グリーンブックのレビュー・感想・評価
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確かにフィールグッド。だけど実に無頓着。
人種差別の問題があまり身近ではない日本と言う環境でこの映画を見ると「フィールグッド・ムービー」として単純にとても楽しめると思うし、実際私もこの映画を見て確かに気分が良くなるのを感じた。分かりやすくて笑い易い喜劇と、(最終的には)好感の持てる登場人物。ありふれたストーリー展開ながらも、味付けが巧く施されていて、主演俳優二人の演技にも旨味がたっぷりで卒なく美味しい。仮に監督のセクハラ問題が浮上しても、脚本家の過去の差別ツイートが露見しても、主演男優の差別発言があっても、それと作品とは別であると考えるべきだと思うし、少なくとも作品に罪はないと考えるべきだ。ただこの映画を見て、アメリカに住む有色人種(主に黒人)が違和感を覚えても不自然ではないだろうとも思う。この映画は明らかに白人至上主義的で、描かれたのがあくまで白人の目で見た黒人差別に過ぎないからだ。
この映画より前にも、人種問題を扱いながらフィールグッド・ムービーとして成功した作品はあった。「ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜」や「ドリーム」などはその好例だと思う。だから人種問題をフィールグッド・ムービーにすること自体は悪くないし、フィールグッド・ムービーの形式を取ることでより観る者の心に訴えかけることが出来るということもある。ただ「ヘルプ」も「ドリーム」も黒人が受ける差別の現実をしっかりと描写していたし、その深刻さや過酷さも直視されていた。ただこの「グリーンブック」に関しては、白人がわずか二ヶ月ほど黒人と過ごしたほんの僅か垣間見た差別にしか目を向けておらず、それだけで黒人(と同性愛者)の立場や在り方を知ったようなつもりになるのはあまりにも短絡的と言わずにいられない上に、その差別から白人である主人公が救出するという構図で徹底されている無神経さ。人種問題の現実を捉えた作品とは思えない。不条理な差別を目の当たりにしたその時その場でだけ「なんと気の毒に」と同情を覚えるばかりで、人種問題の根幹には興味を示してさえいないのだから。目を閉じれば気分はいいし、何も知らなければ気持ちのいい映画かもしれない。差別されない環境で生きる者が観ればそれこそ”フィールグッド”かもしれない。でも差別される側の立場で考えれば、些か無頓着な内容であることも否めない。
だけれども、だ。フィールグッド・ムービーとしてのツボを的確に押さえているため、見終わった後の感覚は本当に清々しいのだ。うっかり心が温まってしまうのだ。ヴィゴ・モーテンセンの陽気なイタリア系男の演技も、マハーシャラ・アリの気品ある凛とした演技も実に素晴らしくて二人のことを愛してしまう。単純に男二人の友情の物語だと思えばいいではないか、と一瞬思いが過ぎるが、しかしそれは違う。1960年代という時代背景においてあえて「差別主義の白人」と「差別を受ける黒人」を描く物語となれば人種問題は避けて通れないのだから。
とても巧く作られたフィールグッド・ムービーだと思うけれど、同時に欠点が終始目についてしまう。味はとても美味しいけれど有害な添加物たっぷりの食品を口にしたような罪悪感が付きまとう作品だった。
こころ温まる作品
心があたたかくなるストーリー
とても良かった、感動作品。
そこまでの
グリーンブックだから車もエメラルドグリーン?
