Fukushima 50のレビュー・感想・評価
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アメリカはなんでも知っている
分かっていることながら、いつも気後れしてしまいます。想像もできないほど大きな〝喪失〟を描いた『風の電話』の時と同じです。
私は、東日本大震災も、熊本地震も、西日本豪雨も、昨年の台風にも、その他大きな自然災害や事件事故にも幸いなことに直接的な被害は受けておりません。社会生活においても多少のパワハラを除けば、まあそこそこ無事に生きてきました。
被災者の方々の心情は想像することしかできません。しかもその後の時間が、回復をもたらすこともあれば、経済的な困窮や新たな偏見まみれの人間関係で更に心身とも蝕まれていくことすらあるということについても。
それでも、というか、それだからこそこのような映画が今、作られたことに意義があると思います。
普通の日常の仕事に携わっていた方々が、不意に訪れた未曾有の危機に、責任感と仲間への信頼だけを支えに命懸けで闘ってくれたことは誰も否定できない事実です。
クリント・イーストウッド監督が『ハドソン川の奇跡』で描いたものと共通するところがあります。
市井の人々の一人ひとりが持つ、仕事における当たり前のような責任感と結束が、いざという場面では一番の力になるという点です。
権力者のメンツや取り巻き連中の忖度は阻害要因にしかならない。私が東日本大震災に遭遇した時も、我が上司は本社からの指示がなければ何も出来ないままで「責任を取るのは俺なんだ、勝手に動くな」と連呼するばかり。遂にタイミングを逸し、多くの社員が帰宅難民となり、別の部署の上司は果断な決断で管理職以外の殆どの部下を早退させました。
被災者の方にとっては、許せないような描写があったとしても、危機管理態勢において、〝想定外〟という逃げ道を設けてはいけないこと、いざという時のリーダーの振る舞い方などを通じて、風化現象を一時的にせよ、停止させるだけ色々なことを考えさせられる作品だったと思います。
『Fukushima 50』という呼び方があったと初めて知りました。アメリカの駐日大使や駐留米軍の情報収集ぶりを見てると、スノーデンさんが明らかにしたように本当に日本の通信はすべて傍受されているのですね、官邸も大企業も。
だから、放射能漏れの状況把握を進める中で現場の人達の奮闘ぶりもほぼ正確に掴めたことで、官邸と東電本社の無能さにも関わらず、現場の人たちへは敬意を払い、Fukushima 50 という呼び名をつけたのではないでしょうか。
日本政府にとってはある意味、屈辱的な呼び名に感じられたため、メディアもあまり報じられなかったのか、東電に悪者以外のイメージを与えたくなかったのか。今も現場で廃炉作業に携わっている人のことを考えたら、もう少し切り分けて考えることも必要な気がします。
戦場の最前線
久々に思い出しました、あの当時の緊迫感。
単なる都内の会社の被災者ではありますが、3.11を東京で迎え、総務の仕事をしてたので、会社の対策本部にこもりっきり。刻々と流れるニュースを聞きながら、社内統制やら社員誘導やら被災対応で手一杯のところに、原発がヤバイというニュース、焦りはあるものの、どうにもならない無力感を感じながらも、目の前の安否確認や備蓄品の配布などを続けるしかありませんでした。当たり前が崩れた、非日常のやり方でなんとかしのいでました。
その時まさに福島で闘っていた原発最前線での苦闘は、ドキュメンタリーやドラマで後から知りましたが、実際に対応されていた方々には、改めて頭が下がります。東京電力の組織として、安全基準を決定した国としての過失はあれども、それをなんとかリカバーしようと努力した人達なくしては、被害はさらに甚大になったでしょう。
映画ですので、前線の男同士の友情を軸にドラマを描いていますが、これがまたわかっていても泣けます。本店に立てつきまくりの吉田所長役の渡辺謙、前線の指揮官役の佐藤浩市、古参のエンジニアの火野正平、みんなカッコいいんです。命をかけた戦場で戦っている姿を伝えようとしているのです。混乱を招く本店や官邸の指示も、後からは色々問題は見て取れますが、皆必死だったのは間違い無いでしょう。
結果の良し悪しはあるし、この映画の上映に複雑な思いを持っている人もまだまだいらっしゃると思います。けれども、当時自らを犠牲にして闘った人達の努力に対しては、敬意を表するべきかと思います。
現在のコロナとの闘いも、少しづつ当時のような戦場に近づいて行きそうな気配があります。そんなタイミングで本作を観れたことは、とても良かったと感じました。
日はまた登る
色んな評価はあるかもしれませんが、圧巻でした!
