Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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色んな評価はあるかもしれませんが、圧巻でした!
震災から約9年経過して、当時の報道を思い出す部分もありましたが、、、そんなことはさておき、現場で命を削って闘ってる日本人がいたことを、改めて思い知らされた映画でした。 評判を気にする政府、会社の信用を第一に考える本店、そして、まさに命懸けで福島を、日本を守ろうとした人たち。 どちらが大変ということは言えないかもしれませんが、やはり命を掛けてる人たちの前では、政府も本店も薄っぺらいと感じざるを得ませんでした。 予想はしていたけど、途中から涙が止まらなくなり、久しぶりに良い映画を観させて頂いたという感想です。
強いメッセージはないの?
こういう事実に近い映画はNHK特集との比較をどうしてもしてしまう。 初見であるなら面白いと言える。でも日本人なら大体のことはわかるし、確かに首相の動きなど初めて知った事実もある。でも事実の垂れ流しというか、何かのメッセージ性があると思うじゃないですか。それがない。安全を考えるとか、太陽光とか、最後には映像で出てきたけど、メッセージはない。だからNHK特集と何が違うかがわからなかった。事の起こり全部ではなく、誰かをフォーカスした方がメッセージ性は出たのではないかと思います。 明らかに脚本の問題。あれでは素晴らしい俳優陣がもったいない。 ちょっと予想はしてましたが、予想通りのストーリー、映画になってしまって少し残念でした。
予想通り
涙が止まりませんでした… 色んな考え方の方々がいらっしゃると思います。 なのでアレコレ言うことはできません。 ですが自身の職場に思い重なる事は多々有りました。 本店=現場を知らない幹部 はバカ揃い ほんっとうに腹が煮えくりかえりました!!!! 今本上映されて己を恥じて反省している関係者が一人でもいるなら、映画化された意義もあるという事でしょう❗️
あの当時を思い出して泣いた!
冒頭、事実に基づいた映画であるとあった。現場に残り死を覚悟しながら必死に対応した方々の姿、非難された方々の深い悲しみと絶望、最後の吉田所長の言葉にあった自然を支配したとの慢心があったと。あの当時を思い出して誰にではなく悔しかった気持ちが蘇り涙が止まらなかった。この映画を多くの日本人が見て、コロナウイルス対応で誰が悪い誰の責任とか誰かを叩き騒ぐだけではなく、もう一度日本人の絆を思い出して協力して助け合うべきだと思いました。
【愚かしき東電本部及び当時の宰相と命懸けで原子炉と戦う現場の温度差を緊迫感溢れる映像で描き出す。だが、今作は決して美談ではない。9年前の”人災”を風化させない意義ある映画である。】
当時、福島第一原子力発電所所長として、陣頭指揮を取られた故吉田昌郎所長始め、文字通り命懸けでいつ爆発するか分からない原子炉と対峙していただいた東電作業者及び関連会社作業者の方々には東北太平洋岸三県に縁のある者として、今更ではありますが、心から感謝いたします。 又、今作品を世に出す決意をした映画製作関係者及び吉田所長を演じられた渡辺謙さんを始めとする俳優さんたちの気概にも敬意を表します。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 天災による予想外の高さの津波による原子炉損傷からの、所員達の命を掛けた原子炉との闘い振りには引き込まれたし、東電本部の現場への”政府の意向を忖度した及び腰の素人指示” (本部の有事の際の役割は”後方支援、兵站”だろう!と心の中で詰る・・)及び総理官邸の過剰な介入には観ていて、心底情けなくなった。 (当時の総理を演じた佐野史郎さんや、東電幹部を演じた篠井英介さんの心労たるや、大変だったであろう・・。役者魂を感じる。) ー BCPの”初動”が当時、如何にきちんと行われていなかったかが良く分かる場面が続く。- それにしても、吉田所長の発災直後からの奮闘ぶりは凄い。 本部に対しての毅然とした対応、所員に対しての的確な指示(余程、肝と奥深い知識がなければ無理であろう。)。そして、彼の右腕、伊崎を演じた佐藤浩一さんも凄みがある。 又、吉田所長と伊崎が如何に部下に慕われていた人物だった事も良く分かる。 