天気の子のレビュー・感想・評価
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『君の名は。』の東京ではない。
家出して東京に出てきた少年の前に立ちはだかる「東京」という壁。屹立する大都会を映像に落とし込んだ密度に圧倒される。つまり、情報量がやたらと多い美術の厚みは、そのまま少年には太刀打ちできない現実の重みとなるのだ。
しかし、少年に若き日の自分を見たやさぐれた大人や、大人に頼ることなく生きたいという想いを共有する少女との交流によって、少年はかろうじて「東京」に対抗する術を手にする。
映画はやがて、東京を(拡大すれば世界そのものを)守るべきか否かという選択の物語になっていくのだが、少年が選んだ道を100%支持したい。現実という枷をぶち破ることこそが、フィクションが与えられた自由と希望だと思うから。
にしても、明るくライトな『君の名は。』の東京とは真逆の印象であることが興味深く、これまで不勉強でよく知らなかった新海誠という人の視点に今更ながら興味を持ちました。
大都会の盛り場は好きではない
ロバート・デニーロ主演の1976年の映画「タクシードライバー」の一場面で大都会でタクシーの運転手になった主人公が大都会の腐敗した暗い部分を嘆いて言った「雨が歩道のゴミを洗い流してほしい」という感じのセリフがあるが「天気の子」で降り続ける大雨はまさにこのような感じだった。主人公とヒロインは大都会で懸命に生きようとするが大都会の闇の部分によって人としてあたりまえに受ける幸せの権利を奪われようとしていた。その後いろいろあって大雨が大都会の闇の部分を洗い流し二人は幸せの道を歩み始めたラストは涙腺にくるものがあった。新海誠監督の前作「君の名は。」はアダムのイブの話に似ていると思ったがこの「天気の子」はノアの方舟の大洪水の話に似ていると思った。地上に人の悪が増大し神が人を造ったことを悔やみ天罰として大洪水を起こしたという話に似ていると思った。
結論:本作は圧倒的に絵が美しくラストでは感動した。だが大都会の盛り場はあまり好きではない。
追記:
最初の船内のシーンではお金をあまり持っていない主人公の少年が大人に夕食とビールをおごらされているシーンがあるがこのシーンは大都市の現状を比喩的に表現している。例えると大都市は一年のうち半分以上は大雨が降っている弱肉強食の熱帯雨林ジャングルのようなものである。大都市では弱者ほど金を吸い上げられ長く生き残れないのでお金が生き残るためのすべてであるという考え方に物語の主人公が染まるのは当然だと思った。そういう少年は成長し大人になってもお金が全てという考えを持ち続けると思う。こうして自分が生き残るために弱者を利用する大都市の社会ができあがっていく。
物語のクライマックス。大人たちに追われて逃げている主人公である家出少年の帆高が廃ビルのフロアの隅に追い詰められ拾った拳銃を大人たちに向けているシーンはこの物語での悪役が大都市の住民である大人たちであることを示唆している。市民のうつし鏡である警察、少年少女を金儲けに利用するヤクザなどの悪い大人、この場面にはいないが自分たちより弱い他人の困窮に対し気にもかけず行動を起こさない政治家や一般市民などのすべての大人たちがこの物語での悪役であると思う。
穂高は拳銃を構えることによって人として当然もつべき幸せに生きる権利を主張したのだ。大人たちは立場の弱い人たちを金儲けに利用し、自分たちに都合の良い法律をつくり、メディアを混乱させ都合のよい社会を作り上げ高水準の生活を守っている。大人たちの高水準の生活のために犠牲になる人たちが大勢いると思う。人が人を喰らうことでしか維持されない世界など沈んでしまえというメッセージをこの作品から感じた。
しかし私はこのメッセージは強すぎると思う。現実の世界は人類の理解を超える混とんの世界であるので人の力、ましてやいるかいないかわからない神の力などで解決できるというのは違うと思う。