強いメッセージはないの?
こういう事実に近い映画はNHK特集との比較をどうしてもしてしまう。
初見であるなら面白いと言える。でも日本人なら大体のことはわかるし、確かに首相の動きなど初めて知った事実もある。でも事実の垂れ流しというか、何かのメッセージ性があると思うじゃないですか。それがない。安全を考えるとか、太陽光とか、最後には映像で出てきたけど、メッセージはない。だからNHK特集と何が違うかがわからなかった。事の起こり全部ではなく、誰かをフォーカスした方がメッセージ性は出たのではないかと思います。
明らかに脚本の問題。あれでは素晴らしい俳優陣がもったいない。
ちょっと予想はしてましたが、予想通りのストーリー、映画になってしまって少し残念でした。
予想通り
あの当時を思い出して泣いた!
【愚かしき東電本部及び当時の宰相と命懸けで原子炉と戦う現場の温度差を緊迫感溢れる映像で描き出す。だが、今作は決して美談ではない。9年前の”人災”を風化させない意義ある映画である。】
当時、福島第一原子力発電所所長として、陣頭指揮を取られた故吉田昌郎所長始め、文字通り命懸けでいつ爆発するか分からない原子炉と対峙していただいた東電作業者及び関連会社作業者の方々には東北太平洋岸三県に縁のある者として、今更ではありますが、心から感謝いたします。
又、今作品を世に出す決意をした映画製作関係者及び吉田所長を演じられた渡辺謙さんを始めとする俳優さんたちの気概にも敬意を表します。
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天災による予想外の高さの津波による原子炉損傷からの、所員達の命を掛けた原子炉との闘い振りには引き込まれたし、東電本部の現場への”政府の意向を忖度した及び腰の素人指示”
(本部の有事の際の役割は”後方支援、兵站”だろう!と心の中で詰る・・)及び総理官邸の過剰な介入には観ていて、心底情けなくなった。
(当時の総理を演じた佐野史郎さんや、東電幹部を演じた篠井英介さんの心労たるや、大変だったであろう・・。役者魂を感じる。)
ー BCPの”初動”が当時、如何にきちんと行われていなかったかが良く分かる場面が続く。-
それにしても、吉田所長の発災直後からの奮闘ぶりは凄い。
本部に対しての毅然とした対応、所員に対しての的確な指示(余程、肝と奥深い知識がなければ無理であろう。)。そして、彼の右腕、伊崎を演じた佐藤浩一さんも凄みがある。
又、吉田所長と伊崎が如何に部下に慕われていた人物だった事も良く分かる。
彼らの熱演で、当時”どの組織の頑張り”が日本を未曽有の大惨事状態に陥ることを最小限に防いでくれたかが、良く分かるし、彼らの決死の姿が心に沁みる。
又、福島第一原子力発電所が出来る計画が発表され、関連会社に就職が決まった父親に”これで、お父さん、お正月も家にいるんだね!”と嬉しそうに言う回想シーンも切ない。
(このような場面がきちんと描かれているから、かの惨事が重層的に観る側に伝わるのだ。)
が、東北太平洋岸三県に縁のある者としては、あの”人災”は未だ全く収束していない(地元の方々の頑張りは驚異的であるが・・。)という事実がしっかりと描かれていない点が、実に残念である。
福島第一原子力発電所30キロ圏内を中心にした帰還困難地域は依然として変わらず、他県への移住を含め人生が変わってしまった多数の方々の姿が描かれていない・・。
「風の電話」のレビューでも少し触れたが、傷の癒えない人はまだ多数いらっしゃる。
そこにも、きちんと焦点を当てて頂きたかった作品でもある。
<現在、私たちはこの”人災”から学んだことをBCPにて何とか活かそうとしている。そして、今作はあの愚かしき”人災”を二度と繰り返さないようにしなければいけないと、決意を新たにした気持ちにさせてくれた作品でもある。
だが私たちは、厳然たる現実を直視しなくてはいけない。”あの人災の影響は2020年現在でも全く収束していない”という現実を・・。>
ー追記:昨晩、当時の資料を見返して、”4.0”から”4.5”に変更させていただきました。レビュー内容も一部見直しました。ー
あの時総理が来なければ
もっと早く事は進んでいたのだろうか
究極の男達50人
原発に居たかからこそ。皆さんなおさら怖かったに違いない
今さらながらお疲れ様
被爆して被害者なのに。誹謗抽象もされたのだろうな
原発の、町だから富岡町を取り上げていましたが。辛かったのはここの住民だけではないはず
後生に遺伝してほしい覚悟
原作を読んでからずっと待ってました!