彼らの熱演で、当時”どの組織の頑張り”が日本を未曽有の大惨事状態に陥ることを最小限に防いでくれたかが、良く分かるし、彼らの決死の姿が心に沁みる。 又、福島第一原子力発電所が出来る計画が発表され、関連会社に就職が決まった父親に”これで、お父さん、お正月も家にいるんだね!”と嬉しそうに言う回想シーンも切ない。 (このような場面がきちんと描かれているから、かの惨事が重層的に観る側に伝わるのだ。) が、東北太平洋岸三県に縁のある者としては、あの”人災”は未だ全く収束していない(地元の方々の頑張りは驚異的であるが・・。)という事実がしっかりと描かれていない点が、実に残念である。 福島第一原子力発電所30キロ圏内を中心にした帰還困難地域は依然として変わらず、他県への移住を含め人生が変わってしまった多数の方々の姿が描かれていない・・。 「風の電話」のレビューでも少し触れたが、傷の癒えない人はまだ多数いらっしゃる。 そこにも、きちんと焦点を当てて頂きたかった作品でもある。 <現在、私たちはこの”人災”から学んだことをBCPにて何とか活かそうとしている。そして、今作はあの愚かしき”人災”を二度と繰り返さないようにしなければいけないと、決意を新たにした気持ちにさせてくれた作品でもある。 だが私たちは、厳然たる現実を直視しなくてはいけない。”あの人災の影響は2020年現在でも全く収束していない”という現実を・・。> ー追記:昨晩、当時の資料を見返して、”4.0”から”4.5”に変更させていただきました。レビュー内容も一部見直しました。ー
あの時総理が来なければ
もっと早く事は進んでいたのだろうか 究極の男達50人 原発に居たかからこそ。皆さんなおさら怖かったに違いない 今さらながらお疲れ様 被爆して被害者なのに。誹謗抽象もされたのだろうな 原発の、町だから富岡町を取り上げていましたが。辛かったのはここの住民だけではないはず
後生に遺伝してほしい覚悟
原作を読んでからずっと待ってました! あのとき、たくさんの方が日本を守るために動いていたと分かります。 原子炉をどう表現するか心配してましたが、生き物のようでした。津波も地震も怖かったです。 登場人物の家族構成は多少変わっておりましたが、これもありです。この映画を観た人には、原作もぜひ読んでほしい。もっと泥臭い内容で、死の淵を実感して涙が止まらなくなります。
実際の事故状況を知った上で鑑賞することが推奨される一作。
公開前後から本作の内容について賛否共に議論が生じています。 最も問題視されているのは、原子炉のベントが首相の視察によって遅れたかのように描写した場面です。確かに首相の視察が事故対応の遅れに繋がったという批判は当時から持ち上がっていましたが、その後の調査報告でこの二つの因果関係はほぼ否定されています。 こうした事実と描写の違いは作中のいたるところに散見されるため、本作に限って言えば、事前に題材となった福島第一原子力発電所の事故経過を調べた上で鑑賞に臨んだ方が良いと思います(ネタバレになるような要素はありませんし)。 本作の原作である『死の淵を見た男』の著者である門田隆将氏の政治的姿勢を批判するリベラル派の論客が多く、本作を「プロパガンダ映画」と見る向きもあります。確かに当時の民主党政権を揶揄するような描写もあり(佐野史郎演じる菅元首相は容姿が全く似ていない上に極めて情緒不安定な人物として描かれている)、政治色がないと言えば嘘になります。 しかし物語の主軸は大地震と津波、そして原発災害という未知の状況に対処せざるを得ない人々の動向に焦点が絞られており、『ダンケルク』などに類する「体験型映画」の側面から見るとすれば、作品の出来は決して悪いものではないと思いました。災害を考慮せずに原発という制御不可能な装置を作り出してしまったことへの批判も台詞として触れています(本作の描写は、責任の主体を不明確にしている、という批判も当然あるでしょうが)。 原作では重要免震棟と中央制御室、そして原子炉との位置関係が分かりにくく、それぞれでどのような対応が行われていたのか、除染などをどのように行っていたのかを想像するしかありませんでした。本作がそれらを(できるだけ現実の状況に忠実に描写していると仮定して)映像として見せてくれたことで、事故状況の理解が一層深まりました。画面の緊迫感も非常に高く、水素爆発の場面では現場の人々と同様強い絶望感に襲われるほどでした。 