人は互いに認め合える
本多勝一の「アメリカ合州国」で深南部の人種差別の現状が明らかにされたのは1960年代の終わり頃である。クリスチャンの黒人運動家キング牧師が暗殺されたのが1968年、イスラム教徒のマルコムXが暗殺されたのが1965年だ。本作品の舞台は1963年だから、二人の指導者による黒人公民権運動が盛んな頃だと思われる。運動が盛んであれば、それに反発するほうも盛んになる。多くの黒人は理不尽な差別に耐えていた。
本作品を観て解ったことは、個々の白人はそれほど黒人に対して差別感情を持っていないということである。差別を作り出すのは共同体の一部の人間だ。歴史的には主に綿花栽培の労働者としてアフリカから「輸入」された黒人たちは、奴隷売買という市場の商品として、人間的な扱いをされないできた。最初はアフリカの言葉しか話せなかった黒人たちも、英語を理解するようになると、次は英語で自分たちの権利を主張するようになる。しかしそれが気に入らない人間たちがいた。
人間の自尊感情は何らかの基準で自分よりも下の人間が存在することで担保される。本来は他人と比べることなく自尊感情を持てるようにしなければならない。なぜなら、この世界は自分が五感で感じているから存在するのであって、自分が存在しなければ世界も存在しないのだ。自分が死んだらどうなるかなどと考えるからいけない。自分が死んだら世界は終わる。人は自分だけの生を生き、自分だけの死を死ぬのだ。ゴータマ・ブッダが生まれてすぐに天上天下唯我独尊と言ったのは、そういう意味である。
しかし多くの人々はゴータマが説いた孤独な自尊感情を持てず、他人の評価によって承認欲求を満たす。その裏返しが差別である。権利を主張し始めた黒人を弾圧し、差別を固定化することで自分たちのレーゾンデートルを求める。差別は多くの場合、虚構によって作られる。嘘八百を並べて黒人たちを差別する理由にするのだ。そうやって作られた差別の虚構が蔓延して、あたかも本当であるかのような錯覚をさせてしまう。それが差別の実態だ。そして差別主義がその時代のパラダイムになっていく。自分で物事を考えない人はパラダイムに流される。それに、差別に加わらないと次は自分が差別されるという恐怖心もある。教室でのいじめと構造は同じなのだ。共同体に蔓延する差別という空気を一掃しない限り、民主的な社会は得られない。それには長い年月がかかる。人々の頭の中に充満した差別の感情は、簡単に取り払うことができない。場合によっては親から子供へ差別感情が受け継がれる。人類から差別がなくなる日は永遠に来ないかもしれない。
マハーシャラ・アリは、数日前に観た「アリータ バトルエンジェル」での肝の据わった悪役を演じた俳優と同一人物とは思えないほど、本作のドクター・シャーリーはストイックで落ち着き払った知識人であり芸術家であった。「暴力は敗北だ」という哲学が、彼の努力を支えてきた。
主人公を演じたビゴ・モーテンセンは微妙な表情を使い分けることのできる達者な役者である。ガサツで無教養だが、嘘はつかず、悪に染まらず、意外と実直で頑固なトニーを好演した。ケネディの言葉を自分に都合よく間違えて憶えているところは、陽気なイタリア人らしくて笑える。
人間が他人と完全に解り合えることはありえないが、互いの考え方を認め、性格を認め、存在を認め合うことはできる。そして同じ時間を過ごし、同じ星を眺めて美しいと言うこともできる。それは多分、しあわせなことである。
アレサ・フランクリンも知らないのか?ブルース・ブラザース見てみ
ロード・ムービーとかバディ・ムービーとか言われてオスカーも獲ったけど、完全に“音楽映画”とジャンル分けしたくなる作品でした。とにかく、人種差別が根強く残るアメリカ南部への演奏旅行に出た理由は?と、興味津々でストーリーに引き込まれてしまう。“Deer”じゃなくて“Dear”だ!と、中学生のための英語講座まで用意してくれてるし、辛辣な差別問題の裏で笑いどころも満載だった。
極端なレイシストもいるし、「規則だから」と黒人を入れないホテルやレストランもある。ドク・シャーリーはニューヨークを中心に演奏活動していれば優雅に暮らせているはずなのに、敢えて南部へのコンサートツアーへと向かう。カーネギーホールの上層階で成金趣味のごとく装飾された部屋には驚きだったが、既に成功しているピアニストなのだ。一方の雇われたトニー・リップも若干の差別主義者だったのだが、ドクの音楽に触れるうちに心を許すように変化していく。ガサツで大食いというトニーの性格も見ていて飽きないし、金持ち相手にお高くとまっているドクにしてもステージを降りると孤独を抱えている男なのだ。
昨年亡くなったアレサ・フランクリンを話題にする車の中。音楽魂に火がついたかのごとく、クラシックをモチーフにしたジャズ演奏に何かやってくれる気がした。冷静な顔をするドクにもロックンロール、ブルース、ほらメラメラと燃え上がってきた。それがいつ爆発するのかと、それだけが楽しみになってきます。スタインウェイにもこだわりを見せていたのに、場末のバーではオンボロピアノに向かってクラシック。そこでバンドのメンバーが・・・ここで涙腺決壊!
