「不易流行」男はつらいよ お帰り 寅さん mikupapa 1008さんの映画レビュー(感想・評価)
不易流行
50作目が制作されると聴いて、上映される日をずっと楽しみにしてきた。
結論、50作目を制作していただきありがとう。50作目に至るまでの歴史を作って頂いた演者さんにも制作者さんにも、ロケに協力した人にも、人気を支えたお客さんにも皆に感謝と労いをしたい気持ちになった。
前情報を入れてから観に行ったが、自分もオープニングで桑田佳祐に歌唱を担当してもらったのは、やはり受け入れ難い。最後のスタッフロールで渥美清の歌唱を引き立たせたという好意的なご意見もあるが、やはり違和感しかない。
本編では、社長の娘のアケミが社長の娘らしく怒りっぽいという設定だったが、あれは怒りっぽいというより情緒不安定な女性としか思えない。くるまやがカフェになっていたが、何故にカフェに?お団子屋さんのままで良かったのでは?カフェにしたならば、相応の描写があるのかと思ったが、ただ三平ちゃんが蝶ネクタイをしていただけで。必然性が無いのでは?
と、批判的なものの指摘もしたが、変わっているからこそ…というものも。やはり劇的に変わったのは、満男と泉の職業。ここまで大幅に変わる必要が有ったのか?有ったと思う。泉は海外在住、家族もいる、仕事も国連というこれ迄の男はつらいよの世界観では出てこなかった突飛過ぎる、ガチガチのスケジュールに縛られる職業。(リリーさんをはじめ歌手とか他職業もスケジュールに縛られてはいるが)仕事はあるものの、フリーランスという自分で働く時間に自由が利く満男の作家業も泉との三日間では、どうしても必要があっただろう。
さくら夫妻の住むくるまやの奥、手すりがついて、いつも寅の座っていた位置には、ソファーが置いてあって。皆加齢に伴うものがあるのか?という描写。おいちゃんとおばちゃんの仏壇の写真。くるまや裏の印刷工場は無くなり、アパートになり。
リリーは、流浪から都内に店を構え。
時代と共に変わっていかねばならない事、時代は変わっても変わらないもの、変えてはいけないものという不易流行を観ていて感じた。
出演者、濱田マリは好きだ。だが、熱烈な満男ファンとして、あそこで出る必然性は有ったのか?もっと出演に必然性を感じなかったのは、落語家の二人。志らくとたま平。この二人は本当に作品の足しにもなっていない、今回のキャスティングにおける、大失敗と思う。何故に老人ホームで暮らす年寄りには自分の面白さが分かってもらえないと嘆く噺家を出さねばならなかったのか?老人ホームで働くちょっとうざい存在の職員は、たま平でなければいけなかったのか?そもそもその職員がいなくても、自然に居室まで案内する職員が一人いれば良かっただけのシーンなのに。個人的見解で、二人とも演者として、好意を感じていない、がしかし、こんな登場しなくてもどうでも良いシーンに出るのでは、二人の良さも出せず、二人も気の毒と感じざるを得ない。
満男は見映えはやはり変わったが、中身は変わってないなあ。さくら夫妻は、その変わった、老化が良かった。一作目の初々しい二人と今の老いた二人両方が同じ作品で楽しめるのは、良かった。さくらが眼鏡のせいか、少し亡くなったおばちゃんに見えたのは気のせいか。泉も私生活では両親の事で苦労をしていたものの、満男と恋をしていた可愛くて美しいあの頃と今の美しいけど、少し疲れ気味の両方がみられて良かった。
孫のユリも池脇千鶴演じる編集者も山田洋次監督が好きそうな、山田洋次作品ファンの好きそうな女優さんの登用だなぁと。可愛かった。
すまけいも関敬六も鬼籍に入り、出演は叶わないのは仕方無いが、存命している役者さんは出演して欲しかったなぁ。鈴木恵美子的役割を持つ人が居たのに、それは鈴木恵美子ではないし、元舎弟で今は堅気の登、秋野大作とかも別役で良いから出演して欲しかった、そして劇団ひとりにも。家族はつらいよには出ていたので、今作品にこそ、きっと!と思ったら…。出川哲朗も若手の頃のチョイ役からバッチリ映るチョイ役に抜擢されて自分は嬉しかったなぁ。
空港での満男と泉の別れのシーン。
全く違うようで、実は形は異なれど車寅次郎とマドンナとの別れの心象風景と被る。
チュッと音がするキス。観ている方も恥ずかしさと共に何とも言えない感情移入の出来る演出。ずっと好きだった、今でも好き。でも、今からではどうにも出来ないと。
そして、歴代のマドンナ達の美しさや魅力が回想…。
たくさん詰め込みたいところを、要所グッとおさえて盛り込んだ、ご苦労が感じられる作品!