作品の臨場感を高める上で、渡辺謙、佐藤浩市をはじめとした多くの俳優の演技が大きく貢献していました。特に佐藤浩市の無精髭にまみれやつれ果てた表情は鬼気迫るものがあります。日本映画でありがちな、登場人物が心の内を全て台詞で話してしまう、という演出上の悪癖についても、かなり抑制されていた点も好感を持ちました。 このように、映画作品としては決して低い完成度ではないと思いました。しかしながら本作が描いた状況に関しては、かなり相対化して見る必要があります。原作の描写に寄りすぎて事実検証を疎かにしている点を差し引いて、今回の評価としました。 ※追記※ なお、事故当時首相を務めた菅直人氏は、比較的本作を評価しています。自身をモデルにした劇中の首相が一種戯画的に描かれていることも含めて、「そういった振る舞いもあったかも知れない」と概ね許容しています。しかしながら前述のベントを巡る状況、東電本店で職員の待避を拒絶した下りなどについて、虚偽ではないが幾つか省略されている部分がある、と指摘しています。こうした議論については、菅氏のブログやインタビューからうかがい知ることができます。
現場の熱意は伝わってくるがドキュメンタリーとしては不十分
現場の人の必死な活躍はよく伝わってきた。 何か隠蔽しているのではと原発の作業員に向けられた言われなき中傷は払拭できたのではないだろうか。 官邸からの横槍に抗いながら現場の英雄の活躍で日本崩壊を防いだというシナリオは決して作られたものではない真実である。 しかしベストな判断ができたとはいい難いのが今日までの検証で判明している。 まず肝心の全電源喪失(SBO)についてのマニュアルそのものが無かったという致命的な欠陥が激甚災害への道を辿ることになる。 海抜30mの高台を削ってまで低地に原子炉を置いたのは何故か。 非常電源装置だけでも高台に作っておけばよかったのでは。 冷却配管の耐震性に不備があった点。 メルトダウンが進むと機能しないSR弁の構造的な欠陥など枚挙にいとまがない。 今までドキュメンタリー番組で指摘されてきた原発の不備については特に言及されてはいなかった。 車のバッテリーをつなぎ合わせてSR弁を動かすシーンも、現場の方々の協力で迅速に行われていたように見えるが、実際には対応する12Vのバッテリーが小名浜で足止めされ現場に運び込むことができなかった。 既に原発周辺は基準値を大きく超えた線量となっており、うかつに近づけなかったからだ。 2号機の破滅的な結末が訪れなかったのか、という点も謎のまま分かっていない。 なんとなく奇跡的に建屋に穴が空いて水素爆発を抑えこんだ程度であまり深く踏み込んでいない。 迫真の演技の裏に、解明されていない謎が多いことに少し疑問を感じる。 その後病気で亡くなられた吉田所長には哀悼の意を表する。そして事故対応に当たった作業員の方々には感謝したい。 しかし真相が現場の人が頑張ったのだから仕方がないという論調で闇に葬られてしまうのは今後の原発の運用に少し影を落とすと思う。 原発そのものには反対ではないが、信頼性を大きく損なう結果になったのは残念である。 その原因は事故に対する認識が甘かった東京電力にもある。 今後はこの事故を教訓として、いち早く収束できるよう様々な対策を講じる必要がある。 やはり原発なくしては日本のエネルギー事情を解決できないのは事実である。 私が本当に描いて欲しいのは美談ではなくこの事故を今後に活かすことである。 最後の東京オリンピックのくだりは商業的な匂いが伝わってきて少し冷めてしまった。 コロナがなければこの映画が前座として盛り上がっていたんだろうなと思うと改めて人間の無力さを痛感する。 万が一オリンピックが中止になったら実にお寒い作品になってしまうのではないか。 今回も対応をしっかりとしていたらこんなことにはなっていなかったと思うとなんとも皮肉な結果である。
観ておかなければと
49本目。 星での評価はしたくないので、取り敢えず。 現場で闘ってる人に胸をうたれると同時にスクリーンの向こうの人達に怒りを。 なんだこの温度差。 忖度だろうけど、実名出していいんじゃない? たけしが言ってたと思うけど、東京湾に原発造らなきゃ、真剣に議論しないんだろうね。 自分は観ておかなければと思ったけど、観るのが辛い人もいると思う。 無理に観る作品ではないと思う。 とは言え、ほんの一片なんだよな。
みんなを守る、仲間を想う気持ちに男泣き。 家族との別れを決意した心...