あのとき、たくさんの方が日本を守るために動いていたと分かります。
原子炉をどう表現するか心配してましたが、生き物のようでした。津波も地震も怖かったです。
登場人物の家族構成は多少変わっておりましたが、これもありです。この映画を観た人には、原作もぜひ読んでほしい。もっと泥臭い内容で、死の淵を実感して涙が止まらなくなります。
実際の事故状況を知った上で鑑賞することが推奨される一作。
公開前後から本作の内容について賛否共に議論が生じています。
最も問題視されているのは、原子炉のベントが首相の視察によって遅れたかのように描写した場面です。確かに首相の視察が事故対応の遅れに繋がったという批判は当時から持ち上がっていましたが、その後の調査報告でこの二つの因果関係はほぼ否定されています。
こうした事実と描写の違いは作中のいたるところに散見されるため、本作に限って言えば、事前に題材となった福島第一原子力発電所の事故経過を調べた上で鑑賞に臨んだ方が良いと思います(ネタバレになるような要素はありませんし)。
本作の原作である『死の淵を見た男』の著者である門田隆将氏の政治的姿勢を批判するリベラル派の論客が多く、本作を「プロパガンダ映画」と見る向きもあります。確かに当時の民主党政権を揶揄するような描写もあり(佐野史郎演じる菅元首相は容姿が全く似ていない上に極めて情緒不安定な人物として描かれている)、政治色がないと言えば嘘になります。
しかし物語の主軸は大地震と津波、そして原発災害という未知の状況に対処せざるを得ない人々の動向に焦点が絞られており、『ダンケルク』などに類する「体験型映画」の側面から見るとすれば、作品の出来は決して悪いものではないと思いました。災害を考慮せずに原発という制御不可能な装置を作り出してしまったことへの批判も台詞として触れています(本作の描写は、責任の主体を不明確にしている、という批判も当然あるでしょうが)。
原作では重要免震棟と中央制御室、そして原子炉との位置関係が分かりにくく、それぞれでどのような対応が行われていたのか、除染などをどのように行っていたのかを想像するしかありませんでした。本作がそれらを(できるだけ現実の状況に忠実に描写していると仮定して)映像として見せてくれたことで、事故状況の理解が一層深まりました。画面の緊迫感も非常に高く、水素爆発の場面では現場の人々と同様強い絶望感に襲われるほどでした。
作品の臨場感を高める上で、渡辺謙、佐藤浩市をはじめとした多くの俳優の演技が大きく貢献していました。特に佐藤浩市の無精髭にまみれやつれ果てた表情は鬼気迫るものがあります。日本映画でありがちな、登場人物が心の内を全て台詞で話してしまう、という演出上の悪癖についても、かなり抑制されていた点も好感を持ちました。
このように、映画作品としては決して低い完成度ではないと思いました。しかしながら本作が描いた状況に関しては、かなり相対化して見る必要があります。原作の描写に寄りすぎて事実検証を疎かにしている点を差し引いて、今回の評価としました。
※追記※
なお、事故当時首相を務めた菅直人氏は、比較的本作を評価しています。自身をモデルにした劇中の首相が一種戯画的に描かれていることも含めて、「そういった振る舞いもあったかも知れない」と概ね許容しています。しかしながら前述のベントを巡る状況、東電本店で職員の待避を拒絶した下りなどについて、虚偽ではないが幾つか省略されている部分がある、と指摘しています。こうした議論については、菅氏のブログやインタビューからうかがい知ることができます。
現場の熱意は伝わってくるがドキュメンタリーとしては不十分
現場の人の必死な活躍はよく伝わってきた。
何か隠蔽しているのではと原発の作業員に向けられた言われなき中傷は払拭できたのではないだろうか。
官邸からの横槍に抗いながら現場の英雄の活躍で日本崩壊を防いだというシナリオは決して作られたものではない真実である。
しかしベストな判断ができたとはいい難いのが今日までの検証で判明している。
まず肝心の全電源喪失(SBO)についてのマニュアルそのものが無かったという致命的な欠陥が激甚災害への道を辿ることになる。
海抜30mの高台を削ってまで低地に原子炉を置いたのは何故か。
非常電源装置だけでも高台に作っておけばよかったのでは。
冷却配管の耐震性に不備があった点。
メルトダウンが進むと機能しないSR弁の構造的な欠陥など枚挙にいとまがない。
