グリーンブックのレビュー・感想・評価
全176件中、1~20件目を表示
車内の前後の位置関係が、まったく異なる二人を優しく近づける。
〇作品全体
生まれも育ちも、人種も、性的嗜好も、何もかもが異なるトニーとシャーリー。旅の序盤、すでにトニーは妻ドロレス宛の手紙で「シャーリーとはウマが合いそうだ」と綴っている。しかし、黒人に対して差別意識を持つトニーにとって、シャーリーと長時間同じ空間に身を置くというのは、やはり簡単なことではなかったはずだ。
そんな中で、ひとつ印象的なアクセントとなっていたのが、車内での“前後”の位置関係だった。
旅の大半を車内で過ごす二人の会話は、必然的に前席と後部座席という“前後”の構図になる。この位置関係では、肌の色や所作といった“育ち”の違いが、視界に入らないぶん薄れていく。たとえば、膝掛けを上品にかけるシャーリーと、人の分のサンドイッチまで食べてしまうトニーの「育ち方の違い」は、カメラを通せば一目瞭然だが、二人にとってはお互いの視界に入らない。後部座席のシャーリーから見れば、トニーが「不衛生」に食べるフライドチキンの姿も直接目に入ることはない。
視線を合わせないからこそ、真正面で対峙する緊張感が和らぐ。相手の許容できる部分はそのまま受け入れ、許容できない部分については本音を出して衝突することもできる。行く先々で「黒人であること」を突きつけられる世界で生きるシャーリーにとって、その空間は肌の色に囚われず、しかも一人ではないという点で、初めて心を開ける場所になったのではないかと思う。
トニーにとっても、見えているのは前方の景色とバックミラーだけ。話すとき、人種を意識するような視線のぶつかり合いはほとんどない。すぐ頭に血がのぼる性格だが、用心棒としての働きぶりや、家族との関係を見る限り、自分勝手な人物ではないことは明らかだ。
少し主観になるが、映画作品において「嫌々仕事を引き受ける」動機は、ネガティブな事情に基づくことが多い。家庭に問題がある、過去に過ちを犯した、などだ。本作でもトニーが「やりすぎた」ことで仕事を失ったという背景はあるが、最終的に旅に出る決断をしたのは、ドロレスの承諾があったからだ。順調な夫婦仲をより強くする、というポジティブな物語線が存在する点が好ましい。そして、トニーがただの乱暴者ではなく、“家庭に責任を持つ男”であるという描き方にも好感が持てる。
話がやや逸れたが、トニーが「2時と10時でハンドルを握る」と語る姿勢には、責任感と、それを時折裏切るようなユーモアが込められている。この運転席という位置こそが、彼のキャラクターと物語のバランスをとっていたように思う。
そもそも二人が対面で視線を合わせるシーンは、車外でさえ稀だ。レストランではシャーリーが新聞に目を落とし、手紙の書き方を教える場面でも、シャーリーは横を向いているか、トニーの周囲を歩いている。宿泊時の会話も、ベッドに横たわりながらのものだった。
このように“ひとつクッションを置いた”距離感のある会話が積み重なっているからこそ、真正面から視線を合わせて交わす言葉には、大きな意味が宿る。たとえば、石を盗んだトニーをシャーリーが咎めるシーン、あるいは浴場で警察を買収した後の駐車場のやりとりがそれにあたる。心の距離を縮めるときは目線を外して柔らかく、ぶつかり合うときは真正面から――。この映像的な緩急が、二人の関係の構築に欠かせない要素になっていた。
Wikipediaを覗いてみたら、この映画が「白人の救世主」ものの典型だとする意見があった。確かに、その指摘も理解できる。ただ、そう断じきれない感覚もある。なぜなら、二人が車内で“前後”に位置し、肌の色や所作が直接的な意味を持たない空間に身を置いていたからだ。その空間においては、“誰が救うか”ではなく、“どう向き合うか”が主軸となっていた。だからこそ、自分はこの映画にただの感動以上の何か――静かで強い友情の物語として、強く惹かれたのだと思う。
〇その他
・終盤、黒人が集まるレストランでシャーリーがピアノを弾くシーンがすごく良かった。孤独から脱却する一歩、みたいに映るし、今までシャーリーがやってきたことは間違いじゃなかった、といような肯定感もある。
おっさんには、オスカーの凋落と打算しか本作には見いだせなかったよ。
去年のアカデミー賞はマイノリティ、ダイバーシティヨイショの極端な過敏反応のせいで、クソみたいな同人誌映画「シェイプ・オブ・ウォーター」が受賞した。
もちろん前向きに見ると、「初の怪獣映画のオスカー受賞、イエイ」といえなくもないが、ただ単に、オタクが会員層の大部分を締め、「難しい」映画を理解できなくなったとも言えなくない。
そんなこんなのアカデミー賞の今年の結果はどうかと言うと、案の定の、会員があたかも全員一斉に集まって、消去法で決めたかのような、各部門の受賞結果。
もはや映画の内容、映画のデキには目を向けず、マイノリティ、ダイバーシティヨイショだけが選考理由。
結果、あげるべき人にあげてないくせに「ダイバーシティ」だとほざきやがる。
アカデミー賞は、業界人による、内輪の賞だが、もはやこんなももらって嬉しいか?というほどに、権威は失墜したと思う。
そんなことがはっきり見えたのが、この
「グリーンブック」
・
・
・
「既視感」というには、あまりにも退屈すぎる。ここで繰り広げられる物語は、表面上で起こったことしか見えない。というより、見せていない。想像力の欠如とでも言おうか、登場するキャラクターの背景が全くと言っていいほど、表面的だ。
ああ、脚本家の一人に、主人公の息子がいるからか。
もちろん、彼にとって父親である主人公は「ヒーロー」である。だがあまりにも物分りが良すぎる。まるで、事の流れに逆らわないように。
ドクに、「自分にしかデキないことをしろ」、というが、そんなキャラだったか?