みんなを守る、仲間を想う気持ちに男泣き。 家族との別れを決意した心境に泣いて。 家族との再会での嬉し泣き。 沢山の涙がでた。 こんな事になったら何もできない自分やけど、それでも何ができるか? 常に問い続けていたいなと思う。 最後に、日本人でありながらこの映画を観るまで本当に少しもこの事故の事をわかっていなかった自分が恥ずかしくおもった。
あれから9年
経ったわけだが、福島原発が今どうなっているのかという情報もなくなって久しい。 当時を振り返ると、首相の現場介入と東電幹部の無責任な対応に呆れ果てるばかりだった。 映画では当然脚色された部分もあると思いますが、現場の緊迫感や決死の行動が十分に伝わりました。 また、現場の職員それぞれに家族がいて家族を心配する一方で職務をまっとうする姿にはホロリとさせられました。 公開初日の朝一番の回で観たのだが、一番大きなホールに20〜30人程とまばら。新型コロナの影響をもろにかぶってしまった。都内会場での舞台挨拶も急遽中止になったと聞く。 あの惨状を忘れないため、そして現場の東電社員の必死の行動を知るためにも是非映画館に足を運んで欲しいと思う。
当時の原発で働く人の使命感と責任感を見ろ
東日本大震災の時起きた津波による福島第一原発事故での東京電力の現地の人達のお話。 あの事故では色々と言われましたが、しかし、自身の生命の危機にも見舞われても必死で使命感と責任感であの事故に立ち向かった人がいる事を忘れてはいけないと私も思う。 そう言った意味では、本作品は、関係者の証言に基ずきリアル感たっぷりに作られています。 若松節朗監督作品って独特のリズムがありますね。 私的に、そのリズムが合わない時もあるのですが、本作品は本当に当時の事故現場を淡々と描き切っています。 逆に真実なら、現場ではない、東電と政府には、呆れてしまうかな・・・・・ 当時は、やっぱ民主が政権下だったしな・・・・呆れてしまう・・・・・ しかし、人間ってある意味凄い不平等だな・・・・・ああして、使命感と責任感とエンジニア魂で命を犠牲にしても立ち向かう人もいれば、いいお金を貰っているのに、逃げたり、こっそり入院したりと、戦争だってそうだよな・・・・ 本作品こそ、これまでの日本、これからの日本が決して忘れてはいけない伝えなくてはいけない教訓があります。 出ている俳優さんの人選も見事ですね。佐藤浩市さんを始め、渡辺謙さん、吉岡秀隆さん、火野正平さん、緒形直人さん、平田満さん、萩原聖人さん、それぞれが自身の役割を見事に好演していて、邦画もまだまだ大変に魅力がある事に気がつかされます。 本作品、当時の被害者の方の為にも心して見てください。
東日本大震災の現場で働く人の死をも覚悟した闘い
あの時、色々な情報が流れ、未だ解決してない問題も多くある中で、風の電話とかも見ましたが、現場で働く人の死を覚悟した人々を取り上げたエンターメント性のある映画と思いました。ある意味お金をかけた映画で有る事は間違いない。でも次々と観客を3・11へ連れ戻す力がある映画に間違いない!特に現場の伊崎役の佐藤さんと吉田所長役の渡辺健さんの力量が凄いです。試写会で見ることが出来て良かったです。吉田所長の事は当時、心に残ってました。なでしこジャパンで優勝した時の丸山選手が東電の選手と知り、吉田所長さんに良くして貰ったと知り、感慨深いです。
現場!現場って… 現場だけが偉いのか…
現場の意見を尊重しろって、よく言われる言葉だけど…あまり現場偏重し過ぎても良くない事は往々にしてあります。 織田裕二じゃないけど、この映画が変な風潮を助長しなければいいな!
