「建前と本音の話?(自己解釈)」アス ぱてぃさんの映画レビュー(感想・評価)
建前と本音の話?(自己解釈)
面白い映画でした。伝えたいこと、表現したいことなど様々なものが織り込まれているのだろうとも感じました。エレミヤ書といったキリスト教やアメリカの過去の貧困問題がでてきたり、それらに疎い日本人はどこまでこの映画について理解できるのでしょうか。
見ていて気になったところ、自分でかってに考えたことを箇条書で書きます。
長くなりました。一番書きたいのは最後の「建前と本音」なので、飛ばして読んで下さい。
■レッド(アデレードのドッペルゲンガー)の知能性
他の赤い服をきたドッペルゲンガーと比べて、言語になっていないうめき声だったり無口であるためかジェスチャーで行動を指示されていたのに対して、しっかりとした言語をレッドだけが話すことができていました。また、下の世界と上の世界の現状を比較できていたりなど、一人だけ高い知能を持っていたことがわかります。アデレードがレッドを追い詰めていく終盤の場面で、アデレードはまるで獣みたいな人間的でない動きになっていくが、レッドは、ロボットのような規正のとれた動きやたまにバレエのような動きをし続けているため、互いの役割が入れ違ったような印象をうけます。これらはオチを予想する手がかりにもなるし、実際オチを見れば、なぜ、他のドッペルゲンガと違うのか分かると思います。
■エレミヤ書11章11節
「それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。」というのが、内容らしく キリスト教徒でないわたしは映画を見終わっても何が言いたいのかよく分かりません。
■貧困
この映画は、貧困問題について描かれていると感じました。そもそも、下とか上とかいっている時点でヒエラルキーが存在していると考えることができます。映画内でも、貧困層を救済のための「ハンズ・アクロス・アメリカ」が序盤に流れ、嫌でもその考えになると思います。下の世界と上の世界を貧困層と富裕層に分けることができると思います。また、アデレードのいる世界でもヒエラルキーが存在していて友人のタイラー一家が上位でアデレードの家族が下位であることが分かります。簡単にまとめると上からタイラー一家、アデレードの家族、そしてレッド率いるドッペルゲンガーの順になり、アデレードは中間層にいることが分かります。
ここからは、偏見混じりになります。富裕層は、寄付やチャリティーなどは行うが実際の下層の現状を理解していない層だと思います。アグネス・チャンが寄付した時に撮られた豪邸の写真などがいい例だと思います。中間層は好んで貧困になろうとはせず、むしろより上位になりたいか同じ層にいても他人よりも上位にいたい層だと思います。貧困層について、日本の場合、声にならない声で救済を求めていたり、教育を受けていないから助けを求める方法を知らなかったり、そういう立場にいる人は障害者が多いというイメージが私自身勝手にあります。
アメリカでの貧困に対してのイメージがどのようなものか知りませんが、私自身のイメージが映画内では良くマッチされている表現になっていると思います。例えば、声にならない声で救済を求める行為をドッペルゲンガーの言語になっていないうめき声や無口で表現したり、障害者の一種である聴覚障害に対しては指示するジェスチャーを手話とも捉えることができます。また、教育を受けていないことについては、うめき声が言語になっていないことや、息子のドッペルゲンガーであるプルートが本能のまま生きる動物のような4足歩行であったり、炎による口元のやけど(炎は危ないと動物、人間ともに知っているが人間は自在に使うことができる)などで表現できていると感じました。