そもそもドクが天才なのは誰でもわかるかもしれないが、彼がそこまでドクに「仕事以上」に心を通わせるのがわからない。
手紙?手紙の反応がトニーに戻ってきた描写はない。
plainとplaneのしょうもない話はともかく、主人公の「美しい平原広がる南部ツアー」の結果が黒人と仲良くなっただけなのも、ロードムービーの体をとってるくせに、つまらなすぎ。
ドクのほうも、全くと言っていいほど、ペラペラのキャラクター。
ちょっとだけホモネタ入れちゃう?とか、どうせ、そんなノリだろ?
南部に行く理由も、「勇気ある行動」で片付けられる。
勇気を示す理由は何よ?そして、そもそも散々引っ張った兄貴の件はどうなったんだよ?
つまり、こういう設定だったら、オスカー取れんじゃね?こういうシーン入れときゃオスカー取れんじゃね?ということしか考えていない映画。
グリーンブックというタイトルも、止まった場所に何かあるわけでもなく、地域性だって、ケンタッキー・フライド・チキンだあ?子供の映画か。(当時のクソ不味いアメリカのKFCをニコニコ食べる二人をギャグにしているのかもしれないが)
「グリーンブック」ってタイトルつけときゃ、アイロニックな感じが出るでしょうみたいなのりだったんだろうが、全く機能していない。
クライマックスに、黒人で溢れるBARでドクの演奏するシーンが有る。トニーが黒人限定BARに入るところこそが、本当は一番ドラマなはずなのだが、そこはお前ら、スルーかよ。
トニーが黒人限定なBARに入る、これこそまさに「『逆』グリーンブック」。
これで評価されるならまだ分かる。
追記
唯一の笑いどころは、銃を実際に持っていたところだけ。だが、これだって相当やばい「ネタ」なのに、もっと高いレベルの笑いにまで昇華できたはずだ。
結果、黒人をダシにして、主人公がお金を稼いで、物分かりのいい性格になり、手紙を書くのが上手になりました、っていうだけの映画。
クリスマスに観たくなるヒューマンドラマ
旧き良き80年代のアメリカと黒人差別を扱った実在人物のドキュメンタリー映画。
対照的な移民白人用心棒と黒人ピアニストのロードムービー。
当時のアメリカの世相や移民や同性愛に黒人への差別などが知ることが出来る。
「グリーン・ブック」という”黒人専用宿泊ガイドブック”はこの映画で初めて知った。
テンポ良く物語は進み、なぜカーネギー・ホールに居住する著名ピアニストが人種差別が強い州にツアーに出向くのか?