「放射能」は専門家内では「放射性物質」の意味でつかわれる
コメントを見ていて、よく「放射能を放射性物質の意味で使うのは間違い」と言うのがある。 アレはマスコミが近年取り上げて叩き始めたことで、昔から現場では放射性物質の意味で同語を利用している。 刑事ドラマで、「ホシ」と言う単語を言う刑事に「容疑者と正しく言わぬとはなんたることだ」とねじ込む様だと考えると判りやすい。 現場での通称で皆、ホウシャノーとホウシャセイブッシツが区別出来ていないわけでも知識がないのでもないのに困った物だ。 あの事件後、にわかに盛り上がった素人が学者に向けて「正しく語を使わぬのはどういう事だ!」と凸って来るようになって、言葉狩りを始める物だから仕事が増えて大層迷惑した記憶がある。 拝見したが、必要な事は端的にまとまっていてエンターテインメントとしても及第だと思う。 伝えなくてはならない事は理屈ではない。 まずは楽しさと共に現場にいた「人」の事を想像してほしい。 そして出来るなら、自分達が其処にいたらどうしたろうかと想像してくれたなら、世論は少しだけ現場を踏まえたものになり、戦う人々の助けにならないかと期待するものである。
忘れてはいけないこと
良かった。 専門的分野の方々から言わせれば事実と反するところや突っ込みどころは満載なのだろうが、それでもあの大震災のあと更なる被害拡大を食い止めようとまさに命を懸けて戦った人達がいたことは知らなければいけないし忘れてはいけないことだと思った。 映画作品としては「役者の力」を強く感じた。皆さん素晴らしい演技でグイグイ物語に引き込まれ幾度か涙しました。
風評被害が拡散しないか心配
試写会で拝見。 放射性物質と放射能の区別がつかない「原発の専門スタッフ」たちのセリフに????の嵐。 風評被害促進案件ではないかと、心配になりました。 放射能デマ系な、恐怖の煽り文句「原発事故で福島は人の住めない町に」を連呼。 全てが吹き飛んでフクイチから半径250Kmが汚染された最悪のケースを想定したシーンが、「銀座に死んだ烏、舞い降りる死の灰」って感じ…… そんな具合に、原爆と原発事故の表現を同一にしてるし。 放射線量増加の対応についても、途中からおざなり。 水素爆発も、水素が炉内で発生した理由の説明はなく(燃料棒を覆う保護金属ジルコニウムが高温時に水と反応して水素を生み出すはず)、「炉心融解が進むと高温で圧力が高まって即爆発」という、なにもわかっていない感がすごい表現に思えました。 また、東日本大震災における津波のメカニズムは、断層のズレから生じた水平移動と隆起、ズレの摩擦発熱による間隙水圧上昇現象で、海水面の高さが上昇し、平野の「水没エリアが拡大」したはず。 仙台空港や、東北各地の海岸線押し寄せた津波の映像を覚えているなら、「街が徐々に水没して、ゆっくりとした水のうねりが車や家を押し流した」のは知っているはず。 せいぜい、原発エリアのうち十数メートルの岸壁がある部分に、波が激しくぶつかっている動画があった程度で、全域に高波が押し寄せたわけじゃない。 なのに作中では、TV版『日本沈没』みたいに、海底に亀裂が走り、マグマが溢れ。 『未来少年コナン』のハイハーバー編みたいに水が海岸線から引き。 『ビッグ・ウェンズデー』みたいな大波が襲来。 頭が痛くなりました。 これを「事実に基づく」というのは、いかがなものかと。 