ばるぼらのレビュー・感想・評価
全176件中、41~60件目を表示
芸術的エロス!手塚眞の世界
2020年映画館鑑賞133作品目
原作未読
漫画の神様手塚治虫の作品は大好きだ
リスペクトしている
だけど息子の方はちょっと苦手だ
蜷川実花もそうだが映画監督というより芸術家だ
このての人の作品は脚本がどうのこうのではない
理屈じゃなく感じとるものだ
僕は残念ながらあまり感じとれなかった
原作を知らないから想像で書いているが二階堂ふみの役作りは見事だった
あと母親役の渡辺えりも
木村拓哉が太陽なら稲垣吾郎は月
吾郎ちゃん本人がだいぶ前にテレビ番組で発言していたがまさしくその通り
一番の見どころは下品だが二階堂ふみと稲垣吾郎の全裸だろう
あと無名な女性たちのオッパイがたくさん出てくる
オッパイ星人(オッパイ星ってどんな星だよ!)必見
想定内の凡庸
想定内の凡庸。
雰囲気がいいでしょ?と言われてる感だが、雰囲気もまあ、別に。
稲垣吾郎、半世界が初めて良かっただけに、今後20年は作品に恵まれぬかな。
トニー・レオン、フェイ・ウォン、監督ウォン・カーウァイで舞台が香港だったら、とは思いました。
苦悩する芸術家の精神世界か、魔女に魅入られた男の地獄絵図か、どっちつかず!
評価の難しい映画だ。
美術性を好評価するか、劇映画としての内容を酷評するかだが、ヴィジュアリスト手塚眞の本領が発揮された作品だとは言える。
学生の頃、手塚眞が撮った学生映画の観賞会に行ったことがある。40年近く前の話。
上映前に手塚治虫が登壇し、その映画を製作中の息子(眞)との会話で、芸術家の言葉だと感心したというエピソードを語られていた。
大林宣彦に刺激を与えたほどのアマチュア映画作家だった。
映画の頭で手塚治虫生誕90年のロゴが映し出される(生誕90年は2018年)ので、記念作品なのだと思う。
その記念に手塚マンガのなかでも特異なこの作品を選んだのは、手塚眞の理知的で気取ったセンスなのだろう。
この摩訶不思議な物語を譚美的とも退廃的とも言える雰囲気で映し出しているのだが、都会の猥雑さの表現も、イメージショット的な編集も、前衛ジャズのようなBGMも、実は70年代に使い古された手法ではないか。廃材置き場のデザインもどこかの演劇で見たセットのようだ。
進化形の映像美で再構築してみせてはいるが、手塚眞と同世代にとっては既視感を抱くのは否めない。
流行作家である美倉(稲垣吾郎)が、街で拾った謎の女バルボラ(二階堂ふみ)との関わりによって人生を翻弄される。
美倉の幻想に現れるマネキン女に作家性を揶揄させたりして、作家としての迷いが美倉にあることを示唆してはいるが、彼の創作の苦悩はあまり重要視されていない。
バルボラと出会ったことで成功を得て、彼女を失ったことでスランプに陥ったという描き方ではなかったから、美倉自身がバルボラのことをミューズだと言っても、芸術の女神らしい効力は示されていない。
むしろ、美倉がバルボラの虜になったのは肉体的快楽によるものだと思える描写だった。
元々スランプ状態だった美倉の心の隙に入り込んだ魔性の女としてバルボラを描きたかったのだとしても、呪い人形やアングラな儀式などのせっかくのアイテムが未回収で、黒魔術的なバルボラの背後も説明がないから、二人の逃避行の理由も解りづらい。
…山道で車がエンストするなど、いつの時代かと驚いてしまった。
映画オリジナルでマネージャー(?)(石橋静河)の設定を追加しているのに、彼女の扱いが中途半端だった点も残念だ。
芸術家の創作の苦悩をテーマから外してしまっているので、原作の「大団円」(後日譚)はカットされているが、マネージャーを絡めれば、美倉が死の淵で書きなぐった遺作を活かしたエピローグにできたのではと思う。
二階堂ふみの裸に☆一つ献上‼️‼️‼️
ダメでした。
手塚漫画はもちろん好きで「火の鳥」「きりひと賛歌」「奇子」が3大作品と思っている。「ばるぼら」は不思議な短編集で大好きではないが、嫌いでもない位置。
ゴロウちゃんは嫌いではないし、彼の映画評も好きだ。二階堂ふみも好きだ。
でも、この作品はダメだった。
そもそも、当時の設定を無理やり現代に置き換えるのに、無理があるし、無理があったら二階堂ふみの裸だし、困ったら「ダーン」という音楽だし。
色々、だめでした。本気で寝ている人もいた。
とにかく原作の漫画を読みたい!