物語が進むうちに2人の価値観の違いから相手を尊重し、価値観を受け入れて(白人側が)変わっていくのが良い。
白人主人公の粗暴な振る舞いを諫める知的な黒人ピアニスト。
かなり好きなシーンが多い。
各州で全くそこに居住するアメリカ人の気質が違うことに「日本国土並みに州が広く、州がの集合体=アメリカ」がよくわかる。
半分は移動シーンだが、スパイスとして様々なトラブルに遭遇する。
ピアノ演奏シーンは神秘的でもあり、ミュージック映画としても秀逸。
クライマックスのJAZZ演奏者とのセッションでは楽しそうに演奏するシーンは音楽の素晴らしさを再認識させられる。
また白人主人公が愛する妻への手紙に黒人ピアノマンが代筆(口述)して、淋しさを癒す素敵なシーンがある。
視聴後「最高の人生の見つけ方」と同じ気持ちになるのは「お金持ちだけど孤独な黒人ピアノマン」と「親族多数でクリスマスを祝う白人主人公」の場面に黒人ピアニストが現れて妻の心からの御持て成しのシーンがグッとくる(知的で魅力的な手紙の相手だと理解しているから)
最期は両主人公がハッピーエンドで〆るのが視聴後暖かく誰かに親切にしたいという気持ちになる。
一度見てBlu-rayを買ってしまった。
身を守るための人種差別
差別する側の主張が聞けて斬新でした。いじめてやろうとかそういう単純な話ではなくて、コンサートで呼んだホテルの主張としてはお客様に配慮して差別しておかないと、今度はホテルの評判が下がるので、仕方なく差別してるとのことのようでした。黒人の方は長いこと戦って、犠牲を払ってやっと今の地位を手に入れたんですね。我々東洋人はまだこれから戦って、血を流して犠牲をたくさん出しながら戦い切るまでは差別され続けて当然というふうに思われてるのかもしれないと気づきました。終盤主人公たちもおまわりさんは不当な仕打ちをしてくる生き物だと学習し、会ってすぐ見た目でそう判断していたし、、、差別や偏見は人間の身を守るための防御反応と結びついているんだとしみじみ感じました。
肩の力を抜いて観賞すれば良質なコメディ
事前情報から、伝記映画として観るには難があるような印象を受けたが、実際に観賞してみれば、娯楽映画として十分に楽しめた。対称的な二人が旅を通じて変化していく様が痛快に描かれている。緊張の場面と緩和の場面がテンポよく切り替わり、飽きることなく最後の最後まで楽しめた。アカデミー賞という権威的な看板はこの作品には不要だったのかもしれない。
粗野と優雅の完璧なハーモニー
一言で言うとタイトルの通り、二人が少しずつ調和していく旅と友情の物語だ。
二人を演じたヴィゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリが最高で、「粗野なトニーと優雅なドン」のコントラストから繰り出されるスットコドッコイなコミカル・ロードムービー。
で、非常に満足したわけだけど、なんか変に黒人差別の描き方に苦言を呈してるレビューを見かけて逆に驚いた。
もちろん、ベースとして人種差別が描かれるわけだけど、「可哀想な黒人を白人が助ける話」みたいな見方しか出来ないのは勿体ないとしか言いようがない。
という訳で長くなっちゃうけど解説めいた事を書く。
作中でドン・シャーリーが抱える思いは複雑だ。ドンは小さな頃からピアノに親しみ、才能を開花させて一流のピアニストになった。
彼が住むNYはリベラルの最先端で、街には黒人以外にもあらゆる人種が往き来し、アジア系の姿も目立つ。
カーネギー・ホールの上でインド系のサーバントにかしずかれ、王のような椅子に座るドンは物腰柔らかく優雅で、知的で、「ザ・上流階級」。
そんな彼が、南部へコンサートツアーに出るという。リベラルで清潔で安全なNYから、差別の色濃く残る南部へ。黒人だ、という以外に彼を定義する尺度を持たない土地へ。
それは一体何故なのか?それこそがドン・シャーリーの抱える複雑な思いに直結する。
一方、橋を渡ったブルックリンに住むトニーはイタリア系移民で、都心郊外の治安の悪い地域出身らしく、腕力と小狡さを活かしたその日暮らし。嘘ではないが真っ当でもない巧みな知恵で金を稼ぐ。ボクシングやってないロッキー、喋りが達者なロッキーである。
ガッツォさんみたいな、イタリア系を仕切ってるオッサンも勿論いる。なんてことを考えてたら、ホットドッグ早食い競争の相手の名前が「ポーリー」でちょっと笑ってしまった。
イタリア人街の結束は強く、何かあるとすぐ集まる。その中心はトニーだ。もちろんお昼はミートボールスパゲティ。
ブルックリンで生まれ、ブルックリンで育ち、「イタ公」と呼ばれ、気に入らなければ殴り、同じ境遇の仲間とつるむ。きっと息子たちも自分と同じように生きていく。その事に何の疑問も違和感もない。それがトニー・リップだ。
そんなちぐはぐで対照的なな二人が、「旅」という密接な時間を共にすることで生まれていくお互いへの理解が面白いのだ。
「黒人」も「イタ公」も差別を受ける側だが、二人は全く違う。ドンは知的で冷静な振る舞いを通して、一人の真っ当な人間として扱われることを期待し、トニーはある程度の事には目をつぶりつつ、限界を超えれば暴力で解決する。