震災の数年前に原発の電源喪失の危険性を指摘した野党の質問を当時の首相が「万全」と一蹴し、東電の現場技術陣からは大雨で過去発電機が冠水した経緯から改善要望をしてもトップが経営判断で突っぱねた経緯は、オールスルー。 吉田所長も、改善拒否に賛同した人だったはず(最大津波想定が10mで15mは想定せず、また東電単体では資金面で対策ができなかったことを後悔している記述は、手記や調書に残っている)。 政府や経営トップと、部下や住民の板挟みになっていながら、様々な判断を強いられた所長や当直長の悲憤を描く…って、戦争映画におけるヒーローみたいな美談に落とし込まれているのに違和感。 「祖国や家族を守るために、戦闘機で特攻」を美化するのと、全く構造が一緒。 そして、震災当時の首相をひたすらdisる(まぁ確かに直情的で罵ることしかできない無能でしたが)手法に、よほど現在の経産省や文化庁から協賛や賛美がほしいのかなと穿ってみたくなる、偏ったシナリオに感じました。 まだ、被害は継続し、復興もフクイチ解体も道半ばなのに、もう終わった的な桜のエンディングに呆れもしました。 あの桜並木が、帰宅困難地域のものであったのならば、「本当の事故処理の戦いはこれから何十年も続く」という決意のセリフが無いと嘘だろう、と。 一応娯楽作品と銘うっているので、他の観客がどう受け取ろうが自由なんだけど。 福島、吉田所長、という名前を使う以上、「フィクション」「ドラマ」という逃げは、私にはまったく響かない。そもそも、原作は自称「ノンフィクション」だ。 これが別の架空の県、別の名前ならともかく。 そして、ドラマとはいえ感情に流されたまま自己犠牲を美化し、それに感動しちゃう風潮は、私は苦手だし怖いと感じちゃう。 何より、そういう作品を面白いとは思えないのでした。
久々に、また観てもいいな、と思える映画だった。
このレビューを書き込む前に、他の方のレビューを読んだ。 特に低評価の方の。 「被災者の想いを反映していない」と。 私を含む被災者でない人間からしたら、被災者の方々の想いは想像できない。 想像したとしても、その思いは、文字通り「私たちの想像を絶する」ほど苦しく辛いものなのであろう。 しかし、たとえそうだとしても、この映画は観るに値するし、内容は高評価に値する。 仕事や家事の大変さを伝える際に、「戦争のよう」という表現がある。 私はこの表現が大嫌いである。 戦争なんて、そんな生易しいものじゃないでしょ、と突っ込みたくなるからだ。 同様に、「命がけでやってます」という表現も嫌い。 あんた、それやって、ホンマに死ぬ? と、同様に突っ込みたくなる。 「命がけ」という言葉は、この映画に出てくるような人達。 本当に命を落とすかもしれない状況の中で、被害拡大を防いだ人達こそが、 使っていい言葉なのだ。 自分は、数か月前まで、東京電力を相手にする仕事をしていた。 あの事故のせいで発生した損失について話し合う際、時にはぞんざいな態度で 時には声を荒げたこともあった。(結果、会社にはかなりのメリットをもたらしたが) しかし、もしこの映画をその交渉時より前に観ていたら、とてもあんな態度はできなかっただろう。 そう思えるくらい、現場の方々は戦っていた。それがわかる映画だった。 数年後、また観てみたいと思った。
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