理解しようと集中しまくってて、あっという間だった。
たぶん理解できていない。
だから漫画読みたい!!
でも、めっちゃ、面白かった。
また、別なところで、阪本 順治監督の「半世界」が大好きなんですが…
そちらに出ていたお二人(稲垣さんと渋川さん)が、まったく違う人間で
はぁ~、役者ってスゴいなぁ…て。
特に稲垣さん、どんどん役者になっていくなぁ…と感動すら覚えた。
が、しかし、その二人よりも、遥かに魅了されたのが、二階堂ふみさん。
ハンパないわー。
なんだろう、漫画的なの。
人間味溢れてそうで心のないようで、とても不思議で魅力的だったの。
手塚眞監督の映画は 本当に監督の個性が強くて、
好き嫌い別れるだろうけど がっつり飛び込むと面白いなぁ…。
後半にひきこまれる
手塚治虫ファンでとりわけ「ばるぼら」は好きな作品。実写化や東京国際映画祭の時から公開を楽しみにしてた。
前半はどうしても漫画の実写化の答えあわせをしてしまい、あーこうなるのか、ってちょっとのめり込めなかったけど、後半漫画をベースにしながら映画的な解釈が加速していく、、いくつかのシーンは漫画のストーリーを超えてほしい程美しかった
音楽がイカしてる❣️ なんか皆,違った方向に背伸びし過ぎてイヤしませんかぁ⁈
誰もが?言ってる!二階堂ふみは,スタイルがいい❕と…。確かに❣️{さすが❕日本人初というヴェネチア国際映画祭最優秀新人賞を受賞した実績は,取りたくてもそうは簡単に取れるものでは無い事に上乗せして、彼女は見せてくれた❗️}
手塚治虫の“ばるぼら“の原作?は,殆ど知らない…。
勝手な私的な見解だが…チラッとだけ原作を見,アニメと実写化されたものは全然違うものになるのは,当たり前っちゃ当たり前だが、勝手なイメージで申し訳無いが,この大人向け⁈の手塚治虫の作品には、かなりの熟練されたダンディーな渋めのナイスガイ?と,経験豊富そうなアネゴ風な女性での仕上がったものを期待せざるを得ないシナリオではないのかなぁ〜(・・?)なんて感じた今日この頃という処…。
都会の排泄物
父親の偉業を越えることができないジレンマ。誰にだってあることだろう。最初に愕然としてしまったのは手塚眞が父の『ブラックジャック』の監督を見たとき。遺産でもある手塚治虫作品を丁寧に扱おうと、ただストーリーをなぞってるだけのような、そんなイメージを持ってしまった。真似をしなくてもいい。もっと自分の才能を別の作品で開花させてほしいと願ったものだ。それが、この作品でようやく父と並んだ!と評価してもおかしくないほどの映画。
ところで、“ばるぼら”って何?と、手塚作品の中でも読んでないものがあった!
ジャック・スパロウの悪役海賊?それはバルバロッサ!
オスカルとアンドレの?それはベルばら!
タガログ語で浮気者?それはパロパロ!
Eテレの番組?それはバリバラ!