「黒人の好物はフライドチキン」に抵抗するドン。「イタ公はミートボールスパゲティ。その通りだ」と開き直るトニー。
「旅」は予期しない一面も覗かせる。危ないから一人で出歩くな、とトニーに言われていたドンが一人で向かった先は、今風に言うならハッテン場だ。
見た目は黒人、だから白人世界には溶け込みきれず、中身はリベラルのインテリ、だから黒人世界では居場所がないと感じ、性的マイノリティ、だから「私は男だ」という帰属さえ脆い(当時の感覚ですよ。あくまでも)。兄と疎遠になった真の原因もその辺りにありそうだ。
自分は一体何者なのかと問うドン。自分はこういう人間だと説明できるトニー。
魂の安らげる国を目指して、この国を変えようとしている大統領に望みを託して、自分もその変化に貢献するために、あえて南部へと旅立つ。勇気だけが世界を変えられる、それがドンの旅の理由だ。
心を映し出したような土砂降りの雨の中、理性の下に隠してきたドンの叫びは、ドンにとってあまりにカッコ悪く、本当だったら誰にも見せたくない姿だっただろう。だが、「旅」はそれを許さない。
一夜明け、不用意な外出を謝るドンにトニーがかけた一言がシンプルなだけに心に響く。
「人間は複雑だからな」
多分この一言が、二人の絆を更に強める切っ掛けになったのだと思う。「ありのままで良いよ」という態度が、弱っているときどんなに有り難いか。
クリスマス前に家に戻るべく、雪道を走る車を警官に停められる。この旅二度目の出来事で、トニーも辟易している。
この警官が優しかったことをご都合主義だ、と思う?これはクリスマスの奇跡。パワーストーンの力と合わさって、二人に舞い降りた祝福なのだ。
最後に。トニーの家族の前に姿を現したドンは、世界を変える為ではなく自分の為に、勇気を出して行動した。「淋しいと思った時は自分から行動しなくちゃ」というトニーの言葉を信じて。
そしてその勇気は、旅の間送り続けた「交響曲とブリキ太鼓のハーモニー」を心待ちにしてくれていた人の感謝の言葉、という最高のクリスマスのプレゼントを与えてくれたのである。
みんなに見て欲しい映画…トニー好きだなあ
すごく良かった…
トニーがいいのよ…ドクとの友情があったかいんだよね。
久しぶりに涙腺こわれたなあ。
レストランのピアノのシーンとか、最後にドクが訪ねてくるシーンとか、自分史上最高にジーンときました。
道徳の授業で流してほしいなー
差別や背景に対する事前知識は必要な映画
最近よく名前を見かけるこの映画
ついに見たがとても良かった
しかし、この映画で表している差別の背景や当時の状況を理解できないと、とても薄っぺらい友情物語と感じて終わってしまう側面もあると感じた
差別の少ない日本で生まれ育った私たちには理解できないことの方が多いが、この時代背景では法律で差別(区別)される程度には白人と有色人種を分けるのが普通だった背景がある
本編の話に移ろう
いろいろな表現があったが特に秀逸だったものを上げていきたい
ケンタッキーの描写は黒人はフライドチキンが好きというステレオタイプな考え、そしてそれを食べたことのないシャーリーと他の黒人との違いを表すには良い表現だと思った
晩餐会の場面でフライドチキンが出てきて、苦笑いをするシャーリーは悪意のない差別を味わったことだろう
きっと白人の支配人は黒人だからフライドチキンが好きだろうというステレオタイプ的な考えからそれをメインディッシュにしたのだろうと思う
YMCAで白人男性と共に警察に拘束されてトニーに助けてもらった後「今夜だけは知られたくなかった」という発言も
YMCAが同性愛者の文化と密接だった点
黒人とゲイという二つのマイノリティを抱えるシャーリーがトニーと折角築いた関係が壊れるかもしれないと思い、隠したかったと見てとれる
今の時代大っぴらにいう人は少ないかもしれないが黒人、さらにゲイへの差別はいまだに根強く残っていると感じる
それが法律ですら黒人を差別していた1960年代では余計だろう
この背景への理解がないと、「セクシャルマイノリティを出せばいいと思いやがって」と言った浅い感想になるのも仕方がないと思う
個人的に好きだったシーンはシャーリーがオレンジバード(演奏会を断った後に行った黒人向けの飲食店)で行なった演奏シーン
その前のレストランでのシーンでシャーリーがトニーに向かって「お前がいうなら演奏する」と言った言葉も重要な意味を成していると思う
この物語で何度も耳にしたスタインウェイのピアノ
シャーリーはこのピアノでしか演奏しないというこだわりがあったものの、オレンジバードでは友人のトニーに促されて"酒の入ったグラスの置いてある"バーのピアノで演奏を始める
スタインウェイでしか演奏しないというこだわりを持つシャーリーがトニーの進めで"上流階級ではない黒人"の前で楽しそうに演奏をするこの対比はとても素晴らしい
スタインウェイでしか演奏をしないこだわりを捨て、今まで演奏していた場所とは真逆の環境で楽しそうに演奏するシャーリーからはトニーと育んだ友情や新たな側面が見えたとおもう
ただの色ではなく、様々な色が散りばめられたこの映画はいろいろなことを考えさせられる良い作品でした
P.S.