追記2:
私は天気の子は映画監督のことでもあると思った。この映画「天気の子」は観客を泣かすための工夫がすごい。主人公の感情が高ぶっている場面に畳み掛けるように歌を流すので泣かざるをえない。この映画の監督は観客の感情をまるで天気を操っているかのようにコントロールする。この映画の監督は悲しい場面を観客に見せて観客の涙の雨を降らせたり、ハッピーエンドを見せて観客に雨あがりの晴れ間のようなすがすがしい気持ちをおこさせたりできる。
まとめ:観客の感情を自在に操る監督はまるで神である
困難な状況にある少年(・少女)の物語? 倍賞美津子のラストでの一言が救い
自分には、帆高が「自分を売って心身を削っている陽菜のヒモをしている未熟な少年」の隠喩にしか見えてこず…。結果、ごめんなさい。「これ、少なくとも『純愛物語』として読まれるように表現しちゃあかんやろ!」と、かなり最後の方まで、うまく波に乗れませんでした。
でも、そんな私にも、事が起きた後の倍賞千恵子の「東京のあの辺はさ、もともと海だったんだよ。……だからまぁ、元に戻っただけだわ。なんて思ったりもするね」の一言に一瞬、救われました。なぜなら、「困難な状況にある少年・少女が、たとえそのままの自分でも、周りの環境が変わったり、自身の見方が変わるだけで、まるで世界の見え方や自分の生きづらさが変わってくる。ああ。この映画は、その心象風景を描いたものであり、困難な状況にある少年・少女にエールを送っているのかも」と思えたからです。
でも、それが映画の主題になり切るわけでもなく、小栗旬の「お前たちが原因でこうなった? 自分たちが世界の形を変えちまった? んなわけねーだろ。ばーか。」の一言で、すかされてしまったし……。それに、「少年」に救いを与えるには、「少女」をあまりにも傷つけすぎだし女神視しすぎな感も。とはいえ、見返せばまた見方が変わってくるかもしれないので、何度か見返してみたい作品ではあります。いずれにせよ、自分が大学生の頃にさんざん乗った東海汽船と竹芝桟橋の描写には興奮しました。
タイトルなし(ネタバレ)
いやなんで?の連続です。
耐えて観ようといつもしていますが耐え難い。
ヒロインの描き方も、主人公の男子の気持ちの動き方も、この作品に限らず、飛び飛びだし、これを作る大人というのも倫理というかの点で個人的な感覚としても相当無理です。
映像感覚に優れた監督が、よい脚本を書けるとは限らないので、さっくりと分業してほしいです。
新海氏はショートフィルムがネットで話題になった頃から知っていました。美しいクオリティの高い映像がその時は印象的でした。
が、長編映画とはイメージ映像とは違うのです。
宮崎駿が脚本も監督もするからといって、誰もがそれを真似ないといけないわけはないのです。
得意分野を持ち寄って、それなりの人数で作り上げるのが映画なのではないですか。個人映画はあるけれど、おおよその劇場映画とそれとは別物でしょう。良し悪しではなく。
美少女ゲーム(ギャルゲー)と呼ばれていたジャンルがありますが、基本的な部分でそれ「しか」フィクションの素養が自分の引き出しにない人が物語を書こうとすると、それが表れるのです。
ギャルゲーに対するディスではありません。決して断じて。
一時代を築いて、その影響が濃い人がいるジャンルであるのも一応理解します。
新海氏に関してはそのジャンルに関わるお仕事もしていたのですから、影響はあっても頷ける話です。
でもそれ「のみ」「しか」物語の素養が無いとなると、脚本を書くにはふさわしいとは言えません。
どの分野の作品であれ、広い視野が無くひとつのジャンルしか素養が無いとなると新しく作品を作り出すには、絶望的にならざるを得ないものなのですから。
未熟な精神の主人公を描くにしても、それを作品にする立場には俯瞰する視点が必要なのです。それなのに俯瞰して物語を作る成熟した視点が、新海氏のアニメーションにはこの作品でもその他でもいつでも無い。
