女子高校生と不治の病 絶対に比較対象となってしまう「君膵」
様々な議論があったであろう配役の北村拓海くん 見る誰もがそこに焦点が行ってしまい、結果それが議論となってしまう是非。
それを狙っているのだとしても、それがなければ見てもらえないかもしれないという不安の裏返しという指摘は拭えないような…。
さて、
発光病で余命「ゼロ」の渡良瀬まみずの家族に関する設定は良かったと思う。
岡田卓也の母は、娘メイコの交通事故死を自殺だと考えている。
メイコは卓也のクラスメートの香山の兄と付き合っていて、その兄も発光病で死亡した。
メイコはその気持ちをある本によって助長されていた。本に書かれていたのが「愛するものが死んだら、自殺しなければなりません」
この群像になっている部分の描写が薄く、岡田家の喪失感も薄いのが残念だった。また、香山の兄が発光病でなければならない理由が見つからない。
そしてやはり「死ぬまでにしたいことリスト」を作るという設定は、どうしても「君膵」と被るものの、内容はよくできていた。
メイドカフェのバイトは、リコちゃんの微妙な恋愛感情が表現されるが、その部分の脚本の修正はあってよかったのではないかと思う。リコ役に今田美桜ちゃんを使う必要性に疑問が残る。
ただ、スマホを使いしたいことリストの場所を中継していたのは良かった。ロミオとジュリエットのお芝居にもその手を使ったのも正解だ。
また、まみずの父が「娘さんを下さいって、言ってみてよ」と、言わせた後「一発殴らせろ」と言いながら泣くシーンはひどく共感した。
「ただ死ぬのを待つのであれば生まれてこなければよかった」と、どうしても告知されても実感がわかない間に感じることは誰にでもあるのだと思う。
それが、卓也と出会ったことで「変わった」ことこそが、この作品の新しさだろう。
一見変哲のないことだが、まみずが「生きて 私がいなくなった世界について、君の中で生き続けている私にそのことを教えてください」というセリフは、とても新鮮に聞こえた。
新鮮とは「嘘」がないこと 心からの言葉 言霊がそこに光っていた。
まみずが卓也に残したメッセージもよかった。特に「葬式には必ず来てほしい。そして私が彼女だったということをクラスメートに言ってほしい」という純粋な言葉に胸が打たれた。
何気なく背景に映された火葬場の煙突の煙がリアル感を演出していた。
そして、
「短くても、生きる喜びが欲しい」というセリフにも言霊が光っていた。
死の間際でも感じる「幸せ」 「幸せになってね」 「愛してます。愛してる」
昔「愛」とは動詞だと習ったまま、いつもどこかにそう思って疑わなかった自分がいたが、死の間際に言う「愛」とは、おそらく自分自身が幸せであったことの別の言い方だったのかもしれない。出会ったそのものを素直に受け入れることができた幸せ
色紙の裏にまみずが書いた「私は私のままでよかった」のは、父も、母も、恋人もいた幸せで、それを持っている自分自身への最高の満足感を表現したのだろう。
冒頭のシーンは、3回忌だろうか? それにつながる最後のシーンでまみずの父が何気に「医大生は…」と言ったことから、卓也は発光病を完治させる志を持ったのだろう。
本当かどうか、本音では疑わしい 信じたくない「死」を受け入れていく物語が「君膵」であるのに対し、すでに彼女は死んだことから始まるこの物語は、死の間際でも感じる「幸せ」に焦点を当てている。その点の新しさが素晴らしかった。
そう考えると、北村拓海くんを配役したのは、議論させるためではなく、この焦点の違いから「比較させる」ためだったのだろうか。
見終わって妄想するとこのあたりの余韻が残り、堂々と「君膵」と比較対象が楽しめる作品だと確信した。