シャーリーに何が言いたいのかと言われそうな文章で失礼
常識という敵と戦う映画
常識という敵と戦う映画
その常識の象徴がタイトル「グリーンブック」なのだろう。
1960年代のアメリカそこに根付く差別意識がどういったものか
またそれをどう受け入れ変えていくかを描いた作品
大きく世界を変えたわけではないが、
個人と、登場人物の手の届く周りへ変化を与える様子を丁寧に描かれている。
はじめはかなり差別主事として主人公は描かれるが、
出会いをきっかけに人種を受け入れていくさまが描かれるが、
このキャラクターは常識がずれているので、
今までかかわりがなく知らなかっただけで、
知り合いになれば、
簡単に受け入れるといった性格であったので、
受け入れる者の変化という曲線は描いていないが、
本当はかなりの差別というものがこういった形で起きているのだろうなと考えさせられる。
また、この作品の優れた部分は、
差別という孤独を抱えるサブ主人公のキャラクターが、
特殊な才能ゆえに差別される側にも受け入れられず孤独を抱え
さらに、差別主義者達の中でのし上がる彼はそこでも孤独を抱えるといった
3重苦に陥っている点である。
あらゆる場所で孤独を抱える彼は、
世界を変えようと、差別を耐え努力するが実らず苦しむ。
そんな彼が自分自身の出自を受け入れ
最後、主人公の家族に受け入れられるという
小さな変化を感じられてきっと
幸せだったろうと思わせる最後になっていた。
本当はサブ主人公が抱える問題は、
もう1つあるが、それはあまり重荷として作品の中で描き切れていなかった。
また、上記のような
粗雑だが、自身の価値観をきちんと持ち、
目で見たことを信じ、常識を簡単に捨ててしまえる主人公と、
迫害されるため、自身のコンプレックスを隠し、
世界に併合しながらも変えていきたいともがくサブ主人公
といった形で、あらゆる点で、コンビを対比させることによって
この2人の会話が常に危うさを持っており、見ていて飽きない工夫を入れられている。
自分的には、とても楽しく見えて大満足に思えたが・・・
ピーター・ファレリー監督による2018年製作(130分/G)アメリカ映画。
原題または英題:Green Book、配給:ギャガ、劇場公開日:2019年3月1日。
1960年代米国が舞台で、黒人差別が著しい南部を黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と運転手で用心棒のトニー・リップ・バレロンガ(ビゴ・モーテンセン)が演奏旅行を行う。相容れない二人が、次第に信頼関係を構築していくという典型パターン的な展開であったが、黒人差別、同性愛、夫婦家族愛に、いけてるジャズの音楽映画としての要素が加えられ、大いに楽しむことができて大満足であった。
ピアノ演奏の実際は、マハーシャラ・アリではなく音楽担当のクリス・パワーズが弾いていたらしいが、まさにクラシック素養があるジャズピアニストという演奏で、とても良かった。トニーの妻への手紙文面をシャーリーが考えてあげていて、実は妻もそれが十分に分かっていたとのラストのオチも見事だと思った。
トニの息子ニック・バレロンガが製作に加え脚本も担当し、暖かくてとても良い印象を抱いた。しかし、ドクター・シャーリーの家族には、友情関係や孤高の天才描写等は事実と異なるとクレームを入れられている様で、あくまで白人側からの黒人との友情の作り物と見えたということらしい。そこはマイナスポイントであるかも。
監督ピーター・ファレリー、製作ジム・バーク、 チャールズ・B・ウェスラー 、ブライアン・カリー 、ピーター・ファレリー 、ニック・バレロンガ、製作総指揮ジェフ・スコール 、ジョナサン・キング 、オクタビア・スペンサー、 クワミ・L・パーカー 、ジョン・スロス 、スティーブン・ファーネス、脚本ニック・バレロンガ 、ブライアン・カリー 、ピーター・ファレリー、撮影ショーン・ポーター、美術ティム・ガルビン、衣装ベッツィ・ハイマン、編集パトリック・J・ドン・ビト、音楽クリス・バワーズ、音楽監修トム・ウフル マニッシュ・ラバル。
出演
トニー・“リップ”・バレロンガビゴ・モーテンセン、ドクター・ドナルド・シャーリーマハーシャラ・アリ、ドロレスリンダ・カーデリニ、オレグディミテル・D・マリノフ、ジョージマイク・ハットン、セバスティアン・マニスカルコ、P・J・バーン。
オールタイムベスト級❗️
人種差別をテーマにしているけど、そんなに暗い感じになってないのが良い。(もちろんズンっとくるシーンもあるが)
明るくてガサツなトニーと、神経質なドン・シャーリーとのかけ合いがどこかコミカルで楽しい😆
特にお気に入りのシーンは、ケンタッキーを食べるシーン。
思わず顔がほころんでしまう最高のシーンだった❗️
定期的に見直したくなる愛おしい映画になりました😊
心温まる展開とアメリカの美しい自然
トニーとドクターが最初はお互いの距離感を凄く感じておいおい2ヶ月も一緒に仕事できるのかよ…って思いましたが、ぶつかり合いながらお互いの理解を深め最後にはリスペクトし合ってるのが凄くジーンと心温まりました。
道中の車が走ってる映像も美しくてアメリカをロングドライブしている気分になりました!
