火口のふたりのレビュー・感想・評価
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ヨコハマ映画祭にて
実際、こういう映画を観るのは、初めてかもしれない。
しかし、すごく良かった。
ああいう映画って過激なラブシーンが話題になってしまうけど、それ以上のものを確実に描いてましたね、
何重にも壁があるふたりがセックスだけで、それを乗り越えようとする感じがむしろ潔くて好き。本来だったら、自分もそうしていたいし、そうありたい。
本当は逃れられない現実があるのにね。ただ、気持ちいいことがしたいっていう本能が勝っちゃうのがリアルで人間らしくて好き。だけど、もう映画で観たくはないかもしれない。せめて映画では。
これ、キャストは当時、安藤サクラと長谷川博己を考えてたみたいだけど、本当にそれで実現されてたら今頃やんばいことになってたでしょうな。両者ともに。
いや、今回の滝内さんだって最高でしたよ。もう彼女の最後の賭けで挑んだ映画ってのと重なって、劇中の直子が際立って内包的な良い演技に見えましたな。そして、結局愛する男ならどんな要望にも答えてしまう…しかし、終始けんちゃんの要望に応える直子は嬉しそうでしたなあ。
ただ、あのヤマダ電機とか映るんだけど、やっぱり映画でそれを観たいわけではない感が自分の中で、よぎっちゃう。
本当は現実を忘れるために、非現実な世界に連れてってくれる映画を見てるはずなのにさ、あんなもろ現実世界に誘われたら、ねえ。自分と比べちゃうし、、自分が弱いんですな。というか、あの海岸でのラストはきっと、観客が自分自身と向き合うために作られているし、そういう意味では、自分のリアルな生き方の幅が広がるのかも。
受賞挨拶で新井監督が、日本バカデミー賞なんて仰ってましたが、本当にその通りかもしれないな。
そうそうオープニングとかすんごい洒落てるよね、すき。
嫌いではないけれど
原作者も好きだし、キャスティングも良い。タイトルも分かりやすいし、言いたいこともよく分かる。
セックスのシーンは多いけれど、そういうお話なんだから仕方ない。ただ、モザイクは嫌い。
こういう作品でモザイクをかけることをたまーにやるけど、それは違うでしょ。
だからと言って外せばいい訳ではなく、危ういシーンは撮らなければ良いだけですよね。
途中、アンダーヘアが映り込みそうになってチルトする所があったけど、気になってしまった…
FixならFixで決めて欲しかった。
てかどこまでがモザイク不要なのか、教えて欲しい笑
それ以外は、なんとも言えない爆発しそうな2人のいけない恋物語を基本は俯瞰で撮っていた。
アルバムの中に近い2人のショットが多く、そういう映し方もあるのだな〜と感心。
これもキネ旬1位…?
話題の柄本佑と瀧内公美の濡れ場は確かに凄い。
大胆という言葉より、濃密、激しく、貪り求め合い…。
特に瀧内は全編の約半分はフルヌードでその裸体を惜し気も無くさらけ出し、可愛い役ばかりやってる昨今の若い女優なら絶対やらないような役を文字通り体当たりで! あの喘ぎ声や悶え顔は本物では?…と思えてくる。
女優魂に天晴れ!
離婚を経験し故郷・秋田に帰省した賢治は、5日後に結婚を控える元恋人の直子と再会。愛し合った記憶を甦らせた二人はかつてのように身体を重ね合う…。
キャストは柄本と瀧内の二人だけ。(電話の声の柄本の父親役は実生活と同じあの人!)
