「実際の事故状況を知った上で鑑賞することが推奨される一作。」Fukushima 50 yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
実際の事故状況を知った上で鑑賞することが推奨される一作。
公開前後から本作の内容について賛否共に議論が生じています。
最も問題視されているのは、原子炉のベントが首相の視察によって遅れたかのように描写した場面です。確かに首相の視察が事故対応の遅れに繋がったという批判は当時から持ち上がっていましたが、その後の調査報告でこの二つの因果関係はほぼ否定されています。
こうした事実と描写の違いは作中のいたるところに散見されるため、本作に限って言えば、事前に題材となった福島第一原子力発電所の事故経過を調べた上で鑑賞に臨んだ方が良いと思います(ネタバレになるような要素はありませんし)。
本作の原作である『死の淵を見た男』の著者である門田隆将氏の政治的姿勢を批判するリベラル派の論客が多く、本作を「プロパガンダ映画」と見る向きもあります。確かに当時の民主党政権を揶揄するような描写もあり(佐野史郎演じる菅元首相は容姿が全く似ていない上に極めて情緒不安定な人物として描かれている)、政治色がないと言えば嘘になります。
しかし物語の主軸は大地震と津波、そして原発災害という未知の状況に対処せざるを得ない人々の動向に焦点が絞られており、『ダンケルク』などに類する「体験型映画」の側面から見るとすれば、作品の出来は決して悪いものではないと思いました。災害を考慮せずに原発という制御不可能な装置を作り出してしまったことへの批判も台詞として触れています(本作の描写は、責任の主体を不明確にしている、という批判も当然あるでしょうが)。
原作では重要免震棟と中央制御室、そして原子炉との位置関係が分かりにくく、それぞれでどのような対応が行われていたのか、除染などをどのように行っていたのかを想像するしかありませんでした。本作がそれらを(できるだけ現実の状況に忠実に描写していると仮定して)映像として見せてくれたことで、事故状況の理解が一層深まりました。画面の緊迫感も非常に高く、水素爆発の場面では現場の人々と同様強い絶望感に襲われるほどでした。
作品の臨場感を高める上で、渡辺謙、佐藤浩市をはじめとした多くの俳優の演技が大きく貢献していました。特に佐藤浩市の無精髭にまみれやつれ果てた表情は鬼気迫るものがあります。日本映画でありがちな、登場人物が心の内を全て台詞で話してしまう、という演出上の悪癖についても、かなり抑制されていた点も好感を持ちました。
このように、映画作品としては決して低い完成度ではないと思いました。しかしながら本作が描いた状況に関しては、かなり相対化して見る必要があります。原作の描写に寄りすぎて事実検証を疎かにしている点を差し引いて、今回の評価としました。
※追記※
なお、事故当時首相を務めた菅直人氏は、比較的本作を評価しています。自身をモデルにした劇中の首相が一種戯画的に描かれていることも含めて、「そういった振る舞いもあったかも知れない」と概ね許容しています。しかしながら前述のベントを巡る状況、東電本店で職員の待避を拒絶した下りなどについて、虚偽ではないが幾つか省略されている部分がある、と指摘しています。こうした議論については、菅氏のブログやインタビューからうかがい知ることができます。