手紙、翡翠、銃、警察等々、伏線という伏線が全て生きてくる。二人の心が近づいてゆく過程も面白い映画ですし、ロバート・ケネディやナット・キング・コールなど見終わってからググりたくなること必至のウンチク満載映画でした。
人種差別がテーマでも、明るい映画(^o^)
アカデミー賞受賞作ということで、観ました。
観る前は人種差別かあ…暗いんだろうな…
って思っていましたが、明るい!!
所々はポロポロ泣けますが、観終わって暗い雰囲気にはならなかったです。良かった…
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以下、少し重たい感想になります
私は海外にホームステイした時に「イエロー」と言われたことがありましたが、黒人の方達はレストランに入れてもらえない、汚いトイレを案内されるなど、こんな時代があったのか、と思うと心が痛みました。
大好きなマイケルジャクソンもこういう苦痛を受けたのかもしれないと考えると、外見を変えたくなる理由がとてもよく理解できました。
私は現在アラサーで、黒人白人、ユダヤなどの人種差別は教科書でしか知らない世代です。
ただ、現代においてこれに近しいものとして、虐待やいじめがあると思いました。
そういう誰かを傷つけること、なくなって欲しい!
明るい映画からでも、社会問題について考えるよい機会になりました。
ハックルベリーフィンの冒険??
「黒人との旅」と聞くと真っ先に思い浮かぶのは文学的で有名な「ハックルベリーフィンの冒険。」内容は全く違うけれど、「旅、人種差別」という部分では同じ。だから「ハックルベリーフィンの冒険」を少し意識したのかなと思った。
やはりアカデミー賞作品賞を受賞してるだけあって本当に素晴らしかった。ストーリーも良いが、ドクの奏でるピアノの音から楽しさや怒りがとても伝わってきた。クラブで演奏している時は1番楽しそうだったな。。
また2人の成長の物語でもあって、互いの良いところを吸収し合う。勇気や暴力は負けだということや、諦めないよころ。最後のレストランのシーンでは互いの成長をとても感じた。ドクはいつもだったらあのように粘らないし、いつものトニーだったら金をもらって説得していた。
旅が終わり、トニーが「ニガーはやめろ。」と言った時に周りの皆はトニーがどのような旅をしてきて、どのような変化をしたのか少しは気付いたのだと思う。。だからドクを皆受け入れた。(「あのトニーがこんなことを言うなんて」)みたいな。そう考えると妻のドロレスは最初から最後まで素晴らしい人だなと思った。
最後のドクがトニーの家に来るシーン自分が監督だったらトニーが迎えに行き、そこからトニーの家でクリスマスパーティーに参加し、皆が受け入れるというシナリオにしたと思うけど、考えてみると、あのシーンでドクが自ら来た理由は自分で行動するという成長を表したかった変化を表したかったのでは?と思った。
納得の出来映え
心温まる話
むしろ孤独についての物語
ドク・シャーリーの立場が所謂アフロアメリカンな人たちが置かれている立場とあまりにも異なるために、苛烈な差別の現実を描かずに済んでおり、そういう意味で見やすい、刺激が強すぎない物語になっていることは否めない。一方でそのあまりにも独特な立ち位置から、むしろ彼特有のあまりにも深い孤独こそが物語を特徴付けている。
『最強の二人』との共通性を指摘する向きもあるが、この二人のいずれが差別される側なのかという点こそが大事な点なのでは?とも思う。
差別よりもむしろ孤独の現実と、それに対する救いの物語として、上手くまとまっているのでは?
しかし本作のマハーシャラ・アリはいつものマハーシャラ・アリではなくて、ちゃんとドク・シャーリーを演じていて素晴らしかった。初めて良い役者だと思わせられたよ…
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