新海監督に関しては、劇場映画としてはもう何作目になるのでしょうか。
誰かが指摘をして、無理して脚本を書くことが監督の担うべき仕事ではない、と言わないといけないのではないでしょうか。
宮崎駿監督式でないといけないと強要されているのだとしたら、それはそれでそんなんじゃなくていいと判断を誰もしてくれない制作体制だとするならば、それは到底理想的ではないということです。
いつか映像を生かした別の脚本家による、ある意味きちんとした話とキャラクターのアニメーション作品が出来たら良いとは思いますが。
恐らく個人の問題ではないかもしれませんので、そうだとしたら申し訳ないですがまあ絶望に感じられてしまいます。
点数は映像の美しさに対してで、映画全体であればマイナスをしたいです。
倫理観の酷さもどうしても個人的には無理です。
フィクションしかも二次元であれば尚のこと倫理のために存在する必要はありませんが、それならばそれで物語としての必然性や作品としての骨子や根になる部分が必要になるはずです。
ふんわりとこんな感じというような雰囲気で、未熟な精神から成立しているかのようなキャラクター描写と物語を展開されても、評価する以前の問題に感じます。
なので評価という意味ならば、映像に対してだけしかできません。
絵を動かすという意味では、正直写実的に過ぎるというか実写の加工の感はどうしても強いにしても、デジタルの技術を駆使し美しい映像のアニメーションに落とし込んで作品にして来たこれまでの成果として。
現実的かつ空想的なファンタジー映画
今作はヒロインが超能力持ちなのが面白い。その力を軸に進む物語にはすごく惹き込まれました。
あとは『君の名は。』の登場人物が出てるのも良いですね。テンション上がりますし。
それから個人的には〝怖い〟とも思いました。
帆高は別に悪いわけは無かったのに、警察から逃げて追いかけられるハメに。ハラハラドキドキという意味で怖かったのかもしれません。
個人的に新海監督の作品では、『君の名は。』と『すずめの戸締まり』の方が好きかもです。
似てる?
今頃ですが天気の子見ました。
「君の名は」や「すずめの戸締まり」は鑑賞済みです。
新海誠監督の作品は色使いや光が綺麗ですよね。
ストーリーや構成が各作品似てる気がしました。
大きな流れの何かの為に誰かが犠牲にならなくてはならなくて、なんとかしなきゃみたいな、、、(^_^;
次回作も楽しみです(^_^)
1つの作品としては好き
新海誠さんの新作ということで、綺麗な映像と心打たれる内容に期待をして映画館に行きました。
毎回必ず主人公が何かに阻まれて
なかなか思うように動けなかったり
もどかしさを感じるのですが、
今回も警察に追われながらも大切な人に逢いにいくシーンは胸が苦しくなりつつ応援してました。
東京を救うか大切な人を救うかの選択で一瞬
有川浩さんの塩の街を思い出しました。
話はズレますが、塩の街では大切な人を守るために大きな塩害を倒しに行きます。
ー彼が世界を救ったとしたら彼女のためだけに救ったのだ。彼女がその世界にいるから、その他の僕らはきっとおまけで救われたのだ。
この文章が私はずっと好きでした。
世界を守れるのは僕しかいない!と使命感で世界を救う主人公は多いものですが、その世界に大切な人がいなければ意味がないのだと、だって世界は必ずしも自分に必要な人ばかりではない、むしろ無関係な人の方が多いんですから。
話は戻りますが、今回東京を沈めたとしてもそこに大切な人がいるなら東京を救えるかどうかの選択をもっていた主人公は選んでいいと思います。
そして選んだ。大切な人との時間を。
物語は素敵でした、映像も綺麗でした。
ただ、正直君の名はや言の葉の庭は超えられていません。
2時間近くあるのに少し構成が雑に感じました、、、
説明しなさ過ぎかと思います。