書いてることがバラバラになりそうなのでやめときますが、英語表記ではBARBARA(普通に女の子の名前)、ギリシア神話の知的活動をつかさどる女神の姉妹の末っ子の名だそうです。美倉洋介のスランプともいえそうな状態から知的な部分を引き出してくれる存在となっていく様子はそのままだったのです。
しかし、女神らしからぬ超能力(?)によって洋介に人形や犬が美女であるかのように幻覚を与えたり、洋介自身もアル中にさせたり、大麻使用で逮捕させたり・・・なんだか、あげまんのようであり、さげまんのような存在でもありました。
特にシビアだったのが人形に針を刺して呪うという行為。一瞬佐藤浩市か?とも思った政治家と一瞬仲間由紀恵か?と思った娘とのしがらみは、結局は彼にとって良い方向に向かったと言えるが、熱心な担当者・石橋静河にも使ってしまうとは・・・
耽美的、悪魔的な世界観もあり、ドロドロした堕落的描写もあり、この点では成功しているし、厭世的な思考へと変貌する洋介の脳内ワールドも感じ取れた。最後はもうネクロフィリア。所詮は都会の排泄物としてしか存在意義がなかったかのように、芸術そのもの、いや人間そのものをも否定するかのような結末に打ちのめされた。それよりも渡辺えりにもムネーモシュネーという役名(ギリシア神話の女神名)があったとは・・・おっかさんじゃなかったのね。
わたしは代議士の娘タイプだなぁ…
※星付けるのは疲れる。
何か書きたくさせてる時点で5つ星。
80年代の実験映画を観ているような
懐かしさと嬉しさを感じた
古臭い、と言いたいわけではなく、
いい意味で、だ
みんなして色々やってみてた時代
今の人は可愛そうなとこあるもん
まず、今の時代、
耽美みたいなことが危うい。
浸っててやばい、浅い、
みたいな一言ですっかり
嘲笑されてしまう白けやすいもの
なのではないかと思う。
そういうのを
ぐじゃっとしたものに
ぐじゃっとしたものを重ねて、
こちらを麻痺させることで
すり抜けてる感じがした。
気づけばすっかり
世界に入り込まされていた。
螺髪風ウィッグのかあちゃんも、
あのけったいな組織も、
あるんだ。
あるし、
途轍もない恐ろしいものなんだ、て。
稲垣吾郎でなくてもよかったと
3度ほど?4度ほど?
思ったかもしれない。
でも、裸体は悪くなかった。
作りすぎず緩んでない体だった。
併せて、久々に?なのか?
日本人女性の乳房を大量に見た。
美しくて大きいのが、
たくさん並んでた。
じっとは見てしまったが、
居心地の悪い気分ではあった
理由はみつからない。
ミューズというけれど
撮影がクリストファー・ドイルだったから見てきた。
レビューが両極端でどうなんだろうと思ってたけど、悪くはなかった。
絵面はもっとドイルドイルしていてほしかったなあ。年取って落ち着いちゃったのかしら。
キャストは良かった。
稲垣吾郎はやはり押し倒される姿が似合う……。
二階堂ふみも良かったし、渡辺えりのインパクトは半端なかった。あの頭(帽子?)どうなってるんだろう(笑)
確かに何か作る人間にとって、ばるぼらみたいな理解者がいたらミューズと呼ぶだろう。だけど、自由にみえたばるぼらも全然自由じゃなくてつまんない女で(だからこそ面白いことをやらかしそうな男に寄っていくのだろう)、結局美倉に消費されただけじゃないかと思ったし、描かれた当時の時代か手塚治虫か原因はわからないけど、そこが原作の限界なんだろうなと思った。
ミューズって都合のいい女でしかない。
現代なら、もっと違う、ちゃんと自立して自由なミューズを描ける作家、いるんじゃないだろうかと思ったし、そういう作品をいつか見てみたいと思った。
あと、あのアングラ・オカルトな雰囲気って、リメイクの方のサスペリアにも共通するところがあると思った。あっちの方は、娘が簒奪して黒い大地母神になる話だったけど、二階堂ふみなら渡辺えりを返り討ちにできたんじゃないかなと思うの だが。
大人の怖い童話
欲望に任せて欲しいものを追いかけるあまり、堕ちていく物語。
ノンフィクションのようなトーンの街中から、奇妙なキャラクターが登場する暗くて美しい異空間に切り替わったり。
実は最初から最後まで、主人公が書いている小説を見せられていたんじゃないかと思ったり。
