手を出さずに、離婚問題にまで発展する。しかし、風習により離婚させるわけにはいかないこととなり、それを苦に女の子は自殺してしまうのだ。跡継ぎが誕生するのに死人をだすわけにはいかない。牛が死にそうだったので、わざわざ死を早めてしまう措置をするなどしていたのに、すべてはこの下半身バカ息子が台無しにしてしまったのだ。
溝口健二の『赤線地帯』を観たばかりだったので、こうした妾に対しても地主側が金を払ってるのかと思いきや、多額の持参金を持たせていることに驚いた。閉鎖的なコミュニティってのも生と死の問題がいっぱいあるものなんですね…
水と女と蚕と女のお話
久しぶりに『登場人物が饒舌に喋る』映画ではなくて、映像が静謐に物語を綴る映画を観た。絹で富を成している家(使用人の多いこと!)に第三夫人として嫁いできた15歳の娘の眼を通して描かれる、19世紀末のベトナムの富裕層の社会。男の意向ひとつで女の運命が決まってしまう世界。その日常生活が淡々と、取り巻く自然、移り行く季節の中で綴られていく。水と血のイメージが「女」に重ねられていく。「女の唯一の役目は嫁いで(男の)子を授かること」という価値観が絶対な社会の中でも強かに生きていく第一夫人と第二夫人(しかし男の子を成していないので“奥様”とは呼ばれない)。勿論、女たちの間には小さな野心・嫉妬等は生まれるが、反目し合うのではなく女は女同士という同士意識・連帯感で結ばれているように描かれている。それでも15歳で花嫁になったヒロインは、夫に触れてもらえなかったという事だけで死を選ばざるを得なかった未だ少女であったもう一人の花嫁の姿に、割り切れないものを感じ始める。そして女に生まれる事が幸せなのかどうか分からない世界に女として生まれてきた娘の命を断とうして毒草を口まで持っていく。しかし最後カメラは引いて彼女が果たしてそれを娘の口に含ませたかどうかは曖昧にする。ラスト、大きくなったら男になりたいと言っていた、第二夫人の次女が長い髪の毛を切り落として決然と微笑む顔にやがて来る新しい時代の希望を託しているようだ。ひとつの時代・場所を切り取った風俗詩だが、それを映像で綴る正に「映画」である。
生きて行くという事。
意地悪な人も、乱暴な人も、やさぐれた人も、憎たらしい人も、やってることは別として、悪い人は1人も出てこないのに、人生は思い通りにはならないし、上手く行かず傷ついて行く。結局、図太く生きて行くしかないのかな?
美とエロスと生と死と女
19世期のベトナム
美しい映像、風景、鳥や虫の鳴き声、人々の生活
美とエロスと生と死と女を感じ取った。
第二夫人の秘密の描写がリアルでエロくて美しい。
第一婦人の息子の妻の自殺、第3夫人の出産
女達の愛と嫉妬
昔は一夫多妻制が認められていたが
一夫一妻になった現代も、女は男の浮気や不倫(逆もしかり)に怒り哀しみ嫉妬したりして
いつの時代も女はこういった感情からは逃れられないのかも。
他の人が書いていたように、嫁に行っても夫に愛されず、触れられず、出戻りしようにも家族からは出戻り拒否されて
一番可愛そうなのは自殺をしてしまった第一婦人の息子の嫁だ。
結婚の自由を選べて、相手も自由に
選べるこの時代、国に生まれたことに感謝しなくては。
内容は哀しいけれど、映像の美しさと音楽がその哀しさを薄めています。
個人的に沐浴のシーンが美しい。
特に女性には、心に染みるのでは?
そう思うのは、自分も女性、しかも年齢でいえば第一婦人に近い(汗)から、かもしれません。
第一婦人、第二夫人にしてみたら、競争相手でもあり、でも感覚的には娘、妹、のような感じ?
人間て単純じゃないですよね。誰だって清濁持ち合わせ生きている。
第一婦人が、メイの赤ちゃんを取り上げるのを手伝うのも。
第二夫人が不義密通をするのも。
メイが、第一婦人の妊娠を知り、自分の子が最後の男児であるようにと願うのも。
その後流産した第一婦人を見て、良心の呵責に苦しむのも。
自殺した第一婦人の長男のお嫁さんに涙するのも。
生まれた女児の口元に、毒の花を持ってくるのも。
あるがままの営みが、北ベトナムの風景と、美しい音楽と共に。
時代も国も違えど、こうやって生きてきた女性たちの延長上に、私たちは生きているのかなあと、心打たれました。
ベトナムの中でも地方での実話に基づく話らしいです。全体を通してもの悲しいです。
19世紀のベトナムが舞台と聞いて興味を持ち、4日間で興行中止になったと知って、
観る機会があればと思っていた作品です。
正直なところ、もっとロリータ色の強い作品(※)なのかと思っていたのですが、
その点はそれほど強烈では無かったかと思います。
(※興行中止となった理由も、主人公が14才だからとかその辺りにあるらしいので)
ただ、「生々しさ」という点でかなり強烈な場面があるように思います。
ニワトリの生き血を絞るシーンとか、ダメな方は要注意です。ふぇぇ。
☆
全編を通じ、昔ながらの風習を通して「女性であることの哀しさ」が伝わってくる内容です。
・そもそも、一夫多妻であり、
・男の子を産まねば「奥様」と認められず
・嫁いだ先で気に入ってもらえなければ里に返すと言われ
・実家からは帰ることも許されず… とか。 ひどい話です…
うーん…
明るい展開はほぼありません。なんだかなぁ。。
最後の場面でも
女の子を生んだ主人公が黄色い花を摘み、赤ん坊の口元に寄せていく場面があるのですが、これがまた悲しい…。
黄色い花には毒がある--そのことを主人公は知っているはず。
(毒だと教えられる場面が出てきます)
自分の生んだ子が男でなかったことへの絶望感。
それを象徴するような場面です。
もの悲しいです。
☆
ベトナムの風俗。
家屋や衣服など、中国の影響が大きいみたいですね。
中国の山奥が舞台と言われても、違和感なく納得してしまいそうでした。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
美しい世界
過去を美化する訳ではないし、一夫多妻を賛美する訳でもない。でもこれはこれで美しい世界じゃないか。そりゃあ今の価値観とは違うだろうけども、この作品の女性たちが不幸だったとは思えないのだ。(無論、嫁ぎ先に受け入れられず、実家にも戻れずの行き場を失った少女の悲劇は痛ましかったが。)
これをベトナム社会が受け入れられなかったのには何か文化的な背景があるのだろうか。
感動とか衝撃とかそういう作品ではないものの、とても味わい深い良い作品でした。
次回作へ
好きなスパイクリー監督が称賛した映画と言うので観ました。ベトナムでは、上映4日で主演女優がバッシングを受け中止されたと聞いています。
内容は性しかない。
映像と音楽と良いのに不快しかないのは快楽の性しかないからだと思う。
本来の曾祖母の実話を元に作っているそうですが。ジェラシーもなく3人の婦人が助け合い生きたこと。性は男尊女卑の威圧の中で生きる為に必要だった、ほんの少しの楽しみだったのではないだろうか。批評家の人は本当が言えないと思う。
描いたものは美しくない。それがベトナムの人たちも毛嫌いしたのではないだろうか。
本当に美しいものが監督が熟成すれば生まれると思う
女性で何が悪いと
女性にとって窮屈な時代のお話だけれども、
その分素晴らしさが浮き彫りになるような仕組みかと。
女性の美しさをこれでもかと、
生きとし生けるものものの命をまわしているのだと、
私は女性だけれど、この映画でますます女性であることに
喜びを感じちゃいましたよ。
生について考えさせられた
主人公が嫁入りして出産して、ももちろんだけど、牛の出産、死、鶏を絞める場面など「生」を描写した場面が多く出てきた。
当時は当たり前に生と死が感じられる世界だったんだなと思った。今が自然界と隔たり過ぎているだけかも。
最後が?だったんだけど、他の人の意見や解説を読んでなるほどと思った。
祖母の時代の美しいベトナムの生活と女たちの辛い人生
監督は祖母の時代の美しいベトナムの生活と女たちにとっては生きづらい時代を画面に残したかったのだと思う。
終わり方が秀逸だった。
第一夫人の長男に嫁取りをしたが、長男は拒否し、やむなく家長の富豪と父親は破談を申し出る。しかし新妻側は恥をかかせるのかと戻るのを拒否する。新妻は行き場を失い首をくくらざるをえなかった。
それまで主人公のメイは少しずつ大人の女の生き方を学んできていたが、ここで一挙につらい女の人生も知ってしまった。親に人生を決められ、婚家で受け入れられなければ生きることも出来ない女の人生を。