考えてみて、何度でもみて。という意図もあると思いますが、また観てみよう!と思うほどのヒントが少なすぎと伏線の回収しなさすぎです。
新海誠さんの作品としてというよりは
1つの作品としては好き
1度は観ておく作品くらいかと感じました。
空や自然がきれい、実物や写真、実写とは違う良さがある
映画館。前情報なし。
澄んだ空気、
雨の表情の表現がすごかったです。
アニメなのにすごい。
おかんほど興奮できなかったけど、
凪くんのプレイボーイ笑ったし、
空に返っていくところ、
人が死んでしまう表現は泣いちゃったなあ。
雨からの晴れの表現はすごくざわっとした。
わたしまで嬉しくなった。
予想もしないようなストーリーで楽しかった。
空の上があんなに綺麗ならいってみたいなあ〜。
19.8.29 映画館
映画の前の予告のエヴァなまら鳥肌たった。
タイトルなし(ネタバレ)
評判がいいので期待してたんですが、ちょっと私には刺さらなかったかなぁ
何であそこに行ってあんな力をもらって、力を使うかどうかは自分で選択できるとはいえ責任を背負わされてる感が押し付け感があるなぁとか
新宿のど真ん中であんな爆発起こしたら誰かしら怪我するでしょ、それに対して何もなしは流石に自己中過ぎるかなぁとか
ラストの辺りも帆高が鳥居に行かせろって言ってるのを須賀があんなに止めてたのに警察来てから帆高を逃して、、、いや、それ止めなかったら須賀も逮捕されずに終わってたやんて言うのが、取ってつけたイベントに見えてしまって何だかなぁて感じでした
ラストの歌の連続も歌自体はいいんだけど、ちょっと違和感があったかな
とはいえ映像は綺麗だったのと、声優神も豪華だったし、君の名はの二人が出てたのは良かったかな、新海作品であんな感じで登場人物がクロスするのがメインの物語を観てみたいですね
思春期の無垢さと背負う業
結論から言うととても面白い映画でした。愛する人を想う思春期の無垢さや、がむしゃらさがかつての自分を思い起こさせ、大人でも楽しめる映画でした。ラストシーンが現実世界の厳しさを描いていて良い後を引く映画だった。
良かった点
・映像描写が美しい:さすが新海誠作品といった所です。雲から光がさす描写、雨粒、雨に濡れる夜の街など全てが美しい。何よりも人間の生活環境が非常に細かく描かれている。その人の服や歩き方、側にある物などがとても細かく描かれているので本当にその人が生きていると感じる。それによってセリフや心情がリアルに伝わる。
・ストーリーに無駄がない:最初から最後までずっと面白かった。展開に必要な所を細かく描きながらも飽きがこない。最後まで集中してみれる作品だった。
・登場人物の心情が細かく伝わる:キャラクターの表情がとても豊かで、そこに声優の声が合わさり登場人物の感情の動きに胸を打たれました。特に終盤の雑居ビルで警官やけいちゃんに囲まれた時の帆高の想いの吐露、叫びが良かったです。思春期の無垢さ、不器用ながらも愛する人に会いたいという純粋さに胸を打たれました。
・挿入歌やBGMが効果的:タッグを組んでいるRADWIMPSの音楽が主人公の帆高、陽菜の心情を伝えてくれる。終盤の帆高たちが選んだ業を背負う選択の際の残るしこり、必死に明るく生きようとする中でも、不安やモヤモヤなど感情が音楽に非常にマッチしていました。帆高の愛する人を求めて走る終盤のシーンには、溢れる感情が音楽とリンクして表現されていて胸を打たれました。
・ラストシーンの結末:ここは賛否が分かれる所だと思いますが、私はこの結末が好きです。世界と愛する人どちらを選んでもバッドエンドという残酷なストーリー。ですが、異常気象や巫女の天気を操る力など、そもそもが現実離れしている話しなので、強引にハッピーエンドにすることもできたはずです。しかし、私たちの生きる世界には一度した選択はもう二度とやり直せない。二者択一で選ばざるを得ない厳しさが私たちが生きるうえでもあります。自分が欲するものを得る為にはそれ相応の代償が必要です。世界を左右する選択に迷いながらも、愛する人を選び思春期の子供達が背負ってこれからも人生を生きていく、その覚悟が生きていくうえで必要であり大事なことなのだということがこの映画を象徴する新海誠監督のメッセージだと私は受け取りました。