それと後半のシーン。パトカーにまた止められてうわー…またかー…と思っていたらパンクを教えてくれた優しいお巡りさんでした。ここも好きなシーンです。そして吹雪の中車を走らせてるシーン(ここもめちゃくちゃ好き)からトニーの家にドクターが来てみんなで歓迎してるところがもう本当に心温まる…😭
良すぎる
良すぎる〜2人の組み合わせが良すぎる
生半可な精神力では心を病んでしまうような体験を繰り返してなお、南部でのツアーを決め舞台に立つドクの精神力と信念が本当に強い。そんなんできない。
何がそこまで彼を動かすのか、何が原動力になっているのかもっと知りたいと思いました。
ずっと孤独だったドクがレストランで黒人社会に受け入れられるシーンや、最後白人のトニーの家族に歓迎されるシーンは本当に…涙…。ありがとう…。
トニーの自分に正直でまっすぐな人間性もよかったです。
肌の色で決めるのではなく、しっかり1人の人間としてドクに向き合い、純粋に評価していることが伝わってめちゃめちゃいい奴だな!と思いました。
家族やドクなど身内への愛が大きいところもいいですね。
ポイ捨てするし窃盗するし身近にいたら絶対嫌ですけど。
不憫なミュージシャンとワイルドな相棒
実話に基いた話。ドライバー兼用心棒を務めたトニーとピアニストのシャーリーが2013年まで友人であったことにも感動。トニーは最初、黒人に対して毛嫌いしていたけど、シャーリーに会ったことで黒人に対して毛嫌いではなくなっていく様子と頑なに自身の存在を律する事ばかりに囚われていたシャーリーが徐々にトニーに打ち解けていく様子が見どころ。
世界は醜い、でも時々美しい。
心痛む描写は多い。
最初トニーは差別主義者の気難しい粗忽者かと思ってたけど、ドクを守るトニーの姿にだんだんと印象が変わっていった。おしゃべりででたらめで気の強いトニーはなんて頼もしいのかと。
他の車から見られた時、トニーが中指立てるの最高だった。
ラスト、自分を差別する支配人に対して誇りを貫いたこと、その後のバーでクリスマスパーティよろしくシャーリーの音楽を披露して盛り上がったところ、泣いた。
持ってないと言っていた銃を持っていたところ、雪の中出会った警官は差別しなかったところもいいオチ。
ドク(シャーリー)からクリスマスパーティに参加したことも、ドクとトニーはお互いに刺激し合い人として変わったんだと思わされた。
希望の持てるいい終わり方だ。人よ、見えるもので決めつけるのはやめよう。優しくあろう。
アメリカの光と影
古き良きアメリカの雰囲気を伝える、サウンドトラックと美しいアメリカ南部の車窓風景、その対比を成す根強い黒人差別をベースに、白人と黒人を超えた友情を全面に出した映画だった。
これが実話に基づいてなければ読み飛ばし、見逃してしまいそうなベタな演出と演技も、繰り返される淡々とした二人の関わりを見続けてると、ああコレで良いんだと肯定できるものがあった。
タイトルなし(ネタバレ)
『グリーンブック』この映画は、アカデミー賞作品賞・脚本賞他も受賞した、是非観るべき一本だと思う。実話であるということも、たいへん興味深く、大きな意味を持っている。タイトルの『グリーンブック』とは、実に爽やかなイメージの響きがあるが、現実は「黒人旅行者を受け入れるホテルやレストランの一覧が記載された本」だった。という事実もショックだ。
映画の舞台は、1962年のアメリカ。人種差別が常態化していた時代に、高名な黒人ピアニストが白人運転手を雇い、アメリカ南部の演奏ツアーを敢行し、そこで様々な差別や暴力に遭いながらも、2か月の演奏ツアーを終えて、無事にニューヨークまで戻って来る。その間、ピアニストと運転手との間には、人種を越えて堅い友情が芽生え、生涯の親友になったという感動の実話だ。
黒人ピアニストのドクター・ドン・シャーリーは、カーネギーホールの上階に住み、裕福な生活をしている。天才ピアニストであり、礼儀正しく、知識も教養もある物静かな文化人だ。
ドンは、白人のチェロ奏者とベース奏者と共にトリオを組み、敢えて、人種差別が著しいアメリカ南部に演奏ツアーを行うのだが、(これにも深い意味がある)そのツアーの為の運転手を募集するところから、物語は始まる。
ナイトクラブの警備(用心棒)の仕事をしていたトニーは、店が2~3か月改修工事に入る為、その間の仕事を探していた。黒人への偏見もあり、口がうまくて、言葉遣いも悪く、すぐ暴力を振るってしまう粗野なトニーが、ドンの運転手の面接を受けることになった。一旦はトニーから断ったのだが、ドンから電話があり、結局2か月の演奏ツアーの運転手の仕事を引き受けることに…
