Fukushima 50のレビュー・感想・評価
全425件中、361~380件目を表示
何も終わってない
リアルに徹した見事な映画
原作は門田隆将の「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」で、映画の脚本をノベライズしたものも出版されている。門田氏の原作は、3.11 の大震災後に何百冊出されたか分からないほどの原発関連本の中で、紛れもなく歴史に残るであろう数少ない名著である。著者が取材に綿密に取り組み、吉田所長をはじめ夥しい人物の証言を得て書かれており、事実の正確さと読みやすさにおいて非常に卓越している。この映画はこの原作に非常に忠実に作られている。
私は福一には行ったことがないが、福二には建設中に見に行ったことがある。今から 40 年ほど前のことで、出張の書類に目的を「見学」と書いたら「視察」と訂正するように求められて、国立大学の教員というのは偉そうなんだなと可笑しく思ったのが未だに忘れられない。地表の土砂を大規模に除去して岩盤を剥き出しにした上に建屋を建設し、鉄筋の太さと密度はそれぞれ通常の建物の3倍であり、直下型の地震で震度7にも耐えられるという説明に非常に納得させられた。同じ沸騰水型原子炉であるが、福一の原子炉は福二と違うメーカーのもので、設計構造が全く違うという説明を受けた。3.11 の大震災では福一福二とも高さ 20 m を超える大津波の襲来を受けて全電源喪失(Station Blackout、SBO)の非常事態を迎えたが、福二は水素爆発も起こさず、何とか今日に至っている。
まず驚いたのはセットの見事さである。長野県の諏訪市に作られたというセットは、40 年前に見た原子炉建屋内部の光景と全く遜色なく、まるで本物の原発を使って撮影したのではと思わせられるリアリティを持っていた。実際に撮影できない海底の地震や原子炉内部の映像は CG であるが、そのリアリティも非常に高かった。あの時何が起こっていたのかを視覚的に捉えることができるのは有り難いと思ったが、これが新たな風評を生むのではと心配する向きもあるのは十分察せられる話である。
原作にほぼ忠実な脚本は淡々としていて、感動や感涙を押し付けることもなく、原作を読んでいると許し難い思いに駆られる首相周辺の描写もまた淡々として事実のみを語ろうとしていたように思われたが、それでも、この当時の政府がいかに無能で余計なことばかりしていて、しかもいかに見下した態度だったかが嫌というほど察せられた。個人的にはもっと首相と政府の無能さを強調してほしいところだった。あの無能極まるクソ菅が無意味な視察を強行したために、ベントが予定より6時間も遅れて1号機と3号機の原子炉建屋が水素爆発を起こしたのである。
原子炉はマトリョシカのように多重殻構造になっていて、中心にあるのが原子炉圧力容器で核分裂反応を閉じ込めている容器であり、それを冷却するための付帯設備などをもう一つの原子炉格納容器が囲んでいる。更にその周りを原子炉建屋が囲んでいる。いわば、圧力容器が人間で言えば下着にあたり、格納容器は上着、建屋は家のようなものである。沸騰水型の場合、圧力容器の中で加熱された水はそのまま発電用のタービンを回転させてから元の容器に戻る構造になっており、圧力容器はもちろん、格納容器の中まで放射性物質が充満している。核燃料を棒状に保っている金属容器はジルコニウムでできており、圧力容器内の水位が下がると数千℃もの高温となって、周囲の水蒸気と反応して水素を発生させる。
映画ではこうした説明が全くなかったのが難点であった。あえて説明シーンを用意せずとも、いくらでも台詞の中に潜り込ませることができるはずなのだが。それによって、圧力容器は言うに及ばず格納容器まで溶けて放射性物質を振り撒いたのがチェルノブイリ事故であり、一方、福一の事故は建家の水素爆発までしか起こっておらず、ベントによって圧力を下げたことによって辛うじて格納容器は保たれたという相違を明示することができたはずである。
俳優は、渡辺謙と佐藤浩市の圧倒的な存在感が素晴らしく、火野正平や緒方直人らの確かな存在感も見事であった。現場作業員役の俳優たちは、水素爆発発生後のシーンでは全面マスクを着用しての演技となり、表情が伝えにくくなってるにもかかわらず、その熱い思いがひしひしと伝わって来た。ナレーションを廃して全てが俳優の演技に委ねられていたため、役者に求められていたものは非常にレベルの高いものであったと思う。首相役の佐野史郎はいかにも憎々しげで好演であったが、一昔前の村野武範ならもっとリアルに演じてくれたのではないかと惜しまれた。米軍の司令役でダニエル・カールが出ていたが、得意の米沢弁を封印して見事に英語のみで演じ切っていた。