悪かった点
・ラブホのカラオケで少し冷めた:帆高や陽菜達が必死に警察から逃げ切れて安心している場面なのは分かる。だが、直前まで流れていたピアノBGMや帆高のセリフから、安心しながらもこれからの不安が常に心の中にあるという絶妙な雰囲気を演出していたので、邪魔しない音量で流して欲しかった。完全に雰囲気がぶつ切りになってしまった。
帆高の東京に出てきた理由が分からない:ほんの少しでも良いので帆高が感じていた地元や家族の中での関係を描いて欲しかった。そうすれば帆高が1人で東京での生活に苦悩している所に深みが増したと思う。
16〜18歳の時見たかった
新海さんのコンセプトが良かった。東京を海に沈めたらいいね、自分が描いたら絶対キレイだねって。。。ほんとにやってみせた。
昔は確かに今よりずいぶんと海面高かったねっていう絡ませて方も後付けに違いないけど広がりを感じて良い。できれば高々200年前でなく縄文時代までやってほしかったが、良い。
須賀さんが言う、世界はもともと狂ってんだというセリフ、良いね。若者は自らが世界を、また日本を大いに狂わせて良いし、実は既に狂わせてるし、さらに積極的に狂わせても良いと、監督は自分自身と若者ファンのお尻を叩いてみせた。もう独立国家作ろう!である(去年の某成田先生の流行り文句)。
恋愛至上主義はまだまだ人生の導入部分だけど、乙女な(オタクな?)監督の映画作品とファンの友擦れに可能性を感じた。
追記
そうだ、「海がきこえる」とかかつての自分は観てたのを思い出した。
未成年の恋話
誰に向けた作品なんだろう?家出した少年と親無し姉の恋愛だいぶニッチ。
周りの人冷たすぎる。世界を壊す選択をしたことは未成年の恋愛と社会の暗喩だと思う。
協賛企業が確かに邪魔。
少年の思いに涙が止まらない
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廃墟マンションの屋上の鳥居をくぐり100%晴れ女になったヒロイン。
島から家出して東京に来た主人公とちょっとした偶然で知り合う。
少年はライターとも偶然知り合い、手伝うことで何とか生活する。
東京は記録的な雨が毎日続いてた。
少年はヒロインの能力を知り、晴れさせるバイトを開始。
好評ではあったが世間に知れ、依頼殺到のため休むことになった。
ヒロインは両親を亡くし弟と住んでたが、それが問題となった。
また主人公にも捜索願が出てて、3人は警察から追われる身となる。
晴れ女は昔から人柱となって、天変地異を収める運命にあった。
ヒロインも晴れを祈るたびに体が透明になって来てた。
そしてある日ついに消失。そして東京の連続降雨日記録が終わった。
主人公は警察に確保されたがヒロインの消失を知り脱走。
ヒロインが晴れ女の能力を得たという鳥居を目指す。
そこで再会、連れ戻すことに成功し、再び東京に雨の日が続く。
そこから少年は保護観察となり3年間ヒロインと会うことはなかった。
その3年間も東京はずっと雨が降りやまず、一部の土地が海となった。
そして高校を卒業した少年はヒロインと再会する。
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なかなかいい話やったなあ。
少年が一途な思いで警察を脱走してからなんて最高。
ライターのイキな姪がバイクで逃走を手伝ってくれるし、
ライターも最初は主人公を警察に連れ戻そうとするが、
最終的には警察を妨害してまで主人公を助けてくれる。
さらにヒロインの弟も同様に助けてくれる。
そしてついに鳥居に到着しての再会。泣けたわあ。
この後の2人はどうなるんやろ?いい未来が待ってるんやと思います。
新海誠監督の真骨頂