正反対の性格の二人の為、衝突することも度々あったが、ドンが黒人であるということで、差別を受けていることを目の当たりにし、次第にドンに対する考え方や接し方が変わってくる。何度もボディーガードのようにドンを助け、守った。
そして、ドンの演奏を聴いて「凄い、素晴らしい、天才だ」と気づかされる。ホテルで二人が話している時、トニーはドンに「あんたの弾くピアノはスゲエんだよ!」と言う。
トニーが妻のドロレスに手紙を書いているのを見て、ドンは色々アドバイスをし、その手紙を受け取ったドロレスは感激していた。
ある時、ドンが演奏をした会場で、トイレに入ろうとした時、主催者の人に「あなたのトイレは、あの外のトイレです」と言われ、ドンはそのトイレを使うことを拒否し、モーテルまでトニーの運転する車で戻ったことがある。だが、ドンは演奏が終わると、愛想良くお客さん一人ひとりと握手を交わしていた。
その姿を見ているトニーにトリオのメンバーが「これからも、こういうことは何回もあるだろう。でも、我慢するんだ。ドクター(ドン)は、この2か月北部にいれば、パーティーに引っ張りだこで3倍の金を稼げた。彼は自らここに来た」と言う。
トニーは「じゃあ、何で南部に来たんだ?それに何であんなに、にこやかに握手出来るんだ?」と疑問を口にしたが、トリオのメンバーはそのことについて何も言わなかった。後にその答えは、その彼から聞くことになるが。
ある会場に向かう途中、エンジントラブルでトニーは車の修理をしていた。そこには草原が広がり、畑では黒人の人たちが農作業をしていた。ドンは車の外に出て修理が終わるのを待っていると、畑で作業をしていた人たちが全員、ドンの方をじっと見つめていた。その光景を見て、不安そうな顔で車に乗り込むドン…「何でお前は、白人に車の修理をさせて、そんないい服を着ているんだ?」と言いたげな、みんなの目に圧倒されたのだろうと思うが、ちょっと考えさせられるシーンだった。
移動中、買物があると言ってトニーが店に立ち寄った時、店先に売り物の翡翠の石が落ちていて、その翡翠をトニーはポケットに入れた。その様子をトリオのメンバーに見られていて、ドンから「お金を払って来なさい」「翡翠を返して来なさい」と注意され、渋々翡翠を売場に戻しに行った…筈だった。が、後に真相が明かされ、意味を持ってくる。
どしゃ降りの雨の中、パトカーに停められ、トニーは「降りろ、黒人の夜の外出は禁止されている」と言われ車の外に出たが、警官にバカにされ、トニーは警官を殴ってしまう。そして、二人とも留置場に入れられる。ドンは「暴力では勝てない。品位を保つことが勝利をもたらす」とトニーを諭す。ドンは弁護士に電話を掛けさせてくれるよう、権利を主張し、何とか電話を掛けることが出来た。暫くすると電話が掛かってきて、電話の相手は知事だった。ドンが電話を掛けたのはロバート・ケネディだった!二人はすぐ釈放された。これは凄い人脈と言うか、ドンの偉大さがよく判るシーンだ。
その日、車の中で言い争いになり、どしゃ降りの雨の中、ドンは車を降りてしまうが、そこでドンは本音を吐く。「白人相手のステージでは喝采を浴びるが、ステージを降りると、ただのクロとして扱われる。侮辱を受けても、痛みを分かち合える仲間もいない…」それを聞いたトニーは、その夜ドンと同じ黒人専用ホテルの同じ部屋に泊まることにした。トニーはドンにしっかり寄り添っている。もう充分親友の二人だ。
いよいよ最後の演奏の日。ドンが案内されたのは、物置同然の部屋だった。トニーとトリオの二人のメンバーが同じテーブルで食事をしているところで、トニーはメンバーの一人から、以前聞かれたことへの答えを話す。「6年前の1956年にナット・キング・コールはバーミングハムに招かれ、初めて白人施設でショーを行った勇気ある黒人だ。だが、彼が白人の歌を歌い始めると、ステージから引きずり下ろされ、袋叩きにされた」「ドンがわざわざ南部に演奏に来たのは″信念″だ。先人が示した勇気が人の心を変える」…と。
そして、ドンが食事をしようとレストランに行くと、黒人はここでは食事が出来ないと言われる。トニーが間に入って何とか、ドンが食事が出来るように交渉するが、どうにもならなかった。ドンは「演奏しよう。君が望むなら」とトニーに言う。するとトニーは「とっとと、こんなとこ、ずらかろうぜ」と二人は出て行く。何だかこのシーンは、気持ちがスカッとした。
その後、レストランに入って食事をしていたが、ピアノを弾いてくれと言われ、いつも弾いている「スタインウェイ」ではない、ごく普通のピアノだったが、ピアノを弾くと大喝采で、その店のバンドメンバーとのセッションで大盛り上がり。店を出たドンは「ギャラなしでも、もう一度やりたい」と言っていた。