もう一回観た方がいいですかねw
吾郎さんも二階堂さんも綺麗でした、とても。
一見の価値あり
原作が面白かったので視聴。
レビューの点数が低めだったので心配でしたが、十分な良作です。
映像や音楽など若干の古臭さはありますが、内容が原作に忠実で、芸術と女とはについて考えさせられ、また魅了される作品でした。
二階堂ふみの演技力も光っていると思います。
見ておいて損のない作品だと思います。
ばるぼらのお母さんの髪の毛が葡萄に見えるけどなんなんだろうきもいw
『エール』に違和感を覚えた人へ、二階堂ふみはやはり異様のヒロインが似合う。映画としては野心的ながらもう一歩というところか。
(原作マンガ未読)①手塚治虫原作のせいか昭和の匂いがする。スマホをガン見する人たちの群れが映るので平成以降に舞台を写しているんだろうけど。②思い返して見れば昭和の日本はまだ汚なかった(衛生的にという意味です)。平成→令和と続く中でいつしか日本は世界が認める清潔な国になってしまった(悪いわけではないけど)。③勿論その裏には表に出さない汚い日本は依然として存在しているわけで、映画はその都会の裏の汚さを執拗に映し続ける。③都会が何千万という人を消化した後の排泄物のような少女「ばるぼら」。見せかけの表面の裏に潜む醜悪さ・世の負の部分に惹かれるものは必然的に「ばるぼら」に惹かれるのかも知れない。④主人公の作家も蕭洒でリッチな生活のため人気はあるが読んだしりから忘れてしまうような官能小説を書いて金を稼いでいる。セレブな人たちとも付き合っている。しかし心の何処かで自分の居場所はそこではないと思っていたのだろう。そして都会の裏や陰な負の部分を体現している「ばるぼら」に惹かれていく、どうしようもなく。⑤如何にも手塚治虫のマンガに出てきそうなボブの女店員に迫られたところに「ばるぼら」が突然現れ女店員を強打したところ(殺すのかと想った)首がもげて実はマネキンだったのが分かる場面は手塚治虫らしい不条理なシーンで面白い。⑥男臭さをあまり発散させない稲垣吾郎に作家を演じさせたのでセックスシーンはあまり生臭くなり映画のバランスを崩していない。一方、澁川清彦扮する「愛」を説く純文学の作家は中途半端な描写で食い足りない。渡辺えりもコスプレした渡辺えりとしか見えず正しいキャスティングだったのか。脇役の女優陣はあんなもんでしょう。ラストの全裸の死体姿の二階堂ふみは手塚マンガっぽくって宜しい。⑦手塚眞の演出はプロの映画監督というより優秀な映画学科の卒業生みたいで一本調子なので大事なクライマックスが盛り上がらす(稲垣吾郎の演技が青臭く見える)映画として昇華しきれずに終わったのが残念。
抜けない邦画臭さ
この手って、目でも、耳でも、脳でも
刺激を受けるべき題材なのに
めっちゃ邦画テイスト。
これは役者の力とかしゃなく
演出部の問題かと。
二階堂さんのおっぱいの美しさでこの星の数です。
あのスタジオ臭さとか
台本読んでる感とか
気になります。。。
ハネケとかが撮ってくれないかな?
あれは夢か?幻か?
男の本能が具現化された美しい女性、ぱるぼら。
それはあくまでも観念なのか?
それとも夢見る現実か?
己の欲望現実を満たすためだけに存在するのか?
しかし、全てを手に入れる寸前でそれは崩壊する。
やはり現実に君は存在しなかったのか?
自らの魂を注ぎ込んで温もりを与え蘇生を試みる衝撃!
そして、物語はプロローグへとエンドレスに繋がる。
儚くも悲しく切ない物語でした。
綺麗なお裸体でした(〃´-`〃)
印象に残ってるのは
ふみちゃんの芸術的な裸体
とくに最後の死んでしまってからの座り姿が
とってもとってもお綺麗でした
『人間失格』を上回る妖艶なお芝居で、
まだ26歳なんだけど年齢差を全然感じない!
相手が何歳だろうと物怖じしない迫力のある演技力は本当に素晴らしいです👏✨
恋愛と愛欲に溺れていく男を演じた稲垣吾郎も良かった
普通とは思えない世界に入り込み、自身が堕落し
挙げ句に(偶然とはいえ)愛する人を
自らの手で殺めてしまう·····
さらに空腹に耐えきれず、好きだった人の血肉を·····
我に返ってくれて良かった
二丁目にあったあの扉は何処に?本当にあったの?