岩代太郎の音楽はいつもの通り非常に水準の高いもので、いずれの曲もクラシックの演奏会でプログラムに入れる価値のあるものばかりであった。五嶋龍のヴァイオリンと長谷川陽子のチェロの演奏も非常に見事なものであった。
演出はリアリティに徹しており、非常に見事なものであったが、事故直後の場面では同時に複数の人間が叫ぶような場面があり、聞き取りにくかったのがやや残念であった。「トモダチ作戦」に出てくる米軍ヘリや、首相を運んだ自衛隊のヘリは本物を使っており、米軍や自衛隊の協力を得たシーンは非常に見応えがあった。演出上の虚構を極力廃した製作姿勢は、非常に立派だと思った。所長から退去を勧められた自衛隊員の返答には思わず目頭が熱くなった。協賛企業にド腐れウソ日新聞がないので出せた台詞ではなかったかと思った。多くの人に見て頂きたい映画である。
(映像5+脚本4+役者5+音楽5+演出5)×4= 96 点。
ホラー映画より怖い
終始、涙が止まらなかった作品。
一人一人がみんな必死に動いている。
命を懸けた仕事。
人は失敗を経験して成長していくもの、最近私は、特にそう感じています。
東日本大震災の時になぜこのような事態が発生してしまったか。
それに通ずるものがあると思います。
当時の失敗はあまりにも大きかった。
想定外と言う方が正しいかもしれない。
それは作品の最後で語られるが、これを経てどう成長するか。
まさに人と同じでしょう。
僕自身も当時、東京で地震を体験しています。
その時、当然怖かったですが、より近い福島の人たちはもっと怖かった。
当たり前のことですけど。
正直、どこまでが事実でどこまでがフィクションか分からないですが、震災がテーマの作品は、やはり一般のホラー映画より怖い、現実的だから。
ましてや、僕自身も体験しているのでよりそう感じる。
想定外(敢えて満点にしてます)
吉田所長が亡くなる前に、伊崎に宛てた手紙の内容が全てなのだと思う。
東電の役員を相手に行われていた裁判の争点でもある。
想定外なのか…。
いつか鳥インフルエンザがヒトヒト感染で大変な事態が発生することを想定して、特措法も作ってあったのに、今回の新型コロナウイルス肺炎の感染拡大にも政府が手を拱いているように思えるのは、想定外と言って良いのだろうか。
想定外は言い訳として万能なのだろうか。
福島の双葉町はずっと全域避難が続いてて、避難指示の一部解除は一昨日3月4日のことだ。
この原発事故から9年も経過している。
福島の復興はまだまだだ。
最後に、復興五輪が云々と流れるが、福島が復興してるわけではない。
今後の汚染水のことを考えると、取り得る方法は限られてて、海産物の風評被害とか想定される問題は山積だ。
あの津波は想定外だったのだろうか。
識者の助言はあったことは提言などでも明らかで、上層部はこれを知っていて、コストやなんやで放置していたのではないのか。
東電の上層部は、学者はこんなこと言ってるけど、相当なコストかかりますから、そんな大それた津波はきっとこないだろうから、対策は、このままで良いですよねって放置してたんじゃないか。
それに、責任を分散させるために、これは経済産業省・資源エネルギー庁にきっとお伺い立てていたに違いないですよね……。
これらは、多くの国民が共通して抱いている疑問だ。
このFukushima 50の勇気や行動には胸が熱くなる。
皆、生きていて良かったと心から思う。
感謝の意も伝えたいと思う。
しかし、復興もそうだが、もう生まれ育った家に帰ることさえ叶わない人も、まだ、多くいることを、僕達は忘れかけてはいないか。
今、僕達は真剣に、福島の、被災地の復興は成ったのか、今後のこうした人禍(敢えて、こう書かせてください)に見舞われることのないようにするためには、どうしたら良いのか、どのように政府や国策のエネルギー政策を監視したら良いのか改めて熟考するべきではないか。
そんなことも考えさせられる作品だと思った。
被災者の方には、この映画で、人の目が感動のストーリーに向くのではないかと懸念する人もいるように思う。
当たり前だ。
ポイントをいくつにするか逡巡しましたが、日本人はきっとバカではないから、真剣に考えてくれるだろうとの期待値で満点にします。
津波は怖し。
今明かされるあの日の真実
映画としては微妙な出来。当時を振り返る再現ドラマとしても微妙。
話の題材、話のプロット、俳優陣、
素材はとっても良いのに上手く料理しきれてない感じ。
編集、シーンのつなぎ方が悪いのか、
1つの話(パート)が唐突に始まり、尻切れトンボに終わる感じが終始ある。
ニュース番組のシーンをブリッジにするとかして
現在何が起きつつあるのかを解説する部分があったほうが良かった。
そうすれば、報道では全然分からなかった現場の奮闘感が引き立ったはず。
また、ハッピーエンド風にまとめているけれども、本当にそうだろうか?