アニメで雨上がりや夏の青空を描かせたら、新海誠監督の右に出るものはいないだろう。美しい画面とは裏腹にストーリーは全然晴れやかな気分になれず、ずっと俯き加減な気持ちだった。こんな世の中、さっさと水没してしまえ、ということなのだろうか。
個人的には気象学者の荒木健太郎さんが本人役で出てきたのがツボだった。
この路線のままでいてほしい
新海誠さんの映画は初期〜言の葉の庭まで知っており、某前々々世な前作でがっかりしていたので本来見る予定はありませんでした。
前作はあらすじだけで苦手な部分があり、かつ一般受けを狙って今までと作風を変えたのだと感じ未視聴です。
「天気の子」もそうなのだろうと期待してませんでしたが誘われて鑑賞しました。
相変わらずの映像美は言わずもがな、得意の雨や光の描写をふんだんに使われていて目の保養です。
お寺?やビルの屋上の神社?だったり退廃的な雰囲気が好きな私にはかなり刺さるポイントが多かったです。
キャラは…キャラに魅力を感じるのは正直難しいところですが、前作の登場人物達がいたとの事で、そういうおまけ要素も楽しめる点なのではないかと思います。
新海誠作品と言えばハッピーエンドなのかバッドエンドなのか分からない、メリバなところだと思っているので、ご都合主義にならないラストは最高です。
これを面白いといえる人間
最初から見てても水はけという概念がなかったり、後半はコメディみたいになってたけど最初からリアリティがある映画ではないことに間違いはないしそれにつっこんでもしょうがないと思う。
それよりも映像美とBGMで魅せる映画なんだなという感じで見ていた。例えば子供が見た時には、水はけなんか絶対気にするところではないし、問題提起や自分たちの幸せのために東京をアトランティスにすることの善悪などについては考えずに、ただこの映画を面白いというと思う。なぜだかわからないけどこの映画を見て無邪気に面白いといえる人間でありたいなという風に思った。
全員、大人気ない。
正直、よくわからなかった。
女の子の身体や恥じらいをわざと描くような描写も多すぎてなんだか苦手。
物語は島から家出をしてきた16歳帆高が、船の指示に従わず甲板に飛び出し転んで、助けた須賀という男のオカルト記事事務所に身元保証もない帆高が転がり込んでオカルト記事の取材手伝いを始める。
転がり込む前に、帆高は新宿の裏道で絡まれ、たまたま拳銃を拾ってしまっていて、親も帆高を行方不明者として捜索願いを出しているため、帆高は警察に追われて探されている。
須賀の元に転がり込む前に連日マックで夜を過ごし出会ったマックのバイトの娘、陽菜。陽菜は親を亡くし、弟を養おうとして売春に落ちそうになっていたところを帆高に助けられ巻き込まれていくが、実は晴れ女のようだ。天気を晴にできるが、代償として、いつか人さらいにあうという逸話もある。
15歳や16歳の少女少年達が、大人が思うよりもずっと、現実を背負い、大人との境目の年齢ながら、現実を生きている。
その中で、晴れ女雨男だと言っても、そうたやすく信じられる話ではないのだが。
見ていても、これが少年少女が素直に見聞きした話を信じてしまい、自身を晴れ女などと信じてしまった話なのか、はたまた語り継がれている逸話通り、人柱として天気と繋がる子が存在するのか、わからないファンタジー。
ただ、東京は大部分が海で、人が天候を見ながら入江の江戸を切り拓いていったのは確か。
長い長い歴史の中で、雨だらけの3年は自然の短期変動に過ぎず、異常というか自然の一部と捉えるのかは人それぞれ。
銃を見つけ、家出中だから交番に届けられないにしても、触ってしまう判断力のまだ子供な帆高達だからこそすんなり信じられる話なのかもしれないし、判断力が子供な帆高が思い込んでしまっただけなのか、わからない。
陽菜と帆高が一緒にうまくバランスを保てている時、陽菜の弟の凪の名前のように、天気の均衡が保たれるのかな?と思った。となると帆高は雨男?