ばるぼらの親族たちは何処へ?本当に居たのかな?
どこまでが「夢」でどこから「現(うつつ)」なのか
境が分からなくなる美倉·····
夢と現を気持ちよく行き交うふたりに
見入ってしまいました
欲ほど怖いものなし
TIFF2019で上映された時から気になっていた作品。
今か今かと待っていて、ようやく一般公開。期待値高めですね
独特な映画でした。好みです
「芸術」という言葉が良く似合う映画
癖になりそうだ。
売れっ子小説家の美倉洋介(稲垣吾郎)はとある夜、ばるぼら(二階堂ふみ)という酒好きの女に出会う。美倉は彼女に出会ってから人生が狂ってしまう
もういうまでもないが、二階堂ふみが凄まじい。
役幅という概念がないのでは無いかと思うほど、出演作で人が違うよう。個人的にはここ最近の中でも一番、今作が適役だった気がする。彼女以外考えられない。
今作で初めて稲垣吾郎の演技を見たが、彼もかなり適役だったのでは無いかな。「新世界」も見てみることにします。
後、渡辺えりが漫画っぽくて笑っちゃいました笑
音楽、映像共に非常にいい。
驚くほど引き込まれるし、虜になる。
先生が買ってきた音楽で、劇中にも所々で流れる曲が超好み。
ばるぼらが住んでいる?ガラクタだらけの場所がなぜだか落ち着く。
R15だったので、キツすぎないだろうかと懸念があったが、思っていたより激しくなく最後まで見ることが出来た。
ただただそういったシーンが続いている訳ではなく、伝えたい表題も割としっかりしていたので良き作品になっていた。
ただ、面白い作品ではあるのだが、内容を完璧に理解することは不可能に近い。
あえて描かずに難解にしたかったのかもしれないが、結局掴みきれずに終わってしまった。特にラストは間延びもして、しかもよく分からずで腑に落ちなかった。設定があやふや過ぎたのかな。
先生への共感はほぼ0。浮気を肯定している?
間違いなく精神異常者で、何をしたかったのか不明。
これもまた狙いなのかも。気に食わなかったけど
どんな人にもばるぼらが心に住んでいる。
人生を投げ出したい、欲を満たしたい、自由に生きたい。
しかし、現実はそう甘くない。いつしか、それは夢だ、現実を見ろと叩き起される。
それでも人はばるぼらに憧れ、翻弄される。
不思議と満足感の得られる作品でした。
二階堂ふみ、やっぱ最高!!
ドイルは芸術のミューズをこんな風に撮る
漫画界で先頭を突っ走っていた手塚治虫もどんどん周りの漫画家が売れてきて悩んでいた時があったのかもしれない。
火の鳥とかブッダとか芸術性の高い作品が生まれた背景には苦悩の時期もあったのではないかと思いを馳せた。
手塚眞監督は、天才の息子でありながら天才肌だと思う。普通は天才の息子は天才じゃないんだけどなあ。
デパートのマネキン女は、大衆におもねる作品だから好きだという。なんも考えなくていいしなんも残らないと。大衆とは、つまり血の通わない冷たいマネキンだ。飽きたらそっぽを向く冷たい存在なのだ。
代議士の娘は文学界での地位と名誉と金を与えてくれる。代わりに犬になった女にぺろべろ舐め回される事に耐えられるのか…
二人三脚で頑張ってきた編集者の女は雑文でも書いて安定をとか、ビーフストロガノフでも食べてと体の健康や家庭的な愛情を押し付けてくる。
手塚治虫は大衆におもねることもしたくないし、地位や金や名誉もいらないし、家庭を営む安定のための雑多な仕事もしたくなかったのかもしれない。
それらを全てぶっ壊しに来てくれる圧倒的な存在がばるぼらだ。
一見汚いアル中のフーテン娘ように見えて、彼女だけが芸術に向かわせてくれる。
作家が芸術の女神に魅せられ追い求める姿は手塚治虫の願望なのではないか。
よくホラー映画に出てくる藁人形も怖いけど、この作品に出てくる麻薬人形も怖い。手塚治虫の願望通りに全てを破滅に追い込む。
夢か現かわからない映像は、人の心の迷いを映し出してゆく。
稲垣吾郎、二階堂ふみという素晴らしいキャストを、クリストファー・ドイルの撮影でいやらしさを感じさせないで美しく撮りきった。
ばるぼらがさす透明オレンジのビニール傘に雨が降るシーンが素敵だ。二階堂ふみが着ると肩の破れた浮浪者のトレンチコートがまるでヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインで計算ずくで肩に穴を開けたコートにさえ見える。
空や木々や光が美しい。歪んだ風景も、新宿の薄汚さも、エロティックなシーンも全てスタイリッシュに見せてくれる。さすがはクリストファー・ドイル!
