「子供の時以来のドラえもん映画、映画のメッセージに感動」映画ドラえもん のび太の月面探査記 ひよこ准尉さんの映画レビュー(感想・評価)
子供の時以来のドラえもん映画、映画のメッセージに感動
辻村深月さんのドラえもん小説が原作と聞き、小説を読む前に映画を見ようと、ワンニャン時空伝ぶりに見に行きました。
大人になって見てみたドラえもんの映画、子供の頃だったら絶対に気づけないこの映画のメッセージに感動し、勇気づけられました。
この映画は、短い人生の時間の大切さ、想像し、創造する大切さを教えてもらいました。
この映画の序盤に注目して欲しいので、大まかな流れを書きます。ネタバレ注意です。
映画のはじまりは、月面探査機が捉えた謎の物体を報じるニュースでした。
学校に着くと、小学生達が論争をしています。カメラに付いたゴミ、エクトプラズマ、宇宙人、そしてのび太が唱えるウサギ、色々な説がぶつかります。素晴らしい想像ですね。
しかし、のび太の想像だけが笑われてしまいます、しずかちゃんにも、ドラえもんにも。
それでものび太は認めず、月にうさぎはいるはずだ、と自分を曲げません。
それを見かねたドラえもんは、異説クラブバッチという道具を出します。これは、バッチを付けている人だけ、異説を本当の定説にするバッチですね。これを使い、月の裏側文明説という異説を本当のことにして、月の裏側には空気があり、生物が暮らせる環境にしました。いざ、文明作り、草木を生やし、ムービットといううさぎを作り、その日は帰宅しました。
次の機会に行ってみると、草木で生い茂っています。中に入ってみると、ムービットを発見、でも怖がって逃げていきます。なぜでしょう、昨日あんなに嬉しそうに手を振って別れたのに、次来たら怖がって逃げてしまってます。彼らの巣に行くと、子供を作ってました。でも彼らは一匹も怖がって出てきません。
ドラえもんとのび太が、家の作り方、火の起こし方、餅の作り方を教える内に心を開いたムービット達は、ドラえもんを神のように崇めるようになります。その日はこれで終了。
次の日に、いつもの3人と転校生のルカを連れてまたムービット達のもとへ、するとどうでしょう、立派な建物が出来上がっています。現代技術もビックリです。この短時間でムービット達は更に文明を発展させていました。
少し省略します。色々あって、ルカも月に住んでいるエスパルという種族だと明かされます。この辺は映画をみて頂いた方なら省いても大丈夫でしょう。一方のエスパルが作った文明は、エーテルというすごい力、1000年と言った長い時間があっても、鍛治をしていたり、家事も原始的なものでした。ドラえもんもこれには「どうしてこんな力があるのに発展してないんだ?」と疑問に思っていましたね。
以上が序盤の流れです。そして、この序盤こそがこの映画の伝えたい場所であり、終盤にどんどん紐解かれる謎の部分でもあります。
ここから私の考察と感想になります。
まず、異説クラブバッチを出すくだりの中で印象深い言葉がありました。定説は異説から出来たという意図のセリフです。かつて地動説を唱えたガリレオも、異端審問の裁判にかけられてものび太のように自分を曲げませんでした。いつだって文明を築いたのは人々の知恵であり、想像です。私は大人になる過程で、定説に囚われている自分に気が付きました。例えば、ドラえもんなんて出来るわけがない、どこでもドアなんて出来るわけがない、それが私たち大人の定説です。でも、その定説が覆るかも知れないですね。この映画を見る大半は、次の世代を担う子供達です。作者の辻村さんは、定説に囚われず、想像し創造を続けて欲しい、そしていつか藤子不二雄さんの描いた22世紀を実現して欲しいという願いを込めたのかも知れませんね笑
ラスボス戦でも、ドラえもんは「そうぞうをやめたら、破滅するだけだ」と叫んでいたのを思い出します。普通に考えれば「創造」ですが、私はあえて「創造」と「想像」、二つの意味で捉えたいです。
そしてムービットとエスパルですね、流れの部分では、文明の発展速度の違いについて触れました。ムービットが怖がって逃げて、巣でも一匹も出てこないシーンがありました。これは最初の2匹がいればありえない事ですね。私はこのシーンから最初の2匹は子孫を残し、死んでしまった後であると考えました。つまりムービットはものすごく短命なのです。しかし数日間で現代技術もビックリな文明を築き上げて、ノビットに関しては、機関車とひみつ道具級の異説クラブバッチの逆の効果を持つ定説クラブバッチを作り上げています。
一方エスパルは、1000年という長い期間とエーテルという凄い力を持ちながら、原始的な暮らしをしていました。ドラえもんも疑問に思っていましたね。唯一凄いものといえば空気を作り出す機械ですが、あれは脱出船の機能でしょう。つまり彼らは長く生きていながら、全く文明を発展させていなかったのです。
相反的な2つの存在と文明、何故そうなったのか、最終シーンのルカの言葉に紐解く鍵がありました。ルカは人間のようになることを望みました。不老不死を捨て、エーテルという凄まじい力を捨て、普通の人間になることを。当然のび太達から何故?の声が上がります。私も何故?と思いました。しかし、次にルカが言ったセリフ、「限られた寿命だから、大切に、そしてパワフルに生きる事ができる」という言葉です。一言一句合ってはいないですが…こうした意図のセリフですね。その時に私の中で全てが繋がりました。ムービットは短い命を一生懸命生きたからこそ数日間であれだけ発展したのだと、逆にエスパルは不老不死を持て余していたからいつまでも発展しなかったのだと。
人の人生も約80年です。長いか短いかは人それぞれだと思います。でも、今までの人生、終わって見ると短いと感じてしまいますね。後悔がかなり残っています。きっと辻村さんもそう感じてると思っています。皆さんも、そう思いませんか?だからこそ、今の子供達は、一生懸命に生きて欲しいと想いを込めたのかも知れませんね。自分の人生を振り返って、私ももう少し一生懸命生きてみようと感じました。
以上が私の考察と感想でした。稚拙で長い文章で申し訳ないです。もしよければ皆さんが映画で感じた事、思ったこと、考察、反論などがあれば教えてください。