奇跡的に爆発を逃れた2号機ではあるけれども、
2号機から噴出した放射性物質で福島は汚染されてしまったわけであり
その事実は受け止めなければならない。
それもちゃんと映画で説明しておくべきではなかったのか?
現実、史実、ふんばり、耐力、愛・・・
最後まで頑張るのはやっぱり現場の人間なんだなって
この作品は、3/11の東日本大震災で起きた原発事故を防ぐために戦った男たちの物語
暴走してしまった原発を食い止めるため、必死になって色々な対策を講じる
実際の現場がどんなだったかよくわからないが、
放射線レベルが危険域に達している中での過酷な作業などを考えると
頑張った人たちには頭が上がらないと思った
そして、このような事態を全く考慮にいれていなかった、日本の自然に対する認識の甘さを
再確認するためには良い映画だったと思われる
さらに、役職と知識がマッチしていないトップやいらない視察を行う現職の総理大臣、それに対して現場に責任を負わせる役人たちの横暴など日本の政治的な問題点を浮き彫りにしてくれている
この作品をただの娯楽作品として、鑑賞するのも良いが
こういった日本の問題点をみんなで再確認する良い機会ではないかと思われる
賛否両論あるかと思いますが
追記
この映画を観て、原作を読んでみました。
この原作である「死の淵を見た男」を読むと、この映画をより理解できます。
これを読むと、映画としては、ちょっと違うものができてしまったのかなと感じます。
この本を知らなかった私にとっては、知るきっかけになった映画として、とても意味がありました。
-------------
事実に基づく物語と言うのが、映画として難しいものになったように思います。
とことん事実に近い。または、フィクションですとした方が良かったかな。
多分、この映画を観て、事実かどうかを気にする人がいると思うんです。事実かどうかわからないじゃないか?と言う人にとっては、気に入らないことがあると思う。
わかるのは、現場にいた人だけだからです。
この映画が伝えたいことは、原発事故を後世に伝えたいといけない。ということなのかなと思いました。
また、現場で起きていた本当のことを知りたいと思いました。また、どこに間違いがあったのか?何かできることはあったのか?真実を知りたいと思った映画でした。
事故時の中操の緊迫感が伝わる
素直にいい映画だなと思いました
原発や放射性物質の専門家が監督をしたわけではないでしょうから、表現などに色々と突っ込みたくなるような部分もあります。
でも、小難しい説明やらを入れていくと、専門の人しか見なくなるようなそれこそ「原発作業員の為の教育ビデオ」みたいになりそうですし、いい塩梅だったのではないかと。
中操と現場と免震棟と電力本店と当時の無能政府のやり取りが余計に緊迫感を与えて最後まで見入ってました。
「最後に何とかしなきゃいけないのは、現場にいる俺たちだ」いい言葉ですね。今現在廃炉作業に従事している身としては頑張ろうって気になりました。
惜しむらくは、福島県以外ではあまり伝えられていないであろう今現在のFukushimaの状況をもっと伝えた方が良かったかなぁと思いました。
アメリカはなんでも知っている
分かっていることながら、いつも気後れしてしまいます。想像もできないほど大きな〝喪失〟を描いた『風の電話』の時と同じです。
私は、東日本大震災も、熊本地震も、西日本豪雨も、昨年の台風にも、その他大きな自然災害や事件事故にも幸いなことに直接的な被害は受けておりません。社会生活においても多少のパワハラを除けば、まあそこそこ無事に生きてきました。
被災者の方々の心情は想像することしかできません。しかもその後の時間が、回復をもたらすこともあれば、経済的な困窮や新たな偏見まみれの人間関係で更に心身とも蝕まれていくことすらあるということについても。