ウォン・カーワイ監督作品のカメラワークで観る香港の風景も好きだが、日本の風景をドイルはこんな風に撮影するのかと鑑賞中、ずっと嬉しかった。
原作を今の時代に置き換えることはあっても大事なエピソードを大きく端折ることも無く内容的にはわりと忠実だった。
時代背景は現代の新宿になっていてスマホもでてくるけれど、世界観は確立できているので気にならない。
特に渡辺えり子のばるぼらのお母さんは完コピでコミックから出てきたみたいですごい!
人は水なしでは生きていけない。
お茶でもいいし、ばるぼらのようにウイスキーラッパ飲みでもいいけどみんな、何らか飲み続けて生きている。
ではどうやって飲むのか。
毎日お金の力でペットボトルのお茶やコーラや缶ビールや色々なものを買って飲んではポイと捨てる人もいるし、愛着を持って毎日お茶を沸かし、使い続ける水筒の飲み口に愛着を持ってしまう人もいる。
相手はいくらだっている。
と財力もあり女も取っかえ引っ変えの作家は思っているが、
いくらでもいるってことは誰もいないってこと。
とばるぼらに言い放たれる。
やがてばるぼらは作家にとって、唯一無二の大切な水筒になっていったんだなと思う。
もうばるぼらしか要らないんだ。
ばるぼら自身はお茶さえいれられない。お湯を沸騰させたまま消えてしまい自分はウイスキーを煽っている。
そんな芸術の女神はたくさんの男たちから愛されている。
女神を自分だけのものにしようとすると待っている結末は一つだ。
今もどこかで
いい映画です。
ただし、オカルトやエロティシズムなどが衝撃的で、万人に向けられたものではないと思います。
行動に対しての理由も、よく理解できないところもありました。
ところが、そのオカルトやエロティシズムなどを取り払ってみると、しっかり心に残るラブストーリーなんです。
手塚治虫先生の本当の意図は分からないけれど、こっちでないかなと感じました。
主人公は、仕事としては成功はしているけれど、自分の作品の評価が気になって仕方なく、それから逃れられないような作家です。
常軌を逸したような、だけど、それだけ深い情熱をかけて書いていることが感じられました。
そして、都会からこぼれ落ちてしまったようなヒロイン。
(主人公)「相手はいくらだっている」
(ヒロイン)「いくらだっているってことは、誰もいないってこと」
主人公は、たしかに色々なものを失うけれど、何か大事なことを得たようにも感じました。
稲垣さんも、素敵でした。
役者や監督やスタッフの持つインテリジェンスが、このアーティスティックで衝撃的な作品を、受け止めやすいエンターテインメントにしていると思いました。
音楽もすばらしかったです。
どこのシーンを切り取っても、幻のような美しい映像でした。
マンガの神様と呼ばれることは、むしろ苦痛なことも多かったのではないかと思います。
きれいごとというのは、いつも揚げ足を取られるものだし、その通りに生きていくことだって不可能でしょう。
だけどおそらく、主人公の美倉先生のように、とても強い思いで作り上げたであろう、たくさんの作品のおかげで、教科書にはのっていない、とても大事なことを教えていただきました。
今もどこかで、彼をルーツにもつ誰かが、孤独で救われないミューズのために、ありったけな思いで希望を書いている。
そんな想像をしました。
全176件中、41~60件目を表示