なんにせよ、帆高が東京で出会う大人達は、アウトローだらけで、須賀はもっと早くに帆高からよく話を聞いて、少なくとも未成年を意思を持って働かせなくても済んだはず。
陽菜は弟を守りたい意志を児童相談員に伝えて、姉弟離れず過ごせる手段を考えて貰えることもできたはず。
なぜそうならないかは、雨男だ晴女だ以前に、帆高も陽菜も大人を信用していないから。
家出したり、親が亡き後お金の工面に困りながら生活をしたり。
もっと大人に甘えていい年齢なんだよと思うが、家族でない他人の大人が寄り添い親身になり、未成年の心情事情に合わせて仕事をさせてあげたり匿ってあげると、法を侵してしまう現実がある。法に則る警察では、少年少女達の理解が全く足りていない。
親の保護下にあるはずの年齢の少年少女達に、保護=終わりだと思わせて、かえって子供達を追い詰める息苦しい社会の仕組み。
世知辛い。
子供は親がいないと、社会的に本当に生き辛い現実。
そこが1番印象に残った。
事情がある子達の目に映る大人の世界が、優しくあったかく、信頼できるものであってほしい。
帆高が読んでいる本が、「ライ麦畑で捕まえて」なことからも、帆高は大人や社会に猜疑心や鬱屈を抱えて、家出をし、東京に来てそれを抜け出し大人になろうとしているのかな?とわかるし、実際本の通りに、話が進むごとに社会的な象徴である警察のルールからも逸脱していく。「ライ麦畑で捕まえて」からは何十年も経っているのに、そういう社会の構成員に、いつの間にか自分が大人としてなっている。
なんだかなぁ。
嫌いじゃないかも…
新海さんの雨の新宿の描写は誰にも負けてないと思います。
どんよりした、無機質を上手に表現されてると感じました。
今回は天気を操る少女と家出少年の話で、序盤に主人公の彼が銃刀法違反する際、あーこれ鑑賞したのハズレかもと思ってしまったけど、今回は身近な天気の話で、中盤以降は楽しめました。
天気は天の気分だと…何か1つでも腑に落ちるシーンがあるのが新海作品の良いところでもありますね。
あいにく少年が何故、退屈だけを理由に家出をしたのか深掘りされてなかったのは銃刀法違反描写と入れ替えて欲しいくらい少し惜しい気もします。
私の中では新海作品では、言の葉の庭が一番好きなのですが、その次に君の名はと天気の子は同点くらいの扱いですかね〜
やはり銃は現実と乖離してて解せなかったけれど、ストーリー的には観てよかったですよ。
君にとっての「大丈夫」になりたい
すべての人が、みんな自分だけの世界を持っていて、その世界の中で必死に生きている。役割持って何かしらの責任を負い、自分というたった一つの命を昨日から今日、今日から明日と連続を超えて運ぶ。そしてすべての人が、そんな自分の「世界」をもがきながら生きている。その姿を近くで誰かに見ていてもらえる心強さや安心感を知っている。「見ていてくれている」「この小さい私の世界を知っていてくれている」「大丈夫?と気にかけてくれている」ということがどれだけ大きな支えになのか知っている。そして誰もがかけがえのない大切な人がもがく姿を見た時「この人の大丈夫に、自分がなりたい」と願っている。
君を大丈夫にしたいんじゃない
君にとっての「大丈夫」になりたい。
野田洋次郎先生の有り余る才能に心の中でひれ伏すばかりでした。
うるさ型スポンサーや教育委員会等から文句出そうなところをキッパリと無視した映画作りに爽快感
新海誠監督による2019年製作の日本映画。配給:東宝
「君の名は。」の大成功の後だけに,とても難しかったと思うのだが、映画全体として今まで見たことが無いオリジナル性の高い素晴らしい映画となっていて、大感激。
原作・脚本・監督・絵コンテ・編集の深海誠の才能の大きさに脱帽である。また新海監督の過去作を考えると、エンタテインメント性構築という点で、企画・プロデュースの川村元気とのタッグは得るものが大きいのだろうか。
新海映画の脚本は複数で練り上げた方が良いなんて思っていたが、今回見られた大きな独創性の前にすると、間違っていたとも思った。天気と少年少女の恋愛を基軸に、よくぞここまで壮大な物語に仕上げたものだ。また、ともすれば、家出、中学生の労働、銃の保持・射撃、警察署からの逃走、ラブホテル、ジャンクフード、おっぱい、ヒロインの裸体、子供っぽい高校生視点、自分達さえ良ければという恋愛至上主義、東京海没、農業無視で、うるさ型スポンサーや教育委員会等から文句出そうなところだが、それらをキッパリと無視した映画作りに大感心。