今までドキュメンタリー番組で指摘されてきた原発の不備については特に言及されてはいなかった。
車のバッテリーをつなぎ合わせてSR弁を動かすシーンも、現場の方々の協力で迅速に行われていたように見えるが、実際には対応する12Vのバッテリーが小名浜で足止めされ現場に運び込むことができなかった。
既に原発周辺は基準値を大きく超えた線量となっており、うかつに近づけなかったからだ。
2号機の破滅的な結末が訪れなかったのか、という点も謎のまま分かっていない。
なんとなく奇跡的に建屋に穴が空いて水素爆発を抑えこんだ程度であまり深く踏み込んでいない。
迫真の演技の裏に、解明されていない謎が多いことに少し疑問を感じる。
その後病気で亡くなられた吉田所長には哀悼の意を表する。そして事故対応に当たった作業員の方々には感謝したい。
しかし真相が現場の人が頑張ったのだから仕方がないという論調で闇に葬られてしまうのは今後の原発の運用に少し影を落とすと思う。
原発そのものには反対ではないが、信頼性を大きく損なう結果になったのは残念である。
その原因は事故に対する認識が甘かった東京電力にもある。
今後はこの事故を教訓として、いち早く収束できるよう様々な対策を講じる必要がある。
やはり原発なくしては日本のエネルギー事情を解決できないのは事実である。
私が本当に描いて欲しいのは美談ではなくこの事故を今後に活かすことである。
最後の東京オリンピックのくだりは商業的な匂いが伝わってきて少し冷めてしまった。
コロナがなければこの映画が前座として盛り上がっていたんだろうなと思うと改めて人間の無力さを痛感する。
万が一オリンピックが中止になったら実にお寒い作品になってしまうのではないか。
今回も対応をしっかりとしていたらこんなことにはなっていなかったと思うとなんとも皮肉な結果である。
観ておかなければと
みんなを守る、仲間を想う気持ちに男泣き。 家族との別れを決意した心...
あれから9年
経ったわけだが、福島原発が今どうなっているのかという情報もなくなって久しい。
当時を振り返ると、首相の現場介入と東電幹部の無責任な対応に呆れ果てるばかりだった。
映画では当然脚色された部分もあると思いますが、現場の緊迫感や決死の行動が十分に伝わりました。
また、現場の職員それぞれに家族がいて家族を心配する一方で職務をまっとうする姿にはホロリとさせられました。
公開初日の朝一番の回で観たのだが、一番大きなホールに20〜30人程とまばら。新型コロナの影響をもろにかぶってしまった。都内会場での舞台挨拶も急遽中止になったと聞く。
あの惨状を忘れないため、そして現場の東電社員の必死の行動を知るためにも是非映画館に足を運んで欲しいと思う。
当時の原発で働く人の使命感と責任感を見ろ
東日本大震災の時起きた津波による福島第一原発事故での東京電力の現地の人達のお話。
あの事故では色々と言われましたが、しかし、自身の生命の危機にも見舞われても必死で使命感と責任感であの事故に立ち向かった人がいる事を忘れてはいけないと私も思う。
そう言った意味では、本作品は、関係者の証言に基ずきリアル感たっぷりに作られています。
若松節朗監督作品って独特のリズムがありますね。
私的に、そのリズムが合わない時もあるのですが、本作品は本当に当時の事故現場を淡々と描き切っています。
逆に真実なら、現場ではない、東電と政府には、呆れてしまうかな・・・・・
当時は、やっぱ民主が政権下だったしな・・・・呆れてしまう・・・・・
しかし、人間ってある意味凄い不平等だな・・・・・ああして、使命感と責任感とエンジニア魂で命を犠牲にしても立ち向かう人もいれば、いいお金を貰っているのに、逃げたり、こっそり入院したりと、戦争だってそうだよな・・・・
本作品こそ、これまでの日本、これからの日本が決して忘れてはいけない伝えなくてはいけない教訓があります。
出ている俳優さんの人選も見事ですね。佐藤浩市さんを始め、渡辺謙さん、吉岡秀隆さん、火野正平さん、緒形直人さん、平田満さん、萩原聖人さん、それぞれが自身の役割を見事に好演していて、邦画もまだまだ大変に魅力がある事に気がつかされます。
本作品、当時の被害者の方の為にも心して見てください。
東日本大震災の現場で働く人の死をも覚悟した闘い
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