ここで、都合よくカイジの映画ででてきEカード(トランプゲームの大富豪でも可)を思い出してみましょう。登場するのは、王様、民衆、大貧民です。パワーバランスはそのままですが、大貧民は失うものがないから権力や富をもつ王様より強いというものです。「us」でもこのパワーバランスをうまいこと取り入れているように感じました。タイラー一家の奥さんは目を整形したことをアデレードに褒めてくれましたが、アデレードには整形は必要ないと本意なのか馬鹿にしているのかわかりませんが言いました。また、新車を見せてけてくるとアデレードの夫が言うなどタイラー一家があでアデレードの家族よりも上でしたがドッペルゲンガーに抵抗すらできずに殺されていました。アデレードの家族は、タイラー一家と仲良くしますがドッペルゲンガーに対して対抗し、最後にはレッドを殺しました。
■建て前と本音
もしかすると、この映画はアデレード対レッド、つまりは建て前と本音のようなものを描いた作品かもしれないとその対立だけでみるとそう感じました。よくある話で、自分の心の奥深くにはどす黒いもう一人の自分がいて、それと仲良くなり、パワーアップしたり成長したりなどいったものがあると思います。しかし、今回はこの映画では仲良く出来なかった話なのではないでしょうか。よくある話では、もう一人の自分は自分と瓜二つの姿(ドッペルゲンガー)が多いということは言うまでもないと思います。
では、その建て前と本音とはなにかになりますが、それはエゴと人を救おうとする心だと思います。アデレードはレッドを殺してしまいますが、先ほどの貧困に絡めて言い換えれば中間層による貧困層への誹謗中傷になると思います。私たちは建て前か本音かは知りませんが弱者を救うことが正しいことだとわかっています。しかし、私たちは手を差し伸べる側にいても、そうしないことがあるとおもいます。あなたは、ホームレス全員に対して食料や住居を提供することができますか?むしろ、その逆で、建て前は「かわいそうだな、助けないといけない」と感じていも、本音は「ホームレスじゃなくてよかった」と思っていませんか。そして、自分は弱者と思われたくないから弱者を無理やり見つけ出して誹謗中傷にしていませんか。レッド率いる貧困の人々を救う心をもつ本音側であるドッペルゲンガー集団は「ハンズ・アクロス・アメリカ」をします。
私は、クリスチャンでも人権について活動しているわけでもないですが、キング牧師の好きな言葉に「最大の悲劇は悪人の圧制や暴力ではなく、善人の沈黙である」があります。これをもとに言い換えると「最大の悲劇はエゴによる弱者への誹謗中傷ではなく、人を救おうとする心の沈黙である」になります。アデレードはレッドを殺しますが、それはエゴが本音を凌駕することを意味し、人々の助け合いによる美徳の崩壊という恐怖をも描いた映画だと過大解釈のしすぎかもしれませんが思いました。そして、現在ではそれが普遍化していると思います。エゴが本音を凌駕することを当たり前だと思っている集団こそが私達(us)であり、その恐怖を描こうとしたのではないでしょうか。
まだ、考えればまだまだ出てきそうですが長くなりそうなのでここで終わりたいと思います。今でも結構長いと思います。過大解釈がほとんどですが、読んで下さってありがとうございます。
ぱてぃさん、浮遊きびなごと申します。
共感&フォローありがとうございました!
ぱてぃさんのレビュー読ませて
いただきましたが、整理しづらく
そしてしんどい感情を真摯に
文章にされていると感じました。
特に“レッド”達の声無き声を、
社会的弱者の救済を求める声と
解釈した点には唸りました。
あの"声無き声"が所作の再現でなく
比喩表現だとすれば、障害者だけ
でなく社会的弱者全体にも解釈を
拡大できるのかもしれません。
また、『最大の悲劇は善人の沈黙』
という言葉。
監督がキング牧師の言葉を知って
いたかは不明ですが(知っている
可能性は高そう)、監督がそれを
キリスト教的道徳心として捉えて
いるなら、信仰に背く民へ神が
怒りを露にするエレミヤ書の内容
とリンクしてくる気がします。
エレミヤ書の札を掲げていたのが
ホームレスだった点も合わせれば、
「弱者を無視することは神の教えに
反する行為だ」という糾弾なのかも。
誰しも自分や自分の家族が大事だから、
『他人の不幸になんて構ってられない』
と思ってしまうこともしばしばな訳
ですが……せめてもう少しだけでも
優しい人間でいたいものですね。
襟元正されるような映画でした。
長々と書いてしまいましたが、
長文は僕のクセなので、
返信お気になさらず! それでは!