その後、今出発すればクリスマスイブに家に戻れるということで、ニューヨークに向かって車を走らせるが、天候が悪くなってきて、ドンは「君のあのお守りの石(翡翠)を前に置いたら安心だ」と言うと、トニーはポケットから本当は返した筈の「翡翠」の石を出して車の前に置いた。ドンは全てお見通しだったわけだ。
途中、パトカーにまた停められる。「またかよ」と思うトニーだったが、実は「パンクしているんじゃないか?」と教えてくれたのだった。トニーが外に出てパンク修理をする間、警官は交通整理をしてくれていた。いい警官で良かった。心温まる話だ。
運転を再開したが、天候が更に悪化し、トニーも「眠くてたまらない。今日はモーテルに泊まろう」と言い出したが、場面が変わると、トニーを後ろの席に寝かせ、ドンが運転をしていた。
そして、ニューヨークのトニーの家に到着した。「家族に紹介する」というトニーに「メリークリスマス」と言って車を運転して帰ってしまう。自分がどう思われるか心配だったのだろう。
トニーの家では、クリスマスパーティーが始まっていた。トニーは家族みんなに大歓迎された。
ドンは自宅に戻り、翡翠を手に取って考えていた。
そして…ドンはシャンパン(ワイン?)を持って、トニーの家を訪ねる。トニーとドンはしっかり抱き合う。ドンの「トニーを貸してくれてありがとう」トニーの妻ドロレスの「ステキな手紙をありがとう」…がいい。最高のラストだった。
黒人への偏見があったトニーの気持ちが、段々と変わっていく様子や、孤高のピアニストだったドンが、トニーとの触れ合いをきっかけに心を開いていく様がよく描かれている作品だと思う。
人種差別の実態もよく分かり、勉強にもなる。黒人の人たちにとって、本当に辛い時代だったと思う。今でも、アメリカでは黒人差別は残っているが…
音楽も良かった。リトル・リチャード、アレサ・フランクリン…黒人音楽も大好きな私には、音楽も楽しめた映画だった。
テーマは『近視眼的偏見』アイデンティティに翻弄されるBROTHER達
ボストン・ポップスの「アーサー・フィドラー」を知ってりゃ「アレサ・フランクリン」を知ってるだろ。『近視眼的偏見』だけどね。
『近視眼的偏見』だけと、イタリア人はピザを食べる時に手では食べないよ。
『近視眼的偏見』で言えば、彼はイタリア系アメリカ人なんだと思う。勿論、アフリカ系アメリカ人もいて、彼らは最終的にBROTHERになる事だと思う。
性的なマイノリティーに付いては近視眼的眉唾だと思うけどね。南部の宗教は、カトリック教会よりもプロテスタントが多くて、寧ろ性的なマイノリティーには寛容だったと記憶するが。
近視眼的偏見かもしれないが、黒人のクラシックピアニストがいない。
黒人と言えば『JAZZ』
ツアーの最後をアラバマ州にしたのは、偉大なる『アラバマ物語』に対する近視眼的アンチテーゼなのかなぁ?
進行する映画のストーリーは『アラバマ物語』が上映時の出来事。
まぁ、最後の演奏はアレサ・フランクリンを知らない理由にならない。寧ろ、嫌みさ。
二度目の鑑賞だが、最後だけ言い訳の偽善にせざるを得ないかなぁ近視眼的に思えた。そんなお話。
僕のレビューが888番目。やったー。
追記 アーサー・フィドラーってジョン・ウィリアムズの先輩の様な人でボストン・ポップスはスクリーンミュージックの宝庫。
黒人音楽家とブロンクス育ちのイタリア人の友情の旅
素晴らしい映画だ。一気に二回目を見終えた。
この映画は脚本がよくできていて、テンポもとてもよく、ストーリーに起伏がついている。笑いあり、涙もさそう、音楽がとても素晴らしい。黒人音楽がもともと好きな私にとってはとくにそうである。
大まかなストーリーは覚えていたがラストシーン
Christmasに間に合わようにボスが運転して雪の中無事到着する。イタリア人はChristmas家族や仲間たちで暖かい。黒人のボスはいつものように執事がいる広い部屋にかえってくる。執事を帰し静かなChristmasイブを。ここでエンディングでもよかった。いや、むしろ、そのほうが余韻を持って終われるような気がする。
映画では黒人差別があるイタリアンファミリーが最初は驚くが、暖かくむかえる。
このあとChristmasパーティーは黒人クラッシックピアニストとイタリアン人雇われ運転手の話題に花がさくだろう。
東京物語、それのオマージュ作品の東京家族は旅を終えて静かな日常で終わっている。
どちかを好むかは人それぞれかもしれないが。
タイトルなし(ネタバレ)
前から観たい観たいと思いつつ先延ばしにしてたのをやっと観た
ほぼ最後まで普通に良い映画って事で「★4だな」って思ってたけど、最後の期待通りの「ニガーはよせ」とドロレスの「手紙ありがと」で★0.5追加🤣
全176件中、1~20件目を表示