雲の切れ目から差し込む光、水溜りに弾む雨の描写等、映像は相変わらず美しい。今回は特に、空の大きな雲の中に魚群がいて、空に召されたヒロイン陽菜を美しく光る魚達が囲んでいる描写には鮮烈な印象を覚えた。何とも創造的な官能的映像で、ナウシカ・レクイエムへの新海監督による挑戦か。クライマックスでの空からの二人で手を取り合っての落下映像も見事で、大きく心を動かされた。
主役2人森嶋帆高と天野陽菜、更に彼らに絡むお姉さん的存在の須賀夏美のキャラクター設定・デザインも、とても良かった。帆高の行動にはエヴァンゲリオン「破」シンジの影響がある気もしたが、夏美は初期エヴァンゲリオンのミサトの設定か。後ろに帆高乗せてのスピード感溢れるバイク逃走シーンは、ユーモラスな彼女の言葉も含めて素晴らしかった。本田翼の声も意外だが良かった印象。
小道具も生きていた。雨の日に亡くなった母の形見である青い石を付けた陽菜のチョーカーは、晴れ女の能力は母から受け継がれ、青い石の存在が能力発揮に必須であることを示す様に思われた。帆高の行動に突き動かされ晴れ女はやめる気になって彼女が空から戻った時、そのチョーカーは切れていた。更に、ずっと続く雨の中、帆高が高校卒業後に彼女にあった時はチョーカーは無く、青の石の意味が強調されてもいた。小栗旬による須賀圭介が指にはめる2つの指輪も意味深。彼が妻のことを思う時、無意識にこの指輪をさすっており、事故で亡くなったという愛する妻のものと2つの結婚指輪であることが、容易に推察もされた。
廃墟ビル屋上の神社に供えられていた茄子と胡瓜の精霊馬の存在が自分的には大きな謎で、2度映画を見ることとなった。最初の方だけでなく3回も登場するお供えの茄子と胡瓜がとても真新しく、あれを供えたのは誰かという謎が突きつけられた気もした。2回見た限り、あの場所の存在及び意義を知っていた可能性が高そうなのは、須賀圭介だけ。なので、彼がお供えをしていたようにも思えた。そして、彼がお供えをあそこでするということは、彼の妻はあそこで事故にあったということを示している様にも思えたのだが、青い石チョーカーも着けていなかった妻が晴れ女とも思えず、いぜんとして自分には謎のままである。
原作新海誠、脚本新海誠、製作市川南、 川口典孝、企画川村元気、プロデュース川村元気、エグゼクティブプロデューサー古澤佳寛、プロデューサー岡村和佳菜 、伊藤絹恵、アソシエイトプロデューサー角南一城、アシスタントプロデューサー加瀬未来 、堀雄太、共同製作大田圭二 、井上伸一郎、 弓矢政法 、善木準二、 渡辺章仁、キャラクターデザイン田中将賀、絵コンテ新海誠、作画監督田村篤、作画監督補佐大橋実、演出徳野悠我 、居村健治、助監督三木陽子、サカナ設定伊藤秀次、銃設定本間晃、衣装・小物設定松井祐子、李周美、イメージボード新海誠、美術監督滝口比呂志、美術監督補佐渡邉丞、 室岡侑奈、美術設定滝口比呂志 、渡邉丞 、瀧野薫、気象神社絵画・天井画山本二三、色彩設計三木陽子、色指定検査チーフ吉田小百合、特殊効果入佐芽詠美、CGチーフ竹内良貴、撮影監督津田涼介、音楽プロデューサー成川沙世子、音響監督山田陽、整音山田陽、音響効果森川永子、編集新海誠、音楽RADWIMPS、主題歌RADWIMPS 三浦透子、制作プロデューサー伊藤絹恵、気象監修荒木健太郎、制作プロデュースSTORY inc.、制作コミックス・ウェーブ・フィルム。
出演 醍醐虎汰朗(森嶋帆高)、森七菜(天野陽菜)、本田翼(須賀夏美)、吉柳咲良(天野凪)、平泉成(安井刑事)、梶裕貴(高井刑事)、島本須美(間宮夫人)、香月萌衣(須賀萌花)、木村良平(スカウトマン)、花澤香菜(カナ)、佐倉綾音(アヤネ)、市ノ瀬加那(佐々木巡査)、野沢雅子(占いおババ)、柴田秀勝(神主)、神木隆之介(立花瀧)、
上白石萌音(宮水三葉)、成田凌勅使(河原克彦)、悠木碧(名取早耶香)、谷花音(宮水四葉)、倍賞千恵子(冨美)、小栗旬(須賀圭介)、荒木健太郎、與猶茉穂、桑原彰、武田祐介、羽鳥慎一、石橋武宜、岩本計介、川添佳穂、原直子。
全736件中、1~20件目を表示