実力派の二人の複雑で繊細な演技も光る。
再会した二人の愛の彷徨。運命が微笑んでいたら、結ばれていたかもしれない…。
東日本大地震後の東北。終盤、日本が再び直面する思わぬ大災害。日本の行く末に、何処となく死生観を滲ませる。
そんな落ちゆく火口のような世界の中で、二人は…。
…と、人の深淵なる内面や男女の性愛を通して哲学を感じさせる上質な人間ドラマではあるのだが、う~ん…自分にはハマらなかった。
決してつまらなくはなかったのだが、非常に淡々と静かで、少々退屈さを感じてしまった。
昼夜問わず性欲の赴くままに、時には路地裏や長距離バスの中でも。気だるい雰囲気も含め、こりゃ完全に往年の日活ロマンポルノの世界。
匂い立つ愛とエロスの物語…と言えば聞こえはいいが、二人の関係は今何かと世間を騒がせ問題・炎上している不倫。
言わば本作は、不倫ポルノ映画である。
瀧内の主演女優賞は納得出来るが、これがキネ旬1位か…。
名脚本家・荒井晴彦の監督3作目。
脚本作では好みはあるが、どうもこの人の監督作は…。
今回も例に漏れなかった。
"営み"の世界、その果てで
官能小説それとも人間の根元?
正直、きれいに撮ってはいるがAV顔負けのエロ。日活ポルノ的なのかな。
東日本大震災を受けて、刹那的な人生に走る気持ちもわからなくはないが、それには先がない。人間にはそれだけではない力があり、生産性を求めるもの。
この映画にはその部分が見えない。
賢治が歴史や時事ネタにやたら詳しく、結構な社会性もありながら、その日暮らしを続けているギャップがそれを表している。この先どうするのって。
身体的な愛を求められる共感できるパートナーがいて良かったねというだけ。
それに、刹那的な生き方の理由付けに東日本大震災を使うのは、安直すぎるし、被災地の住民に失礼なのではという気もする。
といっても原作が東日本大震災ありきの内容らしいから仕方がないかな。
ただ、エンドロールの曲も気持ちいいの連呼はやめてほしい。作品が愛ではなく本当にエロだけにしか見えなくなってしまう。
まあ、エンドロール見て気付いた親父との共演のおまけと瀧内公美の頑張りに一点かな。
いい大人なのに背徳感を纏ってひたすら性欲と食欲を満たす
これがR18???
東日本大震災は日本の歴史の転換点になるだろう。日本も東北ももう震災前には戻れない地点に向かっている。これから10年、20年後の日本は、なんとなく「今」が続いた先にあるのではなく、「富士山噴火」後の世界が始まったことをはっきり認識できるだろう。「絆」や「復興」など、口当たりの良い言葉の裏で、弱肉強食、グローバル化時代の熾烈な競争に勝ち抜くため、受験やら就活やらに踊らされているうちに、破局が目の前に迫っている、そういう風景か。
それにしても、この美しい作品がR18指定とは! この作品は、中学生とまでは言わないが、高校生にぜひ見てほしい。こういう優れた作品を通して、身体のふれあいの大切さを実感してほしい。
熱演は買いますが...
三大欲求を気を使わない相手と。
愛があるSEXって気持ちいい
こんなラブストーリー初めてだ
高校の文化祭作品?
役者の奮闘ぶりは認めるし、彼らの責任ではないのだがそれが作品の質に繋がっているかと言うと、完全に空振りに終わっている。
ラストの幼稚な終わり方は、まさに高校の文化祭作品のよう。音響も立体感、空間がまるで感じられず波の音もセリフもあの時の声も同じ平面から聞こえてくる。
前半に散りばめた疑問に対し、本の文章そのままのように、だらだらセリフで説明されてもねえ。低予算なのかもしれないが、カメ止めには及びもつかない。
数ある肝心?の場面もリアリティが全くない。
感じているのに乳首は普段どおり、絶頂期にも顔や首筋が紅潮するでなし、バスの中でタオルを敷くらい気が回るなら、抜いた指が濡れているくらいしないと。
ということで、色々気になって没入はできないけど、時間がたっぷりあって1000円なら話の種にはまいっか。
下田逸郎のlove song
生殖の行方
女優の裸で客をつる映画かと思って最初は興味がなかったが、故郷の秋田を舞台にするということで足を運んだ。
秋田の玄関引き戸の音、あー秋田だ、と。内装の部材、間取り、柄本佑の実家は秋田に多くある典型的なつくりで懐かしかった。