それでも、というか、それだからこそこのような映画が今、作られたことに意義があると思います。
普通の日常の仕事に携わっていた方々が、不意に訪れた未曾有の危機に、責任感と仲間への信頼だけを支えに命懸けで闘ってくれたことは誰も否定できない事実です。
クリント・イーストウッド監督が『ハドソン川の奇跡』で描いたものと共通するところがあります。
市井の人々の一人ひとりが持つ、仕事における当たり前のような責任感と結束が、いざという場面では一番の力になるという点です。
権力者のメンツや取り巻き連中の忖度は阻害要因にしかならない。私が東日本大震災に遭遇した時も、我が上司は本社からの指示がなければ何も出来ないままで「責任を取るのは俺なんだ、勝手に動くな」と連呼するばかり。遂にタイミングを逸し、多くの社員が帰宅難民となり、別の部署の上司は果断な決断で管理職以外の殆どの部下を早退させました。
被災者の方にとっては、許せないような描写があったとしても、危機管理態勢において、〝想定外〟という逃げ道を設けてはいけないこと、いざという時のリーダーの振る舞い方などを通じて、風化現象を一時的にせよ、停止させるだけ色々なことを考えさせられる作品だったと思います。
『Fukushima 50』という呼び方があったと初めて知りました。アメリカの駐日大使や駐留米軍の情報収集ぶりを見てると、スノーデンさんが明らかにしたように本当に日本の通信はすべて傍受されているのですね、官邸も大企業も。
だから、放射能漏れの状況把握を進める中で現場の人達の奮闘ぶりもほぼ正確に掴めたことで、官邸と東電本社の無能さにも関わらず、現場の人たちへは敬意を払い、Fukushima 50 という呼び名をつけたのではないでしょうか。
日本政府にとってはある意味、屈辱的な呼び名に感じられたため、メディアもあまり報じられなかったのか、東電に悪者以外のイメージを与えたくなかったのか。今も現場で廃炉作業に携わっている人のことを考えたら、もう少し切り分けて考えることも必要な気がします。
戦場の最前線
久々に思い出しました、あの当時の緊迫感。
単なる都内の会社の被災者ではありますが、3.11を東京で迎え、総務の仕事をしてたので、会社の対策本部にこもりっきり。刻々と流れるニュースを聞きながら、社内統制やら社員誘導やら被災対応で手一杯のところに、原発がヤバイというニュース、焦りはあるものの、どうにもならない無力感を感じながらも、目の前の安否確認や備蓄品の配布などを続けるしかありませんでした。当たり前が崩れた、非日常のやり方でなんとかしのいでました。
その時まさに福島で闘っていた原発最前線での苦闘は、ドキュメンタリーやドラマで後から知りましたが、実際に対応されていた方々には、改めて頭が下がります。東京電力の組織として、安全基準を決定した国としての過失はあれども、それをなんとかリカバーしようと努力した人達なくしては、被害はさらに甚大になったでしょう。
映画ですので、前線の男同士の友情を軸にドラマを描いていますが、これがまたわかっていても泣けます。本店に立てつきまくりの吉田所長役の渡辺謙、前線の指揮官役の佐藤浩市、古参のエンジニアの火野正平、みんなカッコいいんです。命をかけた戦場で戦っている姿を伝えようとしているのです。混乱を招く本店や官邸の指示も、後からは色々問題は見て取れますが、皆必死だったのは間違い無いでしょう。
結果の良し悪しはあるし、この映画の上映に複雑な思いを持っている人もまだまだいらっしゃると思います。けれども、当時自らを犠牲にして闘った人達の努力に対しては、敬意を表するべきかと思います。
現在のコロナとの闘いも、少しづつ当時のような戦場に近づいて行きそうな気配があります。そんなタイミングで本作を観れたことは、とても良かったと感じました。
日はまた登る
全425件中、361~380件目を表示