メイは自分が生んだ女の子もそういう人生になるかもしれないと悲観的になり赤ん坊の口許に黄色い毒のある花を持っていって迷う。
しかし、最後のシーンで第二夫人の下の娘が自分で長い髪をジャキジャキと切り落とす。女の象徴の髪を。これは女が自分の意志を持つ時代の始まりを意味している。
映画全般はとても美しく、ある意味とても豊かな生活だったことも描きたかったのだと思う。
また、三人の夫人たちの位置は、旦那様に仕える子供を産む役割の女たちで、使用人としては最高の位置ぐらいの感覚だったのだろうか、だから三人は仲良く過ごせたのだろう。
ちょっと脱線。初夜の交わりに卵黄を使うというのは面白いアイデアかも。長男の初夜の準備に運ばれた盆にも卵黄が乗っていた。初めてで潤わない新妻のためかも。これって伝統なんだろうかと思ってしまった。でも感染症を起こしやすくおすすめではないけど。
監督が祖母から昔話を聞く姿が目に浮かぶようだった。
ど直球だった。
ズドーンとやられた。映画っていいわと。
女性監督による女性の抑圧と自由への渇望を、19世紀ベトナムの地方の自然の中で、悠然と描いていて力があります。タイトルからありがちなエロとか、女同士の確執とか、想像してしまいますけど、まるで違いました。
セリフがほとんどない中で、自然の中で営まれるベトナムの地方富裕階級の生活、そしてその中で女性たちの感情の起伏を繊細に描いて、そこにドラマがきちんと盛り込まれて、驚きます。
セリフがない分、全編音楽がその代わりをなしていて、これも素晴らしい。尺八みたいな笛もあるみたいで、映像美と共に堪能できる。
自然がすごく近くにあり、動物なしに成り立たない人間の生活を描くことにも監督は相当力を入れていたのでしょうね。遠くから美しく描くのではなく、血の匂いと共に手がくところに女性性を感じます。リアルなんですよね、やはり。
女がずっと味わってきた想いをずっしり感じながら、映画館を後にしたのでした。
「色」しか見えない
何の映画だったのか・・・。
自分には、色しか見えなかったし、色しか覚えていない。
特に、青い色。
“詩的”な作品であって、実話ベースとはいえ、ベトナムの昔の社会の慣習や「女性の歴史」を映し取ったと呼べるような、リアリズム映画ではなかった。
また、女という“性”がテーマであるが、予想していたほどの“官能的”な作品ではなかった。(ソフトな性交シーンや、女子の猥談レベルの台詞は出てくるが。)
会話はミニマムであり、ストーリーは追えるが、必ずしも具体的な“起承転結”を物語ろうとする意図をもった映画でさえないと感じられた。
エンドロールでは、「カラリスト」がクレジットされていたが、色調が徹底的に統一されている映画である。
さまざまな衣装の色を別とすれば、基本となるのは、白、緑、そして、青。
「白」は、衣装で目立つが、主人公や子供の抜けるような肌の色も。
「緑」は、森深き環境の葉っぱの色で、ボリュームとしては一番目立つ。
そして「青」は、空や水や山陰だけでなく、石や煙など、通常はそれほど青くないはずのところまで青く見える。おそらくポスト・プロダクションで、色調をいじっているのではないか?
上記の全体のベースとなる色に対して、アクセントとして、ポイントポイントで使われるのが、黄、そして、赤。
「黄」は、明かりと、小さい花の色。
「赤」は、血の色。
その他は、子供が着る服の淡いピンク色くらいしか目立たない。
映画の最初から最後まで、ずっと水蒸気でぼんやりと煙ったような世界。
柔らかくて静かで甘い映像が、ひたすら続く。
覚悟と悟りと生きる術
19世紀の北ベトナムはチャンアンの富豪のもとに嫁いできた14歳の第三婦人とその家族の話。
第一夫人は親子程歳の離れた人物で成人の一人息子有り、第二夫人は二人の娘有りという状況で、後継ぎを産んでこそ奥様という環境の中、女性を中心にストーリーが展開していく。
第一夫人には若干の不安が有りそうな感じだったけたど、女同士のギスギスした話かと思いきや、主人公に対し非常に優しく接する先輩夫人達。後継ぎ候補を授かったら話は変わるのかもしれないけれど、第二夫人をみる限り、肩身の狭い感じもないし…。
あらすじに記されている秘密にしたって、まあ特に主人公に対してはそれ程影響を及ぼす感じはないし。
この時代、この国の文化や価値観が良く判らないからか深くは理解出来ていないけれど、主にもう一人の夫人の存在で何となくは閉塞感や孤独感と不安等、伝わってくるものはあったかな。
曾祖母の体験した実話に基づく話ということだから狙っているのかは判らないけど、蚕と女性とかけているところもあるのか考え過ぎか。
ラストの主人公の思いは自身の不安か子供の将来への憂いか…オーラスのシーンは判り易かったけど、全体的に何となく、雰囲気では頭に入ってくるものの感銘出来なかったし、響くものもなかったし、自分には難しかった。
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