柄本佑は秋田弁がうまかった。多分、瀧内公美は発音ができなかったのだろう。母音が違うからね。
震災の話が出てきたとき、最近この話題を映画にすることが多いなと、話題の強引さを感じたが、実はそうではなかった。震災のときの傍観者だった秋田をうまく表現していたと思う。もちろん、ボランティアなど協力したひとも少なくないだろうけれど、秋田は何かにつけて傍観者であったような、そんな孤立感を感じていた。
戊辰戦争のときは東北の中で新政府側についたし、“やませ”の吹かない秋田は岩手、宮城に冷害が起きてもほとんど被害を受けない。そして今回の震災もそう。「東北」とくくられるなかに秋田はなにか”悲劇とは無縁”の居心地の悪さを感じてしまう。
そんな第1次産業の豊かさにかまけて戦後の高度経済成長、バブル経済などの好況からは取り残され、テレビで流れてくる「日本」はべつの国のことではないか?フィクションではないか?と思うほど日常と乖離した世界だった。おそらくこの映画に出てくるような富士山の噴火や首都直下地震、東南海地震など、日本に壊滅的な事件が起きたとしても、秋田はまた傍観者のように日々暮らすことだろう。
厳しい冬をじっと黙ってしのげば豊かな大地の恵みを享受していける、テレビに映っている繁栄や時代を追い求めさえしなければ。そうするうちに、子供達は故郷を離れ、空き家の町となり、そして人の代わりに熊が里にやってきた。
そんな人生に多くを求めない土地柄で性愛を欲望のはけ口とした逸話は郷土書の棚をみれば散見する。実際にそのような県民性と言えるかはわからない。子供のときにしか秋田にいなかったせいだろうか。性欲に溺れている郷土の知人は一人しかいない。それが他県より多いのか、少ないのか。
「身体の相性がいい」とは実際にあると友人から聞いた。男が一方的にやりたいのはわかるが、相手もそうらしいとのこと。それは幸せでなによりだ。この映画に出てくるような性のむさぼりはあっても不思議ではないし、目新しいものでもない。食と排泄、生と死(盆踊り)、動物的とも言える根源的欲求をさらけ出しても、この映画に嫌悪を感じさせないのはさすがだな、と思った。写真をとる性的嗜好とそれをとっておく嗜好。この性における男女の微妙なずれがこの歳になっても未知の部分である。
お互いの身体を求め合う時期はどのカップルも経験することだろう。だが、そのあと、とくに子供をもうけてから、女性は裏切りのように性欲を拒否するようになることは少なくない。予想外の豹変に男は困惑するばかりだ。この映画の幸せな性愛、瀧内公美の子供願望は原作者、脚本家など、男の想像の範囲だが、なんだか最近これらがあやしい。
川上未映子や村上紗矢香を読んで、「産む性」に対する違和感が女性の中にあると知らされた。女性が時折見せる性愛への嫌悪がこのためかもしれない。
人工授精はすでにできる。人工子宮ができれば女性はそれから解放されるかもしれない。女性はそれを望んでいるのだろうか。
女性の本願は「男性の欲望からの解放」なのか。古代では文明を築くために略奪の対象だった。宗教的戒律、恋愛という昇華のもと、暴性は否定されてきたがロリータ・コンプレックスなどの異常性癖は文学として存在を認められつつも、法は否定している。男はロマンスだと思っていたキャリアがらみの恋愛は#MeTooで大きな勘違いだったと。普通の恋愛をしても、実は性愛は求めていないのではないか。子供をつくるためにも、できれば性行為はしたくないのでは。男性社会が作り上げた「恋愛像」、「家族社会」を女性に擦り込んで、実は南アジアの集団レイプと変わらないことを品良くやっているのが現代社会なのかもしれない。モア・リポートの「女性の性欲」など本当は社会習慣が作り上げた幻想で、本当は単性生殖、アマゾネス社会を求めているのではないかとすら考えてしまう。
「望まない妊娠」から「望まない性行為」からの逃走。「草食系」はそんな時代の男の進化なのかもしれない。
瀧内公美の性欲は男の幻想か、女の秘めた願望か、どちらに属するものなのか悩ましい時代になった。